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怨念の異形神  作者: 神月裕二
第4章 血と引き金
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1

 

 暗黒の空間で、光の龍の持つ珠の中で眠る男――魔界侯爵フェノメネウスの身体は、ほぼ八割程度回復していた。

 妖の〝夜魅〟に喰われた傷はようやく治癒を始めている。他の細かな傷や奪われた生体エネルギーは、「魔界の光」の照射を受けてすでに全快している。

 残るは、最大の刀傷のみであった。

 大魔王サタンの最も魔力の影響の強い魔空間にあって、魔界の光に包まれながら地上時間で数日を経過してなお、ようやく傷口がふさがり始めただけとは、大魔王が「裏切り者」として抹殺を命じるだけのことはある。

 やはり、我等「魔王軍団」の最大の敵となったか、妖よ。

 貴様ほどの魔人が、何故に人間どもに与するのか。確かに、次元転移時のショックとたび重なる転生がお前の本来の記憶を奪い、人間として生きることを要求しているのだろう。

 だが、本人の意思が悪魔たらんとすれば、如何に人間になっていたとしても、やがては悪魔に戻るものなのだ。

 それが、貴様に至っては人間どもに与するばかりか、我々悪魔一族にあだなす宿敵となろうとはな。

「ふ…ま、それも宿命か。――思えば、数百年もの昔も、貴様と私は敵対していたな。どちらの魔力が上か、よく戦いあったものだ」

 悪魔は、戦い続けねばならない。

 たとえ相手が何であっても。

 それは業である。悪魔として生まれ落ちた瞬間から課せられる宿業なのだ。

 たとえ人間に転生していても、悪魔であった以上は、この運命から逃れることなど出来はしないのだ。

 魔界侯爵の閉じられていた双眸が、スッと見開かれた。

 爬虫類のような瞳が、眼前の闇を見つめている。

 その闇――魔空間には外界の状況が全てインプットされており、フェノメネウスが望めば、瞬時にあらゆる情報が脳裡に流れ込むのである。

 それは、気圧、気温、湿度や地熱、大気や水質の汚染状態、オゾンホールの位置や大きさ、そこから降り注ぐ紫外線の量といった気象関係から、軍事バランス、政治、経済情報、そして悪想念流や魔人たちの情報に至るまで、およそ考えられる全てのデータを侯爵に伝えてくるのである。

 この術は無論、侯爵レベルでなければ使えないほど高度なもので、相当な魔力を必要とする〝闇魔術〟関係でもトップ・クラスに入る術である。

 三人の大魔人が日本に降りた第一の理由は、妖――裏切り者の討滅にあったが、第二の理由として、世界経済の中心にある大国の壊滅が挙げられる。世界中の人間を未曾有の大混乱に叩き込むプロセスの一環として、大国の経済破綻が魔人たちに命じられていた。とはいっても、この計画は数十年も以前からすでに練られていたもので、魔界侯爵の仕事は角界のトップやそれに近い位置の人間になりすました悪魔どもに命令するだけで良かった。

〝狂わせろ〟

 と。

 その一言で、家族や妻、もしくは夫にすら知られることなく本人と入れ替わっていた妖魔が、文字通り皮を脱いで一斉に蜂起する。

 それで、世界は狂い始める。

 そして、大魔王の顕現だ。

「人間どもは弱い。恐怖と不安を知る人間どもを混乱させるのは簡単だ」

 いまは、そのための〝準備〟である。

 それが先日、侯爵が生ぜしめた大爆発であり、会津に送った〝ロゲス〟だ。他にも北海道に震度四の地震を何日かおきに起こしたり、九州は桜島を大噴火させるというのも、計画の一つに入っている。

「――ふむ。〝準備〟は、徐々にではあるが着実に整いつつあるようだな。ファレスよ、急げよ。言うなれば〝ロゲス〟は、おとりだ。人間を不安にさせるためのな。それさえ出来れば、あのような忌々しい生物には用はないのだからな。ベルゲリウスが妖を足止めしているうちに、計画を進行させるのだ」

