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(8)epilogue


 加納悦嗣は母のピアノ教室を継いだ。

「エツ兄がぁ、なんで?!」

 継ぐと話した時、妹の夏希は盛大に驚いた。

「後継ぎ目当てで見合い話を持って来られても困るからな」

 何度か持ち込まれる見合いの相手が、揃いも揃って音大・芸大卒だったので、母の意思が少なからず働いていると悦嗣は感じ取った。

 子供の頃より多少なりとも期待をかけてくれて、決して学費の安くない私立の芸術大学まで進ませてくれたにも関わらず、結局、母の期待に添えなかった悦嗣の、せめてもの親孝行と言ったところだ。孫の顔も見せられないことだし。

 とは言え、本職は調律の仕事である。いつの間にか『和解』したユアン・グリフィスが悦嗣を専任で使い、その噂を聞いた他のピアニストからも声がかかるようになって、請われれば苦手な飛行機を乗り継ぎ、海外の仕事先にも出向くようになっていった。

 その他には発足されたばかりの市民オーケストラに鍵盤奏者で参加、音楽センスを買われて練習指揮者の一人となり、気がつけば悦嗣は、音楽の中で生活するようになっていた。

 中原さく也はWフィルをクビにはならず、あれから四年、在籍した。その間にあらゆる国際コンクールの栄冠を総なめにして、ソリスト・デビューを果たすに至り退団する。それは悦嗣との遠距離恋愛に我慢が出来なくなり、自由の利く身になりたかったためだが、ソリストになったらなったで、一年の半分は演奏旅行の為に日本を離れなければならず、本人が望むほどに状況は変わらなかった。日本にいる間は、悦嗣が所属する市民オーケストラの一員として練習に参加したり――これは団員をひどく驚かせ、当然、コンサート・マスターをと言う話になったが断った――、かのう音楽教室の特別レッスンを引き受けたりしたが、悦嗣絡みの仕事以外はオフを理由に断っている。

 曽和英介はさく也より一足先にWフィルを退団、日本に戻ってN響に入団した。元妻の小夜子と復縁して、悦嗣を驚かせた。

 さく也との事を知った時、この親友は驚きもせず、

「言っただろう? ゲイはすでに一般的だって。周りに結構いるし、芸術系には珍しくない。もう慣れっこだよ。それに俺の事を過去形で言った時から、こうなるってわかってた」

と、あの最強の笑顔で言った。英介への想いを、過去形で語ったことがあったろうかと、記憶を総動員する悦嗣に、「仙台の帰りさ」と彼はまた笑った。仙台音楽祭の帰りの新幹線での『告白』は、夢ではなく現実だったとわかり、悦嗣はいたたまれなかった。

 傷心のユアン・グリフィスはさく也の恋が成就したと知ると、おとなしく身を引いた。以後は友人として悦嗣とも親しく出来るよう努力する。調律の腕は初めて依頼した時から実は気に入って、日本のみならずアメリカのリサイタルにまで呼びつけるようになった。悦嗣の取り成しでチャリティ形式のみと言う条件つきながら、念願だったさく也とのデュオも実現する。やがてさく也の二卵性双生児の弟・りく也に一目惚れし、またも追いまわすことになるのだが、それはまた別の話。


『とっとと位置につきやがれ』


 あのアンサンブル・コンサートから七年後の十月、加納家の末っ子・夏希が結婚した。

 秋晴れの空に向かって花嫁が投げるブーケは、差し出される女友達の手を通り越す。ゆるやかな弧を描いて落ちた先は、悦嗣と英介の間に立つさく也の腕の中。周りが沸いて、英介が笑う。さく也が自分の手元の場違いなブーケを不思議そうに見つめ、その様子を見て悦嗣もまた笑った。

 花嫁が両手をブンブン振って、

「ごめーん、投げてー」

と能天気に叫ぶので、さく也は華やかな一群に渡るように投げ返した。受け取るに相応しい人間の手に、今度こそブーケは落ち着いて、人々の関心もそちらに移って行った。

「もらっておけば良かったのに」

 英介が冗談めかして言うと、さく也は「いらない」と簡潔に答えた。

「情緒の無いヤツだな」

 彼らしい物言いに、悦嗣が苦笑した。

 厳かな儀式より解放された新郎新婦を人々が囲んでいる。それを見ていたさく也は、悦嗣の言葉に振り返った。

 それから、

「もう神様に誓った人がいるから」

と、ふんわり微笑んだ。


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