巨大な蛇
カラカラと勢いよく回る荷台車の車輪。
多くなっている筈の魔物達は、不気味なほど鳴りを潜めている。
あの空を舞う、信じられないほどの数の空飛ぶ魔族。
それが見えた時から、一度も襲われる事なく進んでいる。
「はぁはぁ……まさか、また走る事になるなんて思いませんでした……はぁ……」
「ファリス姉さん、荷台車の後ろに乗っててもいいよ」
「いえ、大丈夫です」
みんな分かっていた。
この状況が普通ではない事ぐらい。
俺は大叔母様にある程度聞いて知っている部分もある。
リザードマンが戦争で負けて、リザードマンの国と同盟国であるレイマールは、空飛ぶ魔王の軍隊によって滅ぼされる。だが、同盟国だとしても中立の立場にあったレイマールが滅ぼされた意図は不明。何故そうなったかは、大叔母様でも分からないらしい。いくら未来が見える未来視をエミリアから儀式で奪って見てるといっても、すべてが見える訳でもない。見える未来は選べない、そう大叔母様は言っていた。
そして滅ぼされるのは今から4~5ヶ月後程。その間はリザードマンの国が持ちこたえる。
まだ時間はある。
「はぁはぁ……そろそろ一旦休まないか……さすがに……」
ビルマが苦渋の表情を浮かべている。
俺とエレナが後ろで押して進んではいるが、ずっと彼女は荷台車を引いて歩き、今は走っている。
俺達に気を使って苦しい表情はしていなかったが、そろそろ限界なのだろう。
傍らで荷台車を押して走っているエレナに目配せをして、コクンと首を振る。
するとエレナは気付いてくれたようだ。
「一旦休むわよ。止まってっ!」
声がなくとも、意思疎通が出来るというのは良い。
大きな声で叫んでくれた。
…………
「しかし、あれはいったい何だったのでしょうか」
「ああ、とんでもない数だった。
魔物かと思ったが、よく考えれば空を飛ぶ魔物であんな群れをつくるのはいないはずだ。
恐らく、魔族だな」
「魔族? あんな大勢でいったい……」
「分からんが、良い事ではないだろうな」
道半ばで一旦休憩。
結構長い間走っていて皆疲れていたようだが、既に10分ほど休憩している為、息は整ってきているようだ。
普通に話をしている。
「でも、魔物は出てこなくなったわね。移動は楽だけど、ちょっとつまらないかな」
あ、エレナだけは全然疲れてなかった。まあ、俺もなんだが。
ファリアに鍛えてもらった走り込みなどの特訓で、子供ながらに体力は十分ある。
とはいえ、俺がいた世界では考えられないほどの体力だ。
やはり日本があった世界と、この世界では生き物の基礎体力から違うのだろうか。
それとも体に流れる魔力のお蔭だろうか。または両方ともだろうか。
まあ、鍛えて身体機能が上がるのはどこの世界でも同じだろうが。
『早いに越したことはないよ。レイマール城も見えたし』
「うん、でも、まだまだ遠いけどね」
そう、もうすぐこの旅も終わるのだ。
まだ米粒ほどに離れて見えるが、あれは確かにレイマール城だ。
大叔母様に言われてお遣い気分で軽く引き受けたけど、とんでもない旅だった。
けど、分かったこともいっぱいあった。
なので一旦良としよう。短くも長い旅だった。
「……何かくる」
ビルマが立ち上がった。
俺達も立ち上がる。
まさか俺が、旅は終わったとかフラグ立てたからか。
などと思っていると。
「ヂュ~!」
現れたのは1匹のウェアラット。
なんだ脅かすなよ。
魔物が出てこないのに出てくるなんて、てっきり何かのフラグかと思ったじゃないか!
強い魔物が出てくると思ってしまったじゃないか。
まあ、所詮フラグだ。
「ガアアアアァァァ」
ええ!?
