第百十八話 終わりへ向かって
「うわあ、見たくねえツラばっかり並んでやがる」
悪態を吐くとシムノンは、蛇紋岩の長机にひょい、と飛び乗り、上座に座る翁と向き合う形で胡座をかいた。
「行儀が悪いねェ、このおっさん」
「げぇ、オルテリア! お、髪の色変えたのか? 似合ってるじゃねえか」
「ほ、ほんとォ? ありがとう……」
「真に受けて赤面するなよオルテリア!」
しっかりしろ、とオルテリアの隣に座るプリムリが肩を揺する。シムノンを見つめるオルテリアの頬は赤い。
「オルテリア、ちぃっと地獄の門を開けて欲しいんだ。頼むよ」
オルテリアに顔を近づけ、シムノンは耳打ちをする。胸に手を当て呼吸を整えたオルテリアは、こくこくと頷いた。
「オルテリア!」
上座に座る翁が怒鳴る。びりびりと空気が震え、騎士団長達は姿勢を正した。
「ご、ごめんよォ翁……」
「全く……うちの者をからかうのは止めぇやシムノン」
「からかってねえさ。交渉に来たんだよ俺達は」
姿を現して早々に机の上に飛び乗った行儀の悪い男が、交渉という言葉を使うのは些か不似合いだ。そんなことなど気にも留めず、シムノンは会話を続ける。
「風の神石はこっちが持ってる。じいさんよ、これお前らにやるからちょろっと地獄の門を開けてくんねえかな? アンナの奴を引き上げてえんだ」
タイミング悪くシムノンが現れなくてよかったと翁は安堵する。そもそもそんなことをせずとも自分はオルテリアに命じて地獄の門を開けるつもりだったのだと、彼に言わなければ──黙って神石をこちらのものにすることが出来るのだ。
──愚かな者がこの場でシムノンに口外しない限りは。
「エディン、エディン」
前方の小柄な魔法使いの背後に気まずそうに立つエディンに、ネスは声をかける。
「……ネスか!」
ネスの後ろに立つレスカにもエディンは視線を投げた。言いたいことはあるが、今この場で話すべきではない。全てが無事に終わってからでも問題は──ないと思いたかった。
「うん……それよりファイアランスのみんなは無事って訊いたけど、本当?」
「ああ……フォードの連れていた人型のアグリーがが暴れたせいで、国民は何人か死んでるみたいだけどな。王族の皆様は無事だ。人型のアグリーはこちらの騎士団長がとどめを刺した」
「そうなんだ……」
フォードが人型のアグリーを連れていたことには驚いたが、目の前の小さな騎士団長があの人型のアグリーを殺したときいて、ネスは更に驚く。
「第十一騎士団長 ニノ・ニゲラです」
振り返った魔法使いは見た目には十代後半──自分よりも少しだけ年かさのような顔立ちをしている。丸い眼鏡の奥の真っ青な瞳は優しげであった。健康的な色の唇は弧を描き、それを友好的な証だとネスは受け取った。
「ネス・カートスです。あれ、なんだか……」
「どうかされました?」
「これ、言ってもいいのかな……?」
非常に小さな声で呟いたつもりであったが、ニノに掬い上げられてしまった。
「なんでしょうか?」
「雰囲気が……なんとなくベルリナ団長に似てますね」
にこりとニノが微笑むので、つい思っていたことを口走ってしまった。すみません、と頭を下げたが、ニノは少しだけ悲しそうな顔を横にゆるりと振った。
「ベル姉様は、僕の従姉ですから。従姉といっても幼少より共に育ったので……殆ど姉弟みたいなものです」
「……そうなんですか」
小柄な体躯とくりくりとした青い瞳は家系か。納得したようにネスはニノを見つめた。
「はっ……ついうっかり身の上話を! 水使いの特性……! 恐ろしい!」
そう言うとニノはくるりと背を向けて席についてしまった。
ネス本人が特別に何かしたわけではないが、水の神力を使う者の特性として、会話をする相手に己の事を吐露させてしまうというものがあった。自分自身と向き合って会話をしているように錯覚してしまい、そのせいで心の底に隠しておいた感情を露にさせてしまうのだ。
残念そうにその背を見つめたネスは、あることに気が付く。
(これ、ひょっとして騎士団長全員揃ってるよな?)
ネスが幼少より憧れている第三騎士団長 ガブリエル・ガザニエルもこの場にいるということになる。
(アイザック団長があそこにいるから──二つ隣に座るあの人がガブリエル団長か!)
