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長女

 柔らかい太ももの感触。

 光の中に見える優しいファリアの表情。


「口を開けなさい……リリス……」


 ファリアと思えない優しい口調。そのにっこりとした笑顔。

 ああ……ああ……お母さんって……こんな感じなのか……。


 言われるがままに口を開けると、優しい手つきで口の中に何かが入ってきた。


「そのまま……噛んで……」


 ええ、噛みますとも。

 噛まない訳がない。

 カキっと何かが口の中で割れた。


 ん……んん!

 口の中が熱い!

 それに何とも言えない、苦い辛い不味いっ!

 何だこれ!


 バチッと目を開けると。


「あっ! 目が覚めましたねリリス!」


 俺の口を両手で抑えるファリスと目が合った。


 何を食べさせられたんだ。

 てか、ファリアがいない。


 後頭部を支えていたのは、何枚もの布を重ねた枕だった。

 そして口の中は大惨事状態。まるで激辛カレーとドクダミ茶のドリアンミックスジュースを飲まされたような衝撃。不味くて臭い。


「そのまま吞み込んでくださいっ」


 吞み込めって、マジか。


「早くっ」


 起きて吐く事はできない。吞み込む選択肢しか残されてないらしい。

 さっきのは夢だと解ったのだが、いきなりの口封じプレイ。

 これがファリスじゃなかったら、ペインアローぶち込んでるところだ。

 ごくっと喉を鳴らして、口の中に広がっていた様々な危険因子を胃袋へと運ぶ。


「飲んじゃいましたね……」


 飲んじゃいましたねって。

 飲んじゃいけない物だったの?

 抑えていた手をゆっくりと放すファリスに不安な目を充てる。


「ふふっ 嘘ですよ。今のリリスの顔、とっても可愛い顔していましたよ」


 にっこり笑って言われた。

 ファリスのジョークなんて初めてだ。

 普段ジョークを言わないファリスが言うと、かなりの恐怖がある。

 笑い顔は可愛いけど、ちょっとだけ死の恐怖を感じたよ。


『びっくりしたよ』

「ふふっ そうでしょう。たまには私もね」


 優しく笑うファリスの顔が一瞬曇った。

 刹那、不安がじとっと心を支配するが、それとは反比例するように体が軽い。

 それに体を流れる魔力の循環も感じる。

 吐きだしたいほど不味かったが、さっき食べた物の影響なのだろうか。


『何を食べさせたの』

「ああ、ミルの実です。苦くて辛いけど、魔力を含んでいるとされている木の実です。とても高価な物なんですよ。これで歩く事くらいは出来るはずです」


 そんな物があったのか。

 高価っていうことは、あまり取れない物って事なんじゃないのか。


『なんで持ってるの』


 起き上がり文字を書くと、ファリスは腰に手を当て嬉しそうに語りだした。


「学校を辞める時に、魔術の先生から貰ったんです。このお城の魔術師隊に今は所属している凄い人なんですよ。私の事もとてもよくしてくれて、今は隊長さんでもあるんです。良い人ですよ」


