第七十三話 羞恥の極み
諸事情につき、変な時間に更新します。
住居や商店、役場と思しき重厚な白亜の建物が、乱れることなく一直線に歩道の両脇に整列している。
「すごい……」
幅が百メートル程のその歩道には多くの人々が行き交う。彼等が纏う空気は先程の港町の人々のものとは違い、なんとなく張り詰めている。
「ひろい……」
その最後尾──彼方に鎮座するのは、荘重で著大な横長の城だった。
「で……でかい、でかすぎる……」
ファイアランス王国、王都フィアスシュムート。想像の遥か上を行く光景に呆気を取られたネスの口から出る言葉。
「凄っ……! でかっ……!」
こればかりであった。
東の港に船を泊めた一行は、異常なほど手厚い出迎えを受け、悪名高い殺し屋の治める国──ファイアランス王国に入国した。各国の巨大な貿易船を尻目に、敬礼の姿勢を崩さない濃い緑色の迷彩服を着た屈強な軍人達の作った道を通り抜け──辿り着いたのは港町メリルフランルート。
「おお……大都会だ」
田舎生まれ、田舎育ちのネスから見れば、ノルやアリュウ──特にノルは栄えた町であった。
しかしここファイアランスはまるで次元が違う。
「何をキョロキョロおどおどしているんだ、ネス」
そんなネスの横で、平然とこの国の空気に馴染んでいるのはエディンだった。悠然とした態度で闊歩するその様は堂々たるもので、隣に並ぶこちらが些か萎縮してしまうほどだった。
身に付けている金色の肩当ての付いたボルドーのコートとも相俟って、その姿はなんとも猛々しい。
「いや、エディンこそ堂々としすぎ……」
「そうか?」
「どうも慣れないよ、この独特の空気」
「俺は昔住んでいた土地だからかな。別に何ともない」
「そっか……」
全員で王城に押し掛けると目立つだろうから、というエディンの提案で、ミリュベル海賊団は五組に別れて移動をしている。
現在フィアスシュムートにいるネスとエディンを含むこの組は第二陣。ウェズを含む第一陣は既に入城しており、レスカ達第三陣以降は港町メリルフランルートで観光中だ。
「しっかしなあ……」
忙しなく首を左右に振りながら、この異様な光景にネスは感嘆の声を上げる。
町の住民達は、真面目な顔をしているものの口許は嬉しそうに綻ばせながら、せっせと手を動かしている。中には目尻を下げ、ニヤニヤとしている者もいるが、そういう輩は近くで作業をしている者に頬をばちんと叩かれ、再び厳しい顔付きに戻る。鼻歌を歌おうものなら首を絞められるようだ。
彼等は一体何をしているのか。
『祝 御成婚!』
『アンナリリアン様御結婚まであと六日!』
『御成婚おめでとうございます!』
大きな横断幕にタペストリー、それにポスターや看板にのぼり。
住民達は怖い顔をしながらせっせとそれらの設置に汗を流していた。
「せんちょー、せんちょー」
小声でエディンの脇腹を小突いたのは、船医助手のルイズだった。彼はメガネの奥の目を見開き、好奇心たっぷりな顔でエディンを見上げている。
「なんだよ」
「あの人達、なんであんな怖い顔でお祝いの準備をしているんでしょうか?」
ルイズの小声に倣って、エディンもヒソヒソとそれに答える。「目立つな」というアンナの忠告を守ってのことなのだろう。
その様子を残りの九人の船員達も、興味深そうに見つめている。
「……ルイズ、それは目的地に着いてから話そう。ここじゃ危険だ」
「そ、それもそうですよね」
すみません、と頭を下げるとルイズは身を小さくしてネスの後ろに隠れた。
「エディン、早く移動したほうがいいんじゃないの?」
一行の動きを不審に思ったのか、じろじろと視線を飛ばしてくる住民がちらほらと現れた。
「そうだな。声を掛けられでもしたら厄介だし、さっさと行くぞ」
船長の小さな号令に頷いた一行は、早足でその場を後にする──向かうのは眼前に佇む、あの大きな城だ。
城の周りは巨大な堀で囲まれていた。堀の内部は近くの川から引かれた水で満たされ、ゆらりゆらりと波打つ水面に映し出されるのは巨大な白い城、それに城の頂上ではためく漆黒の国旗。
「近くで見ると、迫力がすげえ……」
「ネスよ、お前そればっかりだな」
「だってエディン、凄いもんは凄いよ」
「まあ俺も初めて来たときは、そんな風だったが……」
