イージス・クリスマス
クリスマス小説を描いたので投稿します。
年末のこの時期に、毎年恒例(実際は3、4年に一度)で鬱積した感情を小説で吐き出したくなることがあります。
今年は特に12月21日の自分の誕生日が憂鬱だったので、『誕生日』と『クリスマス』をテーマにしながら今年の総括をホラー小説で仕上げてみました。
400字詰め換算で、14枚ほどの短編です。
読んで頂いた方々に有意義な時間を過ごしていただければ幸いです。また、なにかしら作品に刺激を受けて、元気を与えることができたなら、それが私の何よりの本望であります。
※12月22日、三点リーダーミス、脱字、改行などの修正をいたしました。
1
黒のカラスを白に変えれる女が、全国ネットで衝撃的な宣告をした。
「今年のクリスマスは、私の力で中止します」
大型ビジョンを見ていた通行人が一斉に、ふざけるなと割れんばかりの悲痛な叫びを上げた。
だが女のらつ腕は凄まじかった。全国各所に広がっていたクリスマスを歓迎する賑やかな装飾は、瞬く間に元の日常の姿へと戻っていった。まるでクリスマスなんて西洋のイベントは、和の国に伝わっていない時代に返ったかのように。
「今日は楽しいクリスマス。街はお祭り歓迎ムード、なのに今はお通夜モード、中止を認めるなんて情けないだろ。だけど俺は夜にズボズボやるの知ってるぜ。やろうぜ聖夜、セイント聖夜、YOメーン」
クリスマス当日、寒風が吹く駅前の大広場で、上手いリリックが浮かばないラッパーが意思なき国民を皮肉って歌っていた。彼はまだクリスマスを諦めていなかった。
「だって、マジしょうがないじゃん。大田原さんって偉いじゃん? 彼女の決定はエターナルじゃん? そんな寝言は寝てから言えこの下ネタ野郎、あとついでに口臭いんだよマジで」
すっかり白のカラスに染まった女子大生が、そのラッパーをディスった。
ラッパーは反撃しようとマイクを手にするが、その狂信的な女子大生の真っ直ぐな瞳に圧されて、何も言い返すことができなかった。
その後も、ラッパーは必死にリリックを振り絞るが、無表情に行き交う人々の冷たい足音は、西洋の早口言葉を簡単にかき消していった。もう彼らの心に声は届かないのかもしれないと、諦めかけたそのときだった。
「お願いします。どうか皆さん、クリスマスを盛大に祝ってください。そのためなら、私をどれだけ蔑み、殴って頂いても構いません。何卒、どうか、お願いします」
決意めいた迫力ある男の声が大広場に響き渡った。
行き交う人々の足音が一瞬、止まった。いきなり無茶な要求を告げた男の方へ大勢の視線が集まった。
そこには、くたびれたスーツを着た会社員の男が座していた。首からダンボールに書いたメッセージボードを提げている。
『私、渡瀬昇はクリスマス中止に断固反対します。私をいかように殴っても構わないので今日という一日を盛大に祝って過ごしてください』と、先ほど告げた内容の言葉が書かれていた。
「本気で、殴っていいのかよ?」
通りすがりの、タンクトップの筋肉質な金髪の男が言った。ヒョウ柄のコートを着た派手なギャルを連れている。
「構いませっ」
渡瀬が答える前に、ギャルのハイヒールの硬質なかかとが渡瀬の前歯をガンと直撃した。すぐさま、全力で振り下ろされた男のパンチが渡瀬の顔面に追い打ちをかけた。
渡瀬はうぐっと、短い悲鳴を上げて、多量の血が溢れ出る口元を抑えながら微笑を浮かべた。
「ありがとうございます。どうかよいクリスマスを」
前歯が折れて、血塗れのすきっ歯を覗かせたその笑顔は、渡瀬の異常なまでの覚悟を感じさせるには充分だった。金髪の男は苛立ち、もう一発ビンタを見舞ってから、ギャルと一緒に去っていった。
なぜ渡瀬は、クリスマスにそこまでの情熱を持っているのか。その理由はわからないし、その場にいた誰しもが理解しようとも思わなかった。
だが皆一様に本心ではクリスマス中止を嘆いていた。その怒りのはけ口を探し求めていた。無残に殴られる渡瀬の姿は滑稽で、普段人を殴ったことない人々を熱狂させた。
「あたしのミッフィーちゃんを返せ!」
サンタさんという名の、両親のプレゼントを台無しにされた少女は、ランドセルを振り回して殴った。
「指輪買ってくれるって約束してたのに、クリスマスと一緒になかったことにするな健二のバカヤロー!」
彼氏の甲斐性のなさを恨んだ、オフィスレディーの往復ビンタが渡瀬の脳を揺らした。
「横綱の俺がなんで引退なんだよ!」
元関取のかわいがりだった。暴行で事実上のクビになった腹いせに渡瀬の顔をかち上げた。
「俺のラップのどこが駄目なんだよ!」