 そして、大魔導師ベルゲリウス・ホーンでさえも、魔界侯爵にとっては捨て駒であった。奴の特徴は異次元につながる内宇宙(インナー・スペース)を持つことと、人間にしては珍しいほど、高度な呪文が使えることの二点である。

 侯爵はこの二点を活かして、妖を内宇宙に捕らえよ、と命じたのである。

 捕らえられる、とは本気で思っていなかったようだ。せいぜいが足止めを食わす程度であろう。よしんば捕らえられても封じるだけだと。

 それもあまり時間は保つまい、と。

 しかし、ベルゲリウスの場合、嬉しい誤算であった。よもや、これほどの時間、妖を封じておけるとはな。だが、ファレスがどう思うか。功を焦るあまり、敵意をむき出しにすまいか。

 侯爵の危惧は見事に現実になった。

 やがて、死人男爵が大魔導師と激突することになるのであるが、いかな侯爵とはいえ、それを予知することは不可能であった。

 ましてや、止めることなど…。

「この身が自由であれば、今少し計画の進行は早まったであろうに…」

 この、妖に受けた傷が完治しなければ、侯爵は手足を動かすことも、〝美槌〟の結界を破ることも出来ないのだ。


 各員、持ち場に戻るべきである、との意見を獅天が八導師に提言したのは、その翌日の夜遅くであった。

「確かに、妖のことは気になるところであります。しかしながら、ここで魔人や妖魔たちの動きを逃すことは、あまりにも愚行であると考えますが、いかがでしょうか」

「それは、無論じゃ」

 と、冬が答える。

 石版の間――そう呼ばれる部屋にいるのは八導師と獅天の九人であった。

「しかし、他の三地点に限らず、日本かくちの妖気エネルギーが沈静化しているのも事実なのだぞ、獅天」

「承知しております。――しかし、それは今だけなのではないでしょうか。嵐の前の静けさ、とは申しませんが、この事態こそ、異常なもののように思われるのですが」

「ふむ…」

 と荘が相づちを打つ。

「もし、そうなのであれば、私には何かをきっかけにして、一斉に事態が深刻化する、そのように思えるのです。それに、先ほど、各地の妖気エネルギーが沈静化しているとのお話でしたが、精確に言えば、そうではありません。確かに、全体的に見れば沈静化の方向に向かっていますが、それはあくまでも上昇率が落ちてきているにすぎず、依然として妖気エネルギーは高まり続けております。このままいけば、数ヶ月後には人の精神や肉体に何らかの影響を及ぼすことにもなりかねません。――このまま、放っておかれるおつもりか?」

 ついつい、語尾がいつもの調子に戻ってしまう獅天であった。

 八導師は、少なくとも妖・玲花の消息不明という事態に対して動転していたようだ。

 何ら手だてのない妖救出という方に頭が傾いていたために、こんな当然のことを部下からいわれるまで気がつかなかったのである。

 確かに、妖・玲花を欠く〝美槌〟に、魔人たちの侵攻を防ぐ力はない。そのことが、末端に至るまでわかっているからこそ、組織のほぼ全員が〝美槌〟本部に集合してしまったのだ。しかし、いま考えねばならないことは、魔人たちの動きなのではないか。

 二人を救出する方法がある、または見つけられるというのであれば、救出を優先すればいい。そのことに獅天も反対はしない。

 しかし、それがお手上げ状態にある以上、〝美槌〟がやらなければならないことは、魔人たちの監視である。

 いつ、どこで、魔人たちがどのような行動にでるか。それを少しでもはやく察知し、次の行動に移る。四天王二人を欠いているとはいえ、獅天・光炎の能力レベルは格段にアップしてきている。

 妖は、必ず玲花とともにこの地上に復活する筈だ。根拠は何もないが、獅天はそう信じていた。たとえ、人類に救出の手だてが残されていなくても、神が、いや、この世界が妖を失うことを良しとはしない筈だ。だから、彼等の帰ってくる場所を、無くしてはならないのである。