 いつものファリスじゃない。

 何か無理をしている事はすぐに解った。


『ファリス姉さん、母さんは』

「あ……そ、その、お母様は今、とても大事な用があってお城にはいませんっ」


 大事な用。

 そして眠る前とは違う、明らかに静かになった魔術研究所の一室。

 ガチャガチャと鎧の音も、ファールの指揮をとる声も聞こえない。


 ああ、そっか。

 始まったんだ。


「でも、安心してください。私がついていますからっ」


 それでこんなに頑張ってるんだ。


「お母様が外出している時は、私がエレナとリリスを守りますから」


 俺も小学生の時はこんな風に頑張った事あったな。


「大丈夫ですっ 私に任せてくださいっ」


 覚えてないけど……でも、守りたくて心配かけたくなかった。

 自分に嘘ついて、それが一番いい方法だなんて思ったっけ。


「さあリリス、家に帰りますよ。

 帰ったら大事な物だけ持って、お城の一階に集合です。競争しましょうか!」


 長椅子から立ち上がってファリスの正面に立った。

 銀髪の陰の奥。綺麗な瞳と唇が僅かに震えて見えた。


『姉さん、ありがとう』

「ありがとうって、何も出ませんよ、それより……」

『母さん、無事だといいね』


 続けざまに書いた文字にファリスの言葉が止まった。

 そして下を向いて、俺の胸に頭をトンと当てた。


 俺にとってファリアは初めてのお母さんだ。

 ファリスも初めてのお姉さん。

 血は繋がってないけど、二人共俺の家族には違いない。

 そしてファリスは一生懸命、年下の俺のお姉さんをしていたんだ。

 不安や心配をかけまいと。

 本当は自分も不安で辛くて悲しい筈なのに。


 そのままの姿勢でファリスの肩を抱いた。

 ファリスは肩を震わせながら、それでも泣くまいと耐えているようだった。

 何分かしばらく、ファリスが頭を上げるまで俺の小さな手はファリスの肩を抱いていた。



 …………



 城の地下道から家へと戻り、荷物をまとめて城の一階へと歩く。

 エレナは何があったのか既に理解しているようだった。

 城の大きな城門から見た事も無い程の鎧を着た兵士達が、街を囲む塀をくぐり抜けていく姿を目撃していたからである。

 俺を見たエレナは暗い顔をしながらも、それを包み隠さず教えてくれた。

 ファリスはエレナの話を聞いて、だけどやはり涙は堪えていた。


 いよいよ戦争が始まったとあって、兵士達が街を囲う塀から出陣するどさくさに紛れ、その瞬間に街から逃げ出した者も大勢いたという。

 兵士に紛れて魔物に襲われる事なく、他の町へと逃げおおせようと考えての事だろう。

 最後の悪あがきとでも言えばいいのか。悪あがきした何人が生きてレイマールを脱出できるのだろうか。

 既に戦争に負けると踏んでいる者の末路は死だ。

 勝つと信じている者が生き残る。そう信じたい。

 初めに大叔母様から聞いたレイマールの未来。それとは違っているのだから。


 大叔母様に会えると思ったのも束の間、二階へと上がる階段はすべて鎧を着た兵士達がアリ一匹通さないといった剣幕で睨みを効かせていた。

 それを横目で流すように通り過ぎ、一番奥にある礼拝堂へと進む。そこがレイマール街の避難所となっていた。

 多くのレイマールの民が床や長椅子に座り、今や起こる戦争に震えながら身を寄せ合っていた。

 その中には父親のクライム。その両親の姿もあった。


「父さんっ!」

「お父様……」


 エレナが抱き着いたクライムは、目が窪み、髪はボサボサ。

 腕は以前よりも細く見えた。


「3人とも、無事だったんだね……」


 声にも力がない。立っているのがやっとといった状態だった。

 武器の生産に追われて窶れ、過労で倒れてストレスで過食症になったクライムは、店を開いていた以前の彼とはまさに別人だった。


『父さん、大丈夫なの』

「やあリリス、大丈夫だよ、大丈夫だから……」


 ふらふらしながら俺とエレナとファリスを抱き寄せてくれる。

 その抱き寄せた腕にも力が感じられなかった。


「一番大変な時に一緒にいてあげれなくて、本当にすまなかったな。

 僕が強ければファリアの代わりになったのに……」


 家族がバラバラになってしまった事に責任を感じている。

 そんな雰囲気だけを残すクライムに、エレナとファリスは抱き着いて離れない。

 俺も離れなかった。家では夜にしか会わなかったが、クライムは父親として頑張っていた。

