67.5話 nightmare
前話(67話)を投稿直後に前書きを加筆しました。お読みになっていない方は、是非お読みください。
「──さま、──ック様。聞いておられますか」
──なんだ?
「エリック様、エリック様。聞いておられますか」
「ああ、悪い。聞いてる」
俺の目の前には、鈍い銀色の簡素な甲冑を身に付けた伝令役の男が一人、膝を付いて頭を下げていた。
隣にいるのはそう──
「どうしたのエリック、こんな時にぼうっとして」
「──ティファラ」
ああ、君は死んだはずなのに、どうして俺の隣にいるんだ。
その妖艶な瞳をこちらに向けて──君は──
そうか、これは夢なんだ。
二十年前の、悪夢なんだ。
大切な彼女を失ったあの日の、夢。
そう思うと、自然と体は楽になった。
俺はこの悪夢に身を任せることにした。
きっと結末を見なければ、覚めない夢なのだからと。
*
「エリック様、エリック様。聞いておられますか」
「なんだ」
エリックの目の前には、鈍い銀色の簡素な甲冑を身に付けた伝令役の男が一人、膝を付いて頭を下げていた。
「ペダーシャルス王国、全滅にございます」
「全滅だと? どういうことだ」
エリックの口から、吸いかけの煙草がぽとりと落下した。
情報としてはあまりにも言葉が少なすぎる。城内の兵士達が全滅したのか、王家の者が全滅したのか──それとも、民が全滅したのか。
銀兜の隙間から一筋の汗を流しながら、伝令役の男は続ける。
「言葉通りでございます。城は陥落し、内部にいたものは皆首をはねられ……生存者はおりません。僅かに残っていた見張りの兵士たちも、同様に……国民も皆、焼き殺されておりました」
(全部かよ……)
「くそっ! なんなんだ一体! ふざけやがって!」
ペダーシャルス王国はエリック・P・ローランドの母国だ。現在彼は隣国のマリカ王国の城塞に陣取り、高所から戦況を見つめている。
何故彼が隣国の城塞にいるのか。
遡ること一週間前。ペダーシャルス王国の真東の隣国ファイアランス王国から、マリカ王国へ宣戦布告の書状が届いた。
『一週間後に攻め入る所存』
書き記されていたのは、それだけだった。文末にファイアランス王国国王エドヴァルド・F・グランヴィの直筆の署名があった。
『最近ファイアランスがよく使う手法ですね。隣国にこうやって書状を送っては、その国を滅ぼし、領土を拡大しているようです』
マリカ王国第一王女ティファラ・M・ラーズは、父である国王に、そう進言した。
『一週間で戦支度をしろということか!』
国王は憤慨したが、そんな父を尻目にティファラは着々と戦支度を進めていった。
友好国である隣国ペダーシャルス王国に共闘を求めるよう進言したのも、娘のティファラである。戦場に出れば一騎当千の父だが、こういうことに関しては、少々頭が弱かった。
ペダーシャルス王国からの返答は、すぐに届いた。勿論、『喜んで力を貸そう』という分かりきったものだった。
ペダーシャルス王国の王子エリックと、マリカ王国の王女ティファラは、将来を約束された仲なのだ。当然と言えば当然の答えだった。
「──なに、あれ……」
エリックの隣にいる婚約者のティファラが、両手で口許を抑えながら言った。
「なんだ、どうしたティ──」
言いかけたエリックの目の前で、伝令役の男の首が突然飛んだ。眼下の雑然とする戦場から飛び出してきた、赤々と燃えたぎる一本の大槍が、男の首を射抜いたのだ。
「────っ!」
ごろんと転がる男の首の周りに、血溜まりが広がって行く。男の死体はエリックとティファラの靴を血色に変えた。
目を見開いて身構えてはいるが、ティファラは動揺することなく、腰の刀に手を添えた。王女と言っても彼女は戦士。戦えと言われれば、喜んで戦場に立つ女なのだ。
それはエリックも同様だった。虐殺王子と呼ばれる彼は、ティファラ以上に喜んで戦場に立つ男だ。
「降りるぞティファラ」
「戦場に?」
「そうだ、見てみろ」
