お遣いの旅が終わり……
恐ろしい声が聞こえた。
だがはっきり聞こえたのは、殺せと背後からの声だった。
女の声。一度だけ聞いた事のある声だ。
「フローラ様!?」
後ろを振り返ったファリアが驚きの声を上げた。
俺も振り返ってみると、今まさに閉じられようとしている門の前にはフローラの姿があった。
以前地下で見たのと同じドレス。
「何故こんなところに!
お戻りください、ここは危険です。魔物がいつ襲ってくるか分かりません!」
焦った口調で強めに話すファリアに、無表情な顔のフローラ。
けど、殺せって。
魔物は今、どこにも見当たらない。
奥の森を見てみても、ウェアラット一匹もだ。
するとフローラは片腕をゆっくりと上げた。
「私の事はいい。早く目の前の男を殺せ。あれはお前達が知っている者ではない」
その声は冷たかった。
背筋から脳裏にいたるまで、ヒヤッとするほどの声だ。
そして指を差す方向にはフォトンしかいない。
その言い様に、門を守っている兵士からも驚きの声が上がった。
「な、何言ってるのよっ!」
「やめろエレナ! この方はバッファ様のお妃様だ」
「そんなの関係ないっ フォトンさんだよ!?」
「落ち着け!」
命令を聞いたエレナも、それに反発する。
もちろん俺もだ。
『大叔母様の命令ですか』
「いや、私が判断している」
フローラが自分で判断している。
でも安心した。大叔母様の命令じゃない。
『フォトンさんが普通じゃないのは分かりますが』
「リリスまで何言ってるの!?」
まてまて。まだ続きがある。
『大叔母様の命令じゃなけれな従いません』
「!! 大叔母様の命令ならいいの!?」
そういうつもりで言ったんじゃないんだが。
ちゃんと断った方がいいか。
と、門の前に立つフローラに向けて文字を書く為、もう一度指に魔力を集中しようとした。
瞬間、ゴっと背中から鈍い音がして、ガクンと首が上を向いた。
青空が見え、そして街を囲う木の柵が迫ってくる。
見える視界に思考が追い付かない。
かろうじて分かった事は、自分が猛スピードで柵に迫っている事実。
そしてそのまま、聞いたこともないような音で激しく丸太の柵に叩きつけられた。
痛みよりも先に、グワングワンと脳が揺れる感覚。
目の前の視界が歪み、色んなものが重なって見える。
激しい吐血、鼻血。目尻からも出血している。
意識が遠くなってゆく。
「フォトン! 何をする!」
「リリス!」
ファリアとエレナの声がする。
「反逆かっ!」
「フォトン、貴様!」
「フローラ様をお守りしろ!」
兵士達の声が響く。
最後にフローラの「殺せ!」の声が頭の中でエコーし、俺は気を失った。
…………
うっすらと光る空間。
だが自分の体を確認することができない。
いつからここにいるのだろうか。
ずっと長い間、訳もなくこの場所にいる気がする。
意識はあるのだと思う。
なければ、こんな風に考えることもできない。
ということは、死んでしまったのだろうか。
(まさか俺の初仕事が主人を目醒めさせる事、だなんてな。そろそろ傷も癒えてきたところだ)
え?
(起きろ)
ハッと目を開けた。
フワっとした感触。ベッドの上だ。
何が起こったのか解からず、体を起こそうとする。
けど、何故か体に力が入らない。
クソっと、無理に体を起こそうとすると、ズキっと背中に痛みが走った。
もう少し横になっていよう。
潔く起きるのを諦めた。俺は痛みに弱いのだ。
薄暗い部屋。忘れもしないラングレー家の自分の部屋だ。
今は夕刻を過ぎ、暗くなり始めた時間帯だと分かる。
そして俺が横になっているベッドの隣には、ファリスが椅子に座って寝息をたてていた。
何があった?