 エレナもファリスも、俺だってそこはちゃんと見ていた。

 エレナとファリスは知らないだろうが、皆が寝静まった後にクライムがファリアに自分達の子供は作らないようにしようと語っていた事も知っていた。

 自分達の子供が出来てしまったら、必ず不公平が起こるだろう、と。

 それを聞いた時は、壁に耳を当てて盗み聞きしていた自分を本気で恥ずかしいと思った。

 クライムは紛れも無く、俺達3人の父親なのだ。


「お母さんは必ず帰ってくるよ、だから安心しなさい」

「なんでそう言えるの?」

「約束したからね、必ず戻ってくると」


 エレナの震えた声に、以前の優しくも力強い声で答えるクライム。

 ファリスはクライムの腕に抱かれながらも、震えた声で話すエレナの頭を優しく撫でている。


 そういえば。


『ファリス姉さん、渡したい物がある』

「……え?」


 もう渡す機会が無いかもしれない。

 そんな縁起の悪いことを考えていた訳ではないが、ファリスの顔を見て思い出した。

 クライムの腕の中から離れ、持ってきた袋の一つに手を突っ込む。

 取り出したのは3冊の本。その中の一冊をファリスに手渡した。

 初めて見たが、それが魔術書であることはすぐに解った。

 ファリスへ、と書いた紙が表紙に貼ってあったからだ。


「これは……凄いです。中級以上の魔法、それに複合魔法なども載っています」


 渡した本をペラペラと捲り、目を輝かせながら見入っているファリスを見て、少し安心した。

 ずっと自分を抑えて俺とエレナを守ると強気だったファリス。

 普段のファリスは、もっとおっとり系な子だ。自分に嘘をつくのはやめてほしい。


「これはサフリスさんから、なんですね。女神に感謝致します」


 胸の前で両手を握り合わせ、女神へ感謝の意を示したのち。


「それにどうか女神様、お母様を守ってください」


 女神にファリアの無事を祈るファリス。

 何かが吹っ切れたのか、祈るファリスの頬には涙もつたっていた。


 泣いた姿を俺とエレナに見せない為に、ずっと我慢していたファリス。

 その涙を見て、エレナも目に涙を溜めていた。

 精神30過ぎの俺だが、やはり涙を堪える事が出来なかった。


「リリス、ありがとう」

『ううん、ありがとう』


 ファリスとありがとうを言い合って、残りの2冊の本を袋に戻そうとする。

 と、重なった上の歴史書の下。肌触りから獣の表紙だと解るそれが、薄く光っていた。

 サフリスからの手紙で、使うと暫く動けなくなると解っている。

 なので今は使わないでおこうと思っていたのだが、少し気になった。

 歴史書だけを袋の中に戻し、獣の皮で出来た表紙の本を残す。


「それは……まさか魔導書ですか?」


 ファリスの問いにコクリと頷き、少しだけ片手で開いてみる。

 すると、目の前が真っ白になり、遠くから色々な物が聞こえてきた。


 これは……。



 …… 「国王さ……死産……子が息を吹き返し……」 …… 



 ……「ダグマが攻めて……この子を連れて……」 …… 



 ……「逃がすな……は高く売れ……」 …… 



 ……「今日からここが……の働く……」 …… 



 ……「早く……助け……」 ……





 …… 「……300年前のあの子では失敗だったが、君には期待しているよ」 ……

 …… 「このつまらない世界を壊してくれるとね……」 ……



 リリ……リリ……リリス……


「リリス! どうしたんですかっ」


 肩を持たれている。

 白い世界から無理やり戻された感覚。頭痛がする。

 視界が戻ると、ファリスが俺の体をゆさゆさと揺らしていた。


「大丈夫ですかっ 何かおかしかったですよっ」


 ファリスに言われ本を持つ手を見ると、本は閉じられ、しかしまだ微かな光を放っていた。

 今のは何だったのか。最後の声は、とても冷たく感じられた。

 まるで生きた心地がしなかった。

 だけどそれと同時に命を分け与えられたような、そんなあべこべな感覚があった。

 本はまだ微かに光っている。ということは、大叔母様が作った魔導書とは違って、何度も使う事が出来るのだろうか。

 それとも、まだ完全に使われていない、そういう事なのだろうか。


『大丈夫、何ともないよ』

「その魔導書は呪いか何かなのでしょうか、あの方が持っていたならあり得ます」


 過去を見る事が出来る魔導書だと手紙には書いていたが。

