第百十六話 「その痛みを私も背負うから」
恐らく残り五話くらいで完結します。
アンナの誕生日に完結させようとも思ったのですが、なんか違うなと思い却下。作者の誕生日に完結させてやろうかとも思ったのですが、七ヶ月中旬なので先すぎるなあと思い却下。
上手い具合に……やります。
一つ。
知りたくもない過去や未来が見える。
なんとなく心当たりはあった。ノルの町で泣きじゃくるアンナと会話をしていた時、ネスには見えたのだ──過去と思しき光景が。生まれたばかりのふにゃふにゃな自分を抱きかかえ、懸命にそれをあやすアンナの姿が。
(あれは……あの現象はそういうことだったのか)
不思議だった。何故そんなことを覚えているのだろうと、ずっと疑問に思っていた。あれは覚えていたのではなく、思い出していたということなのだ。
そしてもう一つ。
二度転生してようやく無に還ることができる。
その上転生する度に、転生前の記憶を引き継がなければならない。水の破壊者の座に着いた直後に少しずつ──転生前の記憶を思い出すよう仕組まれているらしい──神の意思によって。
「破壊者という存在自体、神の気まぐれによって生み出されたみたいだからな」
「なんだよ、それ……」
「神石も、それに神力だってそうだ。退屈しのぎに神が造り出しただけに過ぎねえ──遊戯だよ」
「神は何をしても許されるっていうのかよ」
「……神だからな」
「そんなの、ふざけてる」
「だからといって、俺にどうこうすることはもう出来ねえんだよ。神と会話できるのはお前だけだ。話しかけてみたらどうだ」
心の中で念じてみるが、やはり応答はなかった。
「父さんさ、どうして何もかもがわかっていて──アンナがこんなことになるとわかっていて、何もしなかったのさ……傷付いて、苦しんで、アンナは……!」
アンナを救えなかったのは、自分の非力さ故だとネスは痛感していた。自分にもっと力があれば彼女も──彼女の兄すらも救えたかもしれないというのに。浅はかで自意識過剰な考え。その上八つ当たりだった。
「ごめん父さん……ただの八つ当たりだ、忘れて──」
「八つ当たり大いに結構。己の非力さを恥じるのならば強くなればいい。俺だって自分の親父に同じことを言ったことがあるからな。それについて親父の答えはこうだ『運命に手を出しすぎると神が怒る。逆鱗に触れるとそれ以上の災いが起きてしまう』ってな」
「なんて神なんだ……」
まるで子供のようだ。自分の気に食わないことがあると、それ以上の災厄を振りまくというのか──この世界の神は。
「俺は……既に二度、転生を経験してるんだ。このシムノン・カートスという人生が三度目の生でな、今回が一番辛いし苦しい人生なんだよな」
「過去二回の記憶を引き継いでいるから?」
「そうだな。二度とも水の破壊者だったし、最悪だな。一度目は世界を滅ぼした時の、あの破壊者だった。転生のインターバルも、何の種族に転生のするのかも神の気紛れだ……三度とも破壊者にされるなんて俺は……働かせ甲斐があったんだろうよ」
次々と明らかになる現実に愕然とする。死んでも死にきれない。前世に悔いが残っていればそれも全て次の生で思い出す。苦しかった記憶も、痛みと共に全て。幸福だった記憶も、一人きりになった虚しさと共に全て。これは種族によるかもしれないが、転生した頃には恐らく、同じ時を過ごした人々は既に死んでいるのだろう。
「すまねえ、ネス……本当にすまねえ……! 俺は……神に振り回される人生なんてもう懲り懲りだ! そのせいで二度もあんな目に遭って死んだんだ。最後の生くらい、面白おかしく好きに生きたかった。だから……早々に破壊者の地位から降り、お前に引き継がせた。酷い親だと詰って殴ってくれ。呪ってくれても構わねえ……俺は……」
テーブルを殴り付け、シムノンは天を仰いだ。それはまるでもう見ることも、話すことも出来ぬ神への必死の抵抗にも思えた。
「俺が……まだ非力な俺が破壊者になって、危ない目に遭って、ひょっとしたら死ぬかもしれないってのに? 父さんは俺の命よりも自分の幸福を選んだのか?」
「違う! それは違う! 水の破壊者になれば、神から命の保証だけは絶対にされる。むしろ安全なんだよ」
「でも、だからって……どうして神はそんなこと」