森から、けたたましい鳴き声と共に現れたのは、黒茶色な魔物。
頭にヤギの様な角があり、体は熊そのもの。
一目見て分かった。
魔物図鑑で見たのと同じ。バッスカルだ。
「ヂュ~、ギャ!」
バッスカルはウェアラットに噛みつくと、首をぶんぶん振っている。
まさか〝はぐれ〟?
「まだくるっ!」
ビルマが叫び、更に森から2匹のバッスカルが現れた。
合計3匹。〝はぐれ〟じゃない。
俺とエレナとファリスに1匹づつ。
なんつーフラグだ。
こんな事ってあっていいのか。
フラグのバカ野郎が。
などとフラグの悪口を散々煽っていると、出てきた2匹のバッスカルの様子がおかしい。
森の方を向いている。
「……まだくる」
え?
「あれ見て!」
エレナが指さし、その場にいた皆が硬直した。
ガサっバリっと森の木を薙ぎ倒しながらから現れたのは、口に一匹のバッスカルを咥えたでかい魔物。
出てきたところで、ボトっと既に死んでいるであろうバッスカルを足元に落した。
体長10メートルはありそうな蛇の様な体。
しかし丸太のように太い体からは、6本の足が鋭い爪を立てて交互に蠢いている。
だが頭は蛇ではなく、鳥のような作り。
そして鷲のような鋭いクチバシに、そこから出るチロチロと細い先が2つに割れた舌。
見た目、神話に出てくるバジリスクのような姿。
「ば……バジルバジラ……B級だ……」
言ったビルマの顔に、どっと汗が噴き出ているのが分かる。
俺の顔にも汗が滲んでいた。あの怖いもの知らずなエレナでさえも。
見た事はない。もちろん知らない。
家にあった魔物図鑑には、C級の魔物までしか載っていなかった。
「に……逃げますよ」
突然目の前に起こった信じられない悲運に、声を震わせながらもファリスが先導した。
皆、蛇に睨まれた蛙の様に微動だにせず固まっていた。
冷静ではなくとも、声を発せたのはファリスだけだった。
「早くっ」
ファリスの声にハッと我を取り戻し、皆持ち場に戻る。
ビルマは荷台車を引き、俺とエレナで後ろから押す。
幸い、バッスカルとバジルバジラは睨み合って、こちらに気を取られていない。
何が何でも逃げる勢いで、ダっと駆け出した。
「なんでこんなところにあんなのがいるのよ!」
「わからねぇ! とりあえず逃げるしかねぇ!」
4人とも後ろを振り返らず、ただひたすら逃げる。
ギャアアアアと幾つかの断末魔のような悲鳴が背後から聞こえる。
恐らくバッスカルの悲鳴だ。
あっさりやられたのだろうか。
「あああっ あいつと目が合ったわっ 追って来てる!」
一瞬振り向いたエレナが後悔した顔で叫ぶ。
後ろ振り向くなっ!
追ってきてるとか言うな!
いやいや違う!
ごめんなさい!ごめんなさい!
フラグはバカ野郎じゃないです、ごめんなさい!
あれ、そういえば、なんで何もしないで逃げてるんだ。
歯を食いしばって後ろに振り向いた。
「リリス!?」
既にバジルバジラは、逃げる俺達のすぐそばまで迫ってきていた。
見た事も感じた事も無い巨体だ。
だが!
うおおおぉぉ〝止〟〝止〟〝止〟〝止〟〝止〟……
10個ほど書いて、また荷台車の後ろに駆けて戻る。
「あっ アレね!」
俺が罠を仕掛けた事に、エレナも気付いたようだ。
少しだけ安心した表情を浮かべた。
しかし、ドっ、ドっ、ドっ、ドっと、後ろから迫る足音が止まない。
なんで!?
そこはもう通ったはずじゃ。
「止まらないじゃない!」
わかんねー!
なんで止まらないんだ?!
