第三十五話 最悪との再会
「なんて殺し方をするんだ、あいつは……」
その光景を船上から見上げていたネスは、アンナの残忍な姿に言葉を失った。同時に緋鬼と呼ばれていた頃の彼女の──手配書の中の姿を思い出す。
「お前、知らないのか?」
「何が?」
「あいつら、改造型のアグリーだぞ。心臓を貫いて首を落とさないと、何度でも再生するんだ」
ネスの無知に驚き声を上げたウェズは、空中のアグリー背に乗った改造型の女アグリーを指差す。言い終えて気まずげにネスを見ると、彼は顔を青くしてダフニスが散った海を見つめていた。
「悪い、きょっとキツかったか?」
「いや……」
血の気が引くような事実だった。しかし、ネスが自ら踏み込んでしまったのはそういう世界だ。血を見るのが怖くて賢者になどなれるものか。
そう自分に言い聞かせてみるも、やはり吐き気が止まらない。おまけに手がぶるぶると震えている。それを隠そうと拳を握りしめるが、思うように力が入らなかった。
「ネス!」
「……アンナ」
空中のアンナが、声を張り上げネスを呼ぶ。パッと顔を上げると視線がぶつかり、安堵の息が漏れる。彼女の呼びかけのお陰で、少しだけ安心した自分が情けなかった。
「よーく、見ていなさいよ……」
素早く移動したアンナは敵対する二人の脇に回り込むと、夜空を埋め尽くす紅蓮の炎の波を一瞬で作り出した。炎の波のせいで明るくなった空から、星が見えなくなってしまった。アンナが何の合図をすることもなく、炎の波はまるで意志を持っているかのように蠢き、目にも止まらぬ速さで、空を埋め尽くすアグリーの大群を焼き尽くした。
「すげェ……あれがアンナさんの神力……」
降りしきる灰を物ともせず、身を乗り出し食いつくようにウェズはアンナを見つめていた。飛行盤で飛び上がったネスの視線に気が付くと、彼は照れ笑いを浮かべた。
「俺はエディンやレスカとは違ってフツーの人間だからな……神力なんてスゲェもん、使えねーからさ」
「ウェズ……」
「俺のことは気にすんな! 行ってこいよ!」
そう言って悲しそうに笑うウェズを置き去りにし、ネスは夜空は向かって飛び立った。
*
「ガミールからずっと尾行していたが……俺は正直、あんたと戦いたくないんだよ」
アンナと対峙する瞳の赤い男──近くで見るとまだ幼さの残る、少年という呼び方のほうが相応しい顔付きの彼は、心底憂鬱そうに言った。
「あんたの評判は聞いている。勝ち目がないと分かっている奴と戦いたくはない」
「そう言って油断させたいわけ?」
まだほんの少し幼さの残る彼の声。それに対しアンナは低い声でせせら笑う。
「あんた、名前は?」
「クロウ。クロウ・ドレイクだ」
「ふうん──ねえ、あんたのその目、血眼病でしょ。人を殺しすぎた者に神が与える罰だといわれる、光を失う病」
アンナ本人も過去に患っていたその恐ろしい病。こんな少年が罹るような病ではないはずだ。
(……この子は一体、どれだけの人を殺めてきたのだろうか)
この少年と同じ年の頃の自分を、アンナは思い出す。少しだけ重なる赤くて暗い瞳は、自分と同じように、絶望的なほどに光を宿していない。
「同情なんてしないけどね、治したいのなら──」
と、アンナが言いかけたところで、クロウは彼女に斬りかかった。アンナはその太刀を簡単に避けると、クロウを睨みつけ、舌を打った。
「俺はそんな話をしに来たんじゃねえんだよ」
「このガキ……」
「上の命令もあるけどな……お前は、俺の大事なエウロパを傷付けた」
「……エウロパ?」
「そうだ」
後ろに控えている菫色の髪の女を横目で見ながら、クロウは続ける。
