第三十四話 戦の始まり
なんの前触れもなく、闇夜は突然災いを連れてくる。
船がアリュウを出航して二日目。初めての航海に興奮が冷めやらないネスは、ウェズに案内を頼み終日船内を見て回った。有り難いことに、レスカはまだ皿洗いの刑から解放されておらず、ネスは彼女に襲われる心配をすることなく、船内見学を楽しむことができた。
日の高い時間、アンナの姿を見ることはなかった。ネスが彼女を見つけたのは、その日の夜、再び宴会が始まった数時間後だった。
今日のアンナは胸元の開いた、凝ったデザインのミニドレス姿だった。彼女はいつも黒い服しか身に付けない。理由は──聞いたら教えてくれるだろうか。
そんな彼女は、ネスとウェズがいる部屋の隣のテラスで、エディンと酒を飲んでいた。細いグラスに入った金色の液体に、ちびちびと口をつけながら仲睦まじげに会話をしてる。整った顔立ちの二人が談笑する様は、なかなか絵になっていた。
「なあ……うちの船長とアンナさん、デキてると思うか?」
急に何を言い出すのかとネスが顔を上げれば、その光景をぼんやりと眺めるウェズの姿。羨ましそうに二人を直視し、口は半開きになっている。
「まさか。アンナには婚約者がいるんだ、そんなわけ──」
「婚約者っ?!」
ウェズは持っていたグラスを、テーブルに叩きつけながら叫んだ。グラスの中身が激しく揺れ、テーブルをわずかに濡らす。
「……知らなかったのか」
「知らねえよっ! くそ、誰だよ! 羨ましいなぁ、おいっ!」
アンナとエディンが鬱陶しそうにこちらを見ている。目を閉じたアンナは溜息を一つつき、適当に首を縦に振った。話してもいい、という合図なのだろう。
なぁなぁ、と詰め寄るウェズに戸惑いながら、ネスはもう一度アンナを見た。体調は良さそうだったが何だろう、いつもの彼女じゃないような、違和感があった。
「ウェズ、アンナの婚約者の話、聞く?」
「ちょっと待ってくれ、心の準備が」
「整ったら教えてくれる?」
「無理な気がする……」
ウェズにとってのアンナとは一体何なのだろうか。元々知り合いだったにしても、ネスが知らないだけで、二人には深い因縁があるのかもしれない。
(そのへんの話も聞いてみたいんだけど……とりあえず、婚約者の話かな)
目を閉じ、うんうんと唸るウェズを尻目に、ネスはグラスを煽った。──と、その時だった。
「はあい、皆様、こんばんはーっ! どーも、どーも無名でぇす」
突然の出来事に、皆が一斉に顔を上げる。聞き覚えのあるハスキーボイスが静かな夜の海に響き渡り、ネスは息を呑んでその姿を見つめた。
「神石を頂きに参りました~」
両腕と片足を上げてポーズをとり、高らかに叫んだ彼──あれは、ダフニスだ。ネスの故郷ガミール村でアンナに斬り倒された、奇怪な男。その後ろから二人の人物が現れた。
黒髪に赤い瞳の少年と、美しい菫色の髪の女がそれぞれ翼の生えた飛行型のアグリー──見るからに硬そうな爪と牙、それに黒い鱗の生えた体に尻尾まで生えている──の背に乗り、こちらを見下ろしていた。
「オヒメサマ、ボウヤ、それに船長サンいるわよねえ?」
酒を飲んで気持ち良くなっていた乗組員達は「なんだあいつら」とはじめは興味なさげに薄ら笑いを浮かべていたが、空中にいる三人の背後を埋め尽くすアグリーの大群がこちらに向かってくるのに気が付くと、皆青ざめた顔になり「敵襲ー! 敵襲ー!」と叫んだ。お祭り騒ぎだったのに一転、皆武器を取り、戦闘態勢になる。
「……知り合いか」
エディンは唸り、グラスを置いて腰の刀に手を掛ける。隣にいるアンナを見ると、彼女は酷く面倒そうに舌を打った。
「神石を狙っている奴等よ。ブエノレスパに着く前に奪おうって寸法なんでしょ。すぐに済むわ」
「すぐに?」
「悪いわね、なるべく迷惑はかけないわ」
飛行盤で飛び上がった彼女は、一気にダフニスとの距離を詰め──
「イイ顔してるわ、オヒメサマッ!」
刀を抜いて構えたダフニスの正面に突っ込むと──
「そろそろ飽きたわ、あんたを斬るのも」
くるりと身を翻し、後腰の刀──赤い柄の 陽炎を抜くと、目にも止まらぬ速さでダフニスの心臓を貫いた。彼の胸からは真っ赤な鮮血が溢れ、上空から花びらのようにはらはらと散ってゆく。
「ぐっ──ぐふぅっ──」
汚い声で呻くダフニスの胸から、素早く刀を引き抜き抜いたアンナは、その首をすぐさま斬り落とす。陽炎の切っ先で串刺しにした頭部は、虚ろな瞳でアンナのことを睨みつけていた。
「やっぱり、弱いわ」
アンナが髪をかき上げると、船上の乗組員たちから大きな歓声が上がった。片手を上げてそれに応えたアンナは、斬り落としたダフニスの首を陽炎から抜き取ると、その髪を乱暴に掴む。後ろで様子を見ていた瞳の赤い少年に向かってそれを乱暴に投げつけると、左手から発した神力で燃やし尽くした。
「このクソ女っ……!」
「誰がクソですって?」
燃え散る灰を身に受けながら、赤い瞳の少年は悪態をつく。想像以上に手強そうなこの殺し屋に、一太刀でも入れることが出来るだろうか。
「さあ、次は誰にするの」
返り血も浴びておらず余裕綽々な様子のアンナは、陽炎の血を払うと挑発するように顎先を突き上げる。
すぐに済む──そう宣言し、実行するアンナの姿を、少し離れた所から愛おしそうに見つめる視線に、彼女は未だ気が付いていなかった。
キリが悪いので短めです。