眼下の戦場をエリックは指差した。砂埃ではっきりとその姿を捉えることは出来ないが、何者かが猛スピードで兵士達を斬り殺す光景が見てとれた。
「敵……何人かしら」
「わからねえが、あれはどう見ても少人数だ。行くぞ」
*
「なんだ、こりゃあ……」
二人が城塞から戦場に降り立ったときにはすでに、その場に味方は誰一人としていなかった。
全員、息絶えていた。
首のない死体、真っ黒に焼け焦げた死体、四肢をなくした死体──
「酷い……こんな殺し方をしなくても……」
自国の兵の哀れな姿に、ティファラは目を潤ませた。
「気を抜くなよ、ティファラ」
「分かっているわ」
涙を拭い、ティファラは腰の刀に手を掛ける。エリックも同様に腰の刀に手を沿え、警戒体勢を取っている。
「誰か、いる」
強い風が吹き砂埃を拐っていくと、その中から二人の人影が姿を現した。
一人は女だった。肩の上で乱雑に切られた血色の髪。闇のように黒い、オールインワンのライダースーツ。丈が短く袖無しのその服は、長い手足を誇示しているかのようだ。そんな彼女の右二の腕には、三枚羽の片翼を象った目を引くデザインの刺青が彫られている。派手な色のゴーグルのようなサングラスを着けているせいで、全く表情が伺えない。
そんな女の三歩後ろを、戦場に不似合いな色気の漂う男が静静と着いてくる。
濃紺のスーツ姿の男は、二十代中ほどに見える。少し伸ばしたブロンドカラーの髪が、風に揺れて眩しい。その顔立ちはなんとも端正であったが、彼の頬についた血痕が、その美しさを台無しにしていた。
二人の手には、それぞれ刃の部分が血塗れの刀が握られている。
「なんだお前ら。今頃やって来て、遅いんじゃねーのか?」
血色の女が足を止めて言い放った。
「お前は……戦姫か」
「だったらなんだ」
エリックの問いに、戦姫と呼ばれた女はぶっきらぼうに答えた。
「アンナリリアン・F・グランヴィ……お前が、やったのか」
「だったらなんだ」
「許さないぞお前ら……」
絞り出した声を投げつけ、エリックはアンナリリアンを睨んだ。
「許してくれなくても構わねーよ。ていうか、お前の母国を潰したのはあたしらじゃねーしな。うちの──と、来たな。遅いぞシナブル」
色気男と同じスーツ姿の男だ。彼もやたらと髪色が綺麗だ。オールバックにした額には、渇いた血がこびりついていた。
「申し訳ありません」
「何やってたんだ」
「少々事後処理に時間を取られまして」
「ふん……そうか、なら構わない」
アンナリリアンは左肩の上で、刀の峰側をトントンと弾ませている。それに飽きたのか、最後に大きく弾ませると、ヒュッと空を切り、その切っ先を足元に向けた。
「さっさと済ませようぜ、エリック・P・ローランド、それにティファラ・M・ラーズ。お前らは生け捕りにしろと父上から言われてる」
「生け捕りだと? なんのために」
「んなもんあたしが知るか。さっさと──」
と──アンナリリアンが言い掛けたところで、抜刀し瞬時に彼女の懐に踏み込んだエリックの刀の切っ先が、彼女のサングラスを下からすくい取った。
ルビー色のそれはくるくると宙を舞う。
「────っ!!」
エリックの一撃を軽く上半身を後ろに引いて躱したアンナリリアンは、そのままの体勢で右足を振り上げる。彼女のブーツの爪先が、エリックの鼻先を掠めた。下から刀を振り上げたエリックの上半身は、未だにがら空きだ。
振り上げた右足を捩り、体を左に回転させたアンナリリアンは、今度は地に着いたその右足を軸に、左足の上段蹴りをエリックの頭目掛けて撃ち込んだ。
「くっ──!」
受けきれず、反動で一瞬よろけたエリックの左頬に、間髪を入れずアンナリリアンの右拳が飛んでくる。
「──ッち」
「こいつ……」
なんとか踏みとどまったエリックは、交差させた両腕でその攻撃を防いだ。
そこでようやくサングラスが地面に着地した。
「虐殺王子って聞いてたから期待してたんだが、大したことなさそうだな」