「戦いたくないっていうのは本音だが、大事な物を傷つけられて、黙っていられるわけがねえ」
「ふうん……そう」
言い終えてアンナはクロウの乗るアグリーの背に易易と飛び移った。唐突な荷重に驚いたアグリーが唸り声を上げ、クロウはバランスを崩しよろめいてしまう。
「……こいつ!」
「何?」
クロウは懸命にアンナに刀を向けるも、彼女はその刃を軽々と全て避けた。クロウの顔から血の気が引いてゆく。
「お前たちはいつもそうだ! 人の大事な物を、平然と壊し、傷付けていく!」
「それが仕事だもの」
アンナはクロウの振り下ろした刀を、右手で──素手で捕まえると、いとも簡単に彼から刀を奪い取っり、それを海へと投げ捨てる。
「アマルの森だ! お前が傷付けたんだ!」
実力の差は歴然だった。アンナはクロウの頭に鋭い横蹴りを撃ち込んだ。まともにそれを受けた彼の体は、海面に向かって飛ばされる。
「クロウ様っ!」
クロウが着水する寸前、エウロパと呼ばれた女が彼の体を捕まえた。アグリーの背に引っ張り上げると、意識を失ったクロウの体をそっと抱き寄せた。
「ひょっしてあれじゃないか? アマルの森で炎の矢を射ただろ? それが彼女に当たって怪我をさせたとか」
ぎょっとしてアンナが振り返ると、そこには見事に飛行盤を使いこなすネスの姿があった。
「あんた、何をしに来たのよ」
「よく見てろって言われたから、近くで見ようと思って」
「……馬鹿なの?」
「痛い! 何で頭を殴るんだよ!」
「危ないでしょ! 何考えてんの!」
「うっせーよ! あんたは俺の母親かよ!」
「なっ……」
「母親かよ!」
「っ……連呼しないでよ、ばかっ……!」
消え入るようなアンナの声に、ネスはハッと息を呑む。彼女が母親という言葉に照れて、顔を赤くし目を逸らすのと、ネスが照れて目を逸らしたのは、ほぼ同時だった。
(そうだ、この人は生まれたばかりの俺を一時的に育ててくれた、母親──といっても過言ではない存在だった)
アンナが照れるのも無理はない。
「自分で言っといて、なに照れてんのよ」
まだ少し顔が赤いアンナは、海面付近でこちらを睨み付けたまま動かないエウロパに向かって、複数の炎の渦をお見舞いした。
「……っ! 戦姫め……!」
立ち上がったエウロパは抜刀し、その渦を斬り落としたが、最後の二つが彼女の腹に命中した。
「……終わったのか」
暗い海に飲み込まれまいともがくエウロパの姿を見つめながら、ネスは呟いた。同じ光景を見つめているが、アンナは口を開かなかった。彼女は眉間に皺を寄せ、海面が映し出す星空を眺めているようであった。
「終わりだ? これは始まりの合図、ちょっとした茶番だっての」
聞き覚えのない男の声が響いた。船上で歓声を上げていた乗組員達の動きが一斉に止まる。
皆、空を見上げた。ネスとアンナは声のする方を振り返った。
「全く、だらしがないな、クロウは」
飛行盤を使いこなす男が一人、夜空に佇んでいた。
見覚えのある顔付きだ。ネスの知っている彼女にそっくりな目元。長く、一纏めにした髪は、彼女の美しい色に比べるとくすんだ赤銅色で、それは夜風を受けてゆっくりと揺らめいていた。その姿だけで、彼が何者なのか見当がついた。
「会いたかったぞ、我が愛しい妹よ」
目を見開き、アンナが震えていた。ネスは声を掛けることができない。
「兄上……っ」
「まだ俺のことを兄と呼んでくれるのか」
そう言って、彼──アンナの兄、レンブランティウス・F・グランヴィは、彼女に向かって嬉しそうに両手を広げた。
レンブランティウス・F・グランヴィ。略称は、レン・F・グランヴィです。




