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ぼくの名は悟朗

作者: 奥赤住男

寒い朝


 寒い日だった。お母さんの温かい体温が伝わってくる横で僕たち兄弟はいつものように眠りについた。えらくガタガタ激しい振動と音に眠りを邪魔され目が覚めた。お母さんがいない。ぼくたちは車の中にいた。残りの兄弟は、みなもう起きていて不安そうにまわりに目をやるもの、泣き出しそうな顔をしているもの、努めて平静な表情をつくろっているもの、しかし不思議にみな黙っている。兄弟の仲で一番ぼくがワンパクだからなのだろう、さっきからしきりにみなの視線を感じる。「ふだんえらそうにしているクセにこんな時くらいなんとかしろよ」といいたそうな視線でぼくを見ている。さすがの、呑気者のぼくもこれはただならぬことが進行していると思った。

 二〇〇二年十一月十七日早朝。

さっきから車の窓を見ているが一台の車にも出会わない。えらく深い山だ。ぼくが目覚めた時はもう明るかったが、きっと暗いうちにこの車は出発したことだろう。やがて静かに車は止まった。走り続けている時も不安だったが、止まった時も不安だ。何が起こるか予想のつかないことがみんなの不安を増幅した。これから起きる残酷なことを皆は予感していた。不安がピークに達した。

 兄弟のうちで一番の弱虫が突然泣き出した。堰を切ったようにみんな泣き出した。ぼくは必死にこぼれそうになる涙をおしとどめた。

 意外だった。温かいミルクが配られた。不安を吹き飛ばすくらいミルクは温かくおいしかった。温かさが不安をあいまいにした。一番に泣き出した兄弟は美しい山あいの景色の中でいつしか遊びだしていた。やがて、めいめいに松ぼっくりや、朽ちてしまっているどんぐりなどで遊び始めた。少しばかりの無邪気な時間が流れた。

 しかし、やはり不安は的中した。突然、車は猛スピードで発進してしまった。追いかけることも出来ないほどすごい速さだった。

 ぼくたちは置き去りにされたのだ。しばらく車の走り去った方向を見つめたまま、だれも遊ぼうとしない。

身をさすような寒さに気付いたのもぼくだけではなかった。ぼくたちは誰が言うともなく陽だまりの中で身を寄せ合っていた。誰も何も言わない。口を開けば涙が出そうになるのをそれぞれが感じあっていた。一時間ほどが過ぎたろうか、一台の車がぼくたちの横を通りすぎようとした。スピードを極端に落としながらぼくたちを見ている。みんなは助けを求めて一斉に車にかけ寄った。若い男女が車に乗っていた。なにやら二人で話をしている。かかわりたくないようすだ。車の窓を開けようとはしない。窓が閉まっているので何を話しているかは聞き取れなかった。しかしぼくたちを覆っている大変な事態を理解している様子はまったく無かった。可愛いとか、可哀相だとかそんなことを言っているようだ。やがて車はだんだんとスピードをあげ走り去った。

 何という冷酷薄情な者たちだろう。ぼくたちを置き去りにしたあの人たちと何も変わらないではないか。深い絶望と寒さがぼくたちを支配した。

 泣き疲れてみんなは黙ってものを言わない。時折聞こえる鳥の声と、北風が激しく熊笹をなぎ倒すように通り過ぎる。ただただ寒い。体がブルブルと震える。さっきの若い男女の車が通り過ぎてからどれくらいの時間が経ったのだろう。もう太陽は真上にきている。周りの山を見上げながら、ここの陽だまりが翳るまでどれくらい持つのだろうか。ぼくは不思議にぼんやりとそんなことを考えていた。

 北風が止んだ合間に低い小さなエンジン音が聞こえる。車だ。

 またスピードを落とすだけで通り過ぎるかもしれない。ぼくたちを見ながらノロノロとその車は通り過ぎようとしているように見えたが、少し通り過ぎたところで止まった。中年の夫婦のようだった。何か二人で話しているようだが窓が閉まっているのでよくわからない。ぼくたち兄弟は、さっきの車の例があるので誰も動こうとはしない。窓が開いた。中年の男女が窓から顔を出しぼくたちを見つめている。

女のほうが怒りをあらわにしている。「なんとひどいことをするんやろう」「ほんまや、ようこんなことするわ」

男も相づちをうっている。

「なんとかせなあかんで」「そうやなぁ」「そやけど五匹もよう飼わんで」「放っとかれへんで」「そんなことゆうても、自分が食っていくのに精一杯やのに五匹はむりやで」「ほんならどうするん」

「そんなこと言うんやったら、おまえ飼うたれや」「うちは無理や、仕事があるもん。面倒見られへん」

 ぼくたちは、つい先ほど棄て犬になったのだ。

まだ名前も付いていない。登録さえされずに棄てられたのだ。ぼくたちは何故「棄て犬」にならなければいけないのか。人間の論理ではなく、ぼくたち犬に納得できるように答えてほしい。人間なら誰でもいい、答えてほしい。

 ぼくたちのそんな思いとはまるで別の会話がこの夫婦に交わされていた。

 男が単身赴任なのだろうか。女は仕事があるらしい。男がどういう仕事をしてるのかは今の会話からでは判らない。この夫婦らしき男女の結論は、「放ってはおけない」「しかしぼくたち兄弟五匹の面倒は見られない」ということに話がおちついてきているようだった。

 「しかし、わしは犬は飼うたことは無いからなあ。小さい時鳩は飼うたことあるけど、犬はなぁ」「うちは犬飼うたことあるけど・・・・」「ほんならお前飼うか?」「せやから仕事がある言うてるやんか、一日中家にいてへんのに」「職場に連れて行ったら?」「ようそんな無茶なこと言うわ」

 ぼくは少し腹が立った。どうも男のほうは決断力が無いに等しい。一体ぼくたちをどうする気なのだろう。ぼくたちを見なかったことにするのだろうか。ぼくたちを棄てた人間、可哀相だと言って平気で通り過ぎたさっきの若い男女、今ぼくたちの前でどうするか決めかねている夫婦。

今日、朝から今までの間に人間は「信用できない」ことのみが証明されている。

 どうも女のほうはぼくを育ててくれるのは無理なようだ。この頼りない男の決断の無さを何とかしなくてはいけない。さっきの若い男女のように何も見なかったように走り去られてはたまらない。ぼくがそんなことを思っていると、男が車を降りてきた。

チャンスだ。

このチャンスを逃すとこの男は決断できないままだ。ぼくは男のほうに尻尾を振りながら駆け寄った。すると男はぼくを抱き上げた。自分の頭上高く抱き上げながら叫んだ。

 「飼うわ、こいつ飼うわ」

 ぼくは男の決断の後押しに成功した。

いつのまにか車から降りてきていた女は、陽だまりに身を寄せ合っている残りの兄弟を寂しそうに見つめていた。女は無言だった。ぼくを抱きかかえながら男も同じように残りの兄弟たちを見やっていた。短い時間だったが、男と女、男の腕の中のぼく、身をすり合わせているぼくの兄弟たち。重く苦しい時間だった。男が重く口を切った。

 「行こう」

 女は無言で男について車に乗った。男は、黙ってハンドルに手を置いている。アクセルは踏まれていない。温かいヒーターのきいた車の中でしばしの無言。男はアクセルを踏み込んだ。女は、車の窓から身をのけぞらせながら、置いてきぼりにされた兄弟たちを見ている。ぼくはつらかった。ぼくはみんなを見ることが出来ない。ぼくは助かる。しかし、しかし残りの兄弟たちは・・・。ぼくはこの夫婦に救われたことを拒否すべきだったのか。ぼくの心に広がってくる裏切りの思い。そして何よりも辛いのは、ぼくたちを棄て去った人間たちと何も変わらないのではないか。人間へ加担してしまっているのではないかと思ってしまう意識。

ぼくはなにもできず、温かい女のひざに抱かれている。

 少し走ったところで中学生ふうの女の子が二人、自転車を押しながらぼくの乗った車とすれ違った。

 「あの娘らが拾ってくれるかもしれない」女が自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「そうやなぁ、そうしてくれたらええのになぁ」車の中の夫婦の会話はいつまでもぼくを苦しめた。

 女は、車の中でぼくをひざに抱いてくれていた。男がぼくを抱くのとは全く違う感触だった。ぼくのお母さんとは違う不思議な感触だった。

ぼくは今日の辛く寂しく不安だった今までの事がいっぺんに胸の中にせつなく広がった。お母さんに会いたい、お母さんのおっぱいが飲みたい。気が付くとぼくはおっぱいを捜していた。そんなぼくの様子に女はまだ気付いてはいなかった。この夫婦は、秋の紅葉を見がてら買い物に行く予定だったようだ。小一時間ほど車は走り、ホームセンターに到着した。夫婦は、予定外のぼくの買い物をたくさんしていた。首輪、ロープ、牛乳、パン、ぼくのトイレ用トレイ、ペット用トイレシート、などなど。


ぼくの名は悟朗


 「こいつになんかええ名前を付けたらなあかんな」「何がええかなぁ」「横文字がええかなぁ」この男の頭の中はぼくに付ける名前で一杯だ。「オリオンがええかなぁ」「なんかギリシャ神話の登場人物にしようかなぁ」

 不思議に思うことだが、ぼくはこの男に育ててもらうことを承諾した覚えは無い。

 ぼくには育ててもらうことを「拒否」することが出来ない。初めから「拒否」する「権利」など奪い去られてしまっていることなど、考えもしないことだろう。しかしぼくは確実に救われているのだ。ぼくのこの男へのゆがんだ「愛」を解ってもらえるのだろうか。ぼくの人間に対する「愛」はこんな形からスタートする。「拒否」することを拒絶されることからしかはじまりえないぼくの人間に対する「愛」。屈折させられてしまった受け入れることしか残されていないぼくの「愛」。

 男は楽しそうにぼくの名前を考えてくれている。

 たくさんの買い物を済ませて夕方、車はこの中年夫婦の家に到着したみたいだった。ぼくたちが棄てられた場所とあまり遠くないような会話を夫婦はしていた。

 「さっ、今日からここがお前の家やで」

 ぼくは驚いた。すごい田舎だ。家の周りは畑、田圃。男が家の周りを見せてくれた。何と!家の裏は山だ。

ぼくは窮屈な男の腕の中を出たくて暴れた。あの草の上を歩いたら、あっちの草はどんな匂いがするだろう、そう思うと地面に降りて歩いたり走ったりしたくてたまらなくなった。

 男は「こらっ暴れるな」「じっとしなさい」ただ地面に降りて走りたい。男の腕に力がこめられる。身動きが出来なく息苦しい。

あまりの苦しさにぼくは男の指を噛んでいた。ぼくにとって男の指は硬くて少し大きすぎた。男は完全にぼくをナメテいた。ぼくが赤ちゃんだから噛まれても痛くも何とも無いと思っていた。この男が犬を飼ったことが無いと言うのはどうやら本当らしい。ぼくの歯が鋭いということを知らないのだ。

ぼくは下に降りたい一心で男の人差し指を力いっぱい噛んだ。

 男は驚いた様子で「痛っ、痛たたっ」「菜摘ちゃん、こいつ噛んだら痛いで」

「うちは犬、飼うとったことあるけど赤ちゃんの犬が噛むの、痛ないで」

「ほんまやて、痛いて。いっぺん噛まれてみ」

「どんなん」

 女も一緒になってぼくが降りたいと言っていることなどどこ吹く風の様子で指を持ってきたので、同じように女も噛んでやった。

「痛い!何すんのっ」と言うが早いか女はいきなりぼくの頭を「バシッ」と叩いた。

あまりの痛さにぼくは悲鳴をあげた。「すごい牙やで」「赤ちゃんの癖にこんなすごい歯してるの知らんわ」「前に飼うとった犬、こんな痛くなかったよ」「この犬ナニケンやろ?」「ほんまやなぁ、きっと雑種やからそんな高い犬や無いで」「室内犬ではないと思うわ」「柴犬やろか」「柴犬はこんな真っ黒な顔してへんやろ」「ほんまに真っ黒やなぁ」「熊みたいな顔やな」「熊五郎みたいやね」

 「決めた!」「熊五郎の熊を取ってゴローにしょう」

 「お前の名前が決まったで、ゴローや」

 ぼくはぼくにつけられる名前を断ることが出来ない。せめて真剣に思いをこめてぼくの名前を決めて欲しかった。

 黒い熊のような顔、熊五郎、だから「ゴロー」

人間のぼくたち犬に対する思いなんて所詮こんなものだ。いくら言っても無駄のように思える。

 男は何か聞き取れない小さな声でぶつぶつ言っている。ぼくの名前を繰り返し言っているようだ。

 「朗らかに悟る。漢字でそう書こう。うん、朗らかに悟る」「悟朗、ええ名前や」

 人間のぼくへの思いを感じられないまま、ぼくは、ぼくの名前を甘んじて受け入れることにする。

 ぼくの名は「悟朗」


すれちがい


 ぼくは、育ててくれることには感謝をしている。しかし、言っておきたいことがたくさんある。ぜんぜん判ってくれないことで一番歯がゆく辛いのは、ぼくたちは人間の言葉を喋ることは出来ないが、人間の言葉を全て理解できると言うことだ。そのことを人間はわかっていない。ぼくはまだ赤ちゃんだ。お母さんの温かいおっぱいが欲しい。ぼくを拾ってくれたあの日もそうだった。冷たい牛乳を途中で買ってくれたが、旨くなかった。第一、下痢をする事が判っていない。お腹が減っていたのであまり旨くない牛乳でも飲んだが、本当は温かいお母さんのおっぱいが欲しいとだけは言っておく。次にぼくはまだ赤ちゃんなので、オシッコを我慢するということが出来ない。出そうになるオシッコを止める括約筋がぜんぜん発達してないのだ。水道の蛇口をひねるのと全く同じだ。小さい体の中に胃や腸というホースがあるだけだということも判っていない。飲めばすぐにオシッコになってしまうことをどうかわかって欲しい。だから、オシッコをしてしまうことでぼくを叱らないで欲しい。

