9-2 最終章 中編
ソファの上ですやすやと眠っている私だったが、人の気配を感じて眠りから覚め、瞼をゆっくりと開くと……。
顔の上で、タリクが距離20cmほどの近さでじっと私を見ていた。
「うわああ!」
驚いた私はソファを転がり床に落ち、思い切り顎を床にぶつけた。
「いた!」
顎を片手で抑えながら痛みに耐えていると、タリクは髪をかき上げながら私に話しかける。
「おっと、ごめんよ。可愛い元彼女の寝顔を見ていたくって。つい。安心しておくれ。変なことはしていないからさ」
私がタリクの元カノになっていたことを思い出して、痛む体を起き上がらせた。
周りを見てみれば、五個のロッカーが並んでおり、部屋の真ん中に私が寝ていたソファと、小さな机がある。
ここは、タリクの働く美容室の休憩室。ここで私を匿ってくれたのだ。
「……で、頼んでいたことはどうだったのよ」
私は昨日頼んだことを考えながら、タリクに問う。
「ルフちゃんの使用人達がどうしているかという話だな? 美容院の皆と探した結果、ルフちゃんが話していた人間は見つけた。だが不思議なことに、ルフちゃんの使用人ではないとばかり言われた。どうやら、彼らは全員ジーク王子の婚約者である、アンディ様の使用人らしい」
ごくりと唾を飲み込む。
予想していたこと。だが、事実として聞かされるとやはり僅かに動揺する。だが、皆生きていてよかった。
「私の胸に飛び込んできてもいいんだよ。ルフちゃん」
「……バカ言うんじゃないわよ」
冗談めかしながらどや顔で言うタリク。
私はそれを笑って返さずに、真剣な表情で出口の扉へと手をかける。
「どこに行くんだ?」
「今度は、皆に私の元使用人達を連れてきてもらうよう頼むわ。……じっとしてなんかいられないもの」
止まることを知らない私に、タリクはやれやれと言った表情を向ける。どうやら、付き合ってくれるようだ。
扉を開けると、いくつも席が並んだ美容室に出る。
数名の従業員が、二人の客を接待していることが分かる。
客が出ていくまで声をかけるのを待とうかとも考えたが、それが私の見知った人間であると気が付いた。
ロセと、ヴァリーだ。
「……な、何やっているのあんたら……?」
「いいって言っているのに座らせられたんですよ」
私を見つけて言葉を返したのはヴァリーだ。
ロセはどうしたらよいのかわからずに、今にも泣きそうな顔で髪をいじられている様子だった。
「いや、別に髪を弄られているのはいいんだけど、なんで二人はここに……」
「覚えているからですよ」
ヴァリーは椅子から降りると、わざわざセットしてもらったであろう髪をぐしゃぐしゃとして元に戻す。
店長が残念そうな顔をしているのを無視して、ヴァリーは私の元に向かうと、笑顔を向けた。
「ルフさんの事、覚えているからです」
「ど、どうして……」
我ながら素っ頓狂な声をあげてしまう。
その問いに答えたのは、背後からやってきたタリクだ。
「紹介しよう。『ルフちゃんの使用人じゃないという人ばかり』に当てはまらない、ちびっ子二人組だ」
人目に触れないように、私達は休憩室の中へと戻る。
なお、ロセは今も髪を弄られているので私とタリク、ヴァリーの三人となる。
そこでリリポを確認してみると、確かに今リリポに埋め込まれている宝石は二つ付いている。
「で、どうして……でしたっけ? 記憶を失った後にもう一度思い出せるように、ルフさんの事を思い出せるものを常にポケットに入れていたんですよ。ロセさんは、その後にルフさんの記憶を思い出させました。ちょろかったですよ」
「そう……ちなみに私の事を思い出せるものって何よ」
「秘密です」
即答された。ものすごく気になる。
ヴァリーはそんなことはどうでもいいとばかりに、話題を変える。
「今の状態では、妖精の力を使うことができません。妖精の力を使うには、皆さんの愛が必要なんです」
「愛……愛って……」
そんな恥ずかしいことをよくそんな軽々しく言えるわね。と思ったが、ヴァリーは真剣な眼差しであるため茶化すのはやめておいた。
「愛を手に入れるためには、皆さんの記憶を呼び覚ます必要があります。タリクさんの攻略をしなければならないという問題もありますし……」
「ヴァリー……と言ったか? 私の攻略とは一体どういうことだ?」
問いかけたのはタリク。
ヴァリーは「話していいのか」と聞きたげに私の方へ視線を向け、私が頷いたことを確認すると、ぽつりと話し出す。
「ルフさんの死刑を阻止するには、八人の攻略……つまり、八人から好かれる必要があるんです。そして、タリクさんもルフさんを好きになってもらわなければならない人間の一人です」
それを聞いたタリクは、暫く悩むかのように顎に指を添えると、こくりと頷いた。
「……なるほど。そう聞かれれば黙っている私じゃない。ルフちゃんを好きになるよう頑張らなければな」
「いいや、いらないわ。それ」
私が言うと、タリクもヴァリーも驚いた顔をする。