「お母様!?」
食われる食われる!
家族を救う前に食われちまう!
母さん助けて!
母さん母さん。
え、お母様!?
荷台車の端から前を見ると、こちらに猛突進してくるファリアの姿。
そして気付いた時には俺達の横を一瞬で過ぎ去り、バジルバジラへ飛びかかっていた。
奴の頭は優に3メートル以上の高さにあるのだが、ファリアの姿はそこにあった。
バジルバジラが奇声を発してクチバシを大きく開けた瞬間。
「はあ!」
ファリアの剣を抜く所作が見えない。
代わりにビュオォと、そこだけ猛スピードで鞭が空を切るような音が一瞬断続的き聞こえる。
最後にシャリンと剣を腰に戻し、ファリアは地面に着地した。
バジルバジラは突進した勢いで森の中に突っ込んだ。
大きな体をドシンと地面に落し、しっぽの辺りがピクピクしている。
絶対まだ動く、と思ったがそのまま動かない。
もしかして倒してしまったのだろうか。
あの巨体の魔物を。
大して苦戦することもなく。
「お母さん!」
俺が向かう前に、エレナがファリアの元へと走っていた。
ファリスも続けてファリアの元へと走っている。
二人はファリアに抱き着くと、うるうると目を輝かせていた。
それを見て俺は実感する。
2人は子供だった。
エレナは子供と思えない程強いし、ファリスは子供と思えない程落ち着いている。
だが、2人共まだ7~8歳ほどの子供だ。小学生で言えば、2年か3年生程。
俺は精神は30過ぎた大人。
「リリスもお母様が恋しかったでしょう。こっちに来ればどうですか?」
はい。
速攻で抱き着かせて頂きました。
ファリスが譲ってくれたからです、はい。
お母さんが恋しいとか、そんな感じじゃありません。
……嘘です。恋しかったです。
「あんた、この子達の親なのか」
「ああ」
ビルマが恐る恐るファリアに近づく。
ファリアは相変わらずのキリっとした表情だ。
ビルマのその最初に俺達を見たような驚きの顔は癖なのだろうか。
まあ、B級の魔物を倒してしまったファリアに驚くのは仕方ないか。
俺も驚いた。
倒れたバジルバジラの頭は、何度も斬り付けられた痕があった。
それを見たエレナは得意げに語った。
「音速剣! どう? 凄いでしょ!」
自分の事のように自慢している。
確かに凄い。というか凄すぎる。
切られた傷跡は深く、一直線の筋が無数についている。
もし人間などが受けたとしたら、細切れになるかもしれない。
「そんなに言うな。それにエレナにはまだ早い。
私だってここまで出来るようになったのは、レイマールに来てからだ。
大人の体にならないと、なかなか難しいぞ」
ファリアの言い方は、エレナが音速剣を研究しているのを知っているような言い回しだ。
まあ知っているのだろう。親だからな。
が、エレナを咎める様子はなかった。
俊足の時にファリアも学んだのだろうか。
「1日1回だ」
と、胸を張って言った。
成長しましたな、ファリア。
俺も成長したい。
「そう言えばリリス。後ろに振り返って何をしていたのですか?」
「ああそれっ 動き止める術? なんだけど、動き止めれなかったわよね」
『うん』
そうだ。確かに通ったはずだ。
なんで止まらなかったのだろうか。
「魔法か。バジルバジラは、頭以外は魔法は効かない。
何故かは知らんが、こいつの鱗は魔法を受け付けない。
だが、弱点の頭を狙えば意外と脆い。覚えておくといい」
俺が色々と考えようとする前に、ファリアが教えてくれた。
頭以外は魔法が効かない。なるほど。
でかくて強そうだが、弱点はどんな魔物にもあるのだろう。
まあ今の俺やエレナやファリスじゃ、弱点が分かってても倒せないと思うが。
でも、インプット完了。
今度出会ったら一応の対策は練れる。
しかし、今考えなければいけないのは、そこじゃない。
『こんな魔物、レイマールにいるの』
俺が書いた文字を見たファリアの表情が暗い。
いや、だいたいの想像はつく。
「戦争が始まった。魔王ダグマと魔王ミシェルのな。
それで戦場になった土地から、こちらに逃げてくる魔物がいるんだろう。
そうでなければ説明がつかない」
ファリアの言葉に、皆が凍り付いた表情を浮かべた。
俺は知っていたが、知っているというのは大叔母様に口止めされている。
なので一応驚いた表情を作っておく。
家族に嘘は付きたくないが、秘密事項は守らないといけない。
ちょっと辛いが。
あれ?
