3-1 ジャス 前編
ジャス。暴力的で人を殴るのを厭わない。最悪な人間。私の大嫌いな人間。
私が五歳の頃には、五歳年上の彼がやってきた。その時から嫌いだった。
お金がなくて嫌々働いているのが分かった。そこが嫌いだった。
よく喧嘩をして私の家の立場を貶めていた。そこが嫌いだった。
喧嘩の理由が私を影でばかにした人に怒りが沸いたからだった。そこが嫌いだった。
それなのに大した理由もなく、簡単にアンディの元に行った。そこが……大嫌いだった。
クロウが帰ってきて、超絶ハッピーだった私。あれから帰ってすぐ、クロウと話をした。
「ふふん。クロウが帰って来たからには、また城での生活が楽になるのね」
「勿論ですよ。ルフさん」
そこで私に疑問符が浮かぶ。ロセは元々召使いだが、引き続き家事をやっている。しかし、クロウは教育係。なんでもできそうに見えるが、こんな状態で引き続き私に物を教えるわけにもいかないし……。
考えていると、クロウが声をあげる。
「では、私は引き続き教育係を続けるとしましょう。今度は、炊事と掃除の」
「……え?」
「今までの生活を維持するには、使用人二人では足りません! ではまず料理を始めますよ!」
「え? え?」
「包丁を持って! 何も知らないルフさんのために基礎の基礎からお教え致しましょう!」
「いや……いや!! いやあああ!!」
思わず叫びながら拒否する私。転生前ですら家事をしたことなかったんだから、絶対に家事なんかしたくない。
「ルフさん。料理ができなければ、美味しいご飯は食べられませんよ」
「いやったらいやなのよ!」
言いながら、私はその場から去っていった。呼び止める声が聞こえても、私は気にしない。
町で、私は独り言のようにそこで浮いている妖精のリリポへ話し掛ける。
「リリポ。次に手に入れるのはジャスよ」
「……料理が食べたいからデスカ」
「そうよ! 美味しい料理も食べられず、自分で作らなければならないなんて、絶対に嫌!」
教えられるということは、クロウは料理を作ることが出来るということだ。おそらく彼は理由をつけて私に料理を教え、将来の役に立てばいい等と考えているのだろうが、嫌なものは嫌!
「効率とか考えないでいいんデスカ? 落としやすい人を先にトカ……」
「結局全員落とすんだから、そんなもん考えたって仕方がないじゃない! 適当にやればいいのよ適当に!」
私が自信満々に言ってやるも、リリポは不満げ。私の力を信じられないのだろう。
「しょうがないわね。リリポ。この私の実力を見せてあげるわよ」
長年一緒に過ごしていたのだ。ジャスの行動パターンのいくらかは分かっている。
ジャスのよく来る食材店。新鮮な魚を売っている市場で、私はその姿を待っていた。
毎朝二分の一ほどの確率でここに来るジャスは、運よく今日が来る日だったようで、姿が見えた。
もしも来なかったら格好つけられないので、来てくれてよかった。
「ジャス!」
私が声をかけてやると、彼は嫌そうな顔をしつつも振り返った。
派手な格好をしている金属器をジャラジャラとつけているジャス。
そんなジャスを見て、私は微笑んだ。
ジャス。前世で彼をゲームで攻略したとき思った感想は……。
「ちょろい」だ。
荒くれ者で一人ぼっちのジャス。そんな中でただ一人受け入れてくれたアンディは、女神様のように見えたという。
それからジャスは、アンディを守り続けると誓ったのだ。
人を神格化させている人物は、壊れるのも早いと言う。ならば、私が手に入れるのも早いだろう。
アンディをぎゃふんと言わせてやるためだ。少しぐらい可愛らしい顔を見せてやろうではないか。
「……ジャス……」
小さな声で下から囁きかけると、私はそっとジャスの袖を掴んで、上目遣いで見つめる。
「私、ジャスに会いたかった……」
甘い声で囁く。僅かに恥ずかしげな表情を混ぜて、可愛らしさを表現する。
どうよ。この可愛さ。どうよ。この愛らしさ。ときめいたでしょ? ときめいちゃったでよ?
