第八十二話 ファイアランス史上最悪の王
女達の密談よりも、ほんの少し前の出来事──。
ネスとエディンはアンナ直属の臣下ルヴィスの案内で、国王エドヴァルド二世に謁見する為、王の間へと向かっていた。
「いやあ……しかし凄いな」
ガラス窓の奥の広大な中庭には色とりどりの花や木が植えられ、その後ろでは巨大な噴水が水を噴き出している。
「ネスよ、本当にお前はそればかりだな」
「だって、こんな場所来たことないからさ」
横を歩くエディンにネスは恨めしそうな視線を向ける。彼は臆することなく、ずんずんと足を進めている。
「エディンはさっきから、どうしてそんなに堂々としているのさ」
国に入国した時からそうだったが、エディンのこの態度。昔住んでいたから慣れていると言っていたが、それにしても王城に入城してからも崩れないこの悠然とした振る舞い。
「大の大人がこんなことで萎縮してどうする」
「え、そ……それだけ?」
「それだけとはなんだよ」
エディンは不満げに鼻を鳴らす。
「俺はまだ大の大人ではないから、萎縮してもいいと思うんだ……」
(そういえば船で第十七騎士団長のローリャさんと話していた時は、かなり萎縮していたように見えたけどな)
ネスがそれを口に出そうかと思った矢先、背を向けていたルヴィスがクスリと笑った。
「ふふっ……あ、すみません、失礼しました」
「ルヴィスさん、俺何か可笑しな事を言いましたか?」
「あ、いえいえ……何でしょうね、お二人の会話が少々俺の笑いのツボにはまったというか……ふふっ」
ルヴィスの笑顔は、男のネスから見ても魅力的だった。一言で言えば美しいのだ。
「なんだかルヴィスさんって、シナブルと似ているようで似ていないですよね」
「そうですかね?」
弟のシナブルの第一印象は、なんというかネスからすると「怖い」だった。実際、睨まれたり殴られたりと、散々だった。
良く言えば忠誠心の塊、悪く言えば主に酔いすぎている弟のシナブル。
(良い人だっていうのは、触れ合う中で分かってきたんだけど……)
一方、ルヴィスはどうだろうか。ネスはまだ彼に出会って一時間程度だが、その柔らかな物腰は弟とは大違いだ。顔立ちは兄弟と言うだけあって、やはり似てはいるのだが、目付きに関して言えば、全くの別人のようなのだ。
(父親と母親で、全然タイプが違うのかな……?)
「似てないですよ、全然」
エディンが口を開く。ネスよりも彼らと接してきた時間の長いエディンの言うことだ、きっと本当に似ていないのだろう。
「まあ、弟は馬鹿ですからね。馬鹿で、馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿真面目な奴なんですよ、本当に」
「馬鹿って言い過ぎじゃないですか……?」
「事実ですから、仕方ありません」
シナブルの何処がそんなに馬鹿なのか、頭を捻ってもネスには分からないままだった。
「ルヴィスさんは真面目じゃないんですか?」
「俺が真面目な奴だったら、姫に駆け寄って抱きついたりなんてしませんよ」
「た、確かに……」
真面目なシナブルがアンナに抱き付く姿など想像できようか。
「俺はね、姫が大好きなんですよ。姫には──もっと笑って欲しいのです。だから、笑って頂く為に色々と……それこそ抱きついたりしているのです」
「方向性が違うような気もするけど……」
「何か仰いましたか?」
「い……いいえ!」
彼が良かれと思ってやっていることに、口を挟むべきではない。
「大好きっていうなら、シナブルさんもそうなんじゃないんです?」
言ったのはエディンだ。彼の目から見ても、シナブルがアンナに向ける眼差しは特別なものだった。
「あいつは……そうですね、あいつも大好きではありますよ。ただ──あいつは馬鹿なので、少し間違えているんですよ」
「──間違えている?」
ルヴィスの言葉をネスは反芻する。その後ろでエディンは何かに納得したように一人、誰にも気が付かれることなく息をのみ目を伏せた。
「さあ、そんなことより着きましたよ」
どこかで聞いたようなルヴィスの台詞にネスが顔を上げると、眼前に現れたのは高さが十メートル近くある観音開きの豪奢な扉だった。アイスグリーンで塗装されたその扉は、金の装飾で外枠を縁取られている。扉全体に草の蔓を模した模様が広がり、中央の縦長のドアノブは威圧的なまでに眩く光沢していた。
「あの、ルヴィスさん」
「なんですか?」
