悪夢と家族と悪夢
目の前に見えるのは、霞がかった風景。そして吹き飛ばされたリリス。
リリスを吹き飛ばしたのは、お母さんが忙しい時に剣術を教えてくれた優しい人。
猛スピードで背中を蹴られたリリスは、街を囲う塀に当たってピクリとも動かない。
「リリスっ!」
リリスに駆け寄ろうとする私の背後に、物凄い殺気。悪寒。
この殺気は人のものじゃない。魔物のものでもない。もっと凄い、ただ殺すだけ。そんな殺気。
額から経験した事のない汗。塩っけのない、でもどろっとした汗が噴き出てくる。
フォトンさん、リリスを殺さないで。
どうして、なんでリリスを。
リリスが何か悪いことをしたの?
それとも私達が何かしたの?
フォトンさんを怒らせるようなことをしちゃったの?
お願い! やめて!
「フォトンっ! 貴様っ」
やめてお母さん!
フォトンさんを攻撃しないで!
フォトンさんをを殺さないで!
もうやめてっ!
見たくない!
もう何も見たくない!
なんでフォトンさんはリリスを殺そうとしてるの?
なんでお母さんはフォトンさんと戦ってるの?
なんで誰も止めてくれないの?
なんでフローラ様はフォトンさんを殺せと言ったの?
なんで私はリリスを信じてあげれなかったの………… ……… …… …
… …… ……… …………エレ……エレ……エレナ
「エレナ、大丈夫ですか……」
親しみある声に目を開けると、城の礼拝堂。
長椅子に横になって眠っていた。
体には毛布がかけられている。
見た事がある毛布。お父さんが持ってた毛布だ。
「……魘されてましたね。またあの夢ですか……?」
心配そうに顔を覗き込んで見つめてくる、ファリス姉さん。
姉さんを心配させない為に起き上がって、寝癖のついた髪を整える。
またあの日の夢。フォトンさんがお母さんに殺された夢だ。
リリスに近寄った私の背後にいたフォトンさんを、私を助ける為にお母さんが戦った。
それでお母さんは頭に大怪我をして、フォトンさんは死んだんだ。
「ごめん、ファリス姉さん」
「いえ……私にも責任があります。私も一緒にフォトンさんの帰りを待っていれば、何か違う結果になっていたかもしれません。でもやっぱり、何も出来なかったかもしれませんけどね……」
「姉さんが居なかったことと、リリスが大怪我したことやフォトンさんが死んじゃったことは関係ないよ」
「でも、その時何も知らないでいた自分が許せないんです」
私と同じように、ファリス姉さんも心に深い傷を負っている。
あの時、こうしていればこうはならなかった。過去の後悔。そればかりだ。
「お父さんは……」
「お父様は壁際で眠っています」
「ファリス姉さんはずっと起きてたの?」
「いいえ、お父様が眠った後、私も疲れていたんでしょうか、眠っていました。エレナの魘される声で目覚めたんですよ」
「あ……ごめん」
「気にすることはありません。エレナを守るのも私の役目ですから」
ファリス姉さんは、最近ずっとそればかり言ってる。
お母さんがいない時は、私とリリスは姉さんが守るって。
「これからどうなるのかな……」
「どうなろうと、エレナとリリスは私が守ってみせますよ」
言ってファリス姉さんはにっこり微笑んでくれる。
でも、私だってファリス姉さんを守りたい。もちろんリリスだって。
そう、リリスも同じように思っているはず。あの子はとても強いから。
「私もファリス姉さんを守るわ。絶対に」
「ふふっ ありがとうございます」
私は前より強くなった。けど、本当の強さはファリス姉さんやリリスに負けてることくらい解ってる。
強い魔物を倒すより、もっと強いものがあるんだ。それをファリス姉さんとリリスは解ってる。
私もそうならなくちゃいけない。もっと強くならなくてはいけない。
そう自分に言い続けて、まだ私は過去を引きずっている。
フォトンさんの死から、まだ立ち直れないでいる。情けない。
あれからもうだいぶ経つのに。
「……暗くなってるね」
「ええ、もう夕刻を過ぎて夜ですから。夕飯は干し肉しかありませんが、食べますか?」
「ううん、今はいいよ」
暗くなった礼拝堂の中は、天井近くにある小さな窓からの星の光とポツポツとある小さなたいまつの光だけ。
周りからは、ここへ逃れて来た人達の囁く声がちらほら聞こえてくる。