「何だお前。気持ち悪」
ジャスの率直感想。私の心に大ダメージ。
「おと、乙女に……。乙女に……気持ち悪いとか言うなんてどういう神経してんのよこのチョロ男!」
「いや乙女はそんな激しい声色上げねえって」
「どう見たって乙女でしょ! 私はお嬢様よ! よくもお嬢様に! お嬢様に!」
「お嬢様の発言じゃねぇって」
私がぎゃーすか騒ごうとも、ジャスはめんどくさそうに頭をかくばかり。ムカつく。心底ムカつく。リリポが後ろでケラケラ笑っているのもムカつく。ジャスが目の前じゃなければぶん殴っていた。
「にしても、よく俺のところに来れたもんだな? 殴られそうになった癖によ」
悪い笑みを浮かべるジャス。また殴ってやろうかと言いたげだ。勿論、私はそんなものに物怖じせずに、にっと笑う。
「あんた、クロウの姿を見てから殴ろうとしたでしょ。止められるの分かっていて」
どうやら図星だったようで、苦虫を噛み潰したような顔をするジャス。
「あんたがガキンチョの頃から主人やっているのよ。あんたのそのヘタレ具合なんてわかっているわよ」
馬鹿にするように笑ってあげると、分が悪くなったジャスは、笑みを向け返す。
「もしかして、てめぇ。ろくな料理が食えなくなったから、俺に料理作ってもらいに来たのか?」
「なっ、何よいきなり……!」
今度は私が図星を当てられてしまった。
「てめぇがガキの頃から料理人やってんだ。てめぇの考えなんざ分かるっつーの」
「そ、そんなわけないでしょ! あんたの料理毎日食べていたら飽きるっていうか。欲しいなんて思うわけないじゃない! まあロセの料理も美味しいし? あんたの料理なんか食べても不味いだけだし!」
あまりにも図星だったから、必死に否定する。リリポが「落とすのはどうしたんデスカ~」と気の抜けた声をあげる。
ジャスは呆れたように笑って、「……んで、てめぇは何しに来たんだ」と問いかける。私はそこまで言われても怒らないジャスに驚きながらも、咳払いをして計画を立て直す。
私に堕ちてもらう作戦は失敗した。ならば、アンディを貶めればいい。リリポにヒロインのやる事じゃないとまた失笑されるだろうが、私の人間性なんて気にしている場合じゃない。何より、私はただ事実を述べるだけだ。
「ねえ、アンディの本性、知りたくない?」
アンディは私しかいなければ本性を表して罵詈雑言を浴びせるだろう。つまりその姿をジャスに見せれば、きっと幻滅してくれるだろう。そして私のところに戻ってきてくれる手がかりになるに違いない。
「いらねぇよ。アンディのことはよく分かっているっての」
「いいや分かってないわ! あいつはとんでもない糞女なのよ!」
「何……?」
アンディの悪口にイラついたのか、顔を歪ませるジャス。そろそろ胸倉を捕まれそうなので、本題に入ることにする。
「明日の夕方! 四時にアンディの近くで隠れてなさい。アンディの本当の姿を見せてあげるわ。私に怒るのは、それからでもいいんじゃないかしら?」
「なんで俺がてめぇの言うことなんざ気かなきゃいけねぇだよ」
「来なかったら、アンディが糞女だってこと、認めたってことにしてあげるわよ」
私が言ってやると、ジャスは「バカらし」と言いつつ私を軽く突き放すと、そのままどこかへと立ち去っていく。
「喧嘩が始まるかと思いマシタ」
「え、ええ」
私もそう思っていた。ジャスの何かが違う気がする。その違和感を、今は胸の中に押し込んだ。