■第53話 雨の日も、風の日も
翌日、早朝。
シオリは兄ユズルに言われた通り、まだ薄暗い中いまいち状況が掴めないまま
病院にやって来た。
職員玄関を静かに通り、いまだ入院患者がひっそりと寝静まる廊下を進んで
ユズルの病室のドア前で立ち止まると、遠慮がちに小さく2回ノックする。
すると、中から車イスが動く電動音が聴こえ、そのドアがユズルの手により
スライドされ開かれた。
『朝早くに悪いな。』 そう口では言うも、ユズルは然程悪びれもせずどこか
その顔は嬉々として上機嫌に見える。
シオリはそんなユズルを困った様な面持ちで少し眉根をひそめ見ていた。
いまだ不審がって戸口で佇むシオリを病室の中へ促すと、その背中は窓辺へと
向かいまっすぐ車イスを進め、どこか自信満々に目を輝かせ振り返った。
『ちょっと、こっち来て。』
ユズルの声に、『ん?』 シオリはなんだかよく分からないまま窓辺へ近寄る。
ユズルは少し身を乗り出して窓の外を見つめた。 顔を大きく左右に向けて、
いまだ薄暗い朝靄けむる病院前の表通りをキョロキョロと遠く見澄ましている。
それは、なにかを探している風で。
すると、瞬時にパっとユズルの表情が明るくなった。
その探していた ”なにか ”を見付けた事をそれが物語る。
ユズルがなにも言わずに、まっすぐ腕を伸ばし指をさす。
その指先は窓ガラスの厚みをすり抜けて、表通りに ”それ ”を示した。
シオリは小首を傾げ見つめていた兄の横顔から、その視線をユズルの指先へと
静かに移動する。 指の先に目を凝らすと、そこに見えたものにシオリが目を
見張り声を失った。 咄嗟に、ガラスに顔がくっ付くほど近付いて見つめる。
静かに病院の正面玄関脇に滑り込んできた原付き。
早朝のその姿は、エンジン音が近所迷惑にならない様にとでも思っている風に
慌ててエンジンを切って跨っていたそれを降りる。
そのガタイのいい姿はそっとハーフヘルメットをはずすと、座席後部のカゴに
置いた。 その首元には白い布、なにか印字されているのが見える。
あれは、きっと ”八百安 ”と書かれた手ぬぐいに違いない。
そして、ただまっすぐ病院を見つめていた。
ただただまっすぐ ”その姿 ”を探して。
いつ来たって見えはしない誰より愛しい ”その姿 ”を闇雲に探して。
ユズルがぽつりと呟いた。
『少なくとも、僕の意識が戻った時にはああしてたよ・・・。』
シオリはまだ窓に張り付いてその姿を呆然と見つめている。
ガラス窓に押し当てた手の平の熱でそれはじんわり曇り、指先は小刻みに
震える。
『あの感じなら、きっと・・・ もっと、前から・・・。』
そのユズルの一言にシオリが遂に声を上げて泣き出した。
涙の雫が次から次へと白くてツヤツヤの頬をこぼれ落ちる。
両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んだシオリは、まるでこどもの様に
泣きじゃくる。
その華奢な震える背にそっと手を当て、ユズルは言った。
『あれ・・・ 青りんご君だろ・・・?
毎朝、毎朝・・・
雨の日も、風の日も・・・ 青りんご君は病院を見上げてたよ・・・。』
たったの一言すら言葉が出ないシオリ。
痙攣するように胸は震え、思うように呼吸が出来ない。
ショウタはあの頃のまま、変わらずにいてくれた。
一方通行だと思って疑わなかった ”ベクトル ”は、あの頃のまま。
あの頃のまま、なにも変わらずに互いだけに切ない程に向き合っていた。
思わずユズルに抱き付いて泣きじゃくるシオリ。
ユズルはまるで幼いこどもを安心させる様に、震えながら泣き続けるシオリの
頭をやさしくやさしく撫でてやわらかく言った。
『ごめんな・・・
僕のせいで、お前が一番ツラい思いしてきたんだよな・・・
もう心配しなくていいから。
お前は、青りんご君のところに行きなさい・・・
僕が父さんを説得するから、もう、ダイジョウブだから・・・。』




