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怨念の異形神  作者: 神月裕二
第4章 血と引き金
32/74

4

 

 四匹の悪意の蛇を武雄らに向かって放った直後、死人男爵のもとに一枚の銀製カードが送られてきた。

「カード? ベルゲリウスからの?」

 ファレスは死人で作られた椅子から身を乗り出し――そのとき、死人どもが悲鳴を上げたがファレスはこれを無視した――死人の差し出すカードを受け取った。

 確かに、それは銀で出来たカードのようであった。

「ふむ――」

 ファレスはカードを弄びながら、訝しげな様子で見つめていた。

「ベルゲリウスめ、何を企んでいる?」

 そう呟くと、ファレスはカードを足許に放った。銀閃が疾り、カードが鋭い角度で結界の床に突き刺さる。と、カードから光が放射され、カードの真上に一人の男の像を結んだ。

 イギリス人紳士風の男、大魔導師ベルゲリウス・ホーン。

 小賢しい人間どもの考え出した魔法の中に、これと似たようなものがあったな。

 テレパシーを薄い銀製のカードに封じ込め、ある一定以上の衝撃が加えられれば、その封印は解け、テレパシーが相手に伝わる。その際に映像も一緒に記憶できるのである。

「お久しぶりですな、ファレス殿。あなたとは、そう、二五〇年ほど前に一度会ったきりでしたな。ともに、フェノメネウス殿のもとで働けることを光栄に思っておりますぞ」

「心にもないことを」

 ファレスが薄笑いを浮かべていう。

「――さて、今日、このような形でご挨拶に伺ったのは他でもない、妖のことだ」

 徐々にベルゲリウスの言葉遣いが、より尊大なものに変化を始めた。明らかにファレスへの嘲笑と侮蔑が含まれていた。

「――何!?」

 愕然とファレスが身を乗り出したとき、椅子になっている死人どもが再び苦鳴を洩らした。

「あなたが会津で昼寝をしている間に、私は妖を異次元空間に捕らえることに成功した」

「何だと!?」

「驚いている様子が眼に浮かぶわ。クク。しかも、その異次元空間とは我が内宇宙の一つであり、そこでは刻々と妖の生体エネルギーを吸収する作業も行われている。つまり、もうじき妖はひからびたミイラと化すのだよ」

「…………」

「魔界貴族でさえも敗退した魔人を、私は捕らえることに成功したのだ。――もう、私が何をいいたいのか、おわかりかね?」

「無能呼ばわりする気か、我々を」

 ファレスは無意識のうちに死人の頭を握りしめていた。指先が頭蓋にめり込み、死人が叫び声を放っていても、ファレスの耳には届いていない。

 今、彼の心に怒りと焦りがあった。

 たかが人間如きに馬鹿にされる自分への怒りと、奴を生かしてはおかぬという、誇りを傷つけられた怒り。

 これ以上、ここで手間取るわけにはいかなかった。

 妖を殺すのは、俺なのだ。

「そういうことで、ファレス殿。一度会って話をしたいのだが、いかがかね?」

 何が「そういうこと」なのか怒りで途中を聞いていなかったのでわからないが、それでも、ベルゲリウスの方もファレス(こちら)を()す気でいるらしいということはわかった。

 奴は誘っているのだ。俺を、奴自身が布陣した戦闘空間(バトル・フィールド)へ。

「では、後日。こちらから案内を出すので、来るならその案内に従ってきてくれたまえ。いい返事を期待しているよ」

 不敵な笑みを浮かべた大魔導師の姿が急速に薄れ、消えていった。その直後、銀製カードにどのような魔法がかけられていたのか、緑色の泡に浸食されて融けていく。

 異臭と煙を放ちながら。

 しかし、どうやら毒性はないらしい。

「クク。ベルゲリウスめ。死人男爵を舐めるなよ。貴様が案内してくれる前に、こちらから先制攻撃を仕掛けてくれるわ。この身体にも、そろそろ飽きてきたし、ちょうどいい交換時期というわけか」

 ファレスは自らの結界の中で、こらえきれずに笑い出した。死人男爵の魔力と大魔導師の魔力、どちらが強いのか。そしてその二つが一つとなったとき、どれほど強大な(パワー)が手に入るのか。それを考えたとき、ファレスは身体の底から湧出する戦慄を止めることが出来なかった。

 それはまさに、歓喜の震えであった。

 ファレスには、このとき、ベルゲリウスを斃す自分の姿が見えているのであった。

 ファレスはその直後、使い魔〝竜蜂(ドラゴン・ビー)〟を放って、ベルゲリウスの居場所と罠を張る恰好の場を探らせた。

 行動開始は、使い魔の帰還後すぐだ。

「待っているがいい、ベルゲリウスよ。貴様の精神を、転生できぬ永遠の闇に叩き込んでくれるわ。それが、魔界貴族を愚弄した罰と知れ」

 そう宣言して、ファレスは再び嗤った。

 嗤い続けた。


 地上でそのようなことが起こっているのなど、異次元街に封じられた妖にはわからない。ただ、空の色が刻々と変化するのは、ベルゲリウスの精神状態の投影だろうか。もしそうだとしても、何色がどういう心理状態を表現するのかは不明だし、研究したくもなかった。

 もう、異次元街に封じられるのは、ごめんこうむりたかった。が、そのセリフも地上に出られぬ以上、永遠に吐けぬものであった。

 妖と玲花がいるのは、別にこれといって身の隠すものとてない道路の片隅であった。

 この街に叩き落とされてから、果たしてどのくらいの時間が経っているのか皆目見当もつかなかったが、それでも、すでに丸一日は経過していよう。その間に、何度か眼前を竜牙兵が通っていくのを見た。