クリスマス中止に反対していたはずのラッパーは、注目を浴びる渡瀬への嫉妬に駆られて手を出した。
「婆さんのメシはマズイ!」
訳もわからず便乗してきたボケた老人は、ゲートボールのスティックヘッドをフルスイングして渡瀬の腹を殴った。
次第に渡瀬の前に順番待ちの列ができてきて、クリスマスとはもはや関係ない愛のない暴力が繰り返し行われた。日ごろの不満やストレス、それらをただ体のいいサンドバッグにぶつけているだけだ。そのおぞましい光景を見ている内に、様子を伺っていた人や、順番待ちの人は我に返ったように息を呑んだ。
「お願いします。クリスマスを、祝ってください」
渡瀬は、激痛に震える手を伸ばして再三そう訴えた。ボロボロの体を鋼の意志だけで支えるその男に、完全に冷静さを取り戻した人々は殴る手を止めた。得体の知れない恐怖を感じたのか、潮が引くようにさっと渡瀬から人が離れていった。行き交う誰もが、関わりたくないと心の底から願うようになった。
「皆さん、お願いします。どうか、クリスマスを、祝って下さい」
渡瀬の痛ましい思いが、もう届くことはなかった。無視され続けても尚、夜遅くまで声を出していたが、誰一人として立ち止まろうとはしなかった。
「駄目なのか。私は、クリスマスを守れないのか」
渡瀬は悔しそうに呟き、力が抜けたように片膝を着いた。痛みでもうろうとする頭を上げると、いつの間にか目の前に若い女性が立っていた。
「聞いたわよ。あなたがクリスマス守り隊ね。そんな体になってまでどうしてクリスマスをやりたいのか、聞かせてもらおうかしら」
大儀そうに腕を組んで渡瀬を見下ろすその女には、見覚えがあった。政界を持ち前のらつ腕で賑わすその顔は、紛れもなくクリスマス中止を宣告した大田原釣子防衛大臣だった。
「大田原大臣。どうしてここに」
「質問を質問で返すな。なぜ私の言うことに従えないのか、早く応えなさい」
大田原は若干ヒステリックになって叫んだ。渡瀬は数瞬、考える素振りをして、呆れたように笑みを零した。
「なぜ? そんなの決まってるじゃないですか。国民的行事を、この祝うべきクリスマスを守りたいに決まってるからじゃないですか」
「答えになってない」
「なってる! 私の言うことは何も間違っていない。あんたに、何がわかる。クリスマスに賭けた人の想いを、楽しみを、踏みにじる権利はあんたにはない」
「下らない。あなたこそ何もわかっちゃいないのよ。私の言動は、国民全てを守るためのものよ。クリスマスは絶対に中止しなければいけない。今日、この日、この夜は、ゼウスが女神アテナに与えた盾のように、脅威に晒された国民を守る日。そう、イージス・クリスマスになるのよ」
大田原の圧倒的な力強い口調の演説だった。イージス・クリスマスとは一体何なのか、きっと公にはできない政府が進めた極秘の計画なのだろう。
「守りたいものがあるのは、私も同じです。イージスの意味するところはわかりませんが、あなたが立派な政治家なのはわかっています。しかし私には絶対に守らなければいけないものがあるんだ。例え骨を折られ地べたを這いずり殺されようとも、私は自分の意志を曲げたりしない」
渡瀬は、大田原の、彼女の国民を守りたい意志や気持ちを充分に理解しながらも、きっと彼女を睨み付けた。
「あなたの、その身勝手のせいで、国民全員が殺されるとしても、そんなことが言えるの?」
大田原も鋭い目で渡瀬を睨み付けた。睨み合いの形になった両者は、その愚直で一歩も引かない視線を決して外さなかった。
「はい。例え、国民全てを敵に回しても私は必ずクリスマスを守ります。それが、私のイージスなんです大田原さん」
「バカ者、私のイージスの方が絶対に大切よ。どうしてそれがあなたにわからないの」
「違う、私のイージスの方が絶対強い。絶対、私の方が強いんだよ大田原さん、うう……」
渡瀬は徐々にすがるような声になって、薄っすらと目に涙を浮かべた。当たり前のように名詞として使われるイージスの応酬に大田原は訳がわからなくなりそうだったが、咳払いして、一呼吸置いた。
「聞かせてよ。あなたの守りたいもの。あなたも私にとって大切な、一人の国民なんだから」
大田原は慰めるように渡瀬の肩を優しく叩いた。渡瀬は悲痛に顔を歪めて、小さく頷いた。
「娘が……いたんだ。まだ8歳で可愛くて愛くるしかった。早くに妻を亡くした私に、将来は私がパパのお嫁さんになってあげるって優しい言葉をかけてくれて。でも、そんな娘が、今年の春に交通事故で死んじまった」
渡瀬は下唇を強く噛み締めて、娘を守ってやれなかった後悔の念を押し殺していた。大田原は気の毒そうな顔になった。
