第四十三話 愛の形
「それでそれで! その後どうなったの?」
ここは儀式の塔に続く手前の大広間。その更に手前にある、扉の付いていない狭い部屋──破壊者達の従者の為に用意された待合室。
瑠璃色の瞳を輝かせながら、目の前の青年に詰め寄った少女の名はレスカ・ライル・ユマ──十五歳になったばかりの純血のライル族。戦闘狂の彼女の趣味は、ぬいぐるみ収集と武勇伝の傾聴。
彼女は強者の武勇伝を好み、機会があれば情報屋に金を払ってまで様々な逸話をかき集めていた。
「まあまあ、そんなに急かさないで」
そんなレスカに詰め寄られているこの青年。濃灰のスーツに、同系色のベスト姿。それに少しだけ首元の緩められたネクタイ。彼が微笑んで首を傾げると、左耳に着けた金色の二連ピアスがしゃらん、と揺れた。
(それにしても時間がかかっているな……)
彼は壁に掛けられた時計を見た。自分がここに到着してかれこれ三十分になる。レスカ達はこの部屋に来てから三十分以上は経ったと言っていたから、儀式が始まって一時間は経っているということになる。
(通常なら二十分もあれば終了する儀式なのに……何かあったのか)
時計を見つめたまま口を閉ざした彼の名はエリック・ローランド。仕事を早めに片付けた彼は、アンナに会うためにここ、ブエノレスパに足を運んでいた。
「エリックさん、どうかしたの?」
レスカのつり上がった大きな目が、エリックの瞳を下から覗き込んだ。
「いや、どうもしないよ──」
柔らかく微笑んだエリックは、レスカに急かされて話の締めに入った。
「それで……総勢十六人の騎士団長を殺した俺達は、ここらが潮時かと思ってね」
「それでそれで?」
「アンナは『騎士団長を全員殺さないと気が済まない』と言っていたが、父に諭されてね──後日、ある条件を持ってベルフラワー団長のもとを訪ねた」
「ある条件って?」
「それは国家機密だから、いくら金を積まれても話せないんだ」
「えー、そんなのつまんないっ!」
頬を膨らませたレスカは、エリックの両手を握りしめて、不満げにブンブンと振り回す。困り顔のエリックは、眉を下げて微笑むことしか出来なかった。
「十一年前、闇に葬られたっていうあの『騎士団壊滅事件』の当事者から話を聴けたっていうだけでも嬉しいんだけど、肝心のオチを教えてくれないなんて、つまんない! ねえ、ウェズも何か言ってよ!」
「え、お……俺?」
ウェズが動揺したのは、話の矛先が急に自分に向けられたからではない──二人が話している「騎士団壊滅事件」。それが起こった直接の原因が自分にあったなんて、口が裂けても言えないと内心怯えていたからだった。
(十年近く前の話っつってもアンナさんに口止めされてるからなぁ……エディンも誰にも話してねぇみたいだし、俺も黙ってねぇとアンナさんに殺される──それにしても)
と、ウェズはちらりとエリックを見る。事件当時、ウェズはエリックと顔を合わせることはなかった。この人が自分のためにアンナと共に戦ってくれた恩人──
(礼を言いたいけど、レスカの前じゃ無理だよな……というか、この人はアンナさんとどういう関係なんだ? 従者って感じじゃねぇしな)
「最後まで話せなくて、すまないね」
そう言ってエリックは、レスカの頭に優しく触れた。それと同時にレスカの頬が紅潮した。
「なっ……てめぇ! レスカになにしやがる!」
勢いよく立ち上がったウェズは、レスカの両脇を抱え込むと、彼女をエリックから引き離した。驚いたレスカは、飛び上がって背後のウェズを睨み付ける。
「何すんのよ! ウェズの変態!」
「ぶっへ!」
そして振り返ったレスカの小さな体から、強烈な平手打ちがウェズの頬に炸裂した。
「痛ってぇ! なんだよレスカ!」
「あんたが変なトコ触るからでしょ!」
「触ってねぇよ! お前の貧相な体になんて興味ねぇし!」
「なんですってー!」
鼻先を突き合わせていがみ合った二人を見て、エリックはくすりと笑った。