 第一日目、この夫婦と一緒に夕食をとった。ぼくは温かいスキムミルクとパン。自分たちは味噌鍋。たまらなくおいしい匂いが部屋に充満している。ミルクとパンの匂いなんかはかき消されてしまうくらいだ。ぼくはすぐにお腹が一杯になった。というのもまだ満腹ではないのだがミルクとパンはもう欲しくない。味噌鍋をうまそうに食べているのが気になって仕方が無い。ぼくは思い切ってテーブルの上に上がりたいのだが今のぼくにとってテーブルは高い。女のひざの中に入った。甘い匂いがする。お母さんの匂いに似ている。気が付くとぼくはおっぱいを捜していた。

 「あれっ、この子おっぱいをさがしてる」「あっ、ほんまや」

 ぼくは少し恥ずかしかったが、女が気付いてくれたのが嬉しかった。女はぼくを抱きかかえ、そうかそうかと言って鍋のなかの魚のすり身をいったん冷ましてからぼくにくれた。ミルクとパンよりはよほどおいしかった。

 「この子まだ赤ちゃんなんや」「へぇー、生まれてどれくらいなんやろ?」「おっぱいを捜すんやからなんぼも経ってへんのと違う?」

 ぼくはいつ生まれたんだろう?ぼくにも判らない。男が「ちょっと調べてみよか」と言って席を立ちかけた。「ご飯済んでからにしようよ」女がたしなめる。男は座りなおしながら、「大きくなる犬か、小さい犬かそれもいっしょに調べてみよう」

 ぼくは大根や、小芋、白菜などを今度は腹一杯になるまで食べた。味が少し濃過ぎたことを除けばおいしかった。白菜も美味いのだが、柔らかい小芋や大根のほうがぼくは好きだ。

 夕食も終わり、ぼくは例によってオシッコをあちこちでしてしまった。最初のうちは「もうっ、またぁ」などといって大筋で許してくれていたのだったが、あまりあちこちにするといきなり平手打ちが頭に飛んできた。ぼくは驚きと恐ろしさで悲鳴を上げた。大声で何やらわめきたてている。平手打ちの痛さよりも大声でわめき散らされるほうが恐ろしかった。ぼくはコタツ布団の隅っこでこの二人を上目遣いで様子をうかがった。

 「まだ便所がわかれへんなぁ」「トイレのしつけも大変やなぁ」「とりあえずダンボール箱で寝る場所を作ったらなあかんな」

 女は言うが早いかすぐに小さな段ボール箱を持ってきた。あの箱の中で夜、寝なければいけないのだろうか。ぼくはストーブの前の暖かいコタツ布団がいい。ただ、嬉しかったのは中にスポンジ製の座布団を敷いてくれていたことだった。ポンとその箱の中に入れられたのだがすごい圧迫感を感じた。ぼくは暖かいストーブの前のほうが断然居心地がよかったのですぐに箱から出た。

 「あっ、またしよった」男が叫ぶ。「何であちこちでするの、何べん言ったら判んの」

 今回は叩かれなかった。叱る口調もとげとげしくなかった。ぼくはどうしていいか判らない。オシッコをすればこっぴどく叱られることだけが判った。なるだけこの二人の判らないところでオシッコをしようと思った。

 オシッコの事以外はこの二人は実によく遊んでくれた。ふきんで引っ張りっこをしたり、抱っこをしてくれたり、くすぐられたりしてぼくは楽しかった。お腹もふくれ部屋も暖かくぼくはウトウトし始めた。

 ぼくは夢を見ていた。産まれて二週間くらいの頃、まだぼくの目は開かない。いつもおいしいおっぱいが温かいお母さんのぬくもりとともにぼくの口を潤す。おっぱいを飲み、お腹が一杯になると寝る。そんな毎日がゆったりと流れている。愛されていることが幸せな豊かな気分にしてくれる。ぼくのオシッコをお母さんはきれいに舐めとってくれている。丁寧にやさしく、やわらかく舌で愛撫してくれている。ぼくは愛されていることをお母さんの舌で感じ取ることができた。

 「あっ、これやこれや。これやわ」「ほんまや、これやわ」

 二人の大声でぼくの幸せな気分は無残に吹き飛んでいった。ぼくは寝たふりをして二人の会話に耳をそばだてた。薄く目を開けて様子をうかがうと、男がパソコンを使いインターネットでぼくを調べているらしい。ぼくの寝ているところからはパソコンの画面は見えない。

 「菜摘ちゃん、これ見てみ。悟朗にそっくりや」「ほんまや、ふーんこれに間違いないわ」

 見たい!ぼくも見たい!ぼくは一体どんな犬なんだろう。お母さんは大きな体ではなかった。そしてぼくのように真っ黒ではなかった。お母さんの背中は茶褐色に黒毛が虎のように縞模様状に入っていた。ぼくは黒い。お父さんが黒い犬だったのだろうか。ぼくはお父さんを知らない。でもぼくは見知らぬお父さんに似ているのだろうか。見たい!ぼくはたった今目覚めたように、大きく伸びをしてゆっくりとパソコンの画面に近づこうとした。

 「悟朗、おまえは甲斐犬や」「悟朗、よかったな甲斐犬やて」

 カイケン?ぼくは甲斐犬?どんな顔をしているのだろう。早く見たい!

 突然女がぼくを抱き上げた。

 「悟朗、甲斐犬やで。天然記念物やねんて」

 「北海道犬、秋田犬、甲斐犬、紀州犬、四国犬、柴犬が天然記念物として指定されているんやて」「でも、悟朗は雑種やから天然記念物にはならんな」「そらそうやな、血統書でも付いてたら二、三十万で売れるもんな」「悟朗、別にかめへんやんな。甲斐犬やゆうことが判っただけでもええやんな。なぁ悟朗」女は嬉しそうにぼくを両手で抱えて振り回す。ぼくはパソコンの画面を見たい。ぼくと同じ赤ちゃん犬が載っているパソコンの画像を見たい!

 女は振り回すのをやめると、さっさとぼくを元の寝ていた場所に連れ戻す。ぼくは慌ててパソコンのほうに向かおうとすると女はまた抱いて連れ戻す。男は「ふーん」とか「へーっ」とか言いながら盛んに感心している。

 「そうや、子犬の育て方も調べとこか」「それ調べて印刷しといて」女は男にそう言いながら嫌がるぼくの前足を掴んではなさない。ぼくは気がきではない。ぼくの見たい画面がパソコンから消されようとしている。ぼくの育て方なんて大きなお世話だ。早くその手を放してほしい。女は完全に勘違いをしている。ぼくが喜んで遊んでいると思っているらしい。ぼくはぼくの仲間が写っている画像を見たいのだ。

大体、「何犬」かを一番知る権利があるのは断じてぼくだ。ぼくがどんな犬になっていくのかぼくが知りたいのだ。この男と女がいつしか「犬」になるとでもいうのだろうか。

男が次の「子犬の育て方」なるもののページへ移ってしまった。

 ぼくのショックと落胆をこの二人には判るまい。ぼくはムラムラと激しい怒りが込み上げ、血が体中を逆流した。女の親指を力一杯噛んでやった。右の牙が女の親指に喰い込んだ。「痛い!」叫ぶと同時に頭を思い切り張り飛ばされた。ぼくは二メートル近く飛ばされていた。女の親指から血が流れていた。

 ほんの少しぼくは反省をしたが、ぼくはどんな大人の犬になっていくのかを見ることができなかったことのほうが悔しくてたまらない。ぼくは人間の言葉を理解できるが人間の言葉を喋れないことが悲しい。ぼくの表情や、仕草、鳴き声でしか訴えることが出来ない。どうしたら言いのだろう。ぼくが人間の都合のいいような犬になるべきか、人間がぼくたち犬の気持ちに合わせてくれるのか、どちらかでないと人間とは一緒に生活できないのだ。

 この夜、ぼくは二人が寝静まってからずっとこの問題を考えていた。ふっとぼくの脳裏をかすめるのがこういうことだ。この家の裏は山だ。ぼくはこの二人のぼくへの「愛」を拒否して野生の犬として山に戻るべきか。ぼくは野生の犬となって自由に生きる。人間のご機嫌をとって卑屈に生きることはない。そう思うとぼくは部屋の中でじっと寝ていることが出来なかった。人間にいじめられてきた何頭もの犬が野山を駆け巡っている。ぼくたちはお互いを支えあって集団を形作る。いつしかぼくは心寂しき群れのリーダーに成長していく。ぼくはリーダーとして群れの中で一番弱いものを支えるべきだと考えている。もしそうすることが出来なければ、この群れを作っている意味は無いだろう。バラバラになってしまったぼくの兄弟もぼくの群れの中にいる。ぼくが棄てられていたあの山の峠もぼくたちのテリトリーだ。オシッコをしたからといって、ウンコをしたからといって、布団をかじったからといって殴られることはない。ぼくたちは自由だ。人間の機嫌をとることは一切しなくてよい。そんな光景が無限に広がっていく。そんなことを思いながらぼくはいつしか深い眠りについていた。

 あくる日、ぼくを乗せた車は一時間ほど山あいを縫って走っていた。やがて地方の駅に車は止まった。ホームに列車が止まっている。車を降りるまで女がぼくを抱いてくれていた。ぼくを抱くことについては、はるかに女のほうが上手だった。抱かれていて安心だ。男の抱き方はどうも不安を感じるし、なによりも落ち着かなかった。ぼくがゴソゴソ動くととたん、腕に力を入れる。抱かれているというよりも羽交い絞めにされている。じっとしていると息をするのにも窮屈になる。しかし、あまり露骨にいやな態度をすると男に悪いような気もするのでぼくも我慢をすることにしている。ぼくを上手に抱いてくれるようになるのを期待しよう。


人間との共同生活


 「じゃあ、ありがとう」「また来週ね、悟朗良い子にしてるのよ。じゃあねー」

改札口で男と女はお互いに手を振っている。女はぼくに「さようなら」と言っている。「また来週ね」とも言っている。やはり男は単身赴任なのだろうか。あるいは、この二人は夫婦ではないのかも知れない。女を駅に見送ると男は来た道を折り返し車を走らせた。女がいなくなった車の助手席で、ぼくはゆったりと寝ることが出来た。眠りを決め込んでその態勢に入ろうと思っているのに、男がぼくの鼻や、頭を触る。男はぼくを可愛くて可愛くてたまらないらしい。それはそれでありがたいのだが、ぼくは今は眠りたい!男が車を運転しながら片手でぼくを撫で付けてくる。ぼくは運転に集中してほしいと思う。田舎の曲がりくねった道なのに本当に危険だ。眠りをじゃまされてイライラするのだが、じっと我慢をする。ぼくが本気で怒って男の指に噛み付いて事故でも起こされては困りものだ。本当に人間ていう奴は始末に悪い。

 男とぼくだけの生活が一週間続く。どうもこの男にはインターネットいう奴の影響がかなりあるらしい。何日か経つと、何を思ったかぼくの食事はドッグフードに変わってしまった。ぼくにとっては迷惑な話だ。ドッグフードと人間の食事を比べると、圧倒的に人間の食事のほうがうまい。ドッグフードは、薄味すぎてまずい。ぼくは、この男にある種の実験を試みた。まずいドッグフードを食べ残してみる。すると男は心配になって元の人間と一緒の食事をくれるかもしれない。空腹を我慢して作戦を実行した。

ぼくの作戦は見事に外れた。男は人間の食べている食事をくれなくなった。頑固なまでに男はそれを貫いた。きっとインターネットの情報にそう書いてあったのに違いない。大体この男はぼくたち犬の習性だとか、一番大事なぼくの気持ちなどはぜんぜん判っていないくせに食事だけはかたくなに押し通そうとしている。男は食事の時ぼくにいつもこう言う。

「ドッグフードは栄養バランスがええねんで。いっぱい食べよ。米のご飯なんかより栄養があるねんで」

 それはそうかも知れない。しかし男がぼくのために作ってくれる、「かつおご飯」は本当にうまい。ご飯に少しの醤油と花かつおをふりかけて暖めてくれる食事のほうがぼくは好きだ。ぼくがまだ赤ちゃんなので、お湯で柔らかめのお粥にしてくれるその気使いが嬉しかった。おかずは大根の煮付け、小芋の煮ころがし、ぼくは毎日でもこのメニューならかまわない。なによりも男の愛情を感じることが出来た。栄養バランスの問題ならドッグフードが良いのかも知れない。しかしぼくに対する愛情は感じられなくなった。ぼくも、抵抗するのは止めた。悔しいが、空腹には勝てない。

 ぼくはまずいドッグフードのおかげで一週間ごとに女を驚かせた。

 「一週間でこんなに多きなるの」「大きなったやろ」

 女は一週間するとこの家に来た。週末を過ごすとまた列車で自分の家に帰る。この二人の会話を聞いていると、女が定年退職するまでは一緒には住まないようだ。なにせここはすごい過疎の山村だ。こちらに来ても仕事なんてあるはずも無い。今の仕事を続けて退職してからこちらに来るようだ。一方、男はどうもパソコンの仕事をしているらしい。夜になると男がぼくをせわしなく片手で抱き、車の助手席に乗せる。どうやら小学校に来ているようだ。男の手提げ袋の中に入っているものは、パソコンのテキスト、フロッピーディスク、伸縮式の指示棒などがある。「待っとくんやで」と言って男は夜の学校へ消える。二時間ほどして「悟朗、待っとったか」と言って男がぼくの頭と喉を撫でる。ぼくは待っていたというよりも二時間、ぐっすりと寝ている。男はぼくが二時間車で寝ていたのを知っているので、外でオシッコをさせてくれる。車の外はとても寒い。オシッコがすぐに出る。この男の仕事はパソコンのインストラクターなのだろう。たまに、本当にたまにだが男の家のほうにも講習を受けに人が来ていたことがあった。年配の女の人だったがぼくがその人の靴を噛んで遊んでいたら、たまたま部屋から出てきた男に見つかって、こっぴどく叱られたこともあった。しかしほとんど家のほうには客は無い。

