第三十八話 殺し合う音
──いつまでこんなことを繰り返さなければならないのだろう。
先程からルークは、絶えず氷の刃の雨をネスに浴びせ続けている。ネスはその雨を鋭利な水の渦でかき消し隙を見て攻撃を入れているが、お互いの攻撃が全く当たらない。
「ネス、お前やる気はあるのか」
言ってルークは攻撃する手を止めた。彼が腕を垂直に戻すと、氷の粒が花びらのように舞った。
「兄さんを殺す気なんて、あるわけがないだろ」
本心だった。兄を許せないのなら殺せばいいとアンナに言われたが、そんなことが出来るはずもない。ルークはネスにとって、たった一人の兄なのだから。
「俺達、兄弟じゃないか。なんでこんなことをしなきゃならないんだ!」
「思想の違いだよ、ネス。兄弟かどうかなど、関係ない」
ルークの目を見るも、光を宿さない彼の瞳に圧倒されるネス。それとは対照的に、ルークは抜刀して間合いを詰め、ネスに斬りかかった。
「お前は俺のしたことを許せるのか。許せないから戦うんじゃないのか。現に、下を見てみろ」
ルークは船上で戦うアンナとレンを指差して言った。
「あの二人、本気で殺し合っているぞ」
目線を向けずとも、二人の殺し合う音は、ネスの耳に届いていた。
──刃と刃の衝突音。アンナの怒号。レンの薄ら笑い。
(……俺に、あんなことは出来ない)
血の繋がった兄に、あそこまで出来るはずがない。もしかすると、アンナも苦しんでいるのではないのだろうか。
大切な兄に、大切な家族たちを殺されて──それでも、必ず兄を殺すと言った彼女。
しかしそれはとても苦しそうに聞こえたのだ。
(……俺にはそう聞こえたんだ)
あの時のアンナは、どこか悲しそうでもあった。
「おい、ネス、聞いているのか」
何度目かの攻防の末、あろうことかルークは刀を鞘に戻した。ネスは兄の行動に驚きつつ口を開く。
「聞いているよ、兄さん。でもね、俺は賢者になりたいんだ……いいや、なるんだ。殺して解決しようなんて考えないよ」
父もきっと同じように考えるだろう。兄を説得して正しい道に連れ戻そうとするだろう──とネスは思った。
「そうか、実にお前らしいな」
ルークは納得したように一人頷くと、飛行盤に神力を注ぎ込み後退した。飛行盤の鋭利で薄い円盤が水渦を纏い、高速で回転する。
「お前が本気を出さないのに、俺だけ本気を出すのも、兄として恥ずかしいよな」
最後にルークはスッと鞘から刀を抜くと、飛行盤で一気に加速────そして全力でネスに向かって刃を振り下ろした。
キイイィン────と。
短い金属の衝突音。
「っ……!」
ネスはルークの攻撃を受けきった。
「それだけの力を身に付けておきながら、本気で俺と戦わないとはな」
どういうわけかルークは次の攻撃を仕掛けることもせず、刀を鞘に収めネスに背を向ける。
「……時間だ。次に会う時は、お前が本気を出せるよう策を用意しておく」
「な……っ! 兄さん!」
ネスの声は兄に届かない。兄は変わってしまっていたし、このままでは、それが何故なのかも分からないままになってしまう。
「待って! 兄さん!」
アグリーの背に乗りテーベとナルビーの遺体を回収したルークは、傷だらけの姿のレンと合流すると、目に見えない何かを避けるようにその場を去っていった。
「次に会う時って、一体いつなんだよ……兄さん……っ」
*
けたたましい悲鳴を上げながら、アグリー達が次々に姿を消してゆく。何かに飲み込まれるように、頭の先から、尾の先から、ゆっくりと。
「ブエノレスパの聖域に入ったか」
負傷した足を引き摺りながら、ウェズは頭上で消えゆくアグリー達の姿に見入っていた。その姿をじっと見つめ、彼は目を閉じた。
「ウェズ、どうなっている!」
怪我人を運びながら、ウェズの背後でエディンが叫んだ。怪我一つない彼を称賛しながらウェズは言葉を返す。
「ブエノレスパが近いってことだ。あの聖域の中にはアグリーなんて邪悪なものは入れねえんだよ」
だから無名の奴等も、退いたんじゃねえのか、とウェズは頭を掻いた。
「流石に詳しいな」
「まあな」
憧れのアンナが、刀を振るう姿を目に焼き付けておきたかったが、ウェズの実力ではこれほどのアグリーの相手をしながら、それをすることは不可能だった。
そんな彼女は戦いに決着が着いたのか、夜空へ飛び上がる男に向かって何か叫んでいた。血塗れのアンナは男の姿が見えなくなると、崩れるようにその場に座り込んだ。
「アンナ!」
ウェズがアンナに駆け寄るよりも先に、悪態をつき膝を殴り付ける彼女の腕を止めに入ったのは、血相を変えたネスだった。
「なにやってんだ! すごい怪我じゃないか!」
アンナの左肩の傷に気が付くと、ネスは目を丸くして掴んでいた腕を離した。
「このくらい平気よ」
そう言って立ち上がったアンナは、陽炎に付着した血を拭き取って鞘に収めた。
「あんたと浅葱、それに神石が無事でなによりだわ」
口では平静を装っていたが、眉間に皺を寄せたアンナは、声を掛けるのが躊躇われるほど悔しそうな顔をしていた。
「殺せなかった──追うことも出来なかった──くそっ!」
爪を立て握ったアンナの右拳から、血が滴り落ちた。
「自分に呆れるわ……全くくだらない、なにが最強、なにが戦姫よ! 兄上を殺さなきゃ、なんにもならないのに……」
視線を足元に、大きく溜め息をつくアンナの視界にネスは膝を曲げて入り込み、彼女の目を見つめた。肩を跳ね上がらせ驚いた彼女の手を掴むと、ネスは歯を見せて笑った。
「そんな暗い顔すんなよ」
俺はあなたに笑っていて欲しいって言っているだろ、とネスが照れながら言うと、アンナは少し頬を赤らめて鼻を鳴らし、ネスから目を逸らした。
黒いドレスなので、目を凝らさなければ分かりにくかったが、アンナの肩の傷からの出血量は相当のものだった。裂けたドレスは肩紐から腰にかけて夥しい量の血を吸い込んでいる。脇腹も斬られたのか──足にも擦過傷が目立つ。無傷なのは顔、それに右腕だけだった。
「怪我の手当てをするわ」
乱れた髪を右手で気にしながらアンナが言うと、周りの乗組員達が色めき立ち、傷だらけでの姿で鼻の下を伸ばしながら、ネスとアンナを取り囲んだ。どうやら皆アンナの手当てをしたいようで、誰が彼女の手当てをするかで揉め出した。
「こら! 何を揉めているの!」
声の主を皆が振り返ると、額から血を流し、左足に傷を負ったレスカが、月欠を杖代わりに、ふらふらとこちらへ寄ってきた。
「アンナさんはアタシが手当てをするわ」
「レスカ……」
アンナもレスカも、それに他の乗組員達も傷だらけになって戦ったのだ。
(俺は、怪我の一つもしていない……)
無傷であることが恥ずかしかった。ネスは、誰にも気付かれないように、そっと身を屈めて輪から抜けると、人気のない場所へと身を隠した。
乗組員達の話し声と戦勝歌が、ネスの背中をそっと撫でる。皆はその歌をほの白い朝霧が立ち込めるまで、絶えることなく歌い続けた。