ノックをしようとルヴィスが手を伸ばしかけたところで、ネスは小声で彼の背中に声を掛けた。
「エドヴァルド二世……アンナのお父さんって、やっぱり怖い人なんですよね?」
ノルの町の「蜂の巣」で手配書を見ていたので、ネスは彼の顔は知っていた。顔だけではなく、以前シナブルから聞いた話で、エドヴァルド二世はファイアランス史上最悪の王と名高い、ということも併せて知っていた。
娘に拷問をするような男だ。その上自国の糧にするために隣国を滅ぼし、その国の王子を──エリックを無理矢理自国に引き込んだとも聞いていた。
「そうですね、怖いかと聞かれれば、怖いのかもしれませんが……ファイアランス史上最悪の王ですからね! 殺し屋としても、国王としても素晴らしい方ですよ」
と、誇らしげに言うルヴィス。
(だからなんでシナブルもルヴィスも誇らしげに言うんだ……)
「まあ、お会いしてみればその素晴らしさが分かります」
「そうですか……」
コンコンと扉をノックするルヴィス。
「──ん?」
しばし待つも、返事はない。
「国王様、ルヴィスです」
再びノックをするも、沈黙が破られることはない。
「うーん、おかしいな」
「誰もいないんですか?」
「そんなハズはないと思うのですが──って、わっ!」
ガチャリと内側から五センチ程扉が開いた。
「って、父上? 何をしておられるのです?」
開いた扉の隙間から顔を覗かせているのは、ルヴィスの父コラーユ・グランヴィ。
「顔! 顔が近くはありませんか父上!?」
「まあ、気にするな」
「気になりますよ!」
扉の隙間はコラーユの顔で塞がれ、中の様子を伺うことは出来ない。
「何用だ、ルヴィス」
中指で眼鏡をカチリと持ち上げるコラーユ。背後の室内を気にしているのか、時々目線がそわそわと動く。
「何用って……ネス・カートス様とエディン・スーラ様が陛下に挨拶をとおっしゃるので、お連れしたのですが」
「そうか」
「……」
「なんだ」
「なんだじゃなくって、開けてくださいよ! 陛下はいらっしゃるのでしょう? いつまで中年の顔のアップを見続けなければならないのです」
「父のことをそんな風に言うなよ」
だらだらと繰り広げられるやり取りが可笑しく、ネスは小さく声を上げて吹き出してしまった。
「す、すいませんつい……なんだかシナブルを見ているようで可笑しくって」
「シナブルはこの分からず屋の父にそっくりですからね、いいんですよ」
「ルヴィスよ、お前父に対してちょっと失礼じゃないか」
──とその時。
「うわああああああぁぁぁぁい!」
「待て待て待てえええっ!」
「おじいさまぁぁぁわああああああぁぁぁ」
「待て待て待てえええっ!」
「ぎゃぁああああぁぁっ!」
「な、なんだ?」
呆気に取られ間抜けな声を上げるエディン。
コラーユは明らかに気まずそうに目を伏せ、額に汗をかきはじめた。短い前髪の下に広がる形の良い額は、あっという間に汗の粒で埋め尽くされる。
「ち、父上?」
「万事休すか……しかし、ここで諦めては!」
言ってコラーユは、何を思ったのか扉を閉め始めた。
「ちょ……待ってください!」
すかさずルヴィスはその隙間に足を差し込む。彼の革靴に扉がぐいぐいと食い込んでいるが、コラーユはお構いなしに力一杯、それもとても涼しげな顔で息子の足を痛め付けている。
「あんたの息子の足がなくなりますけど!?」
「私の息子の足は、この程度でくたばったりはしないさ」
「おいおいおいおい! 流石に痛いぞこの眼鏡野郎ッ!」
バァンッ! と勢いよく扉が開く。挟まれていたいた足と、上から差し込んだ手にルヴィスが力を込めたのだ。
「やっと開いたな……」
「うん、そうだね……」
親子のやり取りに置いてきぼりだったネスとエディンは、開かれた扉の奥を眺めながら呟く。
「ええっと……この光景は一体なんだろう、エディン」
「うむ……スキンシップだろう」
「スキンシップ……」
その光景を目の当たりにし、額を手で押さえ、「はあああ……」と、あからさまに大きな溜め息をつくコラーユ。
「おじいさまああああああっ!」
「ルーティアラッ! スティファンッ! 待てえええっ!」
「あははははははっ! おじいさまこっちこっち!」
漆黒の外套を頭に被り、幼子二人を追い回す謎の人物。背中側からがばりと外套を被っているので、その人物が誰なのかネスとエディンにはさっぱり分からず、まるで不審者を見るような眼差しを向けている。
「ん……? あっ……」
