1-1 ロセ
拝啓。前世の私へ。
あなたのやっている乙女ゲーのヒロインは、とんでもない糞女です。
「男を奪われるのも、あんたに魅力がないのが悪いんでしょ? 私達が友達とは冗談に決まっているじゃない。あはは」
私の家。といっても、父が遠くの地方で伯爵をしていて、その別荘に住んでいる私は、結構広めの家に住んでいる。
だが、今いるこの部屋は広い部屋とは似合わず、ゴミだらけで異臭結構する。
どれもこれも、このヒロイン。アンディのせいで。
きっかけは、それは忘れもできない町で一番人の集まる広場でのことだ。
「私達、婚約することにしました」
時計台の下。示されている時間は朝の9時。時計台の時計が奥へとしまわれ、音楽が聞こえてくる。9時と15時に起こるこの時計の動作は、軽く国での話題となっている。
そんな時計台の下で、アンディと腕を組んでいるのは、私が婚約していたはずの、ジーク王子であったのだ。
嬉しそうに笑うジークに、少し恥ずかしげなアンディ。その二人の姿を見たのは、パン屋でたくさんのパンを買った後のことだ。
相当驚いたが、この国では国にとって重要なことは、民意がなければ決めることはできない。だから急に婚約者が変わることなどないだろうと思っていたのだ。
国の人々も私とジークが婚約していることを知っていたのだから、当然戸惑う。しかし二人が長々と愛を語り合っていると、なんともおかしいことに、人々も応援ムードへ変わってきたのだ。
ちなみに二人が愛を語っている間私は、パンを一つ一つ引きちぎっていた。
その時、前世の記憶というものを思い出したのだ。
妖精リリポと契約し、アドバイスを貰いながら七人の男を攻略する乙女ゲーム。このゲームをやった時から、おかしな感じはしていた。
ヒロインは、悪役令嬢ルフの周りの男ばかりをやけに攻略していた。召使いも料理人も、皆ルフの元からいなくなってしまったのだ。悪役令嬢は悪役というより、ただのライバルのような性格だった。
その違和感の理由が……これか。
現在、広場で語り合っていた初々しい姿とは程遠い、憎たらしい笑みで私を罵倒していた。
そして思い出す。さっきの広場での婚約は、エンディング確定シーンなのだと。
このヒロイン。ムカつく。ムカつく。ムカつく!
その時、アンディの後ろからジーク王子が部屋へと入ってきて、元私の召使いであり現アンディの召使いであるロセが遅れて来る。
「アンディ。こんな汚いところにいないで、そろそろ私の家に帰ろう」
こんな汚いところ。
「あ、ジーク様! もう! 汚いなんて言っちゃダメですよ!」
先ほどまでとは似ても似つかぬ猫なで声で、ジークの元へと寄るアンディ。
二人で談笑しながら部屋から出て行くと、ロセはちらりとこちらを見て、礼をすることもなく、そのきれいな指先で扉を閉めて出て行った。
……ムカつく。
「ムカつくムカつくムカつくムカつくうううう!!!」
私はガンガンと壁を蹴り上げる。
「何さ!!! 何が『汚いなんて言っちゃダメですぅ!』だ!! 思っていただろ絶対!! 汚いって思っていただろ猫かぶり女が!!」
蹴る蹴る蹴る蹴る。
「ジークもジークだよ!! 私に一言もなく一方的な婚約破棄だなんて!! 男としてどうなんだよ!! しかも汚いだなんて、汚いのは本当だけどおおお!!」
ガンガンガンガンガンガン。私の叫び声と壁の軋む音が混ざり合った。
「……これは、ヒロインにはなれまセンネ」
聞こえてくる素っ頓狂な声。甲高いその独特な声に、聞き覚えを感じた。
前世で聞いた声だ。
見えたのは、耳をぱたぱたして体を浮かせている、手のひらに収まるサイズのウサギのような物体。
形は一頭身だが手足もはえており、真ん中にした茶色いベルトとそこに埋め込まれた八つの宝石が特徴的だ。
私はこの生物を知っている。このゲームのマスコットキャラであり、システムや名前設定。ヒロインアンディの助言キャラとして登場してきていた精霊。名は……。
「リリポ……!?」
「その通りデス。私の名はリリポ。あなたを転生させたのデス。先に言っておきますと、あなたこのままだと死刑になりマスヨ」
「し、し、死刑ですって!?」
いきなり何を言い出すのかと思えば……。リリポが私を転生させたことも驚きだが、死刑になるということはもっと驚きだ。動揺が抑えきれない。
「ハイ。アンディは、その準備を着々と進めていマシタ」
私がゲームをやった時、死刑なんて言葉一度も聞いたことがなかった。だけど、あのアンディの性格の悪さ。納得できるものがある。が、やっぱり信じられない。死がすぐそこだなんて。
「私はこの世界がゲームになっていることを知ってイマス。デスガ、現実に彼女がしているのはあまりにも非道な数々。段々と性格が変わっていったのデス」