 竜牙兵は右手に蛮刀を、左手に円盾を持った骸骨兵士で、数十体もの集団で移動していた。それが、どうやら何グループもいるらしい。

 そいつらは、虚ろな眼窩に魔法の炎を宿して、妖と玲花を探していた。しかし、未だ見つけることが出来ていない。二人が目の前にいるにもかかわらずだ。

 別に、妖たちが気配を消していたというわけでもない。もちろん、今の二人にその余裕はない。

 二人の姿が、竜牙兵の眼には映らなかったのである。

 妖たちがいる地点こそ、バスの難を逃れた時点で最も近くにあった、いわば〝消失点〟なのである。つまり、この街が、ここに封じられた人々の記憶によって作られているならば、必ず人の記憶にも限界がある。その限界と限界とが重なったいびつな接合点がここなのだ。

 妖が街の構造に違和を感じたのも、そのせいだったのだ。だからベルゲリウスにも見えない。街の住人が知らないのに、異邦人にわかる筈がないのである。

 それはともかく、問題は、しかし経過した時間などではなかった。

 いつまで、二人が生きていられるのか。

 二人のどちらか、ではない。二人ともだ。

 妖一人なら、恐らくいつまでも生きていられるだろう。少なくとも百年は生存できる妙な自信はあった。しかし、それでは意味がないのだ。玲花を救ってこそ、玲花とともに生還してこそ初めて意味があるのだ。

 今、玲花は死にかけていた。

 能力(ちから)を持っているとはいえ、玲花も一人の人間だ。しかも、女だ。生体エネルギーはすでに底をつきかけていた。そのために、美貌は青白くなり、切れ長の眼は落ち窪んでしまっていた。息も絶え絶えで、苦しそうに呼吸をするのみだ。

 動くことなど、もはや出来そうにない。

 まさか、これほどはやく生体エネルギーが枯渇しようとは。

 もう少し保つと思っていたのだが、それは妖の大きな見当違いだった。人間の身体は、彼が想像するよりも遙かに脆弱だったのである。

 そして思う。

 ますます、自分の身体が「人間」とは異なっていく。いや、最初から自分の身体は「悪魔そのもの」だったのか。

 妖は、玲花を膝の上に乗せ、彼女の額に手を当てていた。そこから、妖の生体エネルギーを放射しているのである。もちろん、急激な放射は玲花の肉体に異常をもたらすであろうから、微量でしかエネルギーを注ぐことが出来なかった。それが、妖には歯がゆかったのである。

「俺が、魔界の裏切り者だと? どういうことだ。何も思い出せない。――ならば、俺は今もなお悪魔なのだろうか」

 妖にしては、独白するなど珍しいことであった。こんなとりとめもないことを考える暇がなかったのも事実なのだ。しかし、敵に捕まって初めてその余裕が出たとは、また皮肉な話であった。

「――俺は、いつからこの世界にいる? どうやって生まれてきた? 母親は? 父親は? 何も思い出せない。この記憶は、かりそめのものなのか。もしそうなら、悪魔の記憶を全て取り戻したとき、俺はどうなるのだろう…。そして、玲花は――」

 妖は、玲花の苦しそうな寝顔を見下ろし、額に汗で貼り付いている髪を手で掻き上げてやった。

 玲花は、そのときも俺を愛してくれるのだろうか。悪魔と化した俺を――

 妖は、そこで考えるのをやめた。

 空を見上げる。空の色は灰色だった。

 そこには依然として、あの巨大な眼球が浮かんでいる。怨めしそうに地上を見下ろし、妖を探しているのだ。

「――玲花、助からぬのなら、ここでともに朽ち果てるのもいいな。そうすれば、人類の滅亡を見ずにすむ。――そうだな、どこか別の…」

 そう呟いて、ハッと気がついた。

 いつの間にか、妖自身も弱気になっていたのだ。思わず自嘲じみた笑みを浮かべてしまう。

 俺が、こんなことをいうようになっちゃ、おしまいだよな、玲花。

 必ず、ときが来る筈だ。そのときまで、今は待つしかあるまい。

 凝っと力をためて、いつか放たれる矢のように、そのとき、全力をもってここから脱出するのだ。

 妖は視線を落として、半眼になった。

 そのとき、妖の背中を冷たいものが滑り落ちる。

 十数メートル先にある曲がり角から、竜牙兵が一体、不意に顔を覗かせたのである。

 昏い魔法の炎を宿した虚ろな双眸は、確かに妖と玲花の方を凝っと見つめていた。

 二人を見つけ出したことは、明らかだった。

 だからといって、別に驚くことはない。

 相手は、大魔導師とその麾下の竜牙兵だ。何度もこの付近を捜索していれば、やがて二人の気配ぐらいは感じ取れるようになるだろう。先にも書いたが、気配を消すという行為によって余計なエネルギーは消耗できなかったのだ。だから、いつかは発見されるだろうと思っていた。

 しかし、はやすぎる。

 竜牙兵が、ぞろぞろと曲がり角から姿を現してきた。だが、すぐに襲いかかってくる様子はない。ということは、まだ判断しかねているのだろうか。

 気配はすれども姿が見えないのだから、それも当然であった。しかし、襲いかかってくるまで、それほど時間は残されていない筈だ。

 どうする?

 やるか?

 妖はやや腰を浮かし、わき上がってきた唾液を、無意識に飲み下していた。

 そして今、妖の眼前に姿を現した竜牙兵団は、従容と二人に向かって歩き始めたのである。


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