旅からは帰ってきた。
(何があった?じゃねーよ。お前、そのままじゃ死んでたぞ)
え?
(え? じゃねーだろ。俺のこと忘れたのか?)
誰だ。何で俺の頭の中に声がするんだ。
(……あ? 俺って……。男みたいだな)
男みたいだなって、男なんだけど。
てか、誰だお前。
(は? ダークエルフだろ。リリスって名前で……あれぇ?)
だから誰だよ、気持ちワリぃな。
なんで頭の中で声がするんだよ。
(アプラだ)
え?
(忘れたのか? 式神とか言われてるアプラだ。
つーか、こっちに響いてくる声は女の子の声だぞ。年齢相応な声だ。
声を出せないお前の声を聞いた時は、ちょっと感動したんだが……。
男って、どういう事だよ)
……嘘です。女です。
(おせーよ。心の中では嘘はつけない。サフリスで実証済みだ)
声声ってうるせーな。
女って言ってんだから、それでいいだろ。
つーか、勝手に俺の中に入ってくるなよ!
(ほら、また俺って言った)
俺っ子っていう便利な表現を知らないのか?
ああくそ、うるせぇ。てかウゼぇ。
久しぶりだ、こんな気分になったのは。
(なんだよ、その言い草は。命の恩人に対して言うセリフか?)
声じゃねーんだからセリフじゃねぇ。
(屁理屈言ってんじゃねーよ。
俺がお前の中に入って自己治癒能力を高めてやったから生きてるんだぞ?
まあ、俺が中にいるだけで治癒能力は高まるんだがな。先にお礼の言葉とかないのかよ)
自己治癒……?
俺、死にそうだったのか?
(ああ。背中にキツーい一発もらったの覚えてないか?
すげー勢いで吹き飛んで、硬い木の柵にぶち当たっただろう?)
……ちょっとだけ覚えてる。
つか、フレンドリーだな。
サフリスと話した時は、もうちょっとちゃんとしてた気がするんだが。
(フレン……? ん、まあ、こんな感じだ。この話し方がいつもの俺だ。
サフリスの体を乗っ取ってる時にこんな話し方すると、サフリス怒るからな)
「リリス! 目覚めたのか!?」
体がビクッとする。
椅子に座って眠っているファリスも、んんっと眉を寄せた。
だが疲れているのか、起きる事無く眠ったままだ。
(何ビビってんだ?)
うるせぇ。
(ファリアが来たな)
声がする方に目を向けると、半分開けたドアからファリアがこちらを眺めていた。
そのファリアの頭には、傷を隠すように包帯が巻かれている。
『起きた』
「そうか、目覚めたか……良かった……」
ファリアを見てホッとした。
怪我はしているようだが。
(相変わらず、綺麗な文字術だな)
ちょっと黙ってろ。
「少し……中に入っていいか……?」
ファリアが部屋に入ってきた。珍しい事だ。
キィっと静かに部屋の扉を開けた。
最初に大きな声を出したファリアだが、今は静かだ。
ファリスを起こさないよう、気を使っている。
そんなファリアも珍しい。
『ファリス姉さんに治癒魔法かけてもらえば』
寝たままの状態で文字を書く。
それを見たファリアは首を振って、音を立てないように俺が寝ているベッドの足元に座った。
「問題ない、フィールにかけてもらったからな。だが傷が深かったらしくてな。
完治までは時間がかかるそうだ」
『フィールは治療魔法が得意じゃないって言ってたけど』
「それでもファリスよりは高い治癒魔法だ。フィールがいなければ私は死んでいた」
フィールが来たのか?
(ああ、お前が吹き飛ばされた後にな)
いちいち俺の考えにツッコミ入れるな!
(お前が気を失っている時の事を教えてやってるんだろうが)
うぜぇ。
サフリスの気持ちが今になって分かる。
(だろ?)
褒めてんじゃねーよっ!