アンディと初めて会った時彼女は「私達友達よ!」と言っていた。そして先ほど冗談宣言されてしまったが、その時は純粋に私のこと友達だと思っていたのだろうか。
いや、そうは見えない。
「私はアンディさんを止めて欲しくてあなたを呼んだのです! まだきっと間に合います! 今こそアンディを止めてください!」
「止めるって……どうする気?」
私が訪ねると、リリポは悲しそうに語る。
「アンディは、男を手に入れたことで性格が変わってしまったのデス。男を失えば、きっとまた元の努力家で生きることに一生懸命だった町娘に戻ってくれマス! お願いシマス! ルフさん! 私はアンディを元の乙女に戻シタイ! そのためには、アンディから男を奪い取るしかないのデス!」
その暑苦しさに鬱陶しさを感じながらも、ゲームでのことを思い返す。
リリポは、アンディのことでいつも一生懸命で、凹んだ時は慰めて、バカなことをしたときはちゃんと叱って。リリポのことを本当に大切に思っていたのだ。
リリポの思いに、心を動かされた。これが愛なのだと。だからこそ私は。
「イヤだ」
「エッ!?」
「なんで私がアンディを純粋に戻す(笑)手伝いなんかしなきゃいけないのさ!」
「い、今完全に協力する流れだったじゃないデスカ!!」
「知らないわよ! それにこのままだと私死刑になるんでしょ!? そんな危ない賭けなんか出来ないわよ!」
「そんな~……」
ふわふわと力が抜けたように足下へと降りていくリリポ。
「私、海外にでも逃げるわ。いつ死ぬかもわかんないところに、いられないもの」
「お願いしマスヨ! ルフさん!」
「嫌ったら嫌!」
私はリリポの言葉を無視して、部屋から出て行った。
決めたらすぐ行動。伯爵の娘としてお金ならあるのだからと、港へ船のチケットを取りに行くと、私は驚かされた。
「なんでチケットの販売ができないのよ!」
「お客様には申し上げられない事情がありまして……。申し訳ありません」
気まずそうに笑う売却員。
なぜ。なぜだ。なぜ船に乗ることができない。
ふと、視界の端に見覚えのある男の子を見つけた。
あの建物の隙間からおどおどしながらこちらを見ているのは、私の前召使いであり、現アンディの召使いであるロセだ。
緑色の髪に青い服と少しだけ垂れている目がその特徴だ。その手に持っているのは、抱えるのがやっとなほど太い封筒だ。
船を出せないこのタイミングで、こちらを見る彼の姿。絶対。絶対なにかある。
「ロセ!」
私が声をあげてロセの元へと走ると、彼はびくりと体を振るわせて建物の奥へと逃げていく。
「待てやロセごら!」
私はおそらく未だかつてないほど体の筋肉を使って追いかけた。
「この! 私の元から逃げ出した! ばか!」
罵倒しながら追いかけても、止まってくれない。それがさらにいらつきを増加させて、私の足を早くした。
「まてやああああ!」
ロセはというと、元々体力派でもないし、私の気迫に負けたのか私の気合いが勝ったのか。互いに息を切らしながらも私はロセに追いついていく。
「つ、捕まえた……!」
げすい笑みを浮かべる私はさながら悪役顔だ。
ロセも怯え、涙目を浮かべているではないか。だからといって離す気はないのだが。
「ご、ごめんなさい!」
私の顔に根負けしたロセが謝罪をした。何について謝っているか分からないがとりあえず「許さん!」と言った。
「ああ、あの、僕、本当に、ルフさんには申し訳ないと思っていまして……。アンディさんの元に行ったこと」
ああ。そっち。
私はさもその話題について分かっていたかのように、話題に沿わせる。
「そうよ! アンディの元へと勝手に言って、私がどれだけ苦労したと思っているの! 今ゴミが溜まりに溜まっているんだからね!」
私の言葉を聞くと、しゅんとするロセ。彼にも彼の事情があったのか。とか。言いすぎたか。とか考えていると、彼から出た言葉は予想外なものだった。
「僕は、役に立っていましたかね」
「え……?」
私が戸惑っていると、声をかける隙もなく、ロセは私の手をふりほどいて、去って行った。
「あ……!」
止めようとしても、彼の言った台詞が気になって、立ち止まって考え込んでしまった。
「……なにあれ」
私の役に立たなくて申し訳ないという台詞? 確かに、私の言い方が悪かったかも……。
そんな風に悩んでいると、背後に何かの気配を感じた。
はっとして振り返ると、そこには笑顔のリリポの姿。
「彼封筒を持っていたデショウ。あれは、あなたを死刑にする為のでっち上げた証拠デス」
「え。……ええええええ!?!?!?」
嘘でしょう。そんな重要な物を持っていただなんて。いやロセが持っていたのはともかくとして、そんな重要な物をみすみす逃してしまうだなんて……!