「辛い思いをしたのね。わかるわ。それでお嬢さんとクリスマスとどういう関係があるの?」
「今日が、クリスマスが娘の誕生日なんです」
渡瀬の思わぬ告白に、大田原は目を丸くした。
「誕生日?」
「はい。娘が誕生日によく言っていたんです。私の誕生日とクリスマスが一緒だから、皆が私をお祝いしてくれてるみたいで何倍も嬉しいって。私はクリスマスに生まれてきてよかったって。だから、今年の娘の誕生日は、クリスマスだけは、天国の娘にも届くようにって、盛大に祝って欲しかったんです。皆さんにも、祝って欲しかったんですよ大田原さん……うう、あああああ」
渡瀬は声を詰まらせて咽び泣いた。押し寄せてくる悲しみを我慢することができなかった。その場で泣き崩れる消え入りそうな男の背中を見ていると、平静さを装っていた大田原の顔が歪んだ。
「それは……辛かったでしょうね。お嬢さんのために、あなたは一人きりで戦っていたのね。誕生日を、クリスマスを守るためにイージスとなって。ごめん、ごめんなさい」
大田原は、自分の目から一筋の熱い涙が頬を伝う感触に気づいた。大田原にも家族がいて、まだ2歳になったばかりの息子がいる。もし最愛の息子が死に、この男と同じ状況に陥ったら、例え国民を守るためだとしても、私はクリスマスを中止できるだろうか。
「大田原さん、クリスマスを、ほんの一瞬でもいいですから、再開してくれませんか。お願いします」
渡瀬は地に頭をこすり付けて最後のお願いをした。残された渡瀬が娘にしてやれる精一杯の償いだった。大田原はそっと、目を閉じて考えた。
「わかりました。でも10分、今から10分だけよ。それなら私のイージスも果たせると思う。さあ、顔を上げなさい。お嬢さんのクリスマスを盛大に祝いましょう」
答えは、もう出ていた。国民全てを守る選択をする。それが大田原釣子という防衛大臣の責務であり、度量であった。
「お嬢さんの誕生日おめでとう。メリークリスマス」
渡瀬が顔を上げると、女子大生の団体が大きな声で祝福してくれた。さきほどの渡瀬と大田原のやりとりを、聞き耳を立てて注目していたのだ。
「私からも、おめでとう。皆さん、今から10分だけ、クリスマスは再開です。そして今日はこちらの男性のお嬢さんの誕生日でもあります。皆さん、どうか温かい祝福の言葉をかけてあげてください」
大田原は、大広場に響き渡る声で、クリスマスの再開を発表した。こちらを気にして足を止めていた人々は皆、満面の笑みで歓声を上げて、渡瀬の娘を祝福するように満場の拍手が起こった。
「誕生日おめでとう」 「お父さんよかったね」「メリークリスマス」
渡瀬は、大勢の人の温もりに触れて、また泣きそうに顔を歪めた。だがそれは歓喜だった。
天国で見てくれているか、真奈美。皆が真奈美の誕生日を、クリスマスをお祝いしてくれているよ。こんな幸福が、人生で訪れていいのだろうか。こんな幸せを、生きているパパだけが噛み締めていいのだろうか。真奈美、誕生日おめでとう。パパはこれからもずっと、真奈美を愛しているからね。
「ありがとう……ございました」
渡瀬は声を振り絞って礼を述べた。感謝以外の言葉は見つからなかった。そこにいる人が皆幸せそうに、渡瀬の娘の誕生日とクリスマスを祝った。このまま時が止まってしまえばいいと思えるぐらい、至福の時間が流れていた。
――しかしそれはあの国にとって許されない出来事だった。
この世には、クリスマスを、日本人が幸福になるイベントを憎らしくて耐え難い国が存在するのだ。大田原が矢面に立って、クリスマスの中止を強行したのにはそんな背景があった。
丁度、渡瀬達がクリスマスの再開を祝している頃、あの国は諜報兵からその報告を受けて、日本に向けて大陸間弾道ミサイルを発射していた。
およそ10分でミサイルは日本本土に着弾する。最終防衛手段である海上自衛隊のイージス艦が、弾道弾迎撃ミサイルでそれを打ち落とせなければ、クリスマスに湧いた渡瀬達は、人類が生んだ悪魔の兵器に身を焦がれ消失してしまうだろう。
イージスの盾は、クリスマスを、国民を、果たして守ることができるのだろうか。
生死を分けるカウントダウンがまもなく始まろうとしていた。
了
いかがでしたでしょうか。
今年は人との『違い』を痛烈に感じる一年でした。守りたいものは誰にもあって、それを誇りとして懸命に生きる人が私は好きです。報われて欲しいと想います。
少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。なにかしら気になる点や批評、感想等あればなんでもご連絡ください。