口にしたネス達一行は現在、堀の外側から城へと続く石造りの幅広な橋を、恐る恐る渡っている。
橋を渡り終えた先は開けており、その更に先には渡ってきた橋と同じ幅の長い階段があった。それを登り終えるとようやく城に辿り着くらしい。
「エディン、来たことあるんだ!」
「ああ、二度だけな……ん?」
先頭を歩くエディンは「おぉー」というネスの感嘆の声に答えると、不意に足を止めた。
「ん、どうしたのエディン」
「いや……取り込み中のようだ」
「どういう意味?」
橋を渡り終えた一行の視線の先──階段の足元にいるのは、三人の人物。
年不相応な濃紺のスーツを着た三、四歳くらいの男児は、父親と思しき男と同じ美しい髪色をしている。もう一人は女で、ローズダストカラーの長い髪を、ふんわりと横結びにしている。彼女が身に付けているのは膝下丈のワンピースで、デザインは男児の身に付けているスーツと揃いのようだ。
「あれは──」
ネスは「城の入口にサーシャがいる」というアンナの言葉を思い出す。
(ということは……あの人がシナブルの奥さん? あの耳、エルフなのか? でも髪が……)
嬉しそうにはしゃぎ回る男児の父親と思しき人物──あれはノルの町でネスが世話になった、アンナの臣下シナブル・グランヴィだ。彼は息子の両脇に手を差し込み体を抱えると、高々とその小さな体をぐっと、空に向かって掲げた。
ネスがいつの日か見た、あの柔らかで優しい笑みを湛えて──
「わあい!」
たかいたかいに嬉しそうに声を上げる男児。そのまましばらくシナブルに抱っこされていたが、女──サーシャが彼に歩み寄り何かを口にしたところで、彼は息子を優しく地面に下ろした。
(流石に遠すぎて、何を話しているか聞こえな────あれ?)
「エルディア、母様は父様とお話があるんだけど、いいかしら」
「うんっ!」
(────おかしいな、聞こえる。ひょっとしてライル族の血……聴覚が成長したのか?)
息子──エルディアに視線を合わせて屈んでいたサーシャが立ち上がったところで、エディンがネスの耳元で「聞こえるのか?」と囁いた。
ネスは三人の親子から視線を逸らさないまま、黙って大きく頷いた。
「どうした、サーシャ」
「あのね」
ふふっ、と優しく微笑んだサーシャはシナブルの手を取ると、それを自分の腹に添えて「二人目」と言って夫の瞳を覗き込んだ。
「ふたり……め?」
「ええ」
「……そうか……そうか!」
妻の手をそっと解くとシナブルは彼女を抱き寄せた。耳元で何かを囁きあっているが、流石にネスにはそこまで聞こえない。
「ん? エディン?」
しかしエディンにはそれが聞こえているのか、彼は顔を赤くして恥ずかしそうに目を伏せた。
──と。
ふっ、と一瞬だけ二人の体が離れたかと思ったのも束の間、シナブルはサーシャの肩を掴み、唇を優しく塞いだ。
「あ……」
話をほぼ全て聞いていたネスとエディン。それに話が全く聞こえていなかったミリュベル海賊団の船員十人。
十二人の漏らした声は綺麗に重なり、全員が目の前の光景に顔を赤くした。
「長い……」
その熱い光景を見ていた率直なネスの感想が、その場の空気を弛緩させた。それと同時に、シナブルとサーシャの唇は離れた。
額と額をくっつけてにこやかな表情の二人は、そこでようやく異変──否、自分達に注がれる視線に気が付いた。
「あ……ああああ……」
「や、シナブル……」
ぱっと頬を染めたサーシャに対し、一瞬で耳まで真っ赤になったシナブル。頭の上から湯気が立ってもおかしくないくらい赤い。
「ああああ……ネ……ネス様! それにエディン様!」
絶叫し、頭を抱えてその場に屈み込んでしまうシナブル。
「邪魔しちゃってごめんね」
「邪魔だなんて、ネス様……そんなっ……いや、違う違う…………ああああ……恥ずかしい……俺はなんということを……!」
「まあ、そういう反応になるよね」
絶叫するシナブルの声と、冷やかす船員達の声、それに楽しそうにはしゃぐエルディアの声がしばらくの間絶えることがなかったのは、言うまでもない。
サーシャの懐妊については、27話でエリックがアンナに話をしています。しかし五年もの間、まともに帰国していなかったアンナは、エルディアの存在すら知りません(登場人物紹介のシナブルの欄参照)。数話後で、シナブルはアンナに怒られます。