もしや、ロセがその証拠を船乗りたちに見せたから、私が出航できなくなってしまったのではないか!?
彼はその証拠で私が死刑になることを知っているのか。ううん。知っていても知っていなくても関係ない。
私がしなければならないことはただ一つ。
「止めないと」
これ以上状況が手遅れになる前に。
私はロセの去った方向へと、駆けだした。結構早くに追いかけたつもりなのに、どこへ行ったのやら、もう彼の姿は見えなくなってしまっていた。
ロセは走ってどこへ向かった? 死刑を知らせる為に王の元へ? いいや、それならば、王子であるジークを使わせればいいだけの話だ。
アンディにとって使い走りのロセでしかできないこと。考えろ。考えろ。私!
周りを見てみると、ガラス張りの店の中から見える時計が指す時刻は、14時後半だった。
そして。
時計台の中。私はロセの姿を見つけた。
「ロセ」
「ル、ルフさん……!」
「国の重要なことを決める為に必要なのは王様の許可と国民の総意。元婚約者の処刑に対する王の許可は取れても、国民は私に同情するでしょう」
ロセは、ごくりと唾を飲み込む。
「国民からの許可を得る為に、9時と15時で開かれる時計台の時計部分から、広場へと私がいかに悪いことをしたかという書類を、ばらまくってことね。その封筒が証拠よ。その異様なほど太い封筒が必要になるほどの書類なんて、ただ他人に見せるだけならいらないものね」
私は、ロセにじりじりと近寄る。
「私が来たからには、ばらまかせないわよ! さあ、その書類を渡しなさい!」
ロセは逃げようにも、後ろは大きな時計の背面。出口は私を通らなければ出られない。
さあ観念しろ! ロセ!
「し、死刑って、なんの話をしているのですか? ぼ、僕はただ、国民を納得させるように、ジーク様とアンディ様が婚約する詳細を国民のみんなに見せようと……」
ロセは、それが何の書類なのか分かっていないようだ。
「私の発言が嘘だと思うのならば、その書類の中身を見てみなさい」
見てはいけないと言われているのか、悩む姿を見せるロセ。だが、死刑などと言われたのだから、確認しないわけにはいかない。強く目をつぶりつむりながら、封筒を切った。
彼がうっすらと目を開けて書類の一つを呼んでみると、そこに書いてある内容はとても衝撃的な物だったらしく、ロセはそのまま膝をついた。
「そんな……」
「分かったら、その書類をばらまくなんてやめなさい」
返事をせず口を紡ぐロセ。
「……やっぱり僕は、利用されてただけなんですね」
「利用されてた?」
私は首を傾げる。
「アンディ様は、ただ僕を召使いとして雇ったのかと思いました。だけど、途中から気がついたんです。彼女は、あなたへの当てつけの為に僕を雇ったのだと」
ロセは語る。
「彼女にとって僕はあてつけ以上の存在もなく、雇われた後興味を持たれることもなくなりました。……それも当然です。僕は、ジーク様や他の男達とは違う。何か技術を持っているわけではない、ただの男の子なのですから」
そこで私は気付く。前見たときもそうだが、ロセの指はきれいだ。召使いは通常水仕事が多いのだから、手あれしているのは普通だ。
「あなた、家事もしていないの?」
「は、はい。他にも家政婦がいて、やらせてもらえなくて……。でも、ルフ様には関係ないですよね。アンディ様に言われました。あなたは、もうすぐ他の召使いを雇うつもりだと。僕が仕事の出来ない人間だからと」
「……何それ」
私、そんなこと言ったことも、思ったこともない。いやゲームではアンディは確かにそう言っていたが、ルフの台詞はなかったから、カットされたのかと思っていた。
でも違う。これは彼女が私への嫌がらせのためについた、幼稚な嘘なのだと。
私の心の中には、怒りが沸きあがっていた。
家事をさせることもなく、私へのあてつけの為にロセを雇った? ロセを利用していた? 嘘までついて?