「仲がいいねえ、お二人さん」
「「よくないですっ!」」
レスカとウェズの声が重なった。エリックは、まるで昔の自分とアンナの姿を見ているようだと思った。
──と。
目と口を閉ざし、部屋の隅で大人しく眠っていた眼鏡を掛けた女──バネッサが、静かに腰を浮かせた。それを見て隣の栗色の髪の青年──ギルバートも立ち上がる。
「騒がしくしてすまなかったね」
立ち上がって頭を下げたエリックに、ギルバートは軽く会釈をすると、バネッサと共に部屋を出ていった。
「なんだあいつら急に」
「急でもないさ、ほら」
エリックが指差した方にウェズが視線を投げると、白みの強い透き通った金髪の女性が、腰まで伸ばしたその髪を揺らしながら去って行く背中が見えた。バネッサとギルバートがその後ろに続く。
「多分、風の破壊者だね」
「あの人は魔法使いなのかな?」
「そうだね──多分、後天的な魔法使いだと思うよ」
「後天的?」
「ああ」
魔法使いは二種類に分けられる。光輝く白髪を持つ、生まれた時から魔力を持っている先天的なタイプと、なにかの拍子に魔力に目覚める後天的なタイプだ。
「後天的な魔法使いは、魔力に目覚めると同時に髪の色が変わるらしいよ」
「へえ、エリックさん物知りだね」
「これでも一応情報屋だからね」
エリックが言うと、レスカの顔がほんのりと赤らんだ。
「あなたがライル族だったら、アタシ絶対あなたの子を産むのに、ティリスで残念だわ」
「へ?」
レスカはエリックの腕を掴むと、赤らんだ顔のまま彼に擦り寄ってその顔を見上げ、にんまりと微笑んだ。
「やめんか!」
そんなレスカの後頭部を叩いたのは、いつの間にか戻ってきていたエディンだった。
「いったーいっ! 何すんのよエディン!」
「お前はまたそんなことを言って、いい加減にしないか!」
「ふーんだ! エディンには関係ないでしょ!」
レスカはそっぽを向いて、その場から逃げるように部屋の外に出ていった。そんなレスカの態度に、エディンは溜息をつきながらエリックに頭を下げた。
「エリック、すまなかったな」
「構わないよ──それにしても久しいな、エディン」
エリックがエディンに会うのは、あの「騎士団壊滅事件」以来、十一年ぶりのことだった。
部屋を出て行ったレスカを横目で気にしながら、エディンが口を開く。
「なんだか変な感じだ。あの時、俺はお前より年下のガキだったのに、仮年齢で考えると今はお前の年を追い越しているなんて」
レスカに話の全てが聞こえると面倒な事になると感じたのか、エディンは少し小声で言った。
「エディン、今年でいくつになる?」
そんなエディンの視線を読み取ったのか、エリックも部屋の外を気にしながら小声で言った。
「二十八になる。エリック、お前は……」
「百二十四だな──仮年齢で言うと二十四ってとこかな……ところでエディン」とエリックは再び部屋の外を気にしながら口を開く。
「アンナとネス君の姿が見えないが──」
その言葉を聞いてエディンの表情が曇った。傍にいたウェズが部屋から出て、大広間から階段にかけて見渡すも、エリックの待つ二人の姿はなかった。
「ネスは翁の所で書類記入をしていて少し遅くなる」
「……アンナは?」
ズボンのポケットに手を突っ込み、取り出した煙草に火をつけたエリックは、目を細めてエディンを見た。
「それがな……」
そんなエリックの視線から逃れるように、エディンは事の経緯を話始めた。
*
「御屋形様、よろしかったのですか?」
ギルバートは城門が見えていたところで口を開いた。
「何が?」
彼の前を行くティファラは振り向きもせず、周りの騒動に気を取られることもなく言った。
「エリック・ローランド様のことです」
城門の周りは血塗れの騎士団員達で、ごった返していた。レンがここから立ち去る際、それを止めようと剣を抜いた多くの団員が、彼の攻撃を浴び傷付いていた。
「ギルバート、何が言いたいの」
