■第5話 聖なる人を崇めるように
そして数か月経ち、ユズルは電動車イスでの生活がはじまっていた。
暫く入院生活は続きまだまだ自宅に戻れる状態ではなかったが、少しずつ
リハビリをして上半身は可動範囲が広がり、一時期やつれてこけた頬も
固形食のお陰か少しだけふっくらした。
下肢は当然動く気配はなく、それを隠すように車イスに座る時には常に
ひざ掛けで足元を覆っていた。
しかし、ユズルはあまり自分の病室に留まらず、電動のスイッチレバーを
右へ左へと動かし院内をウロウロと動き回った。
やわらかく微笑んで、廊下に、病室に、待合室にいる人びとに声を掛けている。
その兄の姿にシオリも廊下ですれ違うと、嬉しそうに目を細め見つめて声を掛ける。
『お兄ちゃん、どう・・・? 調子いい・・・??』
『上々だよ。 なんなら立ち上がってダッシュ出来そうなくらいだ。』
その口からは軽く冗談まで飛び出した。 口角を上げて上機嫌な面持ちで。
その兄妹の会話に、近くにいた看護師たちもどこか安心したような顔を向け
クククと笑った。
ユズルの姿をその目に捉えた長期入院患者もその名を呼びかけた。
ユズルの事故を知っているその人達は、ユズルの復活に嬉しそうに涙を堪え
ながらまるで聖なる人を崇めるように、穏やかに微笑んでいる車イスの下半身
不随のその肩に、腕に、しわがれた手を伸ばして触れてきた。
『ユズル先生!!』
『無事で良かった!!』
『先生の幸運貰わなきゃ!!』
その度に、ユズルは頬に笑みをたたえ、やわらかくにこやかに微笑み返した。
自分に断りもなく触れてくる数々のその手を両手でやさしく包み、ぽんぽんと
軽く諭すように叩いて握り締める。
そしてユズルはいつも、こう言う。
『僕は神様に感謝しているんですよ・・・
こんな体になっても、まだ、生かされている事に・・・
僕は、とてもツイてる。
すべてのものに感謝して、日々生きていかなきゃ・・・。』
目を細めて眩しそうに、どこか遠くを見るでもなく見つめて。
車イス姿のユズルのその言葉に、一同、涙を堪えて感動している様子だった。
『ユズル先生・・・ がんばってね!!』
『応援してるからね!!』
『ユズル先生なら、きっと大丈夫ですよ!!』
微笑みながら頷くと、まるで信者のような患者たちに軽く手を挙げてユズルは
車イスのレバーを動かし病院の騒がしい廊下を再びのんびり走り去った。
電動のタイヤが回転する音が小さく響くと、それを優先して通そうとするかの
ように廊下の端にみなが避けてゆく。 ユズルは端に立ち自分を見つめる人波に
穏やかな顔を向けながら、ゆっくりゆっくり院内を進んだ。
その下半身不随の少し細くなった背中を見守る、涙で滲んだ複数の目線。
みなに背を向けたユズルの頬は上手に微笑みを作っていたが、メガネの奥の目は
白けて冷えきり、全く笑ってなどいなかった。