だけどファリア。エミリアの護衛はどうしたんだろうか。
『母さん、護衛は』
「街を囲う塀にも魔物が押し寄せていてな。
護衛失格だが、お前達が心配で見に来たんだ。
お嬢様は行けと言ってくれたのだが……帰ったら、お嬢様とバッファ様には頭を下げて謝ろう」
ファリアが言った言葉に感動したのか、エレナがまたファリアに抱き着いている。
ファリスも涙ぐみ、俺もちょっと泣きそうになった。
持つべきものは家族。
愛されるという意味が、少しだけ解ったような気がした。
…………
レイマールの町中と外を繋ぐ馬車も通る大きな門へは、1時間ほどで辿り着いた。
門の前には、完全武装した兵士達が何人も立っていた。
道中、魔物がいくつか森から飛び出してきたが、すべてファリアに葬られた。
剣を抜く動作と剣を収める動作が全く見えないこともあった。
どんだけ強いんだ、俺の母さんは。
そんなファリアに何も言えないでビクビクしているビルマ。
強気な女がしおらしくなると、かなり可愛い。
可愛そうだけど、もうちょっと我慢してくれ。
もうすこし拝みたい。
「お前達は、街の中に入っていろ。私はもう少しここにいる」
街へと続く門の前でファリアが立ち止まった。
町を襲う魔物を退治するのだろうか。
「お母さんは入らないの?」
「私はここでフォトンを待つ。奴は私と共にお前達を探しに外へ出てくれたんだ。
森の小道の方へ行ったんだが、しばらく進んで合流出来なかったら帰ってくるようにと告げている。
待合場所はこの門だ」
「じゃあ、私も待つ!」
エレナが真剣な顔で答えている。
エレナはフォトンと仲が良い。
たまに剣術も教わっているようだし、心配なんだろう。
『ビルマさんとファリス姉さんは、先に街に入ってて』
「リリスも待つのですか?」
ファリスの問いにコクンと首を振る。
腐れ縁だ。
顔に被っていた布を取ってくれたのもフォトンだしな。
なのでこの世界にきて、初めに会った(見た)人物もフォトン。
一応は心配なのだ。
「では、先に街に入っていますね。ビルマさん」
「ああ」
門を守る兵士に話を通し、開いた門からファリスとビルマは荷台車と共に中へ入っていった。
掠れた大きな音を立てながら閉じる門。
「フォトンさん、無事だといいけど」
「あいつは剣風流の使い手だ。
私は剣風流を習って間もないが、奴は10年以上修行した身だ。
俊足は私よりも早い。大丈夫だ」
そうなのか。
ファリアよりも強いかもしれないというのには驚きだ。牢屋の門番だし。
「あっ フォトンさんだ!」
エレナが大きな声を上げた。
俺もその方角を見る。
……あれ?
フォトンの後ろ。少し歪んで見える。
まるで湯気が立ったような、空気が濁ったような。
エレナが手を振り、ファリアが安心した表情を浮かべる。
だが、俺には聞こえた。
「……殺せ」
背後から聞き覚えのある声。
そして別の方角から、まるで地の底から聞こえるような恐ろしい声が。