 週末、いつものように女が来ている時男は楽しそうだ。ぼくには判る。きっとこの男のことはぼくが一番よく知っているのかもしれない。同じように女も楽しそうだ。二人が楽しそうにしてくれているほうがぼくは安心だ。この二人は買い物が好きだ。とくに、ぼくという家族が増えたのでぼくのものを買いによく連れて行ってくれる。その日はぼくのおもちゃや、動物用ヒーター、ドッグフードなどが車に積み込まれた。とくにヒーターは嬉しい、暖かく眠れる。ぼくはこの二人とうまくやっていけるかも知れない。そう思った時、ぼくはいやなものを買っている事に気付いた。「オリ」だ。あの中にぼくを閉じ込めようと言う魂胆に違いない。この二人に気を許しそうになった自分の甘さをぼくは反省した。

 案の定、ぼくはその日からオリに入れられることになった。オリの中にオシッコ用のトイレトレイ、その横にダンボールで囲った僕の寝床。中にはヒーターをくるんで毛布が敷き詰められていた。

 ぼくは清潔好きなので寝床でオシッコをしたりしない。しかし寝ている鼻先でオシッコの匂いがするのはたまらない。朝の五時前頃からクンクン鳴いて男を起した。朝一番に男はトイレの汚れたオシメシートを取り替えてくれた。それからストーブを点け、オリの外へ出してくれた。男が起きだす六時まで暖かいストーブの前でウトウトしたり、大きな声で鳴いて男を起したり、朝の一番楽しいひと時だ。

 一日四回の食事。とにかく気がつくと腹が減っている。ぼくは男のダイエットを兼ねた一時間たっぷりの散歩につき合わなければならない。

男は女にぼくのために散歩に行かなくてはならなくなった、などとお仕着せがましく言っているが、ぼくは本心を知っている。この男は意志が弱い。自分ひとりでは散歩一つ出来ないのだ。ぼくをいい口実にしているのだ。ぼくのおかげで散歩に行けるようになったのだ。

ところがこの男は極端だ。村の宮さんが小さな山の上にある。そこの参道の登りはとても急峻だ。若い男でも途中で休憩を挟みながらでないととても登ることが出来ない。もっともこの村に若い男女などいない。六十前の「あるじ」でさえ年齢を下から数えて二番目なのだ。祭りの時などみんな途中で足腰を休ませながら、やっとの思いで頂上の小さな祠まで辿りつく。七十、八十を過ぎた老人も祭りには、不思議に息を切らせて「年に一回だけだ」と言いながら小さな祠に手を併せるために登る。この険しいコースの登り下りが毎日の散歩のコースに選ばれた。ぼくは泣きそうになった。ぼくの体の全長は二十五センチにも満たない。壁のように立ちふさがる坂をよじ登ることが出来ない。ぼくが心細くなって鼻を鳴らして、泣いて助けを求めてもこの男は聞こえない振りをしている。そ知らぬ顔をしてぼくが自力で登るのを待っている。鬼のような男にぼくは闘志がみなぎってきた。少し下がって勢いをつけて飛び上がってみたらなんとか登れた。こんな段が無数にあった。くたくたになって家に帰る。そして食事。ぼくは本当に見る見る大きくなっていった。


或る日の出来事


 この家に来てから一月程がたった。十二月になると寒さもこたえるようになってきた。ぼくの背中を覆っている毛もだんだんと生え変わってきている。この頃どうも腹の調子が悪い。大体ドッグフードが硬くてなおかつ成犬用なので粒がぼくには大きすぎる。口の中でうまく噛み砕けないのがとてもつらい。ぼくが人間の赤ちゃんならこの男はどんな食事を与えるのだろう。毎日続く消化不良。とても臭いガスが出て困る。そんな日が続いている時だった。ぼくは無理にでも食べていたのだが、これ以上食べ続けることが出来なくなってしまった。もう日も暗くなる前の出来事だった。朝から食べたものが消化されずに突然、胃の中から逆流してきた。体が絞り込まれ二つに引きちぎられるような苦痛がいつまでもいつまでも続いた。苦しさのあまり目からは涙が止めどなく出てくる。さすがにぼくの様子の異変に気付いて男が飛んできた。

 「悟朗!どうしたんや」男はうろたえている。いつもならそんな男を見ると、ぼくは心配をかけないように、かばってやったり気げんをとってやったりするのだが、今回ばかりはそんな余裕は無かった。男はぼくの背中をさすってくれている。人間が口からもどしている時、こんなことをするのだろう。ぼくの戻しかたは尋常ではなかった。ぼくの様子を見て、おろおろしながら男は電話の受話器をとり、どこかへ電話をしだした。

 「もしもし、先生ですか。私の家の子犬なんですが突然、餌を戻し始めてぐったりしています。見てもらえないでしょうか」

 小さな田舎だが、動物診療所がある。男はすぐにぼくを抱きかかえて車に乗せた。ぼくは車の中でも吐き続けた。車の中はぼくの吐しゃ物で異様な匂いがしている。もちろん男の衣服も汚れている。

 「悟朗、もうすぐやからな、がんばれよ」片手で男はぼくの背中を撫でる。二十分ほどして診療所に着いた。医者はぼくのお腹の皮膚を見たり、口の中を見たりしてこう言った。

 「大丈夫ですよ。きっと虫のせいでしょう。薬と注射をしておきます。二、三日様子を見てください。まだ吐くのが止まらなかったら連れてきてください。たぶん明日になれば直っていると思います」「食欲があれば大丈夫です。何も食べないとほかの事が考えられますが、明日になって食欲があれば大丈夫です」

 男は安心した様子だった。ぼくも安心した。何故なら異様に腹が減っていたからだ。

 「ワクチンの接種はいつ頃がいいでしょう」「そうですね、生まれて何ヶ月ですか?」

 男は、ぼくが棄てられていた事。いつ生まれたのか不明である事などを医者に話していた。医者はぼくの歯を見て「まだ四、五十日ですね。十二月の下旬に連れてきてください」

ぼくは生まれてまだ四、五十日なのか。ずいぶんといろんなことがあった。もう二、三年経っているような気がする。

 「噛みますか?」「ええ、よく噛みます」「噛まないようにして下さいね」

丁寧に礼を述べて男はぼくをつれて車に乗った。男はぼくに「悟朗、良かったなぁ。もう大丈夫やで、心配したなぁ」男は自分に言い聞かせているようだった。

 ぼくは診療所へ来るまではあれだけ辛く弱りきっていたのだが、帰りの車の中では自分の体のことより他のことが気になっていた。男はぼくの食べ物のことなどをしきりに反省をしている様子だった。その都度ぼくに話し掛けてくるのだが、男のかける言葉はうわの空に聞こえていた。ぼくは別なことが気になっていた。

医者の「噛みますか?」

男の「ええ、よく噛みます」

この問答がある種の不安をともなっていつまでもぼくの耳に残っていた。

「何故、ぼくは噛むのだろう」

好意を持って目の前に現れた「人間」に対してもぼくは噛むのだ。この行為はぼくにも説明がつかない。気付いたら噛んでしまっているのだ。ぼくの心の奥の奥に自分でも気付かない黒い感情が渦巻いている。この黒い攻撃的な思いは「敵」に対しては有効だ。しかし、好意を持って近づいてきてくれるものに対して、ぼくは戸惑ってしまう。どう対応していいか解らないのだ。

 ぼくは無残にも棄てられた身だった。取り残され、置き去りにされ、人の記憶からも忘れ去られてしまう者の癒されない気持ちはとても表現できない。孤立感と無限の寂寥は僕のお母さんを飼っていた飼い主への恨みへと気持ちを反転させる。何故なら忘れ去られた記憶から、置き去りにされてしまった、「ぼくの存在」を再び恐怖を持って「人間」に呼び起こすために、恨みは有効だった。ぼくが密かに心の奥で「人間」に対する長い道のりをかけた「復讐」を本能的に抱いていることに、当のぼくさえも気付いていないのかも知れない。ぼくが人間を本気でない「噛み方」をするのは心の奥の黒い感情に命令が届いているのだ。

ぼくは歪んだ自立をめざしていた。唯一その思いが自分を救ってくれる。人間に再び裏切られないためのささやかな自衛として。


初めての来訪者


 あくる日、昨日までが嘘のようにぼくの食欲は旺盛だった。ドライドッグフードをお湯でふやけさせてくれた男の気遣いが嬉しかった。昨日医者へ行く車の中でのこともそうだ。自分の服の汚れやぼくの吐しゃ物を黙って掃除してくれていたことも嬉しかった。男のぼくへの「愛」をこの家に来て初めて感じとることができた。本当にぼくは嬉しかった。ぼくは男に愛されている。同様に女からも愛されている。そう思うと幸せな気持ちが心に広がっていく。決して人間に気持ちを許さないでおこうというぼくの気持ちが揺らぐ。素直に嬉しく気持ちが和んでいく。この安心した気持ちは、ぼくのお母さんに対して感じていた、肌のぬくもりや舌で舐めてくれる愛撫に似通っていた。ぼくの全てを人間にあずけはしまい。しかし、この幸せな気持ちには正直になろう。ぼくはそう思った。

 とりあえず今日からぼくは、ぼくを育ててくれている男を「あるじ(主)」と呼ぼう。そして「あるじ」の愛している女も、「ナツミ」と呼ぶことにする。

 十二月にしてはわりと暖かい日が続いた。いつものように庭で遊んでいたら、この家の道を下っていったところの娘さんがたずねて来た。二十代前半の娘さんだった。「あるじ」は、「やぁ」と声をかけながら娘さんに挨拶をしていた。

 「アレッ」ぼくの家に初めてぼくの仲間が訪ねてきてくれた。ぼくはまず娘さんの手を舐めた。娘さんは犬になれていた。ぼくを警戒しないで居てくれるのが嬉しかった。ぼくを警戒しながら近づいてくるものに対してぼくは「気」を許すわけにはいかない。ぼくはこの娘さんが好きになった。娘さんの手を舐めながら、注意深くぼくの初めての仲間に視線を送った。もう成犬だから、ぼくよりもかなり大きい。脚は少し短かい。大きな耳は垂れている。毛の色は黄色がかった茶。腹は白い。初めての仲間なのでぼくは友達になりたくて仕方が無い。そう思って見るのだが、さっきからずっとぼくを無視している。ぼくは近くに行って匂いを嗅いだ。「アッ」お母さんの匂いがする。その時だった。突然、低く直接腹に響くような唸り声がしたかと思うと、恐ろしい声で吠え立てられた。ぼくはどのようにして家の玄関を入り、床下へ潜り込んだのかを覚えていない。

「恐ろしかった」

娘さんがぼくの仲間をたしなめている。

 「レモン、ダメ!悟朗が怖がっとるやろ」「レモン、黙りなさい!」

 「レモン」─初めての僕の仲間の名前。体長三十センチほどの僕から見れば「レモン」はとても大きく、吼える声も迫力があった。恐ろしくて近寄ることが出来ない。であるのに、であるのにもかかわらず人間ではない僕の仲間。僕とは違う横文字の名前「レモン」。恐ろしかったが人間に抱く恐ろしさとは違う。ある種の懐かしさを覚えながらぼくは「レモン」を遠くから眺めた。

「レモン」はやっと黙ってくれた。恐る恐る玄関から外に出てみると、さっきとは全く逆だ。今度は「レモン」がぼくを睨みつけている。ぼくは恐ろしくて脚が前に動かない。情けなくてたまらないが「レモン」の目を見ることが出来ない。お母さんの匂いに似ていたのに。………「レモン」はきっと今日は虫の居所が悪かったのだろう。やさしい「レモン」に逢いたい。

「あるじ」は「悟朗、怖がりすぎや、こっちへ来い」などと気楽に言っている。「あるじ」の言うことを素直に聞き、もう一度近くに行ってもしも「レモン」に噛まれても、痛い思いをするのは「あるじ」ではない。娘さんは「レモン」を連れて、帰り支度を始めた。

「あるじ」は「レモン、また遊びに来たってや」

 「レモン」は「あるじ」のあいさつに何の反応もせずに帰っていった。

どこか近寄りがたさを感じた僕の初めての来訪者「レモン」。

「私に声をかけるのは十年早いわよ」

そんな感じの「レモン」だったがまた逢いたいと僕は思った。「レモン」の姿が小さくなってから、ぼくは初めての仲間「レモン」の後姿を見送った。

 年の瀬も押し迫りつつある日、「あるじ」はここ数日仕事に精を出している。普段ヒマなくせにここ二、三日は夜半まで仕事をしているようだ。どうも年賀状の仕事があるようだ。おかげでぼくは一人で遊ばなくてはいけない。そんな朝、いい天気だった。「あるじ」はぼくに告げた。

 「悟朗、ワクチン打ちに行くで。おまえが前に吐いて苦しんだ時助けてくれたやろ」

 「エッ」病院にいくのか。

 ぼくは忘れかけていた気になっていたことを思い出した。

 「噛みますか」「よく噛みます」「噛まないようにして下さいね」

 これが以前病院に行った時の「あるじ」と医者の会話だった。ぼくは「あるじ」も「ナツミ」も「郵便配達のお兄さん」にも、時々ぼくに餌をくれる「下のおばちゃん」に対しても噛み続けていた。ぼくの名誉のために言っておくが、ぼくが噛んでいるのは「敵」に対して噛んでいるのではない。当然加減している。ぼくが本気で噛んだらぼくの幼犬期の牙だったら人間の指など貫通してしまうだろう。ぼくの牙は細くて鋭い。だから少し噛んだだけでも血が出てしまう。血が出ると人間は大騒ぎする。ぼくにしてみれば挨拶代わりなのだ。それが解ってもらえない。ぼくはあの医者には一度しか会っていないのだが、妙に気になる人間だ。ぼくの周りにいる人間たちとは全く違うものを感じる。その違いをうまく言いあらわす事が出来ないが、恐ろしさすら感じる。ぼくの心の中にずかずかと土足であがり込み、必要なことをぼくの了解無しにおこない、用が済めば黙って出て行ってしまうようなそんな感じがする。

