第十三話 散りゆく花
ネスとアンナがホテルに近づくと、入口の大きな扉が二人のドアマンによって開けられた。彼らの表情は固く、向かって右側のドアを開けた若者は額に汗まで浮かべている。
「ようこそいらっしゃいました」
二人のドアマンが声を揃えて出迎える。ネスが驚いたのは、それに対してアンナがいつもなら冷たい視線を投げるであろうところを、 貴やかに微笑したことであった。初めて見るその高貴な表情に釘付けになってしまう。
「いらっしゃいませ」
一歩ホテルに踏み込むと、入口からフロントまで数十メートル続く赤絨毯の両脇を、ホテルの制服を纏った従業員が十数人、きっちりと整列していた。
「すげえ出迎え……」
思わず出たネスの本音に対し、アンナは「そう?」と、不思議そうに首を傾げた。
ホテルの内部は見事なものだった。調度品や内装は、ネスが今まで見たこともないほど豪奢なものばかりで、自分がここに来るのは場違いであるなと確信し、萎縮してしまう。しかし隣を歩くアンナを見ると、いつもながら堂々としている上に、彼女の周りに漂う空気がその場にぴたりと合っているようで、何の違和感もない。
アンナは──言動や振る舞いに乱暴な所があるわりに、形容し難い言えない気品を具有している。先程ドアマンに向けた笑み然り、普段から身に付けているドレスもまた然り。見るからに高級感が溢れているのに、平然と違和感なく着こなしている。
(やっぱり殺し屋って儲かるんだな……金を持っている人は所作が違うんだなあ)
などと、内心感心しているネスであった。
「ようこそ、アンナ様。ご無沙汰しております」
五十代くらいの、かっちりとしたスーツ姿の男が、小走りにやってきた。この男性もまた、額に汗を浮かべている。
「ご無沙汰」
「そちらが例のお連れ様ですね」
「ええ」
「お部屋と食事は準備できております」
「そう」
「セオドアからお連れの男性がいると連絡がありましたので、いつもとは別タイプのお部屋をご用意致しました」
赤絨毯を半分くらい進んだところで、アンナは足を止めた。それにならってネスもスーツ姿の男も立ち止まる。
「それはどういう意味?」
一瞬場の空気が凍りつく。アンナのいつもの視線が、スーツ姿の男を射抜いた。
「で、ですからベッドルームが二部屋あるお部屋を……」
「あたしにこのガキと同じ部屋で寝ろってことか?」
「……も、申し訳ありません。こちらの早とちりで余計なことを致しました」
「……踏みつけるなよ」
深々と頭を下げるスーツの男を尻目に、ネスはアンナに小声で耳打ちした。
「しないわよ」
「いや、前例があるからさ」
「……」
眉間に皺を寄せたアンナは、腕を組み大きな溜め息をつく。
「あたしも『連れ』としか言わなかったけれど、これがあたしの男に見えたっていうんなら、セオドアに灸を据えてやらないとね」
そう言ってネスを親指で指差した。
「これって言い方はないだろ」
「あんたはどれだけ自己評価が高いのよ。このあたしと同じ部屋で寝られるのよ? ありがたいって思わないの?」
「そういう言い方をされるとありがたみが失せるってもんだ」
「ふん、言うじゃない」
二人は向かい合い睨み合う。確かに、こんな美人と同室で寝起き出来るなど、なかなかあり得ない喜ばしいことかもしれない──が、本人にそれを言われてしまうと、嬉しさ半減である。
「そんなに嫌なら俺の部屋に来たらどうだい、アンナ殿」
新たな登場人物の声に二人が振り返ると、入口の扉の前に一人の男が立っていた。後ろに十数人、連れの男達が並んでいる。
「そんなお子様と同室で寝るくらいなら、俺と同じベッドで語らおうではないか」
彼がホテル内に一歩踏み込むと、女性従業員達は、きゃあきゃあと声を上げた。