 サフリスは闇系魔術が得意な称号持ちの魔術師だから、それを危惧しているのか。


『呪いの魔導書じゃないよ、たぶん。過去を見る物だって』

「過去……ですか」


 嘘をつく必要はない。

 正直、自分が転生者である事を内緒にしているというのは、結構な罪悪感がある。

 家族として接しているからこその罪悪感だ。

 そしてレイマールが滅ぶという未来が存在した事実も、言える筈もない。


『大丈夫、呪いじゃないよ』

「そうですか……安心しました」


 転生者とレイマールが滅ぶ以外の事は、包み隠さず話すと決めた。


「過去が見えるって、どんな気分なの?」

『たぶん全部見た訳じゃないから』

「……ふ~ん」


 さっき聞こえた声は忘れよう。

 今は大叔母様に会って、レイマールを救う手立てがないか知る事が最重要事項だ。

 城の中に入る事は出来た。あとは。


 もう俺のやる事は決まっていた。



 …………



「警備長殿! 出陣した兵は皆、レイマールを隔てる山に到着した模様です! そこに陣を張り、敵軍の進行を止める作戦のようです!」

「出陣した総大将はフィールだったか。あの男はいけ好かん。何を考えているのか解らん時があるからな」


 夕刻を過ぎて薄暗くなってきた。

 礼拝堂入り口を出て、階段近くの壁の窪みで様子を窺っていると、2人の男の話す声が聞こえてきた。

 見つからないよう、身をひそめながら頭を出してみると、階段前で城の武官らしき男と伝令兵らしき男が向かい合っていた。


「だが、魔王ミシェルの軍の少数がこちらに向かってくるなど、考えもしなかったな。オーク軍もまだ確認できていない時に、兵の編成などでかなりの時間を使ってしまった。オーク軍が来るまえにミシェル軍を早々に蹴散らして、もう一度編成しなおせねばなるまい」

「少数と言いましても、数が少ない我が軍と大差ない数だと聞いております」

「ええい分かっておる! 総大将のフィールに、称号魔術師の実力を見せよと伝えておけ!」


 武官は見るからに苛立った顔で伝令役の兵を追い返した。

 そして階段を守っている兵に悪態をついて、そのまま上へと上がっていった。

 それを確認した後、スカートのポケットから魔石を取り出し、握って心の中で呼びかける。


 アプラ、いるか?

 アプラっ!

 おいっアプラ!


(うるせーっ! 声でけえよっ!)


 声なんて出してねえよ。


(こっちには声として聞こえるんだ! 普通に心の中で思え!)


 心の中で思えって、ニュアンスが何か変だな。


(ニュアっ? 何でもいいよっ とにかく普通に思え。……んで、何の用だよ)


 やっぱ性格悪いなお前。

 用があったら呼べって言ったのお前だろ。


(ああ、言ったな。言ったから何の用だって聞いてんだよ。なんで男なのか教えてくれる気になったのか?)


 その話はまた今度だ。

 とりあえず今は、目の前の階段守ってる兵士を何とかしたい。

 できるか?


(あ~? あの見えてる兵士か?)


 ああ。


(じゃあ、お前の魔力を少し食らうぞ。それで一番手前の兵士に飛ぶ)


 兵士をどうするんだ?

 回収はどうすればいい。


(まあ見とけよ。あの手の兵士は貴族の坊ちゃんだろ? 魔力も大したことない筈だから、完全に支配できる。回収とか気にすんな。勝手に戻る。……じゃあ、魔力を食うぞ)


 ずずっと魔石を握った手から魔力が抜けていくのが解る。

 それと同時に、頭の中に響いていた声も消えた。


「……ん、なんか……んん!」

「どうした、頭でも痛むのか?」


 手前にいた兵士が頭を抱えている。

 だがすぐに元のように立ち済ました。


「……何でもない。それより見せたい物があるんだが」

「あん? 見せたい物ってなんだよ」

「少しだけこっちに来てくれ」


 奥の兵士の肩に片腕を回し、数歩俺とは反対側に歩いた。

 それを見逃さず、さっと階段へと潜り込む。

 音を立てずに素早く上へと駆け上がると、下の兵達の声が聞こえてくる。


「あれ……なんで俺お前の肩に腕回してんだ?」

「はぁ? 何言ってんだお前」


 アプラ、やるじゃん。

 これからも色々とお世話になりそうだ。


(まあな。カッコいいだろ?)


 頭の中に響いてきた声を無視しつつ、俺は慎重に階段を上がっていった。

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