第四十九話 俺が海賊になる前の話
エディンの独り語りです。
──レイシャ。
その名前を人の口から聞いたのは何年ぶりだろう。
彼女はいつも俺の中にいた。俺の中であの鋭い目元を綻ばせて、笑っていた。
離れていても心はずっと傍にあった。
俺の中の一番古い彼女の記憶は、まだほんの子供の頃。俺よりも一つ年上の彼女は、少年のようにやんちゃで、年齢を重ねるごとにたくましく、そして彼女の母のように美しくなった。
レイシャの鋭い目元は今のレスカにそっくりだ。だから二年前、海の真ん中でレスカを見つけた時、俺はすぐに理解した。あの小娘がこんなに立派になったのかって。
俺の一家が訳あって里を追われた時、レイシャはこっそり俺について来た。俺はそれがとても嬉しかった。本当に、心の底から。
だから彼女が父親のランディルに村へ連れ帰られるまでの一年間は、俺の人生で一番温かで幸せな時間だった。
レイシャを失った俺は、是が非でも彼女を取り返そうと必死になった。力を身に付ければ、族長であるランディルに認めてもらえると信じて──いや、違うな──ランディルを殺してでも彼女を奪い返えしてやろうと誓って、俺は随一の実力を誇るファイアランス軍に入隊した。
考えた末の決断だった。なんせファイアランス軍はあの世界屈指の殺し屋一族──グランヴィ家の治める巨大国家に属する軍隊だ。敵国が攻め混んでくることもしばしば。軍人も国民も、力無き者はあっという間に命を落とす──悪名高い独裁国家。
そんな国で俺は、ファイアランス王国の王女アンナ・F・グランヴィに出会った。アンナの冷ややかな眼差しは、レイシャが人を斬る時のそれにそっくりで、俺は幾度となく彼女に目を奪われた。奇妙な縁で彼女と親しくなるまで俺は──きっとレイシャとアンナを重ねて見ていた。
俺が軍に入って数年が経った頃、レイシャの父ランディルが戦争であっけなく散った。その上、長男のラジュールまで死んだ。そのせいで長女だったレイシャが跡を継いでライルの族長になった。
俺は絶望した。族長を一族から引き離すことなど出来るはずもない。俺とレイシャの運命の糸は、そこで途切れてしまった──。
*
「どうして俺にこんな話を?」
誰にも邪魔されない完璧な星空の下で、ネスとエディンは並んで佇んでいた。
シュルシュルという飛行盤の動作音のせいで、声を張り上げなければ会話が成り立たない。
リヴェは再び眠りに落ち、レスカは一時間前から入浴中だ。
あの後目を覚ましたリュードはというと、可愛らしい声を上げながら、甲板をどたばたと走り回っていたが、暫くすると疲れてしまったのか、急に眠ってしまった。
リヴェの話によると、数日前に発生した大地震。震源に近い「ライランデ」にいたリヴェとリュードは、その時の混乱に流されて見知らぬ海賊船に乗り込んでしまったらしい。
「捕まって売り飛ばされそうになったから、全員殺したんだよ」
幼子の口からそんな言葉が出たことにネスは驚いたが、仕方のないことなのかもしれないと思った。その後のレスカの説明によると、希少種であるライル族は、戦争の道具として高値で売買されることが多いとのことだった──なんとも悲しい話だった。
「誰にも話したことなんてなかった……何故だろうな、レイシャが死んだと聞いて、取り乱してしまったのかもしれないな、俺は」
右手首のさらしをほどいて、エディンはそこに彫られたライル族の刺青をまじまじと見つめていた。それに並んで大きな傷跡が一つあり、エディンはそれを撫でると笑いながらネスを見た。
「いい年をして大人げないな……俺は。過去から抜け出せていない。レイシャのことは忘れたつもりでいたのに」
さらしを巻き直しながら、エディンは俯いた。
ネスは、エディンとアンナが何処と無く似ているような気がしてならなかった。二人とも過去に失った大切な人を忘れられない。
それは悪いことなのだろうか。無理に忘れなければならないのだろうか。
ネスがそう言うとエディンは目を細めて呟いた。
「忘れることと、抜け出すことは違うんだ。過去という沼から抜け出せない限り、俺達は人として成長出来ない。それは辛く苦しいことなんだ」
腕全体を使い、エディンは大きく刀を振るい鞘に収めた。
「エディン……聞いてもいいかな」
「質問によるな」
「……」
ネスがへの字に口をつぐむと、エディンがゆっくりと笑った。
「冗談だ、なんだ?」
エディンの笑いがおさまるのを待って、ネスは聞いた。
「……どうしてエディンの家族は里を追われたの?」
ネスが聞いた瞬間、エディンは自嘲するかのように小さく息を吐いた。
「戦いの中で死ぬことこそ美徳──ライル族の信念だ」
「……戦闘民族らしいね」
「そうかな。俺にはくだらない戯れ言のように聞こえる」
「……」
「生き抜いてこそ、次の戦いに臨める。戦ってこその戦闘民族だ。死んでしまったら何にもならないだろう」