 動物診療所に着いた。「あるじ」は予め電話をしていたので、あの医者は待ってくれていた。黙って注射器に液体を注入している。ぼくはぼくを抱いている「あるじ」の指を何気なく噛んでいた。もちろんじゃれているのと不安とでじっとしていることが出来なかったからだ。

 医者はぼくのその様子を見逃さなかった。

 「まだ噛みますか?」

頼りなげに「あるじ」が答える

 「はい、まだ噛みます」

 「あぁ、そしたら直りませんね」

 「あるじ」の目が点になっている。

 「エッ、どういうことですか?噛み癖は大きくなったら治るのではないのですか?」

 「犬が噛むのは癖ではありませんよ。あなたの指は噛んでもいいと思っているのですよ」

 「あるじ」は目をぱちくりしている。じつはインターネットで「子犬は噛み癖」があるのだということの掲載があったのを信じていたのだ。

 医者は矢継ぎ早に言葉をかける。

 「これ以上大きくなったら治ら無いですよ」「人を噛む犬になります」

 「あるじ」の心の中の言葉がぼくには聞こえてくる。

 「どういうことだ、どうすればいいのだ」

 「あるじ」は言葉が出ない。おそるおそる不安げに、すがるように医者に尋ねる。

 「どうすればいいのですか?噛み癖を治す方法を教えてください」

 医者はぼくに打つワクチンのことなど忘れてしまったかのようだ。

 「じゃあちょっと見ててください」

 ぼくは驚いた。医者と「あるじ」の会話ではすまなくなってきている。この医者がぼくの前に立ちふさがってくる。ぼくはいやな予感がする。


ぼくと「あるじ」の試練


なんと医者はぼくの口の前に挑発的に指を持ってくるではないか。ぼくは「あるじ」の指を噛むよりは数段ゆるく、いつものように指を噛もうとした。

 「バチン」医者の指がぼくの鼻に炸裂した。たまらなく痛かった。同時にぼくは手加減したことが悔いとなった。医者の挑発は続く。今度は手加減せずに思いっきり噛んでやろうと思った。「バチン」今度は口元に医者の白くて長い中指が炸裂した。医者の指は手加減などしていない。あつかましく口の中までも指を入れてくる。遠慮なく医者の指は正確に、鼻、口に炸裂する。痛くて痛くてたまらない。この医者には勝てない。ぼくのこの医者に対するいやな予感は想像以上だった。ぼくは戦意を喪失し先生の指を舐めようとした。「バチン」なんということだ。ぼくは戦意を喪失しているのに、降参の意を現して舐めにいっているのに特に今回の「バチン」はたまらなく痛かった。同じことが数度。

 「指を口元に持っていった時は、噛んでも舐めてもいけない、ということを教えてやってください」

 「噛みも舐めもしなくなったでしょう」

 当たり前だ!こんなことはいじめだ。ぼくの鼻、口、頬は痛さでヒリヒリしている。ぼくはこの医者の顔を見るのもいやだ。「あるじ」に助けを求めた。

 「ほら、飼い主さんに助けを求めているでしょう」

 ぼくは、正直びっくりした。ぼくは人間の言葉を理解できる。人間はぼくの思っていることを理解できないと思っていたのに、この医者はぼくの心を読んでいる。しかも正確に。

 「犬は、人間のように人をだましたり嘘をついたりしません。すべて顔や、体全体で表します。正直に態度に現します」

 いやな医者だ。僕たちの事を知っている。ぼくの一挙手一投足を見られている。早く家に帰りたい。

 「噛まなくなったら、嫌がることをして下さい。何をされても飼い主に対しては従うようにしてください」

 言い終わらないうちに医者の両手はぼくの耳をぐしゃぐしゃに引っ張ったりもみくちゃにしたり、どうみても可愛がってくれている様子ではない。ほほの皮を引っ張る、尻尾を引っ張る、口を思いっきり上と下に開けさせる。全て挑発的だった。しかし、ぼくは学習した。この挑発に乗るととんでもない目に会うに決まっている。ぼくはなされるがまま嵐が通り過ぎるのを待つ気で我慢を決め込んだ。すると「あるじ」までもボロ雑巾を洗うようにぼくの耳をもみくちゃにし始めた。いくらなんでもぼくにもプライドはある。嬉しそうな「あるじ」の顔を見ると腹が立った。「あるじ」の指を噛んだ。

 「ほらっ、犬にナめられているんです」

 「あるじ」のムッとした顔が一瞬浮かんだ。ぼくはぼくの短気を反省した。つい腹が立って「あるじ」の指をかんだことが悔やまれた。まんまと医者の挑発に「あるじ」がのせられそうだ。どうかどうかこの医者の挑発には乗らないで欲しい。ぼくはひたすら「あるじ」に冷静になってくれるよう願った。

 「何でこんなことをしているか解りますか?」

 「あるじ」の憮然とした表情を見て取ったのか、医者は「あるじ」に語りかけた。

 「この犬は生まれてまだ、六十日か七十日でしょう。それでこの大きさでしたら相当大きな犬になります。秋田犬の血が入っていると思います。大きくなったら自分より弱いものに対しては今度は犬のほうが容赦しません。近所に年寄はいませんか?」

 「あるじ」の憮然とした表情は消え、素直な表情になっている。

 「あなたが噛まれるのはよしとしても、あなたより力の弱い人を噛んだり襲ったりしたらどうしますか、それでもいいですか?決して人を噛まないことを教えないと、この犬を飼うことが出来ませんよ」

 ぼくは、ぼくの気付かない本能ともいえる部分をこの医者は言っている。「あるじ」は言葉が出ない。

 「噛んでから叱っても駄目です。噛もうとした時に駄目だということを知らせてやってください」「最初は指をペロペロ舐めて犬は様子を見るのです。大丈夫だと思うと噛みます。だから噛もうとしたタイミングを見てダメだということを知らせてやってください」

 「大きな犬を育てられなくなって、処分することほど不幸なことはありません。飼い主が悪いことのほうが殆どです。犬は悪くありません」

 「あるじ」は医者の「犬達」にたいする考えを初めて理解できた。と、同時に自分の考えの甘さを痛感していた。

「何故、耳をぐしゃぐしゃに引っ張ったり、尻尾を引っ張ったりしたか解りますか?」

医者の問答が続く。

「飼い主に対して従うように・・・・・・・」

「もちろんそれもあります。しかしそれだけだったら単なる上下関係だけです。いつかこの犬が大変な手術を要するような怪我をしたとします。麻酔はしますが人間のような麻酔はしません。メスで切ったり縫い合わせたりします。犬にはその間、我慢してもらわなくてはいけません。我侭なまま育った犬は、痛いですから当然死に物狂いで暴れます。ここで飼い主さんが命令して欲しいのです。ジットシロ!ガマンシロと支えてやって欲しいのです。何一つ飼い主の言うことを聞かない犬は、手術は出来ません。助けてやることが出来ないのです」

「あるじ」とぼくは、神妙に聞いていた。ワクチンの接種はすぐ終わったし、痛くも無かった。注射より医者の指のほうがよほど痛かった。

 「もう一度二月に来て下さい。その時散歩の仕方を教えます」

 「今はどういう散歩をさせていますか?」

 ぼくはもう聞きたくなかった。「あるじ」は正直に答えるだろう。「あるじ」に、この医者が何を言うかぼくには想像がつく。自信なさそうに「あるじ」は答える。

 「家の裏が山なので元気に走り回っていますが・・・」

 「あぁ、やっぱり。一番駄目な散歩の仕方ですね」

 「エッ・・・・」

 「野性に戻しているのですね」

 「・・・・」

 すっかりしょげ返った「あるじ」の車に乗せられてぼくは家に帰った。「あるじ」は家に帰っても「診療所ショック」は続いていた。晩ごはんの時も「あるじ」は元気が無かった。いつもなら「スワレ」「フセ」「マテ」だのやかましく命令をし続けるのに、元気なく「ハイ」といってそのまま何やら考え込んでいる。ぼくもそんな「あるじ」を見ると元気が出てこない。することもなく、ストーブの前の一番良い場所でうつらうつら眠っていると、気合のこもった「あるじ」の声がした。いやな気合の込められ方だ。「あるじ」は、ぼくを抱きかかえ玄関の土間に連れて行った。

 「悟朗、今日からお前は家の中に入って来たらあかん。おまえはここで寝なさい」

 突然何を言い出すのか。あの暖かいストーブの前のぼく専用の場所を諦めろというのか。今日からこんな寒い土間で一人でいろというのか。自分たちは暖かいストーブで生活するのに何故、ぼくだけがここに居なくてはならないのか。大体、この家は農家作りなので都会の家のように密閉性などない。戸締りをしていても家の中を風が吹いている。掘りごたつの中は練炭がガンガンいこっている。その掘りごたつに入っているのに喋る息は白い。部屋の中ですらそんな状態であるのに、玄関の土間なんか外で寝るに等しい。今年は暖かいといっても、いつも外の水道は凍っているではないか。外のばけつの水を飲もうと思っても毎日凍っていて水も飲めない。こんなところにおっぽり出されては、ぼくの命にかかわる。すべて、あの医者のせいだ。単純な「あるじ」はあのいやな医者の言葉をまに受けている。やっとぼくは幸せだと思いかけたのに、また振り出しに戻されてしまう。あの医者のせいだ。「あるじ」はぼくをロープに繋ぎ、せっせとオリを土間に移動させている。

 「さっ悟朗、出来たで。ええか、今日からはビシビシお前を教育する。お前のためやで」

 何の相談もなく一方的に僕の寝る場所は、コンクリートの土間に据え置かれた。これからの僕の寝床になるオリには小さな毛布と電気ヒーターがセットされていた。掘りごたつの布団脇でとる睡眠は僕を幸せにしてくれた。もうぼくは畳の部屋に上がれないのかと思うと悲しくて涙が出そうになった。部屋にかけ上がろうとした途端、繋がれている鎖が激しく首にくいこんだ。ぼくの怒りは爆発した。あまりの激しい怒りのためぼくは「あるじ」の指を加減など忘れて噛もうとした。「あるじ」の指からは真っ赤な血が噴出すはずだった。

 「バチン」強烈な痛みがぼくの鼻を襲う。ぼくは一瞬何が起きたのか判らなかった。「くそっ」今度こそ指を噛み切ってやる。

ぼくは「あるじ」の指を襲う。

「バチン、バチバチッ」

あの医者は一度ずつしか、指をはじかなかったのに「あるじ」は連続して指をはじく。それも下手くそなのでぼくの眼といわず鼻といわず、あたりかまわず「あるじ」の攻撃は続く。あの医者の方がよほどましだ。今思うと、あの医者は「噛む」という行為に「警告」を発してくれていたように思う。「あるじ」の行為は「警告」ではない。ぼくを攻撃している。ぼくは「一人寝」を抵抗するよりもこのままでは「打撲死」してしまう。ぼくは「あるじ」に噛むことを止めた。


夜の体験


昼間は外に繋がれる事になった。今までは畳の部屋ですごし、外に行く時だけ鎖に繋がれての散歩や外出だった。「あるじ」と同じように部屋ですごしていた日課が、ガラリと変わった。土間での「一人寝」は初めは寂しくてたまらなかった。毎晩のように夜になると「クゥーン」「クゥーン」と啼き、「あるじ」を呼んだが、「あるじ」は来なかった。というよりも、「あるじ」が足音を忍ばせて玄関の戸の内側まで来ていたのをぼくは知っている。人間の数倍の聴覚と、数十万倍の嗅覚をぼくは持っているのだ。「あるじ」が心配して来てくれたのを嬉しく思った。しかし決してぼくの前に顔を見せることはなかった。「あるじ」はぼくに「自立」を求めていた。

「一人寝」もなれ、鎖に繋がれていることだけは気に入らないのだが昼間の外の目にする光景は珍しく、部屋の中では味わえないことがたくさんあった。美しく感動的な景色との出会いを味わった。「白い景色」だった。朝、外に出ると一晩で真っ白に変わっている「雪」を体験した。ぼくは温かい毛に覆われているので寒さには強い。初めて体験する雪はふんわりと心地よい冷たさで楽しい限りだった。ぼくは足の指を大きく拡げて雪の中を歩いてみた。時々雪の中に身体が埋まってしまう事があったがそれもすごく楽しかった。どんどん積もっていく雪が止み、朝陽に照らし出された雪景色は、ダイヤを散りばめたようにキラキラと光っていた。静かな美しい雪景色をぼくは気に入った。こんな時の降り積もった雪の中の散歩も楽しくてたまらなかった。

やがて雪も溶け始め春めいてきた時、家の中では味わえなかったを体験した。

ある日、ぼくは小さな殺気を感じた。耳をそばだたせ、その小さな殺気の正体を見極めようとぼくは息を凝らした。ぼくの鎖が繋がれている柱のすぐ横に大きな紫陽花の植え込みがある。小さな殺気はこの中から発せられている。ぼくは警戒を解かず、この紫陽花のかぶの中に五感を集中させた。

「カエル」だった。春めいてきたので土の中の眠りから覚め、久し振りに地上に出てきたのだろう。ぼくと目が合ったが、この小動物からは殺気が感じられない。この殺気はどこから来ているのだろう。

見つけた!