みんな不安がった言葉ばかりだ。レイマールに住まなきゃよかったなんて声も聞こえる。
魔人大陸の中で一番安全な国。それどころか、ラノア大陸のどの国よりも安全と言われた国。
今、不平不満を言っているのは、別の国から移住してきた人達だろうか。
もしかしたら、元々住んでいた人達の中にもいるかもしれない。
この国に住まなきゃよかったって思っている人が。
「みんな、おかしいよね、お世話になった国なのに……」
「皆、不安なんですよ……。こんな状態ですから」
ファリス姉さんは、お母さんが出陣する時、どんな気持ちだったんだろう。
お城の地下にリリスと行った姉さんは、帰ってきてからも悲しい表情を私とリリスに見せない。
リリスは地下で眠っていたらしいし、お母さんの出陣を見届けたのは私達3人ではファリス姉さんだけだ。
あれ……そういえば、リリスが見えないけど。
「ファリス姉さん、リリスが居ないけど」
「ええ。私もさっき目覚めたばかりなので、まだ姿は見ていません。どこか離れた所で眠っているのでしょうか」
「私、探してくるっ」
「いいえ、エレナはここにいてください。私が探してきます。額の汗が凄いですよ」
あ……さっきの夢。
「だ、大丈夫よっ 姉さんこそ休んでて」
「ダメです。体から力が感じられません。脱力していますね」
「姉さん、学校で習った知識で見る癖。それもやめた方がいいよ」
「騙されませんよ。今回は私が正しいです。ちゃんと休んでないと、いざという時動けませんよ」
うっ、見破られちゃった。
確かに体がだるくて重くて少し辛い。気怠そうな動きしてたのかな。
やっぱり姉さんには敵わない。
「心の病は体にも影響すると教えられましたからね。休んでいなさい」
それは姉さんも同じ筈なのに。
でも。
「うん……ありがとう、ファリス姉さん」
「はい」
甘えよう。
先走っちゃったけど、その方が姉さんも元気になるかもしれないから。
私達の面倒を見ることがファリス姉さんにとっての、それが今一番いい薬なのかもしれない。
「では、探してきます。動かないでじっとしているのですよ」
「うん」
私の黒い髪を優しく撫でると、銀色の綺麗な髪を靡かせてファリス姉さんはリリスを探しに行ってしまった。
今私達がいる礼拝堂はとても広い。逃げてきた人達は何人いるんだろう。
100人? 200人? それくらい広い。
色んな荷物が散乱してるし、リリスはすぐに見つからないかもしれない。
私もこっそり探しちゃおかな。
でも、肌の色も違うし金色の髪だから、意外とすぐ見つかるかもしれない。
隠れてなきゃだけど。
体に被さっていた毛布をたたんで足元に置いた。
父さんが使っている毛布。大事にしないと。
と、そこで毛布を置いた先にある、一つの袋が目に入った。
リリスがずっと眠っている間、ファリス姉さんが大事にとっていた袋。
サフリスさんから貰ったっていう袋。リリスが姉さんに魔術書を取り出した袋だ。
そして、何か不思議な魔導書も入っている袋。開いた所が少し光ってて、過去を見れるって。
過去。
私はフォトンさんが死んだ過去を克服したい。
もう夢に魘されて、姉さんとリリス。それにお母さんとお父さんにも迷惑をかけたくない。
魔導書を開いたら、それが克服できるのかな。
私の手は、自然とその袋へとのびていた。
袋を開くと、過去を知る為の魔導書があった。
獣の皮で覆われたそれは、他と違った異様な感じがする。
手に取ってみると、本に魔力を吸われたのか、少し目眩がした。
長椅子にちゃんと座り直して、恐る恐る魔導書の端をとって開く。
すると開いた辺りから僅かに光が漏れだした。
思い切って本を開いてみると、すうっと目の前が白くなってゆく。
周りの音も光に吸い込まれて、何も聞こえない。
静寂が支配する白い空間。
しばらくすると、そこへ微かに何かが聞こえてきた。
泣いている声?
…… ……… …………
赤ん坊の泣く声だ。
健康な、そして甲高く響く声。
「元気な子だ。テラっ 名前はどうしようか」
「旦那様。奥様はまだお産で疲れておいでです。とても話ができる状態ではありませんよ」
ぼんやりと、光の中から若い男性が映りだした。
抱き上げられているのか、その顔が間近かに迫っている。
この人は……誰?