ありえない。そんなことしていいはずがない。何よりも、アンディの力になりたいと思っている、ロセの心を踏みにじっているではないか。
こんなの、飼い殺しだ!!
「あんたは、ただの男の子なんかじゃない!」
「え……」
私は気がつけば、声をあげていた。
「私、家事なんかできない! あんたのおかげで家はぐちゃぐちゃよ! 私の家の家事をしてくれる召使いは、あんたしかいないのよ!」
「僕みたいな男の子なんて、他にも沢山……」
「うっさい!」
ロセの言葉を遮って、吐き出しそうになった罵倒を手で口を拭うことで押さえ込み、ロセへと近づいて睨み付けた。
「私は、あんたのその懸命に床を拭いたことで荒れた手が、好きだったのよ!」
「好き……? え……?」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
好きに反応されたことがごほんと咳をして恥ずかしさを誤魔化すと、びしりと指を指す。
「私に忠誠を誓いなさい! そしたら、あんたの価値ぐらい、私が決めてやるわよ! あんたを必要としないアンディや、意地悪な家政婦じゃなく、この私が!」
「あなたを裏切った僕を……必要としてくれるのですか?」
「そう言っているのよ。ロセ。跪いて手の甲にキスでもしなさいよ」
ロセは涙ぐんで、頬を緩ませると、跪いて私の手を持ち見上げた。
「分かりました」
その時、時計台の時計が音楽を鳴らしながら開かれて、太陽が私達へと指しかかった。
光が私達を照らす中、ロセは私の手の甲にキスをした。
本当にするとは思っていなくて予想外だった私。
鳴り響く音楽は、私達の新たな門出を祝福するようだった。
時計台から降りると、視界の端に、影から私達を見ているヒロイン。アンディの姿が見えた。きちんとロセが書類をばら撒けるか、見ていたのだろう。
軽くロセに待っているよう言って、アンディの元へと近づいた。
「……何かようかしら?」
笑いながらも、言葉の端々に棘が見えるアンディ。適当な扱いをしていたとはいえ、自分の男を奪われたからか、相当私が憎いようだ。
「ロセは、私と共に来るそうだよ」
余裕の表情を演じつつ、私は笑ってみせた。そんな顔に、眉を軽く顰めるが、彼女もまたそれが悟られないようにか笑った。
「へぇ。あんなダサい男はくれてやるわよ!」
そんな負け惜しみを言いながらも、踵を返して私の元から去っていくアンディ。
勝った。
「リリポ。今近くにいる?」
「イマスヨ」
どこからともなくふわふわと現れるリリポ。
「気が変わったわ。私、アンディの落とした男の子達を取り返すことにするわ」
「本当デスカ!? アンディを救う気に」
「なるわけないでしょ。勘違いしないでよね。私は、アンディを救う為でも、アンディの元にいる男の子達に同情したわけでもない」
上を向いてみれば、時計台の後ろには、輝く太陽があった。
「私は、自分の物は取り返す。これはアンディに対する、復讐よ!」
リリポを見下ろすと同時に、指をびしりとリリポに向ける。その気迫が伝わったのか、びくりとしていた。
「復讐でもいいデス。よろしくお願いシマス! ルフ!」
手を差し出したリリポ。私はその手を掴んで、誓いを立てた。
「七人全員、落として見せるわ! まずは一人目、ゲットよ!」
ヒロインは糞女だけど、私は取り返してみせる。
全員ね。
敬具