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(1) in TOKYO


 一月吉日。仏頂面で悦嗣はホテルのロビーにいた。

「エッちゃん、こっちこっち」

 手持ち無沙汰に立っていると、聞き慣れた声に呼ばれる。フロアつづきのカフェから伯母にあたる葛城園子が、満面の笑みで手招きしていた。

「三十過ぎの男を、ちゃん付けかよ」

 と独りごちて、悦嗣は彼女の方に歩み寄る。

 同席していた二人の女性が立ち上がった。一人は伯母と同年輩、もう一人は若い。

「竹内さん、甥の悦嗣です。悦嗣、こちらが綾香さんよ」

 紹介されて、お互いに頭を下げる。相手の女性は、写真以上に美人だった。

 ドラマでよく見る見合いの光景に、よもや自分が入るなど悦嗣は思ってもみなかった。『結婚』を考えたことがなかったし、恋愛対象が同性であれば尚更である。

 しかし三十を過ぎていつまでも独り身の男を、周りは放っておかないものらしい。

 それは一月三日のこと。正月を実家で過ごしていた悦嗣に、

「今月、予定のない日曜日ある?」

と母・律子が聞いた。

「最後の日曜なら、今のところ予定はないけど?」

「じゃあ、空けておいてね。葛城の伯母さんのご用があるから」

「あそこにピアノなんかあったっけ?」

 葛城園子は父の一番上の姉である。調律の仕事でも依頼されるのかと思ったら、母は一通の封書を彼の前に置いた。

「あなたにお見合いのお話が来てるのよ。」

「俺?」

「そう、エツによ」

 悦嗣は顔をしかめた。それから中身を見ずに、封筒を押し返す。母は中身を出して、息子の前に戻した。スナップ写真が二枚と経歴を連ねた便箋。所謂、釣書と言うやつだ。

「ほら一昨年、あなたが出たアンサンブルのコンサートを聴きにいらして、ぜひお会いしたいって」

(また、あのコンサートか)

 悦嗣はため息をついた。

 一昨年の六月に代役で出たアンサンブル・コンサートは、何かにつけて、それ以後に影響している。しばらく周囲が騒がしくなり、母校・月島芸大はしつこく講師の件を勧めてきた。『共演の話が出ている』という中原さく也の方便で、なんとかその件はうやむやになったが、それでもいまだに演奏会のオファーがあり、断りを入れることが煩わしい。

「見合いする気はねえよ」

「お母さんもそう言ったんだけど、先方がどうしてもって仰るらしいの。それにこんなに良いお話はないって、伯母さんも乗り気なのよ」

「だったら達也に回せよ。あいつは公務員だし、俺なんかよりよっぽど安定してる」

「あなたに来ているお話なのよ。第一、タッちゃんには麻美さんがいるでしょ。伯母さんもそれご存じだから、『お兄ちゃんがいつまでも独りだと、あの子達だって結婚しにくいわよ』ってことになってるのよ」

 母は釣書の文面を指す。

「このお嬢さんも音大を出てらして、ピアノの先生をなさっているんですって。たしかにいいお嬢さんだと思うわ。ほら、写真見て。きれいな方でしょう? あんたにはもったいないわ」

「そうでしょう? きっと俺なんかより、いいお相手が見つかりますって」

「会うだけ会ってみたら? 先方の気も済むし、おばさんの顔も立つし」

「会うだけで済むわけない。兄貴の例がある」

 加納家の長男の敦祐は、やはり葛城の伯母の口利きで義理見合いをしたのだが、結局その相手と結婚した。もちろん最終的には本人達の意思だったし、円満な夫婦生活をおくっているわけだから、成功例といえるのだが。

「あら、アツヒロ達はとっても幸せだわよ。なぁに、エツ? それとも誰かお相手がいるの?」

 覗き込むような母の仕草に、思わず悦嗣は身を引いた。

 言われて一瞬頭に浮かんだのは、長年片想い中の曽和英介の顔ではなかった。

 右目の下のホクロ。無愛想な口元。時折り見せる素直な笑み。

(なんで、あいつ?)

 奇妙な間を感じ、悦嗣は「そんなのいない」とあわてて答え、浮んだ顔を打ち消す。

「とにかく会いなさい。あなたがお見合いするまで、伯母さんはしつこいわよ。一度したら、あちらも気が済むのよ。予定入れようたってダメだからね。わかったわね、エツ?」

 母が珍しく強制的だったのは、葛城の伯母から何らかのプレッシャーがかけられたのだろう。父は五人きょうだいの末っ子で、母にはうるさい小姑が三人もいた。その筆頭が世話好きの葛城園子なのである。三十を過ぎた健康な男が独身でいるのは、伯母の園子には許されないらしい。ちなみに兄の敦祐も、三十になった時に見合いを勧められた。

「もっとマシな恰好なかったの?」

 伯母が悦嗣に耳打ちした。ラフなコーデュロイジャケットにタートルネックのセーター、ジーパンの悦嗣の姿は、彼女の考える見合いの基準に合わなかったようだ。何しろ予定はフレンチ・レストランで食事の後、クラシック・コンサートなのである。

「堅苦しいのはやめて、普段着でって言ったのは、おばさんだろ?」

「普段着でも、もっとそういった場所にふさわしいのあるでしょうに」

 彼女が渋い顔をする。悦嗣はため息混じりの笑みを返した。

 フレンチはともかくコンサートには興味があった。席もプログラムも良かったので、それを『バイト代』だと思って、母の顔を立てたのである。相手には失礼な話だった。見合いをして気に入られる意欲などなかったので、どう思われようと構わない。

 見合い相手・竹内綾香はすらりとした美人で、食事の折の会話では嫌な感じは受けなかった。月島芸大よりはるかにレベルが高く、伝統もある某音楽大学を卒業して、ピアノの教師をしながらあちこちの合唱団で伴奏などしている。悦嗣はまったく記憶にないが、彼女が出演した演奏会の調律を担当したらしい。

「その時の仕事ぶりが、とても印象に残ったんですってよ」

 仕切り屋気質の伯母が、食事中に説明してくれた。食事の間、ほとんど彼女が喋っていた。それに相手の付き添い――親戚筋と思しき女性が相槌を打ち、時々の質問に当事者二人が答える。

 仏頂面は悪かろうと、愛想笑いを織り交ぜる気配りをしなくてはならず、悦嗣には長い食事時間となった。


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