悠々とサングラスを拾い上げながら、アンナリリアンは言った。
エリックの両腕は、まだじんじんと痺れている。
「この野郎……」
「文句を言われる筋合いはねーよ。先に仕掛けてきたのはそっちだろうが」
拾い上げたサングラスを掛けたアンナリリアンの表情は、またしても見えなくなる。束の間だけ露になった彼女の瞳は血のように赤黒く、見たものを射抜いてしまいそうなほど鋭いものだった。
「お前、そんなに綺麗な顔をしているのに、そういう言葉使いをするのはやめた方がいいぞ」
「ちょっとエリック、こんな時に何を言っているのよ」
エリックの後方で押し黙っていたティファラが、唐突に声を上げた。嫉妬をしている風ではなく、ひどく驚たがために思わず言葉が漏れてしまったようだ。
「あの女を挑発しているの?」
「どうだろうな」
首を少し後方に傾げ、ティファラを見やるエリック。呆れたティファラは短く息を吐いた。
「──なめてんのか、てめえ」
言葉を切ると同時に、アンナリリアンの足下から発せられた波のようにうねる火の神力によって、青々と生い茂っていた背丈の低い草原は、一面、一気に焼け野原になった。
「──姫」
「なんだフォード」
フォードと呼ばれた色気男は、主を諭すように続ける。
「挑発に乗ってはいけません」
「わかってるって」
「加勢致しますか?」
「いらん。フォード、シナブル──お前達、絶対に手を出すなよ」
「しかし──」
「黙れ。下がれ」
「──はい」
アンナリリアンの命令を渋々受け入れたフォードは、不満げな顔のまま後退し、シナブルと呼ばれた臣下と肩を並べた。
「ふん──こんな奴等を生け捕りにしろだなんて、父上は一体何を考えているんだか」
言いながらアンナリリアンは、刀を左手から右手へと持ち変えた。真紅の柄を握り締めた彼女は左足をじりり、と後退させ姿勢を低くし、刀を腰の中程で構えた。
「今からお前達を半殺しにして、ファイアランスに連れ帰る。死なない程度に斬るから覚悟しておけ」
「何言ってるのよ。こっちは二人、あなたは臣下抜きの一人で戦うのでしょう? あなたこそ私たちをなめてもらっては困るわ」
艶やかな髪色と同色の、サンシャインイエローのドレスを翻しながらティファラは言う。装飾品も多く戦いに不向きな服装に見えるが、そんなことは彼女にとって関係ないのだ。
腰に巻いたアクアグリーンの幅広な帯を軽く押さえ、ティファラは左腰に差した刀をゆっくりと抜いた。
「そうだな。死なない程度に斬ると言われて、黙っている訳にはいかないしな!」
言い終えると同時に抜刀したエリックは地面を蹴った。アンナリリアンとの距離が一瞬にして縮まる。
そんなエリックの行動を予測していたのか、戦闘体勢を取っていたアンナリリアンも、すぐさま前方に飛び出す。
低い姿勢のままの二人が衝突する刹那、エリックは刀を下から振り上げる。
ヒュッ──と刃が空を切る音を聞き終えぬ間に、身を右側に捩りその攻撃を回避したアンナリリアンの左拳が、エリックの鳩尾に直撃する。
「──がっ!」
一瞬宙に浮いたエリックの後頭部を、今度はアンナリリアンの肘打ちが襲う。
「──くッ──そ!」
ぐにゃりと歪む視界、揺すぶられる脳。それをものともせず、エリックは刀を左手に持ち替え、身を翻す。そして己の体が地に着く直前、アンナリリアンの左脇腹を切り裂いた。
しかし、浅かったその傷は致命傷にはならない。
エリックの攻撃など、まるで受けていないような動きをするアンナリリアンは、再び地を蹴り、照準をティファラに合わせる。
アンナリリアンの唇が、恐ろしい程歪んでいる。
「ティファラ!」
遠退くアンナリリアンの背を追いながら、エリックは叫んだ。
20年前の出来事です。
この頃のアンナは22年前の第一次アブヤドゥ・ブンニー戦争時、シムノン(ネスの父)には出会っておりますが、まだミカエルには出会っておりません。
設定集にその辺の年表載せましょうかね……。