「ヘビ」だ。「カエル」の背後に大きな「青大将」が首を持ち上げて今にも飛びかからんとしている様子だった。小さな鋭い殺気の正体は「ヘビ」だった。ぼくに向けられた殺気ではなかった。ぼくは少し警戒を解いたその時だった。「ヘビ」の口が裂けたのかと思うほど大きく開かれた瞬間「カエル」は片足だけをその口からはみ出させて呑み込まれていた。「ヘビ」の殺気も消えていた。素早い動きだった。いつか「ヘビ」と闘わなければならない時が来るかもしれない。ぼくは肝に銘じた。

季節も暖かくなって来たので、ぼくは一日中外で暮らすようになった。外での生活は、家の中での窮屈な生活から解き放たれた反面、緊張の連続もたくさんあった。特に夜は安心してはいられなかった。ここは山深い小さな山村だ。ありとあらゆる動物と遭遇する。それも決まって夜に遭遇する。毎日必ず出会うのが「鹿」だ。何家族も出てくる。オス、メス、子鹿、一グループ五、六頭ずつが畑に植えられている殆どの野菜を食べに出てくる。野菜は大好物のようだ。ぼくがオシッコで記した縄張りを無視し、傍若無人に侵入してくる。今ではぼくも成犬と変わらないほどに立派な体つきになっている。激しく吼えたて、鹿の群れを襲おうと思うのだが、繋がれた鎖が悔しい。夜の侵入者、鹿の集団に一応の警戒は見て取れるが、ぼくが鎖に繋がれているのを知るとあたりかまわず食べ続ける。ぼくは人間の植えた野菜を守る気などさらさら無い。しかしぼくの縄張りを荒らすことだけは断じて許すわけにはいかない。この鎖が無ければ、と思うと鹿に対する憎しみが募る。最近ではぼくに姿を見せないで隠れて堂々と野菜を食べている。ぼくが悔しがって吼え続けている横でまんまとたらふく野菜を食べている、そんなズルイ鹿の性格も嫌いだ。ズルイと言えば、狸はもっとひどい。胴の長さに比べ足が短く、走るのも遅い狸はとても慎重で用心深い。ぼくに気配を感じ取られると決して近づいてはこない。ここの狸は「イチゴ」が大好きだ。赤く熟れた甘いイチゴはご馳走だ。でも犬は怖い。狸はぼくと鹿の様子をじっと草むらの影で様子眺めしていたのだ。毎晩、毎晩、慎重に観察を続けた結果、「鎖に繋がれているときは襲われることは無い」、「怖い思いはするがここまでは届かない」そんな学習をした狸は、ぼくに襲われないことを確信してから体を右に左に揺らしながら鎖が届く範囲のすぐ傍まで近づいてイチゴを食べる。ぼくがどれだけ威嚇して吼えようとまったく頓着を示さない。ぼくの怒りは頂点を越える。鎖を引きちぎってでも噛みついてやろうと思うのだが、首輪が喉を絞めるだけだった。

二、三ヶ月ほど悔しい夜の日課が続いた。或る時からぼくは虚しくなって、吼えることを止めた。ぼくに向けられた殺気もないことだし、諦める事にした。繰り返し言っておくが、野菜やイチゴを食べられることに腹が立つのではない。ぼくはどれだけ食べられようと一向に構わない。ぼくの縄張りに断りもなしに入り込む、無礼な侵入者を許せないのだ。


三番手


 ぼくは見違えるほど大きくなった。ぼくが「あるじ」を引っ張る力と、「あるじ」の力と比べてもそうひけはとらなくなった。「ナツミ」とでは比べ物にならないくらいぼくのほうがだんぜん力では上だった。

 「ナツミ」がぼくを散歩に連れて行ってくれる時、ぼくは時々いたずらをしてやる。「ナツミ」より前に行くとぼくを繋いでいるロープで鼻っ柱を叩かれるので、「ナツミ」の様子を注意深く観察するようにしている。ぼくが「ナツミ」より下に位置している事の現われが、「ナツミ」より先に歩いてはいけないという事だった。これもあのいやな医者の入れ知恵だ。ぼくがおとなしく従って「ナツミ」について行っていると「ナツミ」は安心する。そして「ナツミ」は油断する。

 だからぼくは後ろをおとなしくついて行きながら「ナツミ」が歩くのに疲れ始めたころあいを見計らって、少しずつ慎重に前を歩き始める。グイグイと「ナツミ」を引っ張る。「ナツミ」はぼくへの「しつけ」など頭の中では飛んでしまっている。帰りの登坂などはぼくが引っ張ってつれて帰ってやっているようなものだ。いい気なものだ。癪だからどんどん引っ張る。ついてくるのが苦痛になるほど引っ張る。「ナツミ」は息たえだえに叫ぶ。

 「悟朗、待ちなさい。悟朗、悟朗」

 余りつらそうなので少し歩幅を小さくする。

 いやなせりふを「ナツミ」はぶつぶつ言っている。

 「帰ったら父さんに叱ってもらうからな」。「ナツミ」は「あるじ」のことをそう呼んでいる。

 「もうおまえなんか散歩に連れていったれへんからな」

 ぼくは「あるじ」に対しては一応、絶対服従の姿勢を決めている。「ナツミ」に対してはケースバイケースだ。それが気に入らないらしい。

ぼくは思い知らされている。「あるじ」と一緒にぼくを叱る時の「ナツミ」の叱り方を。あんなサディスティックな叱り方はない。「あるじ」の前でぼくを叱る時は顔の形相が変わっている。普段の生活の思い通りにならないことまでも、その不足分をぼくにぶつけてくるようだ。だから、ぼくは「ナツミ」を爆発させないように気を遣っている。

いつだったか「あるじ」が「ナツミ」を車で福知山まで迎えに行った時だった。久しぶりに車に乗せてもらった。ぼくの場所は「あるじ」の横の助手席だった。「ナツミ」に会えるのは僕も楽しみだった。改札から出てきた「ナツミ」は「ゴローちゃん」、「ゴロウ」、「ゴロー」元気やったか、と僕を優しくなでてくれる。心地よい時間だ。「あるじ」に対して期待することが出来ない温かさだ。ここまではよかった。

家に帰ろうとした時だ。ぼくの場所に、ぼく専用の指定席である助手席に「ナツミ」が何の断りもなしに座ろうとするではないか。ぼくはどうすればいい、どこに座ればいいのだ、ぼくの場所は当たり前のように奪われるのだ。単なる場所の問題ではない。ぼくの存在を蹂躙されようとしているのだ。

ぼくは相手を威嚇する時の喉をこする低い声で「ナツミ」に吼えた。

最後まで吼え終わらないのにぼくは横倒しになっていた。「あるじ」が運転席からぼくの脇腹を手の甲で押し上げ車の座席シートから外に放り出した。いやというほど鼻をアスファルトの地面に打ちつけ痛くてたまらなかった。運転席から降りてきた「あるじ」が恐ろしい形相で仁王立ちになってぼくの前に立ちふさがる。ぼくの怒りはいっぺんに萎えてしまった。

助手席が「ナツミ」、ぼくは後ろのシート。

このことが言いたいがためぼくは車外に暴力的に放り出された。

家路を急ぐ車の中で思った。ぼくはわが家では三番手なのだ。屈辱と忍従の毎日を自分の宿命と認めなければいけないぼくの心の重苦しさと悲しさを「あるじ」は理解しているのだろうか。

人間も家庭や職場で序列がついている。「ナツミ」も「あるじ」をたてている。我が家では「あるじ」が一番である。一番であることの意味を「あるじ」はわかっているのだろうか。

ぼくたちは「一番」の位置を取るとその途端、「命」がかかってくるのだ。自分のグループを命をかけて護らなくてはならない。護れなかったときは「死」をもって償わなくてはならないのだ。「一番」であり続ける限り、その行為に対して深い尊敬をグループから受けることが出来る。食べ物を食べるときも一番だ。当然良いものを腹いっぱい食べることが約束される。誰も邪魔はしない。すべて一番が保障される。

「一番」はおいしい飯をたらふく食うので体格も一番いい。そうなるためにみんなは我慢するのだ。何故ならぼくたち一家を襲う外敵が現れた時、一家を護るために命をかけて闘うのが「一番」の役割りなのだ。「一番」の命が尽きたら「二番手」が戦いを挑む。集団を護るための命をかけた約束事、厳しい掟なのだ。人間はそうしているのか!鶏だって、サルだって、鹿だって集団で生活しているものに全てこの掟は引き継がれている。人間はそうしているのか!「一番」が真っ先に逃げ出したりはしていないか!人間はぼくたちの「一番」を都合のいいところだけ真似をしていないか。権力にすがっているだけになっていないか。

後ろに飛んでいく景色をぼんやりと眺めながら、とうていぼくの「三番手」を受け入れる悔しさなどは、「あるじ」といえども解りはしないだろう。「あるじ」は人間なのだ。ぼくは自分にそう言い聞かせた。心の奥の黒い感情が少し膨らんだ。

この日以来我が家では一番が「あるじ」。二番が「ナツミ」。三番がぼくという序列が敷かれた。しかし三番に甘んじているのは「あるじ」と「ナツミ」のことを考えての事だった。ぼくが二番で「ナツミ」が三番では二人とも収まりがつかないだろう。ぼくの正直な意思を貫き、「二番手」を獲得するには二人がかりの恐ろしい敵意と闘わねばならなかった。

「あるじ」が僕を叱る時、恐ろしいけれども納得できるものがあった。ぼくの悪いところも納得できた。しかしこの序列だけは暴力的であった。「ナツミ」はぼくをビビリながら叱っているのがよくわかる。だから「ナツミ」一人が叱っている時、ぼくは自然、ふてくされた態度で聞いている。それで済む。それが「ナツミ」には癪でたまらないらしい。

「覚えておけよ」

「ナツミ」はなんとも表現できない悔しさを顔ににじませている。ぼくもいつも命令に従わなくてはいけないことに疲れることがある。そんな時、つい欠伸などが出てしまう。「ナツミ」の怒りが増幅されていくのがよくわかる。

そんな「ナツミ」の蓄積された怒りは「あるじ」よりも恐ろしかった


山の主


「あるじ」といつものように散歩に出かけた。家の前のなだらかな登り道を歩くと、すぐに山へと入る小さな道に変わる。ぼくはこの散歩のコースが好きだ。山道の奥まったところへ来ると「あるじ」は鎖を外してくれるからだ。あの例の「医者」のいいつけに唯一「あるじ」が逆らっていることだった。「野生に戻すのですか」との「医者」の問いかけに、「あるじ」は心の中でこう返事をしていた。

 「山の中では悟朗は本来の野性に戻します」「あるじ」がこっそりと心の中でそう言ってくれているのが嬉しかった。

人間に隷属しなくてすむ、ほんのささやかな「犬」としてのぼくの時間だった。山の中に入らない通常の散歩のコースでは決して鎖は外されることはなかった。鎖から解き放たれる散歩のコースは他にもう一箇所あるが、ぼくは今日来ているコースが一番好きだ。山の中を一キロほど登っていくと大きな砂防堰堤がある。いつもここまで来ると鎖から解放される。ぼくは「あるじ」より先を歩かないでおこうと思うのだが、早く鎖を外して欲しいのでついつい「あるじ」を引っ張るかっこうになる。

 「悟朗、先へ行くな!」と「あるじ」が叫ぶ。ぼくはもう少し、もう少しでぼくがほんのひと時解放される場所。もう少し・・・「あるじ」の声が耳に入らない。「痛い!」「あるじ」の持つロープがぼくの顔をビシッと打つ。ぼくは我にかえる。「あるじ」の一歩後ろをのろのろと歩く。ずっと登り坂なので「あるじ」にはきついのだろう。ぼくは不満だが「あるじ」に従う。

 今日の散歩のコースをとった「あるじ」の気持ちが嬉しかった。例の「医者」の「野生に戻すのですか」の問いに、あの時は「医者」に黙って答えなかった「あるじ」が行動で「そうだ」と言ってくれている。人間と一緒に生活すること。そのためには一方的に犬のほうが耐えることを強要されること。逆に「犬」と一緒に生活することを人間が強要されたら、人間はどうするのだろう。そんなことは考えたことも、想像したこともないだろう。想像しないこと、考えないことが当たり前になっている。本来ぼくたちは野生である。人間の生活習慣とはずいぶん違う。「あるじ」が「医者」に逆らって鎖を外すというのは、本来のぼくを理解しようとしてくれているのだ。すべて人間に隷属しなくていい、ぼくがぼくをとりもどす時間を「あるじ」はつくってくれているのだ。そんな時間を「あるじ」と一緒に過ごすことが嬉しい。

 やっと砂防堰堤までたどりついた。「あるじ」はぼくの鎖を外して大きく大の字に寝そべった。

 待ち遠しかった自由な時間だ。ここへ来るといつも思うのだが人間の保護に依存しない空間は自由だが危険を伴った緊張感が一杯だ。縄張りをあらわす結界が張り巡らされている。縄張りは食料の確保を意味する。食料を確保できなければ「死」を意味する。圧倒的な強さを持つものへの縄張りを無視し、たとえ間違ってそこへ侵入したとしてもそれは死を意味する。「あるじ」の鎖から解き放たれている間、ぼくは自分を自分で護らなくてはいけない。僕の顔つきは当然変わる。都会の公園で鎖を解かれるのとは訳が違う。張り巡らされた結界は人間には見えない。塀や鉄条網、コンクリートの壁は人間の世界の縄張り。とても判りやすい境界だ。僕たち野生動物を先祖に持つもの、今も現役の野生動物は結界を匂いで張り巡らす。この匂いを嗅ぎ分けることが出来るかどうかは自分の安全を護ると同時に自分の縄張りを確保することに他ならない。

 突然緊張感が全身を走る。「鹿」だ。いつもぼくが縄張りを引いたところをあつかましくもかき消し、僕の縄張りは無いのに等しい状態にされている。ぼくは全身の血が逆流するのを止めることが出来なかった。ぼくの顔は怒りに打ち震え、恐ろしい顔に顔に変貌した。なによりも今日は鎖に繋がれていないのだ。

 敵の侵入の痕跡を鼻で辿りながら僕はどんどん山の奥深くへ足を進める。

 「近くにいる!」匂いがどんどん濃くなってくる。僕の鼻先は地面を這うように匂いを嗅ぎ分け、山の樹々に覆われた暗い斜面を抜けあたりいったいが熊笹で覆われているところへ出た。風の流れを感じた。地面にこすりついていた鼻を上げぼくは顔を上げた。子鹿が同じように首を上げあたりを窺っている。どちらもがじっとしていたのはほんのわずかな瞬間だった。ぼくは猛然と子鹿めがけて走っていった。距離は二〇メートルほどだろう。

