第七十四話 王家の城
サーシャ・グランヴィは、純血のエルフである。髪の色がエルフのそれではないのは、所謂突然変異というものだった。
アンナの母──ネヴィアスの母方の遠い親戚である彼女。ある時、アンナの父エドヴァルド二世にその美貌とエルフにしては珍しい髪色、それに実力を見初められ、ファイアランス王国に迎え入れられた。
「染めてるんじゃなくて、地毛なんですね! 綺麗な色!」
あの後、手早く自己紹介を済ませた一行は、城に向かう足を止め、シナブル一家と雑談を交わしていた。
憧れのエルフとの二度目の邂逅に、やや気分の高揚しているネスは、エルディアの頭を優しく撫でながら言った。
「ふふ、ありがとうございます。たまには他の殿方に髪を褒めてもらうのもいいかもしれませんね。ねえ、あなた」
いたずらっぽく言ったサーシャは、皆の輪から離れ顔を赤くしたままのシナブルの方を見やった。
「俺に……構うな」
「なあに、聞こえない」
「嘘を言うなっ」
「エルディア、父様を連れてきてくれる?」
「はあい!」
とてとてと走り出したエルディアは父の手を掴み、それを一生懸命に引っ張っている。
「あれ……? サーシャさん、エルディアはいくつなんです?」
「もうすぐ四つです」
「ということは……えーっと……」
「ああ、ごめんなさい。エルディアは違うんです」
「違う?」
サーシャの説明によると、エルディアは外見こそティリスであるが、年齢の重ねかたはエルフのそれと同じだという。
ティリスは五年で一つ歳を取るので、幼子に見えても歳上だというややこしいことがあるのだ。
「ということは、ティリスと違って二十年生きている四歳ではなくて、四年しか生きていない四歳ってことですか?」
「ええ、そういうことになりますね」
目付きの鋭いシナブルとは違い、サーシャの目元はふんわりと柔らかで優しい。髪色も手伝って、見ているこちらまで幸せな気持ちになってくる。
「ネス様、それにエディン様、並びにミリュベル海賊団の皆様……申し訳ございませんでした」
息子に手を引かれてしぶしぶ皆の輪に加わったシナブルは、開口一番に謝罪の言葉を口にした。
「謝ることじゃないだろシナブルさん!」
「そうだぜ! イイモン見せてもらった!」
「綺麗な嫁さんもらって、羨ましいなあ、おい!」
そんなシナブルに容赦のない船員達。
「お恥ずかしい……」
「いい加減顔を上げたら、あなた?」
「サーシャ……お前は恥ずかしくないのか」
「そんなことはないけれど……もう済んだことだし」
ね、と夫の顔を見上げて頬笑むサーシャ。その光景に皆は再びざわついた。
「あ……ああ、そうだ皆様、お願いがあるのです」
照れ隠しなのか、大きく咳払いをすると、シナブルは真面目な顔をして頭を下げた。
「なんです?」
言ったのはエディンだ。
エディンはシナブルに対して敬語であった。シナブルもエディンに対しては敬語で、敬意を払っているように見える。
(ええっと……たしかエディンは昔ファイアランス軍にいたから、立場上はシナブルよりも下だったんだよな? でも破壊者になったから……お互いに敬語なのか?)
二人の関係が気になり始めたネス。後で絶対にどういう間柄なのか聞き出そうと心に留めた。
「姫には……アンナ様には、エルディアのことを黙っていて欲しいのです」
「というと?」
「実は、その──姫はエルディアのことを知らないのです」
「知らない?」
十八年前に兄が起こした、大切な人達を失ったあの内乱から、国を留守にすることが多かったアンナ。
シナブルによると、アンナは六年前に破壊者の座に就任してからというもの、前にもまして、殆ど国に寄り付いていないらしい。
この六年で何があったのか。
「なんとなく理由は分かっていますが、この場で俺が勝手に話していいことではありませんので」
と、シナブルは口をつぐんだ。
母国にまともに帰国することがなかったせいで、アンナとシナブルが顔を合わせたのは、ノルの町でのあの時──実に四年ぶりだったという。
「通信をすることは多々あったのですが……仕事の会話の中で子供のことなど話すべきではないだろうと思い、なかなか……その、タイミングが」
「真面目だねえ……」
そしてエルディアのことを話せないまま、四年の歳月が流れたのだという。
「ねえシナブル、さっきのってアンナに叱られるんじゃないの?」
サーシャとエルディアに別れを告げ、一行はシナブルを筆頭に長い長い階段を登っている。
階段の両脇は二十メートル程の高さの壁に囲まれている。その渇いた飴色の岩壁をくり貫くようにして、歴代の国王達の高大な彫像が堂々と鎮座している。
「……叱られる覚悟は出来ています」
振り向かないままシナブルは言う。先頭を行く彼の表情は誰からも見えなかったが、彼にしては珍しく、気まずそうに唇を噛み締め、額に汗を浮かべていた。
シナブルは国内外で服装を分けているのか、ネスが初めて会った時に着ていたスーツとは違い、丈の短いフロックコートを着ている。
終わりの見えない階段ばかり見るのも飽きてきたネスは、そのひらりと靡く裾をじっと見つめながら、時々「まだ続くのか、この階段……」と内心呟きながら上を目指す。
「あ、あの、ところで!」
思い出したように声を上げたのは、船医助手のルイズだった。彼は眼鏡の縁を掴んでくいっと上げると、右後方を歩くエディンを見た。
「せんちょー、さっきのあれって一体何だったんですかね?」