「その考えが、一族を……里を追われた理由?」
恐る恐るネスが聞くと、エディンは驚いたようにネスを見た。
「アンナの言っていた通り、お前は勘の良い奴みたいだな」
ブエノレスパに向かう途中、エディンとアンナが仲睦まじげに会話をする姿をネスは思い出していた。その姿を見て、ウェスがひどく嫉妬していたことも思い出して、ネスはくすりと笑った。
「ライル族には五つの家がある。ユマ家、ラハ家、リア家、ローズ家、そしてルーラン家。代々族長を務めているのがレスカの家系、ユマ家だ。始めの三つの家は血の気の多い奴等ばかりで、皆早死にしていった……だが俺の家──ルーラン家は違った。攻撃よりも防御に徹する俺達は、長く生きるものが多かった……」
守ることは攻めるよりも難しい。ネスは数少ない実戦の中でそれを痛感していた。
「それなら、一対一で戦ったら、他の家の人達よりも、ルーラン家の人達の方が強いんじゃないの?」
「……その通りだ。事実、そうだったしな。だから他の家の者達は余計にルーラン家の奴を疎むようになったんだ──そして、あの戦が起こった」
「あの戦って?」
「オリゾン海戦」
「……ああ」
歴史に残る大海戦。フロラ大陸とネージュ大陸の間に広がる縦長の大海原で起こったその海戦は、半月という短い期間で数万人が犠牲になったという。
「ライル族も大勢参戦してな。多くの者が傷付き、死人も出た……そしてその傷も癒えぬ間に、里は襲撃にあったんだ」
「襲撃? いったい誰に?」
「わからん。でも確かなのは、二人組で、地の神力と火の神力の使い手だったということだけだ」
「じゃあ片方はティリスかエルフってこと?」
「そうなるな」
火の神力の使い手と聞いてネスの頭に真っ先に浮かんできたのは、恐ろしいアンナのあの目だった。まさか。アンナがそんなことをするはすがないだろう──いくら殺し屋といえど、彼女が加害者なら、今エディンと関わりを持つだろうか。
「地の神力って、どんな人が使うんだ?」
そんなくだらない考えを振り払うように、ネスはエディンに聞いた。
「神に選ばれし者」
「神に選ばれし者ぉ? なんだそれ」
「馬鹿馬鹿しいと思うだろ? 俺もそう思う。でも実際にそうなんだと。突然変異ってやつみたいだ」
「ふうん……」
「有名な奴じゃ、騎士団長のカクノシン・カキツバタが地の神力を使うらしい」
「カクノシン・カキツバタ?」
変わった名前だなとネスは首を捻った。
「あいつは強いぞ──っと、悪い、話が逸れたな……その襲撃事件でも一族はかなり滅びた。オリゾン海戦よりも死者は多く、半数以上が死んだんだ」
「そんなに……」
ライル族は過去に二度滅ぼされそうになったことがあると、レスカが言っていた。この襲撃が一度目だというのか──。
「ルーラン家の者は全員生き残ってな……他の家の者から後ろ指を差され、里から追い出されたんだ」
「そんな酷いことが……」
「仕方がないよな。生き残るために戦うこと──ルーラン家の信念は他の家の奴等には理解されなかった。だから追い出された」
「……」
「俺は……ライル族は滅びてしまってもいいと考えている」
「え……?」
驚くネスを置いてきぼりにしてエディンは続ける。
「自分達が最強だ──だから死なないという驕り。敗戦してみっともなく生き残るくらいなら戦いの中で死ねだなんて、くだらない」
エディンは腹の中の黒いものを吐き出すように、言葉を止めようとしない。
「命を大切にしろということが愚かだと唱える奴等なんて、滅びてしまっていいんだ──だから……だから俺は……死んでもレスカに、自分がライル族だなんて言えないんだ。子孫を残すことが使命だなんて、俺とあいつでは進む方向が真逆なんだ」
エディンはきっと、これからもずっと髪を染め、瞳の色を偽り、一族の証を隠して──レスカを──愛した女の妹を守り続けて生きていくのだろう。
(────重い)
「俺には到底真似できないよ、エディン……辛くないの」
「辛くはない。理解ある仲間と一緒だ」
「そう……」
エディンは手の中で雷をバチバチと鳴らしながら最後に一言、自分に言い聞かせるように呟いた。
「俺があいつの前で神力を使うことがあるとするなら──俺かあいつのどちらかが死ぬ時だ」
さてと、と伸びをするとエディンは抜刀してそれをネスに向けた。
「早くしないとレスカが風呂から上がってくるぞ」
にやりと口元を歪めたエディンは、刀に神力を纏わせながら言った。
「今日はこれでやってみよう」
「ああ!」
ネスもエディンに倣って浅葱に神力を纏わせ、構えた。
レスカの入浴時間が終わる五分前を告げる合図が船の甲板から出るまで、二人はみっちりと修行に励んだのだった。
カクノシン・カキツバタは四十二話で、ティファラが話をしていた長く黒い髪の騎士団長です。騎士団長たちはもう少し後で、まとめて沢山出す…予定です。会議のシーンを書きたいので。