身に着けたマントを翻したその男は背が高く、なかなかの美形で、清閑な顔つきをしていた。女性達が騒ぐのも無理はない。着ているのは光沢のある濃いグレーの軍服。あれは政府直属の騎士団のものだ。腕に着けている腕章の色からして、彼が騎士団長であることにネスは気が付く。
名前を呼ばれたアンナはというと、完全にその男を無視していた。ネスの肩に手を置き、早く部屋に行こうと言わんばかりの顔をしている。
「あいつ、俺のことをお子様って言いやがった」
「だったら何よ」
「一言言ってやらないと気が済まない」
ネスは大股歩きで、彼に近寄った。
「ちょっと待ちなさいよ」
アンナの言葉を無視し、彼との距離を詰めると、ネスは彼の目の前で立ち止まった。
彼の後ろにいる部下らしき男が、腰の刀に手をかけ身を乗り出したが、「構わないよ」と、彼に制止され、その体勢のまま引き下がった。
「一つだけ言わせてください」
「おやおや、何かな」
愛想笑いを浮かべた彼は、まるで大人が子どもと話をするように、ネスの目線の高さに合わせて膝を折った。
「俺はネス・カートス。お子様じゃない! 子どもだ! せめてそう呼んで下さい!」
「……子ども?」彼はきょとんとした表情になるやいなや、「はっはっは! 何だこいつ!」と、腹を抱えて笑い出した。
「ふざけた子どもを連れているではないか、アンナ殿! お子様を否定したいのだろうが、子どもでは完全に否定出来ていないではないか!」
彼の後ろにいる部下達からも、クスクスと笑う声が聞こえてくる。
「俺は子どもだ。だから子ども扱いされるのは仕方がないと思っています。でもお子様扱いされるほど……って、わっ!」
後ろからシャツの襟首を引っ張られていた。首が締まり、声を発することが出来なくなったネスは、アンナにそのままずるりと引きずられてゆく。
その場をすぐに離れようとしたアンナであったが 、彼に背を向けた途端、左手を掴まれた。ゆっくりと彼女の左手を持ち上げた彼は、そこに軽く口づけをした。
「……」
「いつまで俺と目を合わせてくれないつもりだい、アンナ殿」
「……鬱陶しいのよ、アイザック」
アンナはネスから手を離すと、その手でアイザックの手を払いのけ、彼をギロリと睨んだ。
「知り合いか」
ネスは立ち上がり、アイザックとアンナの間に立ち塞がるように割って入った。あんなことをされて、アンナがこの男に最低限の危害しか加えなかったところを見ると、何か手を出せない理由があるのだろうという判断だった。
多分、理由がなければこの人は殺されている。そう考えると背筋が寒くなった。
「知らないわ」
アンナは本当に鬱陶しそうな顔をして、ぷいっとそっぽを向いた。
「連れないなあ。君と俺の仲じゃないか」
アイザックは長く美しい銀髪をかきあげながら言った。
「どんな仲よ」
「政府直属の騎士団長と、政府公認集団組織の一員様だよ」
「紙の上ではね」
「しかし根深いだろう」
「……」
「あの頃からの付き合いではないか」
「訂正してあげる。知っているけど極力関わりたくないわ」
「ならば少しだけでもいい──」
アイザックはネスの肩に手を置いて脇に追いやり、アンナの体に触れようと手を伸ばした。それを見たネスは寸前のところで彼の手を掴み、制止した。
ネスの行動に、アンナは驚いて目を丸くしている。
「やめろ」
「おやおや、勇ましいな新入り破壊者殿」
「知っているのか」
「有名だからな。そう簡単に本名を名乗らない方がいい、殺されてしまうぞ」
「ご忠告、どうも」
アイザックはきょろきょろと周りを見渡すと、「ところで」と語調を上げる。
「こんな所で立ち話を続けるのもなんだし、俺の部屋に来ないかい。勿論二人揃ってだ」
「断るわ」
「冷たいな。せめて俺がどうしてここにいるのかくらい聞いてくれよ」
「あんたに輪をかけて面倒なあの馬鹿は、ここに来ないでしょうね」
「安心したまえ、ベルは先に行っている」
「それはよかったわ」
アンナはぴしゃりと言い放った。淡々とした二人の会話に、ネスは口を挟む隙もない。