「いえ……いいのです。あなた、あなたが名前をつけてあげてください」
若い女性の声。
男に抱き上げられているため、その顔を見ることが出来ない。
「そうかっ! ならばフィルネというのはどうだ? 精霊様と同じ名だ……そし……として……
光が景色を吞み込んでゆく。
… …… ……… …………
「奥様、どうしても出ていかれるのですか。せめて旦那様が戻って来られるまで待っておられては」
「戻ってくるですって!? あの人は私を捨てたのよっ 遠征に出ると言って、もう1年近く帰ってこないじゃない! 戦争は早々と勝って終わったっていうのにっ 手紙もよこさないのよっ 女好きだったし、呆れたものだわっ」
次に見えてきたのは、憮然たる表情の若い人族の女性。黒い髪を束ねて団子のようにしている。
この顔、どこか見覚えのある顔……誰だっけ。
「旦那様は、その腕だけで軍の隊長までのぼり詰めた御方です。色々とお忙しいのでは……」
視線が声の方へと向いた。
えっ 魔族?
若い女性を宥めているのは、若い緑の髪をした魔族の女性。
ラノア大陸の森に棲む少数魔族だったはず。リリスが見ていた本を覗いて、リリスに教えてもらったのを覚えている。
「それに、家はどうなされるのですか。奥様が居なくなって、帰る家も無くなってしまっては旦那様が……」
「メルっ あなたが住めばいいでしょう!? 奴隷だったあなたからしてみれば、大した出世ね。そして帰ってくるか分からないけど、ラスが帰ってきたら仲良く暮らせばいいじゃないっ 私があなたとラスの関係を知らないとでも思ってるのっ?」
「それは……旦那様が私を買ってくださって……優しくして頂いたから……」
強い口調で捲し立てる若い女性。
何なのこれ、いったい何がどうなってるの。
また光が周りの景色を吞み込んでゆく。
… …… ……… …………
「ねぇフィルネ……どうしようか。家を飛び出しちゃったし、それに今更帰ろうなんて思えないし。私どうしたらいいと思う?」
ぼやけた光の中から現れたのは、先程けたたましく叫んでいた若い女性。
視界には、覗き込むように見る女性の顔。悲しくも暖かい、そんな顔をしている。
この顔、やっぱり見た事がある。見た事がない髪形だし、歳も若いけど、どこかで。
「ねえフィルネ。私の祖先様って、魔人大陸から流れてきたんだって。魔人大陸って、魔族が多く住んでて危ない所だって聞くけど、とても安全な人族が住む土地もあるって聞いたことがあるわ。そこに行ってみようと思うんだけど、あなたはどう思う? そう、あなたも行ってみたいのね」
朗らかに微笑む若い女性。
そしてまた視界が歪む。白いものに押しつぶされてゆく。
… …… ……… …………
「早くその子を森に置いてこい」
「ですが……」
「大丈夫だ。さっきも言っただろう? その子は助かる運命にある。お前の、それに生きている者すべての未来は、神が定めた一本の道しかないのだからな」
次に見えてきたのは、白い髪の綺麗な女性。
忘れもしない、フォトンさんを殺せと命じた人。フローラ様だ。
そして視界のすぐそこには不安な表情を浮かべる女性の姿。
周りは草原? 緑が見える。
「本当に……この子は魔物に襲われないのでしょうか」
「襲われる。だが死なない。神が作った種族、エルフの言うことが信じれないか?」
「いえ……でも……」
「私が言わずとも、そうなる運命にあるのだ。一緒に魔物に襲われる運命を回避させてやろうと言っているのだぞ?」
運命? 未来?
フローラ様は何を言ってるの?
「1年程前から、何故か変動する事のない未来が微かに揺れている。私は未来を見る事が出来るのだ。本当は魔物に襲われて死ぬ運命にあるお前達を助けると言っているのだぞ。お前と一緒にいればその子はお前と共に死ぬ。しかし森に捨てれば生き残る。代わりに……死んでもらう者もいるがな。それを利用したいのだ。お前の子は死なない。約束しよう」
子……。
今のこれは、魔導書を見ている私の過去?
じゃあ、この女の人は。
「早く捨ててこい。それと私が未来を見る事が出来るのは誰にも言うな。……まあ、それも未来を見て解っている事だがな。お前は私を裏切らない」
「……はい」
「約束通り、お前は城で召し抱え……だか……
「エレナっ!」
突いたように大きな声。白く眩い空間が一瞬で消えた。
「エレナっ 何をしているんですかっ!」
周りは薄暗く、目の前には私の肩を持って揺らす姉の姿。
「それはリリスの物ですっ 勝手に覗くなんて」
「姉さん……私……」
声を出そうとして目が眩む。
「な……魔力切れ? エレナ、魔導書に魔力を吸い取られて」
「ご……めん……なさい」
霞んでゆく視界。
意識が遠のくと同時に、頬に涙がつたう。
「エレナっ」
お母さん……ファリア母さん……それと。
こんな魔導書、見なければよかった……。
ファリス姉さんの私を呼ぶ声を最後に、私は意識を失った。




