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■第2話 発せられた名前

 

 

ユズルが眠る院内の特別室に、母マチコとシオリ。ソウイチロウとコウ父母が

慌てて飛び込んだ。 みな息を切らして肩を上下させ、その顔は今にも泣いて

しまいそうに不安気で心許ない。 

少し遅れて、ただ一人無表情な顔を向けるコウの姿があった。

 

 

ベッドの枕元に設置された数々の医療機器が、今日もひっきりなしに耳障りな

電子音を発する。 横たわるその体に繋がれた複数の管が、まるで命綱のように

機械まで伸びている。


担当医や複数の看護師がユズルを取り囲み、せわしなく各種検査をしている

慌ただしい様子に室内の空気はピンと張りつめ、まるで酸欠になりそうなくらい

息苦しい。

 

 

 

あの日、車の衝突事故で体の自由を奪われ意識不明のままだったユズル。


一向に目を覚ます気配がないその姿に、みな奇跡を信じる気持ち半分、

しかしどこか奇跡なんて神様なんていないのだと諦めの気持ち半分だった。

 

 

そんな中、母マチコだけはひとり、強く信じ続けていた。


毎日毎日欠かさずに母マチコはユズルに寄り添い見守り、段々落ちてゆく筋力を

なんとかしようとするかのように腕や足をさすって刺激を与え、そして祈り続けた。

 

 

 

 

  (ダメよ、ユズル・・・


   あなたは、また医者を続けるんでしょ・・・


   こんな細い腕じゃ患者さんを看れないわ。


   ・・・早く目を覚まして・・・。)

 

 

 

必死にさするこの手の温度でどうかいつも傍にいると、ユズルに伝わるように。


決してひとりにはしないと、強く強く念を込めて。

 

 

 

今朝もユズルに寄り添っていた母マチコ。


特別室の大きな窓からは朝の爽やかな日差しがやさしい。 生成色のカーテンが

細く開けた窓から入る風に微かに揺れて、穏やかな雰囲気をつくり出す。


いつも通りの変わらない風景だった、それ。

 

 

決して目を開けることなく人口呼吸器を通して胸を上下する息子を哀しげに

見つめてこれから院長室で行われる娘シオリの婚約式を思い、更に泣き出し

そうに目を落とした。

 

 

 

 

  (ねぇ、ユズル・・・ 


   シオリをどうしたら助けられるか、教えて・・・。)

 

 

 

 

シオリには内密に進められていた、その婚約式。


力無くため息を落としながらも、マチコは夫に言われた通り正装をして来ていた。

エレガントなツイードジャケットを羽織り、シフォン素材のプリーツスカートは

ふんわり揺れる繊細なシルエットだった。

 

 

ユズルの微動だにしない手をマチコは両手で包んで、自分の額に押し当てた。

息子は意識が戻らず、娘は親の決めた相手と無理やり結婚させられようとしている。

 

 

マチコは、なにも出来ない情けない自分が嫌で嫌で仕方なかった。


夫ソウイチロウに反論することも出来ない、身を挺して娘を守る勇気もない。

すがるような娘の視線からバツが悪そうに目を逸らすことで、無力で弱い自分を

ズルくいっそのこと諦めてもらおうともした。

 

 

 

 

  (ユズル・・・ ねぇ、ユズル・・・


   シオリまで不幸にしちゃう・・・ 

 

 

   あの子、全然笑わなくなっちゃったのよ・・・


   あの頃、あんなに幸せそうに笑ってたあの子が・・・

 

 

   ユズル・・・ 早く目を覚ましてシオリを助けてあげて・・・。)

 

 

 

 

 

 

 『ユズルっ!!!』

 

 

母マチコがユズルの手を強く強く握って、揺さぶる。


医療機器の電子音を呆気なくかき消すほどのマチコの叫ぶようなその声が、

室内に木霊する。

一同、身を乗り出してユズルのベッド脇に詰め寄り、その顔を固唾を呑んで見守った。

 

 

うっすら開いた目。


いつもやわらかい視線を向けていたその目が、眩しそうに小さく小さく瞬きを

している。

そのすっかり頬がこけた顔は、事故の際にメガネの縁で切った傷が額にクッキリ

と残り困ったハの字の眉は更に下がって心許ない。

 

 

ユズルはそっと目線を移動して、今必死の形相で自分を覗き込んでいる母マチコ

を見つめた。そしてその後方にいる父ソウイチロウや叔父叔母、従兄弟のコウ。


最後に、妹シオリをぼんやりと捉える。

 

 

ゆっくりゆっくり瞬きをして、ユズルはなにか言いたげに口許に力を入れる。


口に挿管していた人工呼吸器を看護師が静かにはずすと、乾燥して皮がめくれた

唇がわずかに動いた。 それはほんの少し痙攣したような、わずかな動き。

思うように動かすことが出来ない事に、事態を把握出来ず戸惑った表情を作った

つもりでいるも、その頬の筋肉の動きは殆ど傍目には分からなかった。

 

 

言葉を発しようと、何度も何度も口許の筋肉を動かすユズル。

 

 

『ユズル・・・。』 母マチコの目から涙が溢れ出して、握り締める手に雫が落ちる。


まるで一時停止ボタンを押したかのように微動だにせず、息を呑み見守る一同。

みな、呼吸の音すら我慢するように、ユズルの衰えた喉の奥から出る第一声を待つ。

 

 

 

すると、それは時間をかけて小さく小さく発せられた。

 

 

 

 『・・・・・・・・・・・・・・シオリ。』

 

 

 


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