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■第56話 花言葉


 

 

シオリは、夜道を全速力で駆けていた。

 

 

暗い住宅街は、夕飯が終わり少しのんびりした穏やかな雰囲気の静けさに

包まれ、シオリの立てるパンプスのヒール音だけが硬く短く響く。


途中足がもつれ転びそうになりつつも、なんとか体勢を整える。 

肺が壊れそうに苦しいけれど、決してその足を止めることはしない。

 

 

 

  1秒でも早く、ショウタに逢いたかった


  1秒でも早く、ショウタに伝えたかった

 

 

 

その目には強く確かな光が宿り、もうわずかな迷いも無い。


駆けるリズムに、片肩に掛けたトートバッグの揺れが気になり少し心配そう

に目を遣りつつも、シオリの心と足は必死にショウタへのみ向かっていた。

 

 

 

懐かしい商店街の八百安の店前へ飛び込んだシオリ。


もうどの店もシャッターは閉まり、等間隔に並ぶ街灯だけがぼんやり辺りを

灯している。 店舗兼住宅が多いそこは、2階自宅部分の窓からあたたかな

明かりが覗きなんだか言葉では言い表せないやさしい気持ちが込み上げた。

 

 

息があがって苦しくて、背を丸めてゼェゼェと全身で息をするシオリ。

喉の辺りが痞える様に苦しい、心臓がバクバクと高らかに音を立てる。

顔にかかった髪の毛を手で払い、そっと片耳に掛けた。

 

 

苦しげに目を細めそっと視線を流した先に、それを見付けた。


店先の脇に、花の鉢植えが並ぶスタンドラックがあの頃と変わらずに佇んで

いる。 3段のラックには、所狭しと色とりどりの花が今日も見事に咲き

誇り、急激に胸に込み上げる熱いものにシオリは大きく深呼吸をした。 

 

 

 

  大好きなこの場所


  大好きな人たちがいる、この場所・・・

 

 

 

 

すると物凄い勢いで裏口の玄関ドアが大きな音を立てて開き、中からショウタ

が突っかけを履いて飛び出して来た。

 

 

 

 『ど、どうしたの・・・?』

 

 

 

突然やって来たシオリに、何事かとショウタは不安気に慌てて駆け寄り、

そっと見つめる。


その顔はいつもの情けなさよりも、迷子のこどもの様なうら寂しさが強くて

息苦しそうに屈めたシオリの背中をやさしくさするその大きな手は、得体の

知れない恐怖に少し震えているのが伝わった。

 

 

すると、シオリが言った。

 

 

 

   『逢いたいから・・・


    ヤスムラ君に・・・ 逢いたかったから・・・。』

 

 

 

その大きな澄んだ瞳は涙の雫をいっぱいたたえて、今にも零れ落ちそうで。


シオリがゆっくり、ひとつ、瞬きをする。

長い下まつ毛は大きな粒を支えきれずに、その透明な雫を白くツヤツヤの頬に

落として伝い転がった。

 

 

シオリは、まっすぐショウタを見つめる。


まるで眩しい朝の陽の光に目を細めるように、やわらかくあたたかく。

そして、10年分のありったけの想いを込めて。

 

 

 

   『ヤスムラ君・・・


    ・・・ヤスムラ君の、傍にいさせて・・・。』

  

 

 

そう言ってシオリは肩に掛けていたトートバッグの持ち手を下ろすと、そっと

両手でそれを握り直して、しずしずとショウタに向けて差し出した。

 

 

ショウタは、たった今耳に聴こえたそれに呆然とするしかなかった。


なにが起こったのか、頭がまったく追い付かない。

誰より愛しいシオリが目の前にいて、そして自分に向けて発せられた言葉は

この長い長い10年もの間、夢にも見ることが出来ないくらいに夢のまた夢

だった事で。

 

 

耳元で自分の心臓がバクバクと高速で高鳴っている。

まるで水中にいるように、耳の中で荒い呼吸がやけに際立つ。

次第に視界はぼやけて滲んでゆく。

 

 

 

 

  (夢・・・ なのかなぁ・・・。)

 

 

 

 

中々トートバッグを受け取れずに呆然と立ち竦むショウタの大きな手を、

シオリはその華奢な細い両手でやさしく包んだ。


今夜もひんやりと冷たいシオリの手。

間違いなく確かに感じる、その温度。

ショウタは、手渡されたバッグにいまだ訳も分からないままに目を落とした。

その震えるノドからは、たったのひと言すら声が出せない。

 

 

そっと見つめたバッグの中にあったもの、それは。

 

 

 

 

 

   蕾ひとつだけ大きく花開いた、橙色のミムラスだった。

 

 

 

 

 

バッグの持ち手を掴むショウタの手が、まるで幼いこどものそれのように

覚束なく心許なく小刻みに震える。

 

シオリは再び両手でそれを包み込んだ。

美しい透明な雫をぽろぽろ零しながら、目元も頬も鼻も真っ赤に染めて見つめ

るその顔は、あの頃の17才の少女のそれで。

 

 

そして、あの頃のように情けない顔で朗らかに笑わなくなったショウタへ言う。

 

 

 

 

   『この花は、ミムラス・・・


    ・・・ちなみに、花言葉はね・・・ 

 

 

 

            ”笑顔を見せて ”

 

 

 

    私が・・・ 一生・・・


    一生・・・ ヤスムラ君を、笑わせるから・・・。』

 

 

 


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