■第54話 目に見えないもの
シオリはその夜、コウの元を訪ねていた。
決して自分からやって来たりしないはずのシオリのその姿に、コウは瞬時に
それを悟る。
『ちょっと時間ある?』 シオリの真剣な眼差しに、コウは ”その話 ”を
聞きたくないと直感で感じていた。 聞いてはいけない、何か適当な理由を
こじつけて拒否しなければいけない。
しかし、コウは極めて冷静に余裕あるいつもの能面の様なキレイな微笑みで
コクリと頷いた。
もう誰もいない静まり返った外来待合室に、ふたり。
照明も落とされて辺りは廊下に灯る非常灯のわずかな明かりと、数台並んだ
自動販売機のそれがぼんやりと光っているだけだった。
コウはゆったりと待合室の長椅子に腰掛けた。
スっと鼻筋の通った美しい横顔、適度に細いしなやかな指、白衣の奥に覗く
長い脚、今日もモデル雑誌から抜け出て来たような完璧なその佇まい。
シオリも座ることをやわらかく促すも、首を横に振り立ったままどこか緊張
して強張るそのツヤツヤの白い頬は、不安気に指を絡めたり解いたりを繰り
返している。
自動販売機のコンプレッサー音だけが辺りにやけに大きく響き、耳につく。
中々話を切り出せずにいまだ立ち尽くすシオリに、コウは肩をすくめどこか
馬鹿にする様にクククと嗤った。
『シオリはもっと現実主義だと思ってたのになぁ~・・・
くっだらない ”目に見えないもの ”なんかに、
そこまで左右されるとは ・・・俺としては、心底ガッカリだよ。』
シオリがそっとコウに視線を向ける。
何をどう言われようともシオリは今夜、コウに決意を伝えようと思っていた。
コウが半笑いでチラリと横目で見るも、シオリは目を逸らさず射るように
見返してくる。 シオリのいつもの、言いたい事を言えずに口をつぐむ感じ
とは全く違う、揺るぎない確かな気配にコウが少し慌ててたじろいだ。
『い、言っとくけど・・・
約束破って裏切ったのはシオリなんだからな・・・。』
急に変わったどこか焦ったようなコウの声色に、シオリがせわしなく瞬きを
する。 『約束って、なんのこと・・・?』
すると、コウは途端に顔を真っ赤にして立ちあがった。
いつもの冷静沈着なコウとは違う、今まで見たこともない様な取り乱す姿。
『俺の・・・
俺のお嫁さんになるって・・・
・・・結婚するって、あんなに言ってたくせにっ!!』
コウらしくないその興奮した矢継ぎ早な口調に、シオリが狼狽え仰け反って
思わず数歩後退りした。
『こどもの頃でしょ・・・?』
『こどもだってなんだって、約束は約束だっ!!!』 コウの怒号が待合室に
廊下に響き渡った。 反響する自分の声にハっとした顔をしてまるで泣き出し
そうにうな垂れたコウ。 きつく握り締めた拳が震えているのが目に入る。
『俺は・・・ ずっとシオリのことだけ見てきたのに・・・
俺・・・ こどもの頃から純粋にシオリが好きだったよ・・・
だから、これは本心で、結婚出来たらいいと思ってた・・・
シオリの隣に並ぶのは俺だと思ってたのに・・・
その為に常に格好良くあろうと努力してきたのに・・・
あんな・・・ 無様な・・・
あんな格好悪い奴に惹かれるとはね・・・。』
すると、コウの声色が嘲笑う冷たいそれに瞬時に変わる。
シオリを繋ぎ止めるその一言を見付けたように、厭らしく光る目で眇めて。
『今更・・・
あれだけ青りんご君を傷つけといて、
今更どんな顔して会いに行くんだよ・・・?
今更 ”やっぱり好き ”とでも言うつもり・・・?
格好悪いにも程があるだろ・・・
そんなの最低だよ、最っ悪に格好悪い・・・
ダサくて、格好悪くて、目も当てられないよ・・・
シオリはもっとスマートでいなきゃダメだろ!!』
歪んだ顔でシオリに向け罵声を吐くコウは、こんな時でさえ髪の毛1本の乱れも
なくマネキンのように整っていた。
完璧な、コウ。
完璧すぎる、コウ。
シオリが俯いていた顔をそっと上げる。
それはまるで長い間探していたものを見付けた様な、顔で。
『そう・・・
格好悪いの・・・
ヤスムラ君は、格好悪いトコも全部、
全部全部・・・ 隠さずに私に見せてくれるの・・・
私の格好悪いトコも、全部受け止めてくれる・・・
だから私も・・・
ダメなトコも、悪いトコも、情けないトコも全部全部
隠さずに、ヤスムラ君だけには見せられる・・・。』
”その、情けないまゆ毛見えてたほうがゼッタイかわいいってのー!”
夕暮れの帰り道で強引に前髪を上げられ、情けないハの字の眉毛を見られて
格好悪いくらい憤慨したあの日を思い出していた。
”(*´▽`*)Ф~~~”
うちわで扇がれ、教科書に落書きされ、半紙に描かれ、いつもいつもシオリに
向けて情けない顔で笑ってくれたショウタ。
シオリの頬に涙が零れる。
そして、まっすぐ射るようにもう一度コウを見つめてシオリは言った。
『私は、ヤスムラ君が好き。
だから、ヤスムラ君以外の人とはゼッタイ結婚しない。』
すると、コウは暫し電池が切れたおもちゃの様に微動だにしなくなった。
そして黙り込んだまま深い深い溜息をつく。
耳に響いたシオリのそれを、何度も何度も頭の中で確かめるように目を瞑って。
遠く、廊下の先から看護師詰所の内線がけたたましく鳴る音が小さくそよぐ。
外来待合室にはコウの静かな呼吸の音と、シオリの息を詰めたようなそれ。
コウは正していた姿勢から、だらしなく長椅子の背に体を沈め足を投げ出して
首を反り天井をぼんやり眺めた。
『やっと・・・ ちゃんと断ってくれたね・・・。』
それはどこか懐かしくシオリの胸の奥に響いた。
冷たく抑揚ない声色が急に昔のやさしいコウに戻ったような、そんな気がした。
コウが小さく笑って、呟く。
『それ言われないと、こっちも前に進めない・・・
まぁ、切り出せずにいるシオリに俺もつけ込んでたってのもあるけど
”目に見えないもの ”に一番すがってたのは、きっと俺だ・・・
幼い約束を、信じたかった・・・
シオリとふたりで白衣姿で並びたかった・・・。』
すると、コウはやわらかく目を上げて、そっとシオリを見つめた。
『もういいよ、シオリ・・・
・・・これでやっと、俺も・・・・・・・・。』
『ありがとう。 コウちゃん・・・。』 シオリが肩を震わせて涙声で呟く。
コウは、嬉しそうにでもどこか哀しそうに切なげに微笑んだ。
『やっと ”コウちゃん ”て呼んでくれたね・・・。』
コウは両腕で顔を隠すようにして背を丸めた。
その腕の奥で、クシャクシャに顔を歪めて漏れそうになる泣き声を堪えていた。