危うくアイザックと合いそうになった視線をどうにか逸らし、ネスはガブリエルの姿を盗み見た。筋骨隆々な大男は、少し伸ばしたエルフ特有の金髪を撫で付け、額を露にしている。写真で見るよりも目元は柔らかく、見かけには四十代前後に見える。
「ところで爺さん、ベルリナは死んだんだろ? 誰が後継に……って、おわっ、お前ファヌエルか? すげぇ髪……って! ああ……そういうことか」
一人で驚き一人で納得したシムノンは、全騎士団長をぐるっと見回した。
「誰が後継かねえ……ガブリエルあたりか?」
「正解よ」
「やっぱりなあ!」
「まあ、あまりあなた方と馴れ合うつもりはないのだけれどね」
低い声にも関わらず、上品な女性のような話し方のガブリエル。そんな彼の口調にネスは驚き、激しく動揺した。
(イ、イメージと全然違う……!)
「嫌われたもんだねえ」
「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないわ」
「そーかぃ」
(ああでも、握手したい……折角だからお近づきになりたい)
ネスがガブリエルに熱い視線を送っていると、一瞬目が合ったような──気がした。
(……流石に気のせいかなあ)
「シムノン」
シムノンとガブリエルの会話が終わると、翁が静かに口を開いた。
「なんだ?」
「さっきの取引、受けてやるわ」
「話が早いねえ、爺さん」
「神石は?」
「ここだ」
シムノンが振り返ると、ナサニエフが懐から赤い神石を取り出した。眩い光を放つそれは、間違いなくティファラの額にはめ込まれていた物だった。
「で、誰に?」
「オルネア、出来るな?」
「お受けします」
返事をしたのは第十五騎士団長 オルネア・オミナエシだった。彼女のあまりの美しさに、ネスは息を呑んだ。
「ではその神石、私に」
「ほいっと」
「ちょ……大事なものを軽々しく投げないで下さる!?」
両手で神石を受け止めたオルネアは、酷く不満げにナサニエフを睨む。ナサニエフはというと、そっぽを向いてオルネアの言葉など聞こえていないふりをしている。
「さてと……では始めるかの、こんなところで地獄の門など開けられんし、そうじゃな……中庭にでも移動するか」
翁の言葉に、騎士団長達は皆立ち上がる。出入口に一番近い場所にいるネス達一行は、先頭を切って中庭にへと向かった。
道中ネスがガブリエルに話しかけたのは言うまでもない。
*
儀式の塔へと向かう通路の途中に通過した、殺風景な広い中庭。不自然な位置に配置された噴水の周りに散らばるように、騎士団長達は控えている。
シムノンは噴水の淵に腰かけ、何やら翁と話し込んでいた。
「段取りとかは?」
「お主らにも話せと?」
「聞いとかねえと不測の事態に対応しかねるぜ」
仕方がない、と溜め息を吐いた翁は、咳を払うと皆に話を聞くよう呼び掛けた。
「あくまでもこれは推測じゃが──地獄の門を開こうとした瞬間、フォード・レヴァランスが現れるはずじゃ。門を開けるのはオルテリアただ一人。皆、死んでもオルテリアを守ってくれ」
「悪いけどよろしくゥ」
オルテリアが言うと、団長達の何人かが舌を打った。あからさまに不機嫌な顔付きになっているので、探さずとも犯人は筒抜けだ。
「それで、フォードは殺していいの?」
挙手をしたのは第三騎士団長 ガブリエル・ガザニアル。先程騎士団総団長に着任したばかりの大男は、野太い声で翁に問う。
「可能ならな」
「油断はしないわよ」
「わかっておるわい……続けるぞ。
フォードを殺せればそれで良い。神石を奪い返し、地獄から引き上げた戦姫を連れて破壊者達は儀式の塔へと向かえ。そこで先日中断された儀式の続きを行うんじゃ」
それで果たして神の怒りが治まるのかどうかは定かではないが、治まると信じて実行するしかないのも事実だった。
仮に神の怒りが治まらなければ──世界は終わるのだ──と、誰も口にはしなかったのだが。
「殺せなかったら?」
鼻で笑いつつ、シムノンが翁を睨んだ。
「意地でも止めろ。そして神石を奪い返せ。奪ってしまえばこちらのもんじゃ。そのまま破壊者達は儀式の塔へと全力で駆けろ。儀式をしている間、残った者達でフォードを止める」
「無理があるんじゃねえか、それ」
「場合によっては儂も動く。それでも不服か?」
「いや、全く。仕方ねえから俺達も手伝ってやるよ……気が向いたらな」
「そうしてもらおうかの──では以上じゃ」
パン、と翁が手を打つ。オルテリアを取り囲むように、抜刀した騎士団長達が輪になった。ネス達はその輪の外側に抜刀して佇む。
「じゃあ……行くよォ」
オルテリアが両腕を前方にかざす。手のひらを地面に向け、早口に一言だけ何かを呟いた。
刹那、オルテリアの足下に黒い染みがぽつんと現れる。それは黒い水溜まりとなり──一気に面積を広めてゆく。
「──来たね、フォード・レヴァランス」
上空に現れたただならぬ気配に、皆揃って顔を宙に向けた。
次話でようやくアンナが……




