■第30話 レイの手の温度
『ねぇ、ホヅミ君・・・。』
はじめて呼び掛けられた名前に、ユズルは戸惑いながらレイに視線を向ける。
誰からも呼ばれる事がないその ”ホヅミ君 ”という呼称に、面映さを隠し
きれない。
レイは少し俯いて考えながら、しずしずと二の句を継いだ。
『肩・・・。』
遠慮がちに呟いたレイのその一言に、ユズルは首を傾げる。
『肩??』 自分の肩になにか付いているのかと、左右に首を動かしてそこに
なにかあるのか確認しようとした。
すると、小さく首を2回横に振ってレイは続けた。
『肩・・・ 凝るでしょ?
ずっと上半身だけ使って生活してると・・・。』
『ぇ。』 ユズルはそのレイの言葉に驚いていた。
実は車イスに乗り始めてから肩や首の凝りがひどかった。 たかがレバーを
握って倒すだけの動作なはずなのに、微動だにしない下肢を上肢すべてで
補おうとする行為は自分で思うよりもずっと負担が掛かり、それは肩や首、
利き腕に直接響いていた。
しかし、誰にもそんなこと言いたくなかったユズル。
誰にも弱い所を見せたくなかったし、誰にも肩も首も触れられたくなかった。
決してそれを悟られないようにしていた。 特に母親になど知られたら毎日毎日
うんざりするくらい過剰にマッサージされるのは目に見えていた。
そしてきっと、母親ならこう言うだろう。
”可哀相に ” ”ツラいでしょ ” ”代われるのものなら代わりたい”
そんな言葉を掛けられ続けながら肩に触れられるなんて、考えただけでも
ゾっとする。 余計に体中が不調になりそうに思えた。
ユズルは人前ではさも平気な顔をして、夜に病室でひとりになった時にだけ
自分で肩や首や腕を揉んで硬く凝り固まったそれをマッサージしていたのだ。
『ぁ・・・ ぅん、えぇ。まぁ・・・。』 突然のレイの言葉になんだか
バツが悪そうに返したユズル。 咄嗟に小さく本音を漏らしてしまった。
”別に。 ”と否定だって出来たはずなのに。
すると、レイはそっと車イスの後ろに立った。
ユズルの背中に、レイのどこか緊張しているような気配が伝わる。
そして、ユズルの痩せた肩に手を置くと、ゆっくりゆっくり石のように硬く
冷たいそれをやさしくほぐしてゆく。
『・・・・・。』
ユズルは言おうと思って準備していた言葉を、咄嗟に飲み込んでいた。
もし、レイが肩に触れる前に ”肩揉んであげようか? ”と訊いてきたら、
すぐさま間髪入れずに断ろうと思っていた。
”別に大丈夫です。”と上手に微笑んで。
”自分でマッサージしてるので結構です。” とでも言おうかと。
しかし、レイはユズルになんの意思確認もせず、勝手に肩に手を置き勝手に
マッサージを始めた。
自分の片手で毎夜毎夜ぎこちなく肩を揉みほぐすのとは全く違う、その感触。
レイの手の温度に、ユズルの肩がゆっくりほぐされてゆく。
心が、じんわりほぐされてゆく。
それは、時間にして5分くらいのものだったのかもしれない。
その間ずっと眉根をひそめユズルは俯いていた。
手をぎゅっと握りしめ、その拳を微動だにしない脚の上に置いて。
言葉では言い表せない感情が、じわじわ胸に込み上げる。
レイの手が離れた瞬間、思わずユズルは顔だけ振り返ってレイを見つめた。
ただちょっと見たつもりだったユズルのその目は、自分で思うよりもずっと
寂しそうな物足りなそうな色が濃かったようで。
『なに? まだ足りない??』
レイが可笑しそうにクスクス笑う。
『お金取るわよっ!』 と愉しそうに笑いながら、再びユズルの肩に手を置いた。
触れる手の温度が、ユズルの頬にも伝染してそれを赤く染める。
もっと、触れていてほしい・・・
触れてみたい、レイの手に・・・
まるで思春期の中学生の様にユズルは肩をすくめて俯き、ジンジンと熱くなる
頬をどうすることも出来ずにいた。