「折角手に入れた玩具が早々に死んだらつまんねえからなんだとよ。ネスよ、お前が死ねばその子供が破壊者を継ぐことになる。ということはつまり、お前が子孫を残さねえ以上は、お前自身が死ぬことは絶対にあり得ないっつーことだ」
「……そう、なんだ……」
歯切れの悪い返答しか出来ない。現状、子孫を残す行為を何度も経験したネスにしてみれば、その行為の中で相手が授かっていれば、もはや命の保証はないということになる。しかしこれだけの面前でそんなことを言えるわけもなかった。例え父と二人だったとしても、口にすることはなかっただろうが。
「……すまねえな、色々と」
足元に視線を落としながらシムノンは言う。
そろりと立ち上がったレノアがシムノンへと寄り添い、その身を優しく抱いた。母は悲痛な面持ちで涙を流していたが、父の頭を撫でるばかりで、対面するネスに言葉をかけることはなかった。息子に対して何を言っても言い訳のように聴こえてしまうと、そう思ったからであった。
「この事実を誰にも漏らすなとは言わねえ。事実俺は仲間にも、共に生きると言ってくれたレノアにも口外してるしな。だからお前も、」
「父さん」
自分でも驚くくらい冷静な声だった。そして告げられた事実を自然と受け入れかけていることにも驚いていた。戸惑いが全くないというわけではない。記憶を引き継いだまま二度も転生をするなんて、未だ体験したことのないネスにしてみれば、恐怖することのほうが難しかった。
「ごめん、少しの間一人になりたい」
そう言って静かにリビングを後にしたネスは、自室に戻るでもなくふらふらと、玄関扉を潜っていた。
「騎士団に話をつける段取り、組んどかないとね」
ネスのいなくなったリビングで、一番に口を開いたのはナサニエフだった。彼は無限空間から取り出した赤い神石を手の中で器用に転がしている。
「僕もいつまでもこれ、持ってるの嫌だし」
「わかってるよ。もう少し我慢してくれ」
ナサニエフが手にしているのはファイアランス王国で死した風の破壊者 ティファラの神石だった。まさか置いたままにすることは出来ないからと言って、シムノンが無理を言ってナサニエフに持たせていたのだ。
「どうせ騎士団が引き継ぐんでしょ、風の破壊者は」
「それでいいって。僕は破壊者なんてまっぴらゴメンだよ」
ソフィアに向かって一段と大きな溜め息を吐くと、ナサニエフは神石を無限空間内に放り投げた。
「破壊者だとか、神石だとか、面倒事を僕たちに押し付けるのはやめて欲しいよ。政府でどうにかしろって話だよね~。僕たち賢者はやらねばならないことも、救わねばならない命も、沢山あるんだからさあ。まあそれは騎士団も同じか」
「あら、たまには良いこと言うのねナサニエフ」
「たまにはって酷くない? ソフィア」
少しずつ和やかになる室内の空気。ルークは一人居心地の悪さを感じていた。
*
何処を目指すわけでもなく、ただふわふわと綿帽子のように──風の向くまま気の向くままにネスは足を進める。視界の右側には疎らに民家が点在し、正面にはアマルの森、左側には海が──
「あれ?」
あの辺り一体は確か──村を出発する時にアンナが黒い炎で消し去った筈だ。魔法使いが来ない限り草一本すら生えないと言っていたが、元通り修復されていた。
「魔法使い……魔法使い……あ」
「白髪の男の人が直してたわよ」
後ろから声を掛けられ、ネスは飛び上がった。こんなに近くに人が来るまで気配に気がつかないとは、余程放心してたのだろう。
「……サラ」
「おはよう、ネス。お散歩?」
中身の詰まった買い物籠を手に、サラがにこりと微笑んだ。買い物を済ませ、家に帰る途中だという。
「重そうだね、持つよ」
「え、あ……ありがとう」
サラ曰く、今日明日は両親が家にいないという。商人をしているサラの父は、昔から度々家を空けていた。手伝いだといって時々母も揃って家を空けることがあるので、幼い頃の彼女は近所のカートス家の世話になることが多かった。
「サラ、さっきの白髪の人っていうのは?」
ネスの家よりも高所にあるコストナー家を目指し、二人して坂を上る。明るい茶色の煉瓦屋根の家はすぐそこだった。
「昨日見たの。ひょろっとした白髪の男の人がね、パッと腕を振った途端、森も海も元に戻ったのよ。驚いたわ……その人はアマルの森に入って行ったんだけどね」
「……ナサニエフさんか」
「え?」
「いや、なんでもないよ」