「リリス、お前は大丈夫なのか?
背中の打たれた痕を見せてみろ」
『ちょっと痛くて動かせない』
「そうか……ならいい。
騒ぎを聞きつけたファリスがヒーリングをかけていたが……」
(痛いってガキかよ)
マジうぜぇ。
見れば解るだろ、子供だって。
(はいはい)
「だが生きていただけで奇跡だ。精霊ファリアの祝福かもな」
(俺のおかげだけどな)
黙れ。ちょっと黙ってろ。
(へいへい)
『何があったの』
「あ、ああ……」
文字を見たファリアの表情が暗い。
話す内容を考えているようにも見える。
『どうしたの』
「いや、何でもない。リリスが回復したら話そう」
そう言うと、ファリアは逃げるように部屋から出て行ってしまった。
何があったんだろうか。
何か知ってるか?
(……)
おい。何か知ってるんだろ?
(主人に黙れって言われたからな。黙ってる)
めんどくせえ奴だな。話せよ。
(はぁ……ったく。半獣人の男だ。そいつが暴れたんだよ)
半獣人って、フォトンの事か!?
(ああ、なんかそんな風に呼ばれてたな。そいつが暴れて、街の中で指揮を取っていたバッファと、その護衛の魔術師がきたんだ。それでな)
それで?
っていうか、なんでフォトンが暴れるんだよ!
(そんな事まで知るか! とにかく暴れたんだよ。もっかい話すぞ。
それで騒ぎを聞きつけたバッファが街の外に出てきて、それで隠れていた魔族に襲われたんだ)
……は?
話が支離滅裂で理解できないぞ。
(シリメツ? とにかくバッファは襲われたんだ。魔族のオークにな)
オーク? 確か、リザードマン王国の遥か北にある王国の魔族だよな。
っていうか、バッファは無事なのか!?
(ああ、まあ無事だ。でも問題はそこじゃねえ。
オークが着ていた鎧は間違いなくオーク王国の物だった。つまりオーク王国の兵士だ。
襲った目的は知らねぇが、奴らバッファを殺すつもりだったらしい。
だけど護衛魔術師に焼き殺された。
戦争が始まるぞ。オーク王国とレイマールのな)
はぁ!? 話が間欠すぎて意味わかんねーよ。
なんでそうなるんだよ!
(俺に言われたって知るかよ! 実際そうなってんだ!
まあなんだ、俺はここから動けねーんだ。
この家に来た兵士がファリアに話しているのを聞いただけだ。
数日前にオーク王国から正式に宣戦布告されたってな)
数日前って……俺はどれくらい眠ってたんだ?
(100日以上は眠ったままだったぞ。すげえスピードで背中に蹴り入れられて吹き飛んだからな)
100日!?
3ヵ月以上経ってるじゃねーか!
てか、リザードマンと空飛ぶ魔王の戦争はどうなったんだ!?
いや、まだエレナの姿を見てない! エレナは!?
そういやフォトンは!?
(まて、一個ずつ話せ。……まあそうだな。
魔王ダグマと魔王ミシェルの戦争はまだ続いてる。
それとお前の姉?でいいんだよな。エレナは無事だ。
今は部屋で寝てるんじゃねーか?
そしてフォトンだっけか。あの男は死んだ)
え? と思うと共に、背中にゾワっとした悪寒が広がる。
フォトンが……死んだ?
(ああ。殺したのはファリアだ。エレナを殺そうとしたフォトンをファリアが殺した。
でな、妙な話なんだが、胸を剣で突いて殺した後、フォトンの体から黒い蒸気みたいな物が出たんだ。
たぶん操られてたんだな。操ってた奴はしらないけどよ)
……そういや、ファリアの頭の包帯。
100日以上経ってるってのに、まだ治ってないのか。
(フォトンを殺す事を戸惑って受けた傷だ。
正直死んだと思ったんだが、バッファの護衛魔術師が高いクラスの治癒魔法を使えたらしくてな。傷は残るだろうが、死なずに済んだ)
エレナは部屋で寝てるって言ってたな。
エレナはフォトンとよく剣の稽古もしていた。
フォトンと付き合いが長いのはファリアだけど、エレナはフォトンと仲が良かった。
(まあ、初めは泣いていたな。
それにこの部屋にもきて、よくお前の頭を撫でていたぞ。
ごめんって泣きながらな。信じてあげてればってな。健気だな)
ファリスは……?