「ん? ああ……なんで真面目な顔して飾りつけをしているのかってやつか?」
「そうです」
城下町でニヤニヤとしながらも、その笑みを隅に追いやりつつ、アンナの成婚祝いの準備を進めていた住民達。
「多分あれだろ、アンナが照れ隠しか何かで『弛んだ顔して準備をするな』とか言ったんじゃないのか」
「ほう、なるほどー」
「エディン様、正解です」
足を止めることなく振り返ったシナブルの額に汗が浮かんでいるのを見て、ネスは不思議そうに首を傾げた。
「シナブル、その服暑いの?」
「あ、ああ……そうですね、少し」
上着の内側から取り出したハンカチで、シナブルはその汗を拭った。
「はあ……」
直後に溜息。
「どしたの?」
「いえ、大丈夫です……何でもありません」
まさかアンナに叱られるのが恐ろしいなどと、この場で言えようか。
「あ……ああエディン様、そうでした。母から聞いたのですが……去年のことです。墓参りに帰国した姫は、一年も前から成婚祝いの準備をする住民達を叱責したそうですよ」
「叱責? ただの照れ隠しでしょう?」
「まあ、その通りなんですが、『一年も前から準備をするな、早すぎる! 一週間前程度からでいいし、そんなだらしない顔をして手を動かすな』と、仰ったそうです……」
「相変わらず無茶苦茶な姫君ですね」
「そんなことはありませんよ」
シナブルが言い終えたところで、長い階段はようやく終わりをむかえた。
「うわっ……これはまた凄いな……」
目の前に広がるのは所謂、平面幾何学式庭園だった。真っ直ぐに伸びる淡いグレーの通路の両脇に、青々とした芝生。高い垣根に囲まれ、色とりどりの花が刺繍のように配置された壮麗な花壇。所々幾何学的に刈り込まれた芝生は、見つめていると吸い込まれてしまいそうだ。
「近くで見ると本当に凄い……」
花壇の中央で水を吹く噴水を横目で見ながら、ネスがもう何度目かわからないくらい口にした凄い。その先にあるのは──王家の居城。
その厳かな姿に、流石のルイズ達船員も全員、感嘆の声を上げた。
幅広な城の中央には巨大な塔がある。数えるのが億劫になるくらい窓のはめ込まれた横長の外壁の先端には、張り出した外殻塔。城全体は町の建物と同じく、くすんだ白色なので、中央の塔の頂上ではためく漆黒の国旗との対比がおぞましい。
「本の中の世界だ……」
「ネスさん、良い例えですよ、それ……」
「すっげえ……」
「場違いだろ、俺たち」
各々が思い思いの感想を述べる中、城との距離は着実に縮まって行く。
「そうだ、シナブル、それにエディン」
「はい」「ん」
ネスの呼びかけにくるっと振り向いたシナブル。
「一つ聞いてもいいかな?
「なんでしょうか?」「なんだ?」
「ずっと気になっていたんだけど、どうしてお互いに敬語? エディンはファイアランス軍にいたんだよね、だったら立場上はシナブルの方が上だったんだよな? でも破壊者になったら、アンナと同等の立場なわけだし……」
シナブルは困ったようにエディンを見やり、エディンは面倒臭そうに顔をしかめた。
「これがアンナの言っていた『ネスの質問コーナー』ってやつか……」
わくわくという擬音が似合いそうなネスの顔。盛大な溜息をついた後、エディンは口を開く。
「どうします、シナブルさん?」
「エディン様の口からどうぞ」
「そうですか……いいかネス、別に楽しくも何ともない話だぞ」
元々ファイアランス軍に所属をしていたエディン。その頃はシナブルのことも、当然アンナのことも「様」をつけて呼んでいたらしい。
「ネスよ、お前分かってないのかもしれんが、アンナの臣下に下っているとはいえ、シナブルさんも王族なんだぞ?」
「いやエディン、それは分かっていて、そもそも年上だし、俺だって初めはちゃんとシナブルさんって呼んでたんだよ?」
「じゃあなんで今はそんなに砕けた風なんだ。というか年上っていうなら、俺もお前より年上なんだが」
「ちょっと色々あってこうなったんだよ……。ていうかほら、エディンはなんか敬意ってもんと遠い雰囲気だったからさ、海賊だし……」
「まあ、俺のことは気にしてないんだが……話を戻すぞ」
四年前、エディンが破壊者に就任し、報告会という形の召集がブエノレスパで行われた。その際たまたまアンナに随伴していたシナブルは、五年ぶりにエディンに再会したのだという。
「破壊者になったのだから、自分よりも立場は上だとシナブルさんは言い張ってな」
「当然です」
と、ここで毅然と言い張るシナブル。
「いや……俺はアンナに対して敬意を払うのを止めろと言われた件でも相当苦労したし、折れたくはなかったんだ」
「ああ、そうだったね……」
そう言ってネスは、船長室での会話を思い出した。
「頑固なんだよ、シナブルさん。『上だと言ったら上なのですエディン様。俺のことはシナブルとお呼びください』って感じだったか……」
「エディン様もエディン様ですよ。『シナブルさん』など……。敬称など不要だと言ったではありませんか」
「いや、様から呼び捨てって結構大変なんですよ……。シナブルさんはアンナ様のことをアンナって呼べます?」
「…………あ、ああ、そんなことは絶対に無理です」
「でしょう?」
(……なんだ今の不自然な間は?)
何となく気になったネスは首を捻る。
「さあ、そんなことより着きましたよ」
城の入口──背の高い観音開きの扉の前で、シナブルは執事のように胸に手を当てると、頭を下げて言った。
「ようこそ、フィアスシュムート城へ」