ぼくは怒りに燃えていた。何の断りもなしに進入してきたものを許すわけには行かない。恐怖に引きつった子鹿の顔が僕の目に入る。

距離十数メートル。突然かん高い「ピィー」という鋭い鳴き声がした。子鹿は右に左に跳びながら逃げるのだが、ぼくとの距離がだんだん縮まってくることに顔が恐怖に歪んでいる。子鹿の鳴き声ではなかった。かん高い響きのよい「ピィー」という鳴き声にぼくは足を止め、あたりを窺った。なぜならその声に異常な緊張を強いられたからだ。逃げる子鹿の右側に大きなメス鹿が目の前にいた。きっとこの子鹿の母親だろう。それにしてもいつ来たんだろう、左の眼が大きく見開かれ、ぼくを見ていた。緊張にみなぎっている眼だったが、その眼に恐怖感はなかった。命をかけている眼だった。ぼくは目標を母鹿に替え跳びかかっていった。フワリとその母鹿は大きな体を跳躍させた。二メートルはゆうに跳んだだろう。母鹿は熊笹の生い茂ったあたりを高く左右に跳びながらぼくとの距離をひろげていく。鹿は起伏の大きな斜面を右に左に逃げ込んでいく。あたりは見通しの効かない大きな樹々と熊笹に覆われた深く暗い山の中へとかわっていく。背の低い木々や熊笹が揺れ動くことでしか、ぼくの姿は確認できないだろう。雌鹿は奥へ奥へ山深く逃げ込む。ぼくは追いかける。ぼくも小さな樹が揺れ動いているのと匂いを頼りに鹿を追う。山がどんどん深くなっていく。かれこれ三、四十分は追っかけているだろうか。

 「何故だ!」

 ある一定の距離が縮まりも広がりもしない。鹿の匂いが薄くなり距離が開きそうになると、鹿は立ち止まってこちらをじっと見ている。まるでぼくが遅れているのを待っているかのように。さっきの縄張りを荒らされた、押しとどめようの無い怒りは鎮まり、かわりに不安が頭をもたげ始めた。ぼくはある種いやな予感がする。

 「どうもおかしい」「深追いし過ぎている」

 明らかに母鹿は、ぼくを山の奥深く誘い込んでいる。そうとしか思えない。昼間なのに暗くうっそうとした大きな樹木に覆われている。百年、二百年を経た大木が大きな枝を張り、陽の光を遮っている。こんな奥深くまで今までに来たことがない。人里にはめったに顔を見せない、まだ見ぬ恐ろしい相手が棲んでいそうな深い森だ。普段だったら単独でこんな奥まではやって来ないだろう。縄張りを荒らされた激しい怒りに任せてここまで鹿を追ってきた。

 「これ以上は危険だ。戻ろう!」

 と思ったときだった。

 いやな予感は的中していた。周りから一斉に「ピィー」という啼き声がした。一頭や二頭ではない。ぼくは息を凝らして辺りをうかがった。

 「何だ、これは!」

 おびただしい鹿の群れの包囲を感じていた。ぼくの前面を立派な角をはやした雄鹿がずらりと並んで姿を現した。後ろは雌鹿に幾重にも囲まれていた。後ろの正面にぼくを誘い込んだ、雌鹿もいた。

 「罠にはまった!」

 周りを隙間なく包囲されている。こうなったいじょうぼくは逃げる訳にはいかない。たとえこの瞬間にぼくの一生を終えようとも、ぼくはぼくの誇りをかけて戦いを挑もう。ぼくは前面の正面にいる大きな雄鹿にむかって、姿勢を低くして脚を進めようと思ったとき、腹の底に響き渡るような大きな鹿の啼き声がした。正面の大きな鹿の後ろから牛の大きさほどもある、とてつもなく大きな黒い鹿がゆっくりとぼくの前にすすんでくるではないか。ぼくなどが触れることさえ許さない、威厳を感じさせる巨大な黒い鹿だ。 ぼくは数歩、後ずさりした。

 「ぼくは死ぬだろう」

 そう思った。頭から太い樹が生えているような立派な対の角。体を覆う毛は明るい茶ではなく黒い。ぼくは迷っている。闘うべきか、「腹を見せるべきか」威厳に満ち満ちた巨大な山の主ともいえる黒い鹿。ぼくたち「犬」は闘っても完全に勝ち目が無い相手には無駄な血を流すことが無いように、命を投げ出す。相手の前に仰向けに寝る。「命をとってください」これも悲しい自然界の「掟」だ。目の前の鋭い角に突き刺され、ぼくの体が天高く持ち上げられようとも、誇り高く闘って死ぬべきか、お互い無駄な血を流すことなく腹を見せて死を選ぶか、ぼくはためらっている。どちらを選んでもぼくはこの瞬間に死ぬのだ。

 死を前にしてぼくはいろんなことが脳裏を駆け巡った。人間に媚びへつらったままで死ぬのだけはいやだった。ぼくはギリギリまで「犬」の尊厳をかけて守るべきことは貫いてきたつもりだ。「人間」と「犬」との新しい関係を築きたかった。思えばぼくは、ごみくずのように捨てられ、そのぼくを善意で救ってくれた「あるじ」。「あるじ」との関係が近くなったことに幸せに感じたこと、反対に、これ以上「人間」とは近くなれないことに深く傷つき悲しかったこと、「あるじ」との関係において今日までのことがぐるぐると胸の中を駆け巡る。

 黒い鹿にぼくの闘争心はかき消されていた。不思議に恐怖感は無かった。

 「何故、ワシらを追いかける」

 低く、大きく響きわたる声で「黒い鹿」がぼくにたずねた。その声に殺気はなかった。しかし、決して侮ることを許さない重い声だった。返答に困った。闘うことより辛く感じた。

 「命をかけて、答えよ!」そう言われている気がした。ぼくは勇気を奮い起こして答えた。

 「ぼくの縄張りが一方的に荒らされたからです」

 黒い鹿の眼光は厳しかった。目だけで「本当にそうなのか?偽りは許さないぞ」と言っていた。

 「ワシらの一族の者がお前の縄張りを一方的に侵したのであれば、お前の目の前でその者を処分する。お前の言っていることに間違いは無いのだな」

 ぼくは即座に答えた。

 「まちがいありません」

 どうなっているのだ。ぼくはつい今しがた「死ぬこと」を覚悟した。その覚悟の上で黒い鹿に答えた。ぼくの縄張りを侵した一族の鹿を、ぼくの目の前で処分するという。「どうなっているのだ」ぼくは闘いで感じる「死」の恐怖より、恐ろしかった。問答をしているだけなのに、脚の震えを止めることが出来なかった。なにもぼくの目の前で処分などしなくていい。「これから気をつけてくれればそれでいい」ぼくの答えはそう決まっていた。

 「この者の縄張りを侵した者、前に出でよ!」

 どうやらぼくが考えていたようなことにはならないようだ。あくまで事柄をはっきりとさせるつもりのようだ。ぼくは自分が殺されるのではなく、ぼくの縄張りを侵したこの一族の誰かが処分されようとしていることに、少しの安堵と、憐れみを感じていた。張り詰めた緊張の中でぼくの後ろで動きがあった。最初、追いかけた子鹿が一歩前に進み出ていた。子鹿は棲んだ目をしていた。

 「わたしです」

 凛とした、透き通る声だった。子鹿の横には今までぼくが追いかけていた母鹿が同じように前に出ていた。

 「おまえがこの者の縄張りを侵したのか、ワシら一族の掟だ。いかに年端がいかぬからといって許されることではない。おまえは子鹿であっても男だ、覚悟は出来ているな」

 この小さな子鹿がぼくの目の前で処分される。しかしこの子鹿の目に何故くもりが無いのだろう。一点のごまかしも無い、りりしさに包まれている。激しい怒りのみでここまで追っかけてきた自分が恥ずかしく思えた。この子鹿は命をかけて前に進んでいるのだ。ぼくは何とかこの子鹿が助かる道は無いかそんなことを考えていた。大人であれ子供であれ、過ちを命で持って償うこの一族の「掟」に畏怖を感じた。

 ぼくがもし、完全に野生の「犬」として一族をつくりそのリーダーになったとして、ぼくはこの黒い鹿のようにことがらを糾すことができるだろうか。圧倒的な数で相手を包囲している。はなから勝負は決まっている。であるのに、自分の仲間の間違いを命を持って糾す、こんなことの出来るリーダーにぼくはなれるのだろうか。いつのまにかぼくのほうがオロオロしている。

 「では最後に何故、その者の縄張りを侵したのか正直に述べてみよ」

 子鹿は、自分の非を詫び、今回だけはと命乞いをするのだろうか?そうなればぼくも、是非命だけは助けてやって欲しいと、黒い鹿に頼んでみよう、そう思った。

 「わたしは、確かにその犬の縄張りの中に入りました。でもその縄張りは私の縄張りでした。私が生まれてから私はいつもそこで木の葉や草を食べ、近くの水呑場で遊んだりできる、安心して生活できる場所でした。今日もいつもと同じように行くと、いつもと違う匂いが張り巡らせてあり、私の縄張りがかきかえられてあり、驚いていたところ突然その犬に襲いかかられたのです」

 堂々とした話し方だった。しかも媚びているわけでもなく奢り高ぶった言い方でもなかった。そのぶんぼくが貧相で嘘つきのように感じた。今まで鎮まっていた感情がむくむくと激しい苛立ちになり、怒りに変わっていくことを止めることが出来なかった。ぼくの縄張りを自分のものでると、この子鹿は悪びれる様子も無く述べているのだ。前列に陣取っている雄鹿の包囲網が一回りぼくに向かって小さくなった。どの雄鹿の目も怒りに燃えている。まるでぼくをならず者扱いしている。

 「ようし、こうなったらたとえ命尽きるとも最後まで闘ってやる」ぼくは喉をこする低い声で唸りながら身構えた。

 前列の中央にいた、雄鹿がぼくの前に進み出てきた。

 「俺たちの大事な餌場を、よくも勝手に荒らしおって」

 黒い鹿と比べると二周りほど小さいが、子牛ほどの大きさの毛艶のいい立派な雄鹿が怒りを体中から放ちながら、なおもぼくに向かって進み出てきた。

 「この雄鹿に勝てるだろうか、縄張りを荒らしたのは、ぼくのほうなのか、だったらこの戦いは何なのだろうか」一瞬ぼくに逡巡が襲った。その時だった。いきなり猛烈な勢いで雄鹿は首を下げ、立派な先の鋭い角をぼくに向けて突進してきた。

 「さがれ!!」

 ひときわ大きく響きわたる声で黒い鹿が言い放った。突進してきた雄鹿はぼくの直前で止まった。一瞬の逡巡が命取りになるところだった。目の前の雄鹿はいまいましそうに元の場所へ下がった。

 後ろにいた、ぼくをここまで誘い込んだ母鹿が口をひらいた。

 「おまえは、私たちの貴重な餌場を荒らした。山は私たちの食べるものが本当に少なくなった。数少ない餌場を自分の縄張りにしようとした。そのうえ子供たちを襲った。私たちはお前を許すことが出来ない」

 いつか「あるじ」が言っていたことがあった。山は杉と檜の山ばかりになった。山で暮らす野生動物の食べ物がなくなってしまっている。しかたなく里に下りてきて人間の植えた野菜を頂戴することになる。自分たちの食料であり、何がしかの金銭にも生まれ変わる野菜を食べられてしまう人間は怒る。山村での野菜を荒らす動物に対する人間の憎しみは、都会の人間には解らない。理屈だけで「動物愛護」をうたう事は出来ない。山村に住む人間と、山に住む動物たちはどちらも傷つきながら生活している。

 ぼくは山に住む動物ではない。「人間」と一緒に暮らす道を選んだ「犬」だ。だから生きるがための食料も命がけで探す必要も無い。「あるじ」が毎日与えてくれる。今ぼくを取り囲んでいる鹿は命がけで食料を確保している。特に人間の近くに行くと、いろんな罠が張り巡らせてあり、時として命を失うものも出てくる。そんなふうに思うと鹿の生活とぼくの生活を比べると、今回のことはぼくのほうに非があるように思えてきた。

 さっきの子鹿がぼくにむかって叫んだ。

 「あやまれ!!」

 素直になりかけていたぼくの心情は消し飛んでしまった。ぼくの牙の一撃で仕留められてしまうくせに、自分の仲間が大勢いると小生意気なことを言いやがる。ぼくは腹をくくった。どっちみち、ぼくに勝利は無い。最後まで闘ってやる!

