■第44話 ベビーリングのネックレス
ぎゅっと握りしめたレイの手をやんわり解くと、ユズルは静かに左手を見つめ
そっと指に触れた。
レイらしい細い指、短く切り揃えられた爪。 勿論、ネイルなんてものはして
いない。 長くしなやかなそれは、柳のようにたおやかで脆く見えるが実の所
強く芯がある。 レイという人間そのものが表れている気がした。
『ちゃんと・・・ 指輪も渡したいなぁ・・・。』
ユズルは、婚約をした証をレイの指にどうしても記したかった。
生まれてはじめて結婚したいと思った只ひとりの相手に、男としてそれくらいの
甲斐性は示したいところだったが、入院患者である今のユズルにはそんな力は
無いのが正直なところだった。
しょんぼりと情けなく背中を丸め、自分の不甲斐なさに落ち込んでいるような
その姿を目に、レイが愛おしそうにそっと微笑む。
『ねぇ・・・
復職したら最初のお給料で、私もベビーリング欲しいなっ!!
指輪してると仕事しづらいから、ネックレスに通して首から提げたいの!』
その言葉に、ユズルが不思議そうに首を傾げる。 『私 ”も ”、って??』
すると、レイが言う。
静かにその場面を思い出そうと、少し目を細めて。 その頬にはほんの少しの
羨ましさと、そしてどこか不安と心配の温度を含んだ。
『ちょっと前に、ここの病院の近くで見掛けた子がね・・・
大切そーうに、ベビーリングのネックレスを首から提げてたの。
宝物みたいに両手で包んで、涙こぼしてて・・・
失恋しちゃったのか分かんないけど・・・
きっと、すっごい好きな人からのプレゼントだったんだろうなぁ・・・。』
その一言に、ユズルが動きを止める。
『ベビーリングって・・・
・・・あの、なんてゆーか、
おもちゃみたいに、凄っい小さい指輪だよね・・・?』
どこかで ”それ ”を見たことがある様な気がする。
ユズルの曖昧な記憶の中のそれも確かに鎖にぶら下がり小さく心許なく揺れる。
(誰だっけ・・・?
どこで見たんだっけ・・・?
患者か・・・? 見舞客か・・・?
・・・でも確かに、見た気が・・・。)
そして、 ユズルの胸をモヤモヤさせるその ”謎 ”は解けぬまま・・・
その直後に、ユズルは父ソウイチロウに復職と結婚の許可を貰いに院長室へ
向かい、ユズル不在の病室に不意にシオリがやって来てレイと偶然の再会した。
ひとつずつ、ひとつずつ、
運命の歯車が噛み合ってゆく・・・
それは数日後。
ユズルがレイとの結婚を決めてすぐの、とある夜の事だった。
あれ以来、ユズルは復帰に向け少しずつ準備をはじめ、レイは毎日仕事後に
病院にやって来てはそれに付き合った。 ユズルの目には希望しかなく、
それに寄り添うレイもまた、いつにも増して上機嫌に口角をあげていた。
レイが帰って行った直後、なんとなくユズルの病室を訪ねた夜勤のシオリ。
小さくノックをして引き戸をスライドさせると、応接セットに車イスをつけ
なにやら資料に真剣に目を落としているユズル。 そのヤル気に満ちた横顔。
ユズルは明らかに活気に満ち、にこにこと心から朗らかな笑顔を見せるように
なっていた。 ”レイのお陰だ ”と家族みんなが嬉しそうに口を揃える。
当初、最も心配していた母マチコが ”レイ ”という人間を誰より一番気に入り
今では口を開けばレイの名を連呼する程。 父ソウイチロウはなんとか理学
療法士として引き抜き出来ないかと、ここの所そればかりに躍起になっていた。
ドアから覗き込んだシオリが静かに病室に足を踏み入れると、目線だけで小さく
それを確認したユズル。 そして、その姿に ”待ってました ”とばかりに資料を
テーブル上にバサっと放る。
『あのさ~・・・
・・・あの・・・ ちょっとお前に、頼みがあるんだけど・・・。』
ユズルから掛けられたどこか遠慮がちな声にシオリが『なに?』目線を向ける。
『あのさ・・・ また、シュークリーム買って来てくれないか?』 どこか照れ
臭そうに呟く兄の横顔。 シオリは思わず吹き出した。
『ちょっと前に食べたばっかりじゃない? どんだけ好きなのよ~?』
あのシュークリームにどれだけの魅力があるのかイマイチ分からず、シオリは
可笑しそうにクスクスと少し呆れ気味に笑い声を上げる。
すると、モゴモゴと言いよどんだユズル。
『いや・・・ あの、
レイが・・・
・・・レイは、食べたことないから、あそこの・・・。』
照れ臭さを最大限隠そうと必死になっている兄の耳がどんどん赤くなってゆく。
明らかに手持無沙汰に再びテーブルの上の資料を手に取り、慌ててめくって
いるがただ闇雲にめくっているだけで、その目は一文字も追ってはいないのが
明白だった。
そんなユズルを見ていたら、シオリの目にじんわりと熱いものが滲んだ。
(レイさんに、どうしても食べさせてあげたいんだね・・・。)
『分かった! 次の休みに買って来るね。』 そう言って背中を向けると、
シオリはそっと目尻に溢れた雫を指先で拭った。
やさしい気持ちが込み上げていた。
やさしくて、あたたかくて、どこか切ない。
そして、運命の ”その日 ”がやって来る・・・