しかし昔ファイアランス軍に所属していたエディンには、その人物が誰なのか声を聞いて分かってしまったのだ。
「ほうらっ! 捕まえたっ!」
「きゃはははははっ! 捕まっちゃったー!」
「あーあ、おねいちゃんったらあ!」
「スティファンも捕まえちゃうぞ!」
「わああああっ!」
謎の人物が外套を翻すと、長いその裾はひらりと宙を舞い彼の背に直った。両腕で幼子達を目一杯抱き締め、三人ともなんとも幸せそうな笑みを浮かべている。
「あの人って……」
ネスの視線の先にいる謎の男──明らかに異質な空気中を放つ、その大男。
腰まで伸ばした長髪は、見覚えのある血の色。顔立ちなんて彼女にそっくりで、鋭い目元につり上がった眉、高い鼻に形の良い唇。一国の王が身に付けるに相応しいその服は、全体的に暗い茶と淡い青でまとめられている。
──彼はエドヴァルド・F・グランヴィその人だった。
「兄上、ネス・カートス様とエディン・スーラ様ですよ」
ぽかんと口を開き、間抜けな表情を向けるエドヴァルド。
「……え」
「ですから、御客人です」
「……え、えええええぇぇぇぇぇぇええっ!」
幼子──孫二人から手を離したエドヴァルドは、その間抜けな表情のまま猛スピードで後退し、どすんと玉座に腰を下ろした。
「ノックしろよ!」
「ルヴィスがしましたよ」
「聞こえんかったわ!」
「それはあなたが御孫様達と追いかけっこをしていたからでしょうが」
「そうだけどもよ!」
エドヴァルドは座ったままそろりと首を動かすと、ネスとエディンの姿を気まずそうにちらりと見やった。
「……見たか?」
「「……見ました」」
「はああああ……本当に見たのか?」
「「……見ました」」
「そうか、では仕方がないな」
すっと立ち上がったエドヴァルドは、じりりと足を開き腰を落とすと、腰の刀に手を掛けた。
「えっ! ちょっと、えっ!」
(切り捨てられるのか──!?)
慌てたネスが腰の刀──浅葱に手を掛けると、それを見たエドヴァルドは豪快に口を開けて笑った。
「ハッハッハッ! 殺されるとでも思ったか、ネス・カートスよ」
先程までの気まずそうな態度は何処へやら。偉そうにたち振る舞うエドヴァルド。
(なんだこの不思議なおっさんは……戸惑うしかないだろ、これ)
「兄上、兄上」
「あぁ? なんだコラーユ」
「とりあえずそういうのは後で良いので、まず御二人に謝罪を。そしてきちんと挨拶をして下さいよ」
「……それも、そうか? ていうかお前がいつもみたいに代わりに挨拶をしてくれよ」
「嫌ですよ」
「ええー……」
「ええー、じゃありませんよ兄上」
「俺一応、国王なんだけど」
「存じておりますが」
「……はぁー……仕方ないな」
弟に促され、大袈裟な咳払いをするとエドヴァルドはもじもじと体を揺らした後、ぼそりと言葉を放った。
「ファイアランス王国国王エドヴァルド・F・グランヴィだ。先程は……その見苦しい姿を晒してしまい、失礼した」
言い終えて玉座に腰掛けたエドヴァルドに、幼子二人が駆け寄った。
「おじいさまったら、変なのー!」
「変なのー!」
「へ、変じゃないよ? さあさあ、二人も挨拶なさい」
たじたじとなりながらも、エドヴァルドは二人の肩に手を置いた。
「ルーティアラ・F・グランヴィです! 父はフォン・F・グランヴィ。母はマリーローラーン・F・グランヴィですっ」
ライムライトの長髪を揺らしながら、少女──ルーティアラはぺこりと頭を下げた。
「スティファン・F・グランヴィですっ! おねいちゃんの弟ですっ」
ライムグリーンの髪を恥ずかしそうにかきながら、少年──スティファンもぺこりと頭を下げた。
「マリーローラーン……マリーさんの子供!?」
「そうだよー!」
とことこと駆け寄ってきたルーティアラは、ネスの腕を掴むと、そのままぶんぶんと激しく振った。
「おにいさんは誰かな? ネス・カートスっていうの?」
目の前の小さな少女に名を呼ばれ、ネスは彼女に合わせて膝を折った。
「そうだよ」
「ふうん、じゃあ、そっちのおにいさんがエディン・スーラっていうの?」
「ああ」
「おにいさんはいくつ? わたしは十九歳っ」
「ぼくは十八歳っ」
頭の中で少女の実年齢を計算していると、そこに弟のスティファンが割って入る。
(ええっと、ティリスは五年で一歳年を取るから……大方三、四歳ってところか?)
「ねえねえ! おにいさんはいくつ?」
──と。
──コンコン。
ネスが少女の問いかけに答えようと口を開きかけたところで、入口の扉がノックされた。