「はぁ…………それで、どうしてここに?」
溜め息をつき、いくらか柔らかい口調になったアンナは、赤絨毯を途中で脱線した。それを遮らぬよう、絨毯の脇に立つ出迎えの従業員達は、兵隊のように体をスッと反らし、彼女の為に道を作った。彼女は腰と背中の刀を鞘ごと抜くと、まとめて右手に持った。
アンナは窓際に向かって少し歩くと、近くにあった革製のソファに腰を下ろした。刀は右半身で大事そうに抱え込み、肩に掛けていたストールを、その長い足を隠すように膝の上に掛けた。
「ネス、こっち来なさい」
ネスに向かって手招きをすると、同時に出迎えたスーツ姿の男に向かって右掌をスッと向けた。男は一礼すると、一度だけ軽く顎を引いた。それを合図に出迎えていた全ての従業員達は、その場から足早に去っていった。
「鍵を」
「ありがとう」
「私はこれで。何かありましたら、お呼びつけ下さい」
スーツ姿の男はアンナに金色のルームキーを手渡すと、フロントの奥に姿を消した。
広々とした玄関ホールのフロントには女性従業員が二人いるだけだった。その一角で、三人は鼎談することになった。
「人払いは出来たわよ。それで、多忙なあんたがどうしてこんな所に?」
ネスはアンナの隣のソファに腰掛け、アイザックはアンナの正面に座った。アイザックの部下達も、その後ろに整列している。
「なあに、任務に向かう途中なだけさ。城門でセオドアに挨拶をしたら君が来ていると聞いて、立ち寄ったわけだ……君たちは?」
アイザックはソファに深く腰掛けていたが、少しずつ身を身を乗り出し、アンナとの距離を詰める。
政府直属の騎士団の仕事は主に治安維持だ。世界各国に二十四の支部があり、そのトップに君臨するのが騎士団長。団長はそれぞれ二十の部隊を持っており、段階的に仕事を割り振っている。彼等は戦争があれば戦地へ赴き、災害があれば被災地へ駆けつける。
アイザック・アスター。名前くらいはネスも知っていた。アブヤドゥ王国一帯とその近隣国が彼の持ち場である。こんなキザな男だとは思ってもみなかったが。
その団長自ら動いているということは、つまり事の大きさを表している、ということになる。
「あたしたちも仕事よ。予言者のことは聞いているでしょ」
「ああ。聞いているとも」
(……予言者?)
「ちょっと待ってくれ、予言者って何のことだよ」
「あら、説明してなかったかしら?」
ネスの突っ込みをさらりと流したアンナは、面倒くさそうに答えた。
──予言者。
この世界にはそう呼ばれる人物が一人いる。
人間なのか、エルフなのか、それとも魔法使いなのか不明だが、いつのころからかこの世に現れて、ことあるごとに正確な予言をしてきた。
彼──または彼女が十数年前に予言した『ハマの大水害』は特に有名で、その予言を信じた者だけが生き残った──という記録をネスは読んだことがあった。その時に多くの騎士団や賢者が活躍した、ということも併せて知ったのだった。
その予言者が──
「……予言者は世界の終わりを予言したのか」
「その通りだ」
アイザックの肯定の言葉に、ネスの顔が暗くなる。それならばそれはもはや予言ではない。確実に起こってしまう。
「アグリーの活動が活発になっているのも、関係があると思うのよね」
「それは何故?」
「絶対数が増えているのよ」
「絶対数?」
「アグリーは殺せば減る。でもいくら賢者達が排除しようとも、絶滅できていないのよ」
「それはつまり──」
「何らかの原因で増殖し続けているということ」
「そんなことって──……」
──ジリリリリッ!
突然、目覚まし時計のようなけたたましい音が響き渡った。強制的に会話が終了される。
──ジリリリリッ!
二回目が鳴り終えたところで、「失礼」とアイザックが耳の通信機に手を当てた。
(あんたの通信機の受信音、デカ過ぎやしないか?)
