■第52話 再び灯った小さな火
気が重いまま、2階への階段を上がったショウタ。
古い階段の踏面が、ギシギシと気が進まないそれを表すようにゆっくり鈍い
音を立てる。
自室ドア前で一瞬立ち止まり小さく息を吐きそっとドアノブに手を掛けると
同時にそれが開いた。 ショウタがやって来た気配に、マヒロがドアを開け
そこに立ち竦み、そして深々と頭を下げた。
『な、なんだよ・・・?』 マヒロの姿に驚き、取り敢えず下げている頭を
上げさせようとショウタは少し屈んでその細い肩にそっと手を当てると、
マヒロは震える声で言った。
『ごめん・・・
・・・あたし、嘘ついたの・・・。』
『え?』 ショウタが、いまだ頑なに頭を下げ続けるマヒロを覗き込む。
マヒロが自分に嘘なんかつく必要性を全く感じず、ショウタには思い当たる
節がひとつも見当たらなかった。
『あたし・・・
ショウタに嘘ついた・・・
前に・・・ ホヅミさんと偶然会った時、
ホヅミさん、ほんとは指輪なんかしてなかった・・・
・・・婚約も結婚も、してなかった・・・。』
マヒロの前下りショートボブの毛先が、下げた頭に連動して小さく揺れている。
『ごめん。』 と繰り返すいまだ頭を下げたままのその細い背中が、あまりに
脆くて覚束なくて、逆にショウタの方が申し訳なくなってくる。
『あぁ・・・
・・・うん、 知ってる・・・。』
ショウタはマヒロからどんな話が飛び出すのかと思ったが、もう既に母ミヨコ
から聞いて知っていたそれに、どこかホっとした様に小さく笑った。
そして、『別に、いいよ・・・。』 それは、やさしく低くマヒロに響く。
すると、そのショウタの反応にマヒロは驚きガバっと顔を上げた。
目を見開いてまじまじと見つめるも、ショウタはそっと目を伏せ静かにドア沓摺
から部屋に進み勉強机に浅く腰掛ける。 なんだか疲れたような面持ちで首を
左右に倒し片手で肩を揉んで、気怠いような息を吐いた。
既に ”それ ”を知っているなんて思いもしなかったマヒロ。
あの頃のショウタならそれを知った途端に後先考えず突っ走るに違いないのに。
それをしないショウタ。
ただ黙って見守っているようなショウタ。
シオリを深く強く想うが故に、そうしないで必死に堪えているのだと気付く。
(そこまでして、ホヅミさんのこと・・・。)
酷い嘘をついた事も決して責め立てたりしないショウタのやさしさがマヒロの
胸に鋭く突き刺さる。 逆にツラかった、強く罵ってくれたほうがマシだった。
言おうか言うまいか悩んでいた。
それを言ったらどうなるのか。
でももし、本当にふたりが運命の絆で結ばれているのなら・・・
マヒロが意を決して小さく呟いた。
『もうひとつ、アンタに隠してたことがあるの・・・
ホヅミさんと会った時、少しだけあたし、アンタの話したの・・・
そしたら、あきらかにホヅミさん・・・ 動揺してた・・・
アンタの名前が出ただけで、強張って泣きそうな顔して・・・
まだ好きなんだなぁ・・・、って思ったよ、その時・・・
ホヅミさんも、アンタの・・・
・・・アンタの、こと・・・ まだ・・・
まだ、あの頃のまま・・・ きっと、好きで、いるよ・・・。』
ぽろぽろとマヒロの目から雫が落ちる。
涙に詰まって途切れた言葉。 しかしその顔はどこか清々しいそれだった。
胸に痞えていた鈍く重いものがやっと無くなり苦しみが解け、それと同時に
ショウタへの想いを諦めた瞬間だった。
ショウタは暫し呆然と机の前に立ち尽くしていた。
その目はどこか遠くを見るように切なげに瞬きを繰り返し、途端に腰が抜けた
ようにその場に座り込む。
そして両腕で頭を抱え、そこから動かなくなった。
目を閉じて深く深く息を吐く。その呼吸はまるで震えているかの様に途切れる。
諦めようと必死になっていたこの数年を思い返していた。 結局は諦め切れず、
いまだ思い続ける誰より愛しいその人も、もしかしたら変わらずに自分を想って
いてくれているかもしれない。
(どうしたらいい・・・?
・・・俺は、どうしたらいい・・・?)
ショウタの胸に、再び小さな火が灯っていた。




