■第25話 頭に浮かんで離れなかったその一言
”こんにちは~ ”
そう言ってその頬に穏やかに微笑みを作り通り過ぎた車イスの事を、
レイはずっと考えていた。
タキの病室のベッドに相変わらず行儀悪く腰を掛け、長い足を投げ出して
後ろ手を付いて体重を支えながら。 こどもの様に落ち着きなくブラブラと
足を揺らし、ぼんやり天井を見つめポカンと口は開いたままになっている。
『・・・なにアレ。』 ぼそっとひとりごちたレイに、祖母タキは『ん?』と
ジュースを片手に掴んだまま一向に飲もうとしないその孫娘の横顔を覗き込む。
すると、タキは思い出したかのように嬉しそうに言った。
そのシワシワの両手を胸の前で合わせて、少し肩をすくめまるで乙女の様な
祖母のウキウキした様子。
『そうそう!
ほら、前に話した・・・ ユズル先生に会わせるから、
・・・あんた、今日はもう少しここにいなさい!!』
やけに浮かれている祖母をどこか冷静に横目で見ると、レイは小さく呟く。
『もう会ったよ・・・
ってゆーか、もう見掛けた・・・
ねぇ。 なんで ”あんな顔 ”してんの?アノ人・・・。』
今日も車イスのユズルがにこやかに穏やかに、その頬にあたたかい笑みを
たたえて次々掛けられる声に応えながら病院の廊下を進んでいた。
それは、その日の夕暮れのことだった。
夕食の時間になり、配膳の担当者が次々と各病室にそれを運び入れる。
入院患者はみな自分の病室に気怠げに戻って行って、生ぬるい病院食を
ベッドの上で静かに食べていた。 決して美味しくはないそれに諦めの
溜息が零れ、ただ口の中に入れては数回咀嚼して飲み込む。
食事をしている姿をじっと真横で見られるのもタキが食べづらいかと、
レイは祖母に『待合室に行って来るね。』 と一声掛けてそっと席を立ち
患者がいない閑散とした待合室にやって来た。 付けっ放しのテレビが
無駄に明日の天気予報を流し続けていて、なんだか物寂しさを助長する。
大きな窓からは、眩しい橙色がやわらかく差し込んでいる。
レイは足元にまで伸びた夕陽にまっすぐ照らされて目を細めた。
逆光で眩しくて辺りはよく見えなかった。 手を翳して陽を遮りしかめ面を
してあまりに眩しすぎるそれに困り果てた、その時。
窓辺に車イスの背中のシルエットがぼんやり浮かんだ。
(あ・・・ アノ人だ・・・。)
レイはなにも言わずその逆光で翳る車イスをじっと見ていた。
まるで電池が切れた様に微動だにしないその背中。 ただまっすぐ窓の外を
見ているようだった。
すると、その背中が不意に振り返った。
後方で佇むレイの姿を目に驚き慌ててその顔は微笑んで、『こんにちは~。』
やわらかい声色を作って囁く。
『こんばんは。』 嫌味っぽくその挨拶を訂正したつもりはなかったのだけれど
レイのその返答に車イスは、どこか馬鹿にしたように肩をすくめ嗤った。
必死に嘲る声色を隠そうとしているけれど、レイにはそれが伝わっていた。
『ねぇ・・・
なんで、アナタ・・・ そんな顔してんの??』
なんでも直球で投げかけるレイが、その人に向けて頭に浮かんで離れなかった
その一言を呟いた。 それはまるで小さなこどもが親に ”なんで?なんで? ”
と訊くような純粋な声色で。
まっすぐで嘘がない朝陽のように、自由に流れ煌めく彗星のように。
言われている意味がイマイチ分からないといった面持ちで、その車イスは小首を
傾げ困ったような呆れた顔を向け、それでも尚上手に微笑んでレイを見ている。
すると、レイは続けた。
『嘘くさいわよ。 アナタの、その笑う顔・・・。』
その瞬間、車イスのその人がはじめてそっと俯いた。
レイに見えないように隠したその頬はギリギリと噛み締めた奥歯で強張り、
あきらかに不機嫌そうに目を眇めていた。