「ベルか?」
ベル、という名が出た瞬間、アンナの肩がびくりと跳ね上がった。よっぽど苦手な相手なのだろう、表情がみるみる曇り始めた。
「ああ、そうか。報告ご苦労。俺もすぐそちらへ向かう」
アイザックは通信を切り、直ぐに立ち上がる。憂いを帯びた表情の彼は、アンナの背後へと素早く移動した。
「もう少しここに残りたいのだが……」
そんなアイザックの行動を見て、ネスもすかさず立ち上がり、彼の横にぴったりと体を寄せた。彼は降参したように両手をヒラヒラとさせ、その場を離れた。
「ベルの向かった先が想定外の事態になっているようで、俺も急いで駆けつけなければならなくなった」
「想定外の事態?」
「ああ。ここから少し北東にガリアという村があってね」
「ガリアだって?」
「おや、知っているのかい?」
ネスは驚き、会話に割り込む形で声を張り上げる。知っているも何も、ガリアはガミールの南側にある隣村だ。
「あたし達はガリアの隣のガミールから来たのよ」
こいつの故郷よ、とアンナが付け足すと、アイザックは少し青ざめた顔で目を伏せた。
「気の毒にな……」
「どういう意味ですか?」
「いや……」
「ガミールで何かあったのね」
ネスから視線を逸らしたアイザックを見て、アンナが険しい表情を浮かべる。
「隠しても仕方がないでしょ」
アンナの言葉にアイザックは逡巡した後、躊躇いがちに口を開いた。
「二日前ガリアの村人から我々の支部に連絡があってね、隣村と連絡が取れないので訪ねてみたところ、村全体が氷付けになっている、と」
意味が分からず、驚いて声も出ないネスを思ってのことなのか、そこまで言って顔を背けたアイザックは、「しかし安心しろ」、と続けた。
「ベルの部隊には腕利きの魔法使いが所属しているから、こんな魔法……」
「多分、魔法じゃないわよ……画像があるのなら見せてくれる?」
アンナの顔には珍しく焦りの色が見える。それを見てネスは、これはただ事ではないのだと身を震わせ──恐怖した。
(村全体が氷付け……じゃあ、村のみんなはどうなったんだ……?)
受け入れ難い真実に、ネスは顔を上げる事が出来ない。その間にもアイザックは無限空間からと取り出した機器を操作し、テキパキと準備をすすめてゆく。
「残酷だが、これが現実だ」
ピ、という電子音ののち、三人の目の前に複数の画像が映し出される。
「────!」
ネスは息をすることも忘れてしまっていた。目の前の画像に映っている氷付けの人間────
「サラっ……! カスケっ……!」
サラを庇うように立ち塞がったカスケの怯えきった目────
「──な、なあ……っ!」
ネスは耐えきれず、カスケから慌てて目を逸らした。隣の画像に目を移すとそこには────
「これは酷いな……」
アイザックは自分の目の前の画像から目を逸らした。アンナはその画像をじっと見つめている。
その画像には、ネスの見慣れた白い靴が映っている。それは彼女がいつも買い物に行く時に履いていたものだ。その白い靴には、夥しい量の血が付着しており、もはやそれが白だったと確認できる部分は、爪先のわずかな面積だけだった。
「な……あ……ああ……」
見慣れたその靴の持ち主の足首には、花弁を象った刺青が彫られていた。ネスは知っている。同じような刺青は、反対の足首と両手首、それから左胸の上にもあるということを。
(──ねえ、どうしておかあさんの腕にも足にも、お花の模様があるの?)
(──それはね、お母さんが戦いに負けてバラバラにされても、仲間にそれをお母さんだとわかってもらう為なのよ)
(──なにそれ、怖いよ。僕もお花、つけなきゃいけないの?)
(──いいえ。あなたが戦う必要はないわ。だからお花はいらないのよ)
(──そっか、よかった。でもおかあさん、バラバラになっちゃだめだよ)
(──あら、泣かなくてもいいじゃない、ネス)
氷付けになった靴から伸びる足は、無惨にも膝の上で途切れていた。
「あ…………ああっ……うっ…………うわああああああああああああぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」
紛れもなくそれは、ネスの母──レノアの足であった。その場にぺたりと座り込み、込み上げてくるのは涙に嗚咽、それに怒りであった。
 