「タリクにそんな努力して欲しくないわ。そんな努力をしたら、タリクはタリクじゃなくなるし……そんな努力をさせたら、私は私じゃなくなるもの」
「じゃあどうする気ですか?」
「今回タリクの攻略が必要になった理由は……ヴァリーの魔力が足りないからでしょう? 私も使えるわ。魔法」
「……!」
私が言った途端、ヴァリーは慌てているような、怒っているような、心配しているような。複雑な表情を一気に出すと、私に一歩近づく。
「危険過ぎます! ルフさんは、一度しか魔法を使った事がないでしょう!」
「でも、一番妥当な案じゃないかしら?」
「それは……」
これには反論できなかったようで、ヴァリーは言葉を詰まらせる。
「あの……」
突如後ろから声が聞こえる。
パーマをかけられてだいぶイケメンになったロセが、髪型に見合わぬおどおどとした表情で休憩室の扉を開け、私達に声をかけたのだ。
「ゆっくりしていて、大丈夫でしょうか…」
「何よ。ロセ」
「偶然アンディさんと会った時に聞いてしまったんです……。明日の朝、ルフさんの死刑を発表するそうです。時計台の前で……」
今までの私だったら、この発言を聞いて喚いていたかもしれない。
けど、もう決意はできた。
だから私は笑ってみせる。
「……想定していた時期より早いわね。けど、都合がいいわ」
私は一度皆に背を向けて数歩歩くと、くるりと半回転して笑って見せた。
「私に、考えがあるの」
次の日の朝。
私は、広間の端で皆を眺めるように立っている。
広間ではジークの呼びかけにより、老若男女問わず人が集まっていた。
時計台に示されている時間は朝の9時10分前。
アンディとジークは腕を組んでいる。嬉しそうに笑うジークに、少し恥ずかしげなアンディ。
ここから全てが始まった。
私と、ヴァリーと、皆の物語が。
「感傷に浸っている……という表情をしているな」
私の隣にいる、タリクが突っ込む。
「いいじゃない別に。これまで大変だったんだから。というかタリクはなんでここにいるのよ」
「ルフちゃんに伝えておくことがあってな」
「何……?」
またナルシストなことを言い出すんじゃないか。
そう考えながら話半分に聞いていると、ジークは予想外の話を切り出した。
「ヴァリーが、言っていたことだ」
「ヴァリー……? どういう事……?」
「ヴァリーは私に言った。『魔法使いがルフの傍にいてはいけないとは分かっている。死刑回避後はルフの元から離れるから、今は私が傍にいる事は目をつぶっていて欲しい』……と。ふっ。バカな男だな。何故私がこんな重要な事を黙っていると思ったのか」
魔法使いは、迫害されている。
昔読んだ本では、魔法が使えると分かった段階で死刑になっていたと記載されていた。
魔法使いは隠れて暮らすしかないのだ。
きっと私が「ずっとヴァリーと一緒にいたい」と駄々をこねても、ヴァリーは私の元から去ってしまうのだろう。
「……そう。分かったわ」
それだけ言って、私はそっぽを向く。
もっと騒がれるかと思っていたのか、タリクは首を傾げるも、それ以上この話題について突っ込まなかった。
広間の人間を確認してみると、きちんと全員来ている。
クロウ、ジャス、フレディ、ミニル。そしてジークの隣にいるアンディを合わせれば、今私の記憶を失っている人間は全員揃っている。
ジークは、私の姿を見つけたようで、ちらりとこちらを見る。
一瞬目尻がぴくりと動き、憎しみを向ける気配を感じた。
しかし民衆の前。彼は民衆に憎しみがバレないように、皆へ柔らかい笑顔を向けた。
「皆様。私のためにお集まり頂き、ありがとうございます。今回お話したいのは、元私の婚約者である、ルフについて。そう、そこにいる女です!」
ジークが私へと指をさすと、この広い空間にいる民衆の視線が全て私へと集まった。
ジークがこういった事をするのは予想の範囲内。私は腕を組んだまま動揺一つしない。タリクも腰に手をかけて不思議そうな表情をしているだけだ。
ジークは話を続ける。
「そこのルフは……いや、そこの女は! とんでもない悪女でした。彼女は魔女だったのです! 魔法を使って、この国を乗っ取ろうとしていたのです!」
ジークが叫ぶと、民衆からは「魔女?」「魔法を使うのか?」という声が聞こえてくる。
――そりゃあんたでしょ。
「その女は、魔法で何度も私達を殺そうとした! 私は私の命などどうでもいい! だが、この国を……この国の人々を危険にさらすことだけが……私は許せないんだ!」
しらじらしい。私はそう思っているが、王子だと信じ切っている国民達は、怒りをあらわにしている様子だ。
「今こそ国民の力を合わせて! その魔女を退治する……殺してやるときなのです!」
ジークが両手を大きく広げて、民衆に言い聞かせるように大声をあげた。
同時に、時計台の針が九時を指す。
その時、陽気な音楽が鳴りだした。
時計が奥へとしまわれる。この国で有名な動作だ。
そして。