 「あやまれ!!」再度、子鹿が叫んだ。ぼくは「ムッ」として子鹿の顔を睨みつけた。少し意外だった。よく見ると子鹿の目は涙が溢れそうになっているではないか。何故だ、何の涙か!真剣な眼差しだった。少なくともこの子鹿は、多勢を力にして奢り高ぶってぼくに叫んでいるのではない。ぼくに追われたとき、怖ろしかったのに違いない。ぼくが怖かったのだ。死ぬかもしれないと思いながら逃げていたのだ。子鹿の体は小刻みに震えていた。

 ぼくは謝ろうと思った。「すまなかった、本当に悪かった、この場所の餌場はもう荒らしたりはしない」そう言おうとぼくの口が開きかけたとき、ぼくを取り囲んでいる鹿が一斉に、口々に叫んだ。

 「あやまれ!」「恥を知れ!!」「二度と来るな!」

 今しがたぼくは謝ろうと思ったのだが、一斉に言われると素直な気持ちにはなれなかった。しかし、子鹿には悪かったと思った。ぼくはふてくされた態度で謝ることにした。

 「ワルカッタ」

 「それが謝る態度か!」「何故謝る!」「悪いなどと思っていないだろう」

 さっき以上に鹿は口々に叫んでいた。ぼくは心の中でおさまりきらない気持ちの昂ぶりを覚えた。素直な感情はぼくになかった。ぼくは大声で叫んだ。

 「謝ったやないか!!お前たちが言うとおり謝った。何の不足がある!!」 

 黒い鹿が前に進み出た。

 「みんな、もういい」

 周りの殺気だった雰囲気が静かになった。黒い鹿はぼくに静かに言った。

 「いいか、謝るというのは、どういうことか考えてみるがいい。ワシらは、同じ間違いを何度も繰り返す。何度も繰り返さないために謝る。しかしさっきのおまえは謝ってはいない。怒っているのだ。ワシらに怒っているのだ。お前が謝っているか、怒っているか、そんなことはすぐに判る。だから皆怒ったのだ。お前は謝りもせず、ワシらに怒っているのだ」

 その通りだった。口々に一斉にはやし立てられたように思った。だから腹が立った。しかし、あの子鹿にたいしては素直に申し訳ないと思った。黒い鹿はぼくの心を見透かしたように続けた。

 「おまえはここにいる皆に、ばかにされたように思ったのだろう。みんなに口々にはやし立てられ、おもちゃにされたと思ったのだろう。ただこのことだけは忘れるな。おまえは、はやし立てられたように思ったか知らぬが、ここにいるワシら一族はおまえたち牙を持つものに、生まれて初めて口をきいたのだ。怒りと、悔しさと、牙をもつものに殺されてきた悲しさを、今日初めて口にしたのだ。面白がっておまえに叫んだものなどおらぬ。みんな体を震わせながらおまえに叫んだのだ。謝るということをよく考えてみるがいい。相手が許してくれるまで本気で謝まり続ける。おまえだけではない、ワシらも同じ間違いを繰り返さないためにそうしようと思っているのだ」

 謝るということ。そんなふうに考えたことは無かった。ぼくは「謝る」ということをしたことがあっただろうか。

 「ワシらはもともとこの地にいたのではない。もっともっと遥か南の地にいたのだ。お前たち犬は人間とともに生活をするようになって、食べることの苦しみから解放されるようになった。しかしワシら鹿は食べることと生きることは同じなのだ。今日のように一歩間違えると死を意味する。もともと南の地にいたワシらは山が削られ、山の土が道路になり、人間が山を削って自分たちが住む家をつくり、ゴルフ場を作り、いつしか山が無くなり、気がつくと食べるものがなくなっていたのだ。少しずつ北のほうに追いやられこの地まで人間から逃げ延びてきたのだ。ワシらは北に住むと食べ物以外に冬の雪と闘わなくてはならぬ。ワシらの腹まで雪が積もると身動きできなくなり、そのまま静かに死を待つのだ。しかし、すでに南にはワシらの住むところなどありはしない。ここまで逃げ延びて来たのだが、ワシらの食料になる樹は殆ど無い。どんぐりが無いのだ。仕方なく人間の育てる野菜をたべる。その野菜も最近では簡単に食べることが出来ないように人間はいろんな脅しや策略をめぐらせている。山の奥にある数少ない食べ物のありかをおまえが自分の縄張りにしたのだ。あの子鹿もこの冬の大雪で仲間が大勢死んだ。やっとの思いで今日まで生き延びてきたのだ」

 愕然とした。ぼくは言葉が出なかった。細々と小さな命を少ない食べ物をつないで生きているというのだ。ぼくは毎日の餌に困ったことは無い。毎日必ず食べることが出来る。食べきれなくて余ることだってある。鹿は雪が命取りになるのか、知らなかった。ぼくは雪が好きだ、美しいとさえ思う。鹿にとって雪は白い恐怖。黒い鹿から聞いたことはぼくたち犬とはずいぶん違った生き方の世界だった。ぼくたちの大部分は人間と一緒に生活をする。だから人間の犬に対する無知が腹立たしい。人間と一緒に生活することに決別し野生の犬に戻るか、人間との生活を続けるか、いつもぼくはこの問題から解き放たれない。

 「今日は、お前をこのまま帰してやる。しかし忘れるな、ワシらの縄張りを荒らしに来たのはおまえなのだ。お前が今の人間の世話になる前からワシらはここに住んでいるのだ。そのことだけはわすれるな」

 知らなかった。ぼくが鹿の縄張りを侵していたのだ。自分をこっけいに思えた。ぼくの縄張りを荒らした鹿を許せないと思い、こんな奥深くまで追っかけてきた自分。

 「いいか、おまえの命とワシらの命、この命の違いをよく考えろ!言葉だけで同じ命だと思うな。おまえたちは牙を持ち、ワシらは牙を持たぬ。そればかりか、おまえたちに食われることもよしとしているのだ。ワシらに与えられた脚は他者を侵す為の脚ではなく、逃げるためのものなのだ。だからお前と競争をしても持久力、跳躍力ともにお前に負けはしない。この角もこの脚も他者を侵す為に使ったことは一度も無い。おまえたち牙を持つ生き物は牙を持たぬものの涙に浮かんでいることをよく考えてみるがいい。もう二度と会うこともあるまい。今度会ったときは、お互い容赦のない会い方になるだろう!」

 はっきりとした口調で黒い鹿はそう言い放って暗い木々の奥に姿を消していった。ぼくは人間との距離を遠く感じるのとは別に鹿との生活の違いにまたその鹿との遠さを思った。

 「ぼくの命は牙を持たぬものの涙に浮かんでいる」「謝るということ」黒い鹿の言葉がぼくの頭の中を駆け巡る。

 元の場所にどうして戻ることが出来たのかぼくには解らなかった。どこをどう走ってきたのか、目の前に「あるじ」の姿が見えた。

 「悟朗、遊んできたんか」

 「あるじ」がぼくに呑気に声をかけた。「あるじ」の声にぼくは現実に戻った。雌鹿を追って山の奥深くで巨大な黒い鹿に出会ったこと、そこで知らされた鹿と、犬と人間の関わりについて。縄張りを荒らされて烈火のごとく怒り狂ったぼくが鹿の縄張りを侵していたこと。初めて気付くことばかりだった。

 人間である「あるじ」とぼくとの距離。ぼくは「あるじ」に自分の尊厳を込めて一声、吼えた。

 「そうかそうか、楽しかったんか、よかったなぁ」これが「あるじ」の応えだった。ぼくはある意味「あるじ」を誇りに思っている。ぼくを理解しようととても努力してくれている。他の飼い主には見ることの出来ない素晴らしいぼくの主人だ。あの医者のいいつけにも僕のことを思って逆らってくれている。ぼくは幸せ者だ。しかし「あるじ」は「犬」ではない、「人間」だ。

 「あるじ」は仰向けに寝っ転がりながらぼんやりとタバコを喫っている。ぼくが小さなせせらぎのおいしい水を腹いっぱい飲んでいた時だった。近くにいやな匂いと動作の緩慢な物体が草を動かした。ぼくはとっさに戦闘体制に入り、すぐさま威嚇しながら吼え続けた。「あるじ」が驚いて上半身を起こしながら「どうしたんや、悟朗」とぼくに声をかける。不吉な感じのする物体はぼくの目の前に姿を現した。体全体に「ぬめり」があり、それが鈍く光っており、のそのそとぼくの前を横切ろうとしている。とんでもなく大きな「カエル」だった。この辺では「ウシガエル」と呼ばれている。ぼくはイライラする。ぼくを恐れている様子がないのだ。まるで知らぬふりをしながらせせらぎを出ようとしている。ありったけの声を振り絞り吼え続けた。鼻先が「カエル」にくっつきそうになりながらぼくは威嚇し続ける。

 何故だろう、咬みつき食いちぎってやろうという気がおきない。何故なら、ほくの鼻先は我慢できないいやな匂いが充満している。ぼくのプライドを傷つけずに退散してくれればそれで万々歳だ。ぼくが逃げたのではない。ぼくの「威嚇吼え」で立ち去ってくれたのだ。「あるじ」はいつのまにかまた寝っ転がってタバコをくゆらせている。

 ぼくは結界を引きなおし始めた。さっきの鹿のところを省いて忙しくオシッコをし、大事なポイントになるところにはウンコもしておいた。だいたいぼくの匂いによる結界を引き終えようとしていた時だった。まだそう日が経っていないウンコを発見した。もうこれで引き終わりだと思っていた時だったのに、ぼくは不機嫌になった。

 思いっきり鼻を近づけてこの匂いの主を探ってみた。

 ぼくはこの匂いを嗅ぎながらついこの間の散歩の時のことを思い出していた。

 ぼくの家から今日のコースとは逆方向に向かうコースだった。このコースはあまり好きではなかった。普通のアスファルト舗装された道路を下っていくコースだった。当然ぼくの首についている鎖ははずしてもらえないコースだ。それにやたら「先に行くな」という「あるじ」の号令がかかる。無視をすると背中を鎖で打たれる。痛くはないのだがのびのびとした気持ちで散歩が出来ない。だからこのコースはあまり好きでなかった。それにこのコースは同じ犬のいてる家が何軒かあって、ぼくの散歩の時いちいちぼくに向かって吼えてくるのが不愉快だった。

 「あるじ」に拾われて間もない頃、近所の「レモン」が同じ仲間として初めての訪問者だった。あの時はどこかぼくの母親と同じ匂いがし、たまらなく懐かしく思った時大声で吠え立てられ、一目散に家の中へ逃げ込んだことを覚えている。ぼくは正式に「レモン」と会いたいのだが、何故か「レモン」はぼくを嫌っているようだ。激しく吼えられるのが悲しい。ぼくを吼えている姿をチラッと見るのだが、ぼくを恐れているように思う。ぼくは乱暴者に育ってしまったのだろうか。

 もう少し下り道を歩いていくと、ぼくとほとんど体格も同じ大きさの「柴犬」がいる。ぼくはこの犬の名前を知らない。たぶんこのあたりを仕切っていたのだろう。いたるところにその犬の結界が張り巡らされている。オシッコの匂いやウンコの匂いでここの「柴犬」だとすぐ判る。ぼくは申し訳ないが正確に匂いを嗅ぎ分けながら「柴犬」のテリトリーをぼくのオシッコとウンコで塗り替える。たぶん我慢できないくらい腹立たしく思われているのだろう、逆の立場だったらぼくだって許すことが出来ない。「レモン」とこの「柴犬」がぼくの散歩の時にいつも吼えかけてくるのだが、一度としてぼくは吼え返したことはない。「レモン」の吼え方には敵意が無いのを解っていた。ぼくを怯えているか嫌っているかのどちらかだ。機会があれば誤解を解いて仲良くなりたいと思っている。ところが「柴犬」の吼え方には明らかに威圧感がありぼくを威嚇している。その意味はよく解っていた。あまり吼え続けられるので、ぼくは歩く足を止めて「柴犬」に顔を向ける。一度決着をつけねばならないのだろうな、と思った。ぼくは相手にせず散歩の足を進めた。なだらかな下り道を歩き、いつものところからユーターンして引き返しの上がり道を帰っていた時だった。

 「殺気」を感じた。ピンと張り詰めた鋭い「気」をはっきりと感じることができた。ぼくは相手の正体をまだ見極めることが出来ないまま戦闘体制に入った。

 首を地面ぎりぎりまで下げ鋭い「気」に向かって前進する。

 「気」の正体が解った。「柴犬」だった。「あるじ」もピンと張り詰めた「気」を感じているようだった。先程はこのような「気」はなかった。先程との違いがあった。柴犬の鎖が外されている。登り坂の道の真ん中でぼくを鋭く見下ろしている。ぼくの歩幅はだんだんと大きくなる。「あるじ」は明らかに躊躇している。「どうしよう、このままぶつかり合ったら大変なことになる」お互いの距離はどんどん短くなっていく。ぼくは引くわけにはいかない。もちろん「柴犬」もそうだ。ここ何年もこのあたりを仕切ってきたプライドがあるだろう、ぼくに対する憎しみもあるだろう避けては通れない場面であることはよく解る。ぼくの背中の肩甲骨が右に左に大きく波打ちながら一歩一歩両者の距離が縮まって行く度に「あるじ」の狼狽振りがよく伝わってくる。ぼくは鎖に繋がれたままなのでハンディがあるなと思いながら、至近距離になれば鎖は関係無くなる。そこまで近づいてから喉元を一気に噛み切る、ぼくはそう自分に言いきかせ、いつ飛び掛っていってもいい距離まで足を進めようと思った。息詰まった一瞬だった。まさに飛び掛ろうと思った矢先のことだった。

 「柴犬」は猛スピードで自分の家に逃げ帰った。

 勝負はついた。ぼくの緊張が解かれるのと同時に「あるじ」の緊張も解かれていくのがよく解った。この日の出来事を「あるじ」は人に自慢した。この地域で「悟朗」が負けるものはいない。鹿やイノシシにも向かって行く、うちの「悟朗」には怖いものが無い。「あるじ」はいつも人にこう自慢した。ぼくはそれを聞いていて悪い気はしなかった。しかし黒い鹿のことを「あるじ」は知らなかった。黒い鹿に出会わなかったらぼくも「あるじ」と同じように思っていただろう。


恐怖の体験


 黒い鹿と出会いたくさんのことを思い知らされ、ぼくはこの山に住んでいるいまだ見たことも無いものに警戒を解いてはだめだと思った。苦手な「ウシガエル」に出会いこの類とは闘いたくないな、と思いながら鼻先に全神経を集中させながら、丹念にいろんな匂いを嗅ぎ分けていた。そんな時、新たなウンコに出会った。最後の結界を引き終えるところだった。初めての匂いだった。この匂いは経験が無い。グッと鼻先をこすりつけ大きく息を吸った。ぼくの喉に得体の知れない匂いが通る。全身にその匂いが駆け巡る。頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。体が震えだし足が前に進まない。何かを見たわけでもない。例の「柴犬」との時だって始めは姿も見えなかった。「殺気」だけは感じた。しかしぼくの中に「恐怖」などなかった。鹿を追いかけている時もそうだ。「ウシガエル」には「嫌悪感」はあっても「恐怖心」はない。それなのに、恐ろしくて堪らない。黒い鹿とはまったく別の怖ろしい匂いだった。早く家に帰りたかった。