(見ての通りだ。お前ほんとに死ぬところだったんだ。
今でも毎日、ずっとお前にヒーリングをかけてぐったりしてるよ。
お前、体中の骨がバラバラだったからな。内臓に骨とか刺さって、そりゃもう)
あ、もういい。
なんか聞いてるだけで痛くなる。
……でも、そうか。
俺は家族に救われたんだな……。
(まあ、そんな感じだ。それとそろそろ俺は戻る)
勝手に戻れるのか?
(お前が持ってた魔石を俺なりに改造した。あれはもう俺の家みたいなもんだ。
今度俺が必要な時は、魔石を握って心の中で呼びかけてこい。暇じゃなかったら相手してやる)
なんつー上から目線の式神だ。
(まあそう言うな。ああ、そういや、サフリスから貰った袋があっただろ)
ああ。
(あれはファリスが持ってる。ファリスが目覚めたら貰うといい)
何が入ってるんだ?
(自分で確かめろ。まあ、簡単に言えば、サフリスが目醒める為に使用した物が入ってる。
俺がサフリスの体を使ってた時に用意した物なんだけどな。ラノア大陸で見つけた物だ)
意味が解らん。
(使えば解るさ。じゃあ、今度会う時は何で男の精神状態なのか聞かせろよ)
暇じゃなかったらな。
(ハッ 違いねえ)
軽く悪態をつくと、アプラは頭の中からすうっと居なくなった。
男である事は、同じ転生者である大叔母様も知らない事実なんだが。
でも、心を覗かれて隠す事なんて出来る訳がない。
アプラだけには話してしまっていいかもしれない。もうバレてるし。
それと……フォトン。
この世界にきて、初めて身近にいる者が死んだ。
悲しい、いや、複雑な気分とでも言えばいいのか。
正直実感がない。
この世界は残酷な世界だ。致死率で言えば、俺がいた日本の数千倍だろう。
一歩街から外に出れば魔物がうようよしてるし、すぐに魔族間の戦争が起こる。
他の大陸の事は詳しく知らないが、港町で聞いたルイスの話じゃ、ラノア大陸でもたまに人族同士の戦争は起こるのだという。
盗賊、人攫い、奴隷。人が死ぬ事が当たり前の世界だ。平和な日本とは違う世界。
俺は前の世界で家族がいなかった。
知り合いはいたが、たいして親しくも無い知り合いばかりだ。
なので近親者や友人の死に、どういう感情を持てばいいのか解らない。
悲しいのだろう。フォトンは良いやつだった。
エッチだったし、俺ともよく似ていた。
いいやつだった。俺達を探して森に入ってくれたんだ。
本当にいいやつだった。ふざけたやつだったけど、牢屋に入れられてた時も言葉が解らない俺に話しかけたりしてくれたな。
……あれ? 俺、泣いてる?
気付けば涙が溢れていた。
「リリス……大叔母様が心配していたぞ。それと詳しく話も聞きたいそうだ。
だが、断っておいた。傷が癒えるまでは会えないと……」
気付けば、開けっ放しだった部屋のドアの前にファリアが立っていた。
俺の涙に気が付いたのか、話を途中で止めて寝ている俺を上から抱きしめてくれた。
「リリス……」
と一言。ファリアの目にも涙が溢れていた。
そしてファリアの口から、改めてフォトンの死を告げられたのだった。