突き刺すようなティファラの冷たい声に、ギルバートは一瞬たじろいだ。口をつぐみ、隣のバネッサに救いの視線を投げるも、彼女は口を一文字に結んだままギルバートのことなど見向きもしない。
「ふふ、少し誂っただけよ」
「申し訳ありません……」
「帰ったら遊んであげるから、そんな顔しないで」首だけで振り返ったティファラは、仮面の奥の目を細めて言った。
「大丈夫よ。あの人は私が生きていると知ったら、必ず私の元に来てくれるわ」
自信に満ちたティファラの言葉に、バネッサは大きく頷いたが、ギルバートは不安でならなかった。しかし彼がその不安を口にすることはなかった。
*
エリックの手の中にあった煙草の灰が、床にぽとりと落ちた。
「──なんだって?」
その煙草を握り潰して燃やし尽くすと、エリックは新しいものに火をつけようと、再びポケットに手を突っ込んだ。しかし、箱ごと取り出したかけたところで、いつの間にか部屋に入って来ていたレスカと目が合うと、その手を引っ込めた。
いつ、レスカとウェズが部屋に入ってきたのか気が付かなかった。それほどにエリックは動揺していた。
「アンナが兄上を追って……それにティファラが生きているだって?」
エリックの言葉にエディンは静かに頷いた。
「エリック、俺はアンナの『事情』に関しては、あいつから復讐としか聞いていないし、それ以上深入りするつもりもない──でもな」 エディンは言葉を選びながら、「ティファラ・マリカ・ラーズに関しては、全く知らないんだ」と言った。
「何者なんだ、あいつは? 生きているって、どういう意味なんだ」
ティリスという種族は、必要以上に自分のことを多く語らない。自己の経験からそれを知っているエディンは、エリックが言葉を止めたのを見て、察した。
(──話したくないってか)
アンナもそうだったが、ティリスというのは本当に、どうしてこう人との間に壁を作りたがるのだろう。これ以上近寄るなとはね除けられる、こっちの身にもなってほしいというものだ。
「アンナさん、怪我大丈夫かな」
「あんまり大丈夫とは言えねェだろ」
状況を上手く飲み込めないレスカと、なんとなく状況を理解したウェズが、心配そうな声で呟いた。
「怪我をしてるのか、アンナは」
「……ああ」
「──ったく、ふざけるなよ」
どういう状況で負ったどんな怪我なのかエディンが説明をすると、珍しく悪態をついたエリックは、か細い声で彼の名を呼んだ。
「風の破壊者は本当にティファラ・マリカ・ラーズと名乗ったんだな?」
「ああ、間違いない。髪の長い、背の高い女だった」
「……そうか。さっきのあの女は、ティファラだったんだな」
大きく溜め息をつくとエリックは、部屋の外へ向かって歩き出した。
「エディン、ネス君を頼む。とりあえずファイアランスに向かってくれ。家の者には俺から連絡しておく」
部屋から出ていこうとするエリックに、慌ててエディンが声を掛ける。
「ちょっと待て、エリック。俺には事情がさっぱり分からん! 説明してくれないと、引き受けるに引き受けられない」
エディンの言葉に、エリックは振り向かないまま静かに答える。
「ティファラは……十九年前、俺の目の前で死んだ──恋人だったんだ」
「……死んだ?」
「ああ、死んだよ──どうして生きているんだろうな、エディン」
「お前に分からないことが、俺に分かるわけがないだろう」
「そうでもないだろ」
部屋から完全に出たことを確認して、エリックは煙草に火をつけた。大きく煙を吐き出すと、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「エリック、お前一体どこへ……」
エリックが煙を吐き出し終えたところで、その背中にエディンが声を掛けた。
「そんなの……そんなの決まっている──」
振り返らぬまま足を進めるエリックが向かうのは、愛しい愛しい彼女の元だ。奥歯を噛み締めた彼の歩調は、少しずつ早まっていった。
エリックはどこへ向かったんでしょうね…。