 「悟朗、帰ろうか」

 「あるじ」の明るい声だった。ぼくの体の中を支配している匂いの正体のことなど何も気付いていない。

 ぼくはこの匂いがどこまでのテリトリーを意味しているか、必死で探りながら帰ろうとしているのだが、最後に鼻をこすりつけて匂ったものだから、鼻そのものに匂いがくっついてしまっている。時々顔をあげ風の流れに鼻を洗うようにするのだが、家にたどり着いてもこの匂いの支配から解き放たれることは無かった。言いようも無い、得体の知れない恐怖はぼくの鼻先から全身に伝搬する。「あるじ」が「ええ運動したから、腹減ったやろ」といって干肉を差し出してくれるのだが食べる気がしない。「なんでや、大好物やないか」ぼくはこの匂いの恐怖からどうすれば解き放たれるのか、ずっとこの恐怖が続くのかそのことで頭が一杯で「あるじ」に相手をする元気は残っていない。

 さすがにぼくの異変に気がついた「あるじ」は、早速、動物診療所の先生に電話をしていた。

 「先生、うちの悟朗の様子が変なんですが」診療所の先生にぼくの様子を細かく伝えていた。しかし、「あるじ」はほとんど寝っ転がっていた筈だ。ぼくが小鹿や母鹿を必死で追っかけていたこと、ましてやこの恐怖の匂いのことなど解るはずがなかった。変な物は食べていないこと、今まで元気に散歩をしていたことなどを電話で報告をしていた。

 「ですから、本当に今の今まで元気だったのですが」

 「あるじ」はぼくが病気だと思い込んでいる。医者はもっと事態を正確に把握しようと努めている。医者はおそらく病気ではないと判断している。鼻を風にさらすように一番上に突き出す仕草をしていること、好きなおやつも食べようとしないことなどを「あるじ」から聞き出し、あらかたの医者の判断が出たようだ。

 「散歩に行って帰ってきた所だったら、散歩の途中に問題がありますね。行ってからも鹿を追いかけたり元気だったのなら、おそらく病気ではないでしょう。明日になっても餌を食べないようでしたら病気かもしれません。その時は連れて来てください。たぶん明日はピンピンしてると思いますよ」

 「そしたら、今はどういうことなんでしょうか」

 「匂いを嫌がっています。鼻の先に石油だとか、コールタール、工業用の油なんかが付着してませんか?」

 「いえ。そんなものがあるところへは行ってませんが」

 「そしたらね、散歩にどこへ連れて行きましたか?いつものように山へいかれましたか?」

 「はい、山へ連れて行って帰ってきたところです。帰るときまで元気だったのですが」

 「やっぱり・・・、恐らく熊だと思います。熊を怖がっている状態だと思いますよ」

 「あるじ」は驚いた顔をしてぼくのほうを見た。「あるじ」は何も解っていないのに、あのいやな医者は全部ぼくのことを見抜いている。でも安心した。明日の朝にはこの匂いから解放される。ぼくの全てを知っているいやな医者だが「あるじ」がぼくに与えてくれない「安心」をくれる。このまま一生続くのかと思うとたまらなく落ち込んでしまったのだが、明日の朝までの辛抱だ。少しだけ救われた。

 それにしても、まだ見ぬ「熊」というのはどんな動物なのだろう。あの黒い鹿のように威厳があるのだろうか。それともとんでもなく獰猛なのだろうか。「あるじ」は反省していた。このあたりではぼくを一番強いと思い込んでいた。熊よりも強いと思い込んでいた。ぼくより強いものはいないと思っていた。黒い鹿に出会わなかったらぼくも「あるじ」と同じように思い上がっていたのかもしれない。

 「あるじ」は調子に乗っていたのだ。ぼくのおっちょこちょいなだけの性格を「強い」と思い込んでいたのだ。とくにぼくは周りを軽く見すぎていた。

 黒い鹿に出会いそれぞれが命をかけて生活していくこと。不届きな侵入者がたくさんいるが、時には自分も侵入者になってしまっていること、そのことに気付かないでいることのほうが余程、恐ろしいということ。黒い鹿はぼくに「恐ろしさ」の本当の意味を教えてくれた。黒い鹿に出会わなかったらぼくは一生、被害者として生きていってしまっただろう。時として自分は重大な加害者であることに気付かないでいただろう。姿かたちの恐ろしさよりも「気付かない」ということがもっと恐ろしいことでもあるということを知った。ぼくは自分が臆病ものであることも知った。怖くて体の震えが止まらない事も知った。負けるものの気持ちを思い知らされた。

 ぼくは少し成長した。


秋祭り


 稲刈りも終わり、この村にも紅葉が深まりつつあった。蔦やかえで、ウルシの葉の紅葉振りはことのほか美しい。ぼくを散歩に連れ出しながら「あるじ」は少しずつ紅葉の色合いが濃くなっていくさまを楽しんでいるようだった。ほくは夏が嫌いだ。「暑くて暑くて堪らない」ぼくは毛皮のコートを四六時中着用している。おまけにぼくたちは人間のように「汗」をかかないので、体を冷やすのに一苦労する。ぼくの小屋のまわりは土なので少し掘り返すと黒く湿った土が現れるので、そこに体がすっぽり入る穴を掘る。この中に体を埋めるととても気持ちがいい。ひんやりとした土の感触が堪らない。日中の暑さを何とか工夫してやり過ごすことが毎日の大変な仕事だ。でもぼくの住んでいるこの村の素晴らしいのは、夜になると極端に気温が下がることだ。「あるじ」なんかは、一年中同じ布団で寝ている。冬の布団も夏の布団も同じ布団だ。よく晴れた日に布団を干しているのを見るが、年中同じ布団だ。都会のように夏専用の肌かけ布団や、間違ってもタオルケット一枚でなんか寝ることは出来ないらしい。

 気温が落ち込んだ夜、寝るにはまだ少し早いときなど、空を見上げる。晴れた夏の夜、「天の川」が本当に天をゆったりと流れるように美しく輝く。南の空に「オリオン座」が睨みをきかせている。「北斗七星」のひしゃくの先をのばしたところに「北極星」が北を示している。繰り広げられる天のパノラマを見ながらぼくは眠りに落ちる。朝になると、たっぷりと朝露が小さなぶどうのように周りの草に重そうにのり、葉の先から雫を落とす。陽射しが強くなる午前中までは、ひんやりとしている。この気候がうまい米を作る。ぼくは詳しいことを知らないが、「あるじ」が自分の友人に言ってたことがあった。米の「デンプン」の成長に関係があるらしい。夜の温度が下がることによって、ほどよく「デンプン」が育つらしい。夜の温度が下がらなくて「熱帯夜」などが続くと「デンプン」が成長しすぎてよくないらしい。どうせ「あるじ」のことだ、よく知りもしないことを自慢げに話しているに違いない。「あるじ」の聞きかじりの知識はさておいて、この村で摂れる米は本当に美味い。たまにドッグフードの変わりに、花カツオをかけただけの「冷や飯」が出ることがある。「あるじ」たちがよく言っていることだが、「本当に美味い米は冷や飯でも美味い」と。「あるじ」の口はあまり信用できないが、この話は本当だ。「あるじ」の友人たちの中で、ここの米のファンが都会に結構いる。誰もがこの村の米は美味いといっている。ぼくもそう思っている。だからドッグフードを止めて、ぼくの主食を「米」にしてほしいと思っているくらいだ。

 都会から「あるじ」と「ナツミ」の友人がこの村に泊まりこみでよく遊びに来る。とくに「ナツミ」の友人の「テンチャン」をぼくは好きだ。いつもぼくに挨拶をしてくれる。そしてぼくの頭を撫でてくれ、ぼくをやさしく抱きしめてくれる。「テンチャン」は小太りの中年の女性だが、ここを訪れる客人のなかでは少し若い方だ。ぼくは性格上、抱かれているとき静かにその愛撫に身を任せるということが出来ない。とにかく「興奮」するのだ。いや、「興奮」してしまうのだ。少し落ち着いて、幸せな時間を静かに落ち着いて過ごしてみたいといつも思う。「テンチャン」に身体を撫でられ抱かれると、決まって自制できない。まるで苦しさから逃れるような異常な興奮を抑えきれない。「テンチャン」の顔を舐めたくて舐めたくて勢いよくその行為にうつすものだから、ぼくの鼻先が「テンチャン」の顔面を激しく打つ。静かにペロペロと大好きな「テンチャン」と愛情を交し合いたいと思うのだ。今度「テンチャン」と会ったときはそうしようと思っているのに、いつも実現しない。自分が情けなく、悔しくて堪らない。そんなぼくを「テンチャン」はいやがりもせず、やさしく接してくれる。ぼくの激しい「愛」の表現を判ってくれているのは「テンチャン」だけだ。

 今年もやってきた村の「秋祭り」に、「あるじ」は村の祠が奉ってある、急峻な坂道の続く小さな山へと散歩のコースをかえていた。ぼくがまだうんと小さかった頃、このコースを登るのは大変だった。今では「あるじ」を引っ張って登る。グイグイ引っ張って登る。最近ぼくは「人間」というやつは本当に身勝手な生き物だと思っている。散歩のとき、「あるじ」よりさきに歩くとぼくを繋いでいるロープで「先に行くな!」といってピシャリとそのロープの端で鼻先を叩かれたものだ。あの例の医者の入れ知恵だ。しかし、登り坂のときは先に行けと言う。そして先に歩いて、ロープで「あるじ」を引っ張ってやらなくてはいけない。メタボリックな「あるじ」を引っ張って登るのは大変な労力を要した。

 ぼくたちが、村の祠が奉ってある頂上に登った時は、まだこの村の数人の老人たちが、いただけだった。ちょうど、この村の古老の「タキちゃん」が鈴をガランガランと振ってお参りをしているところだった。「タキちゃん」は「あるじ」と親子ほど歳は違っているが、心安く話の出来るうちの一人だった。二人はお互いに、にっこりと微笑みながら挨拶を交わしていた。「タキちゃん」のお参りが済んだので、「あるじ」が同じように鈴を鳴らしてなにやら神妙な顔で手を併せていた。「あるじ」のお参りが終わると、「タキちゃん」がニコッと笑いながら、「あるじ」に尋ねた。

 「何を拝んだぁ?」

 「タキちゃん」の顔は人なつっこい笑みに包まれていた。

 「あるじ」は一瞬戸惑いながら、応えた。

 「いやぁ、今年も健康で元気に過ごせたことと、米や野菜が摂れた事に礼を言っときました」

 「あるじ」は照れながらそう応えた。ぼくには解っていた。「出任せ」で「あるじ」は応えている。差しさわりの無い応え方だ。

 「ほんとだなあ」

 「タキちゃん」は相変わらずにこやかな顔で「あるじ」の「出任せ」に相槌を打っていた。

 「タキちゃんは何、拝んだん?」

 「あるじ」は負けん気をだして「タキちゃん」に尋ねた。

 あたりの境内には、人も増えてきていた。汗を拭き拭き、口々に「来年はここまで登ってこれるだろうか」「来年まで生きとれるかどうかわからんなぁ」「ほんまだ、ほんまだ」笑いながら、老人たちは次々とお参りを済ませていた。「タキちゃん」は「いやあ、ワシなんかは・・・」といいながら「タキちゃん」は口を拓いた。

 「畑を打っとって、みみずやカエルやオケラを、ようけようけ殺してきた。このごろは鹿やイノシシにまで殺してきたでなぁ、そのおかげで米や野菜を守れて、わしらは生かしてもらっとるでなぁ。せめて一年に一回は謝まらなあかん思ってなぁ」

 「あるじ」は動かなかった。ぼくは衝撃を受けた。ぼくも動くことが出来なかった。いつかの黒い鹿の言葉を思い出した。「タキちゃん」は黒い鹿と同じことを言っている。人間がたくさんの動物の命を奪い、その命から流れる悲しさに人間は浮かんでいる。「出任せ」とはいえ「あるじ」は一年に一回「礼」を述べるために手を併せた。「タキちゃん」は一年に一回「自分を詫び」手を併せた。「あるじ」は自分と「タキちゃん」の距離の遠さを思い知らされていた。「タキちゃん」は硬直してしまっている「あるじ」に、さらににこやかな顔でこう付け応えた。

 「長いこと生きとったら、ようけようけ悪いことばっかりするなぁ」

 こじんまりとした小さな境内で、餅まきが始まっていた。祭りの役員と神主が小高い場所から餅をまいている。アリが群がるように転げ落ちろ餅をめがけて村人が無礼講で餅を拾う。遠慮などは一切無い。懸命に餅を拾う。人々の笑い声と餅をあまり取れなかった落胆の声が交錯する中、ぼくは「タキちゃん」のさっきの言葉と、いつかの黒い鹿の言葉が頭の中を離れなかった。悪びれず、面映く思うことなくしぜんに自分を恥ずかしく思うことを「タキちゃん」は言ってくれた。ぼくはこの小さな山村で、「あるじ」と「ナツミ」とその友人たちと、この村の人たちとここに住みたいと思った。いつかあの黒い鹿と出会えるだろうか。決して思い上がることなく、ぼくは牙を持たぬものたちの涙に浮かんでいる自分を忘れまいと思った。

 「あるじ」とぼくだけが残った境内で、「あるじ」は「悟朗」といってぼくの頭を撫で抱きしめた。さわやかな秋風が小さな山村を吹き抜けていった。

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[一言] 人間の視点と犬の視点から見ての違いがよく分かる内容でした。 犬の気持ちなんてそれほど考えた事なかったけど、この小説を読んで犬とのこの先も一緒の生活や躾に役立てたいと思いました。 出来ればまだ…
[一言] 悟朗の体験したことは人間が毎日体験していることである。厳しく人間の得手勝手を思い知らされた気がした。
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