「――どうやら、〝美槌〟全体が動揺しておったようぢゃの」

「ふむ。この動揺が長引けば、悪魔どもに隙を見せるばかりでなく、我等をリーダーと仰ぐ世界各国の組織の志気にも関わるところであった。よくぞいってくれた、獅天」

 と、天。

「いえ、礼は紀羅にいってやって下さい」

「紀羅に?」

 荘が、驚いた表情(かお)で聞き返す。

「ええ。あいつだけが、この場にいないんです。妖の愛弟子のあいつだけが、一番事態を把握し、妖を信じていたのです。必ず妖が帰ってくると信じているからこそ、自分は課せられた任務を全うできるのです」

「そうか、紀羅が。――わかった。星よ、全員にそれぞれの持ち場に戻るように命じよ。八天部はもちろんのこと、各界に配置したメンバーにも戻るように告げるのぢゃ」

「承知しました、天」

 今度ばかりは、星も素直に従った。

 彼の野望を進行させるには、この日本、いや世界が無くなってもらっては困るのだ。

 そのために、獅天の意見には反対しなかったのである。

 星の命令は、即刻、〝美槌〟の末端にまで行き届いた。八天部はおのおのの四地点に戻り、その地の妖魔の動きを見張った。また、悪魔側と同様に、〝美槌〟も各界のトップクラスにメンバーを配置し、あらゆる情報を収集して速やかな行動がとれるようになっている。無論、自分が〝美槌〟という組織の一員であると知っているのは本人だけである。たとえ妻子のある者であっても、秘密を漏らすことは決してない。そういうふうに訓練されているのである。

 石版の間から出てきた獅天を待っていたのは、口数の少ない巨漢、光炎であった。

「うまくいったようですね」

「ああ。しかし――」

「何です?」

「慣れねぇ喋り方をすると肩が凝るねぇ」

 首筋を揉みながらいう獅天に、光炎が薄笑いを浮かべる。

「そ、それより、光炎、わかったのかよ」

「何故、私がここにいると思うのです?」

 獅天は、光炎にベルゲリウス・ホーンの居場所を探るよう、石版の間に入る前に光炎に頼んでおいたのである。

 妖と玲花を封印したのが奴なら、そいつ自身をぶっ叩きゃいい。

 荒っぽい手段は実に獅天らしいが、それが最も手っ取り早いように思える。

 二人を封じた術は、どうやら禁呪か秘法であるらしく、〝美槌〟の無数の蔵書を調べさせてみたが、結局解呪の方法などは発見できずじまいだった。

 どんな魔術書にも載っておらず、それが使われるのを見たといった記述すらない。

 それならば、方法は一つしかない。

 しかし、相手は魔術・体術ともに優れた大魔導師である。二人でぶつかったところで勝てるかどうか、皆目見当もつかない。そのために八導師たちも、二の足を踏んでいたのである。それを、獅天たちは実行しようというのだ。

「ま、ヤバくなったら霊道を開いてくれや。ケツまくって逃げっからよ」

 獅天は、光炎が告げた場所に向かって出発する直前に、霊道を開いた(トウ)にそう告げていた。

「頼むぞ、獅天、光炎」

「ああ。わかってるさ。無茶はしないつもりだ。――それじゃ、行って来るぜ」

 そういって、獅天は霊道に消え、ついで光炎も冬に会釈して後を追った。

 光炎がいっていた。

 これは、わなかもしれない、と。

 ベルゲリウスともあろう者が、自分の居場所が容易に悟られるような真似をするだろうか。確かに、流出していた妖気は本当にわずかなものであったが、それでもベルゲリウスのものと判断できたのだ。〝美槌〟の情報収集・分析能力を舐めたのか、それとも……。

「罠か、それでもいい」

 獅天は全身全霊をかけて相手にぶつかることを決意した。

 そして、自分が熱くなっているのを知った。

 戦いへの昂揚感が、身体を熱くし、またゾクゾクとふるわせてもいた。


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