首を傾げるサラを尻目に、ネスは目眩のする頭をぶんぶんと横に振る。
「どうしたのネス、具合が悪そうだけど……」
コストナー家に到着し、玄関扉の鍵を開けながらサラは、紺色のワンピースの裾を翻しネスを振り返った。
「どうぞ、入って」
招かれるまま吸い込まれるように、無言で扉を潜る。買い物籠を床に置いたネスは、そのまま崩れるように廊下に膝をついた。
「ネス! どうしたの?!」
その背にサラが駆け寄る。上手く息をすることが出来ない。先程父に告げられた事実が走馬灯のように脳内に駆け巡る。
「う う う う う……あ あ あ……!」
髪を掻きむしり、頭を抱えた。口からは嗚咽のような悲鳴が漏れ、滴る唾液と大粒の涙が衣服を濡らした。
「ネス? ネス!」
うずくまるネスの背に片手を添えると、サラは反対の手でしっかりとネスの手を握った。
「どうしたの?! 苦しいの?」
「う……ううっ……サラ……サラ……!」
「大丈夫、ここにいる」
サラに握られた手を、ネスは力強く握り返した。そのまま彼女の体を抱き寄せて、二人揃って廊下へと転がった。
「一体何があったの?」
しん、と静まり返る廊下の窓から射し込む光が、二人を包み込む。その光を受けて舞い上がった埃が、きらきらと輝いていた。
「俺は……俺は、苦しくて苦しくて、堪らないんだ」
「……うん」
「辛くて、吐きそうで、どうして自分がこんな目に合わなければならないんだと……わかってる、そんなこと言っても仕方ないって。これは『さだめ』だ。神の決めた俺の運命……だから……」
「痛いし、苦しいの?」
ネスの体を抱きかかえたまま、サラは身を起こそうと力を込めた。が、ネスの体が重すぎて上手く起き上がることが出来ない。
体を捻ったネスは、そのままサラを床に組敷いた。
「痛いし、苦しいよ。サラ、俺は……一人は嫌だ。アンナもいないのに俺は、この苦しみを一人で抱えていたくなんてない。こんな、こんな気持ちで世界なんて救えっこない」
ぽたり、ぽたりと落下する涙が、廊下に沢山の染みを作る。サラの頬にも唇にも、着ている服さえも、ネスの涙を吸って湿り気を帯びていた。
「ねえ、ネス。その痛みを私も背負うから、だから……話せるのならば話して欲しい。私に出来ることなんてこれっぽっちしかないけれど、あなたと共にあると決めた私に……出来ることをさせて欲しいの」
「う……うう……」
「ネス?」
「ありがとう……ありがとうサラ、ごめん……」
「何を謝ることがあるのよ」
「俺は……だって、俺は君という人がいながら、なんて自分勝手なことを」
「言わないで」
ネスに押し倒されたまま、サラは力強い眼差しをネスに向ける。下から睨み付けられたネスはなんとなく萎縮してしまい、彼女の上から下りて床に尻をついた。
「済んだことをいつまでもうじうじ言うのは好きじゃないの。カスケのことも、ルーくんが村にしたことも、あなたのしたことも……今更何を言ったって、過去は変えられない」
身を起こしたサラはネスに詰め寄り、その手を握りしめた。
「前向きに、これから起こること、この先の未来に思いを馳せるの。そうじゃなきゃ人生つまらないわ。いつまでも過去に囚われたままだなんて、損だと私は思うの」
頭の隅でネスは、この言葉をアンナが聴いたらなんと言うだろうと考えた。いつまでも過去に囚われたままだった彼女は──今は──。
「……アンナを助けなきゃ」
「アンナ?」
「戦士様のことだよ」
村人に勝手に戦士呼ばわりされて迷惑がっていた彼女。早く彼女に会いたいと、心の中で切に願った。
二人は廊下から二階のサラの自室へと移動した。子供の頃よくそうしていたように、ベッドの足元の床に並んで腰を下ろす。温かいお茶の入ったマグカップをそれぞれ手にし、空いた反対側の手──指を絡めて身を寄せた。
「サラ、聞いて」
「うん」
「俺は……俺は……人間じゃなかったんだ」
自分の出生──アンナとの関係──世界の現状──全てをサラに吐露する。時折相槌を挟みながら、サラは静かにネスの話しに耳を傾けた。ネスの感情が昂るとそれを抑え込むかのようにギュッと、優しく手を握った。
話を終えたネスが帰宅したのは日も暮れ始めた夕刻。人に吐き出すことでここまで楽になるとは自分でも驚きだったが、憑き物が取れたようにすっきりとした面持ちの男は、決意を胸に女の家を後にしたのだった。




