■第12話 行き場のない色んな思い
ショウタとマヒロへお茶を準備した母ミヨコが、階段の下から2階を見上げ
息子の名を呼んだ。 その手に持つお盆には、熱いお茶が入った湯呑がふたつと
スマイルカットにされたみずみずしいオレンジが乗っている。
すると、なんだか慌てて部屋を飛び出して来たショウタ。
きまり悪そうに母ミヨコの顔から目を逸らすと、その直後マヒロが部屋を出て
小走りで階段を駆け下り、ミヨコに向けて小さくぎこちなく頬に笑みを作ると
『お邪魔しました・・・。』 と消え入るように呟いて、玄関を少し乱暴に出て行った。
ミヨコはお盆をその手に掴んだまま、もう見えはしないドア向こうのマヒロの
背中をいまだじっと見つめていた。
一瞬向けたマヒロの目元は泣いた後のように潤んで赤らんでいたように思える。
ゆっくりゆっくり、睨むように息子ショウタに目線を向ける。
ミヨコとふたり台所に立って食器洗いをしていた時の、マヒロの物哀しげな
横顔が浮かんでいた。
”ねぇ、おばちゃん・・・
・・・ショウタってさ・・・。”
マヒロが言い掛けて止めたあの後に続く言葉は、きっと
”まだ、ホヅミさんのこと好きなんだよね・・・?”
ミヨコの胸がジリジリとやるせなく痛みを伴う。
行き場のない色んな思いが交差して、もつれて、もうがんじがらめの様で。
思わず責めるように眇めたその刺すようなミヨコの視線から逃げるように、
ショウタは2階の自室へ戻ろうと階段の踏面に足を掛けた。
その重みにギシっと軋む音が響く。
『アンタ・・・
マヒロちゃんに中途半端なことしたら・・・承知しないからね・・・。』
母ミヨコのうなる様な低い声色に、ショウタの背筋が一瞬強張って固まった。
そして、小さく小さく返した。
それは自分を問いただす様に、自分に失望したような声色で足元に落ちる。
『・・・わかってる。』
その時、病院の3階。
院長室があるその気味が悪いほど静まり返った廊下に、コウの姿があった。
あの日、シオリに婚約指輪を渡そうとしたその瞬間、突如舞い込んだユズルの
報せに婚約式はうやむやになり、そのまま指輪を渡すことも出来ないまま今に
至っていた。
みな、口を開けば ”ユズル、ユズル ”と、渡せなかったコウの指輪を誰ひとり
気にも掛けない。
昔からそうだった。
昔からユズルはその穏やかな佇まいで皆から愛され、こども達の中でも長兄と
いう事もあり人一倍期待され気に掛けられ、なんでも ”一番 ”だった。
皆がユズルを当たり前に ”最優先 ”にしてきた。
院長室のドアに拳を当てようと、コウはドア前で佇む。
スっと伸びた背筋は今日もシワひとつない白衣を纏い、嫌味なくらいに爽やかな
装い。 しかしその余裕を醸し出す佇まいに反して、内心はかなり焦っていた。
院長のソウイチロウに保留になったままのシオリとの婚約話を再度打診し
その了承を得て、なんとしてでもシオリの細い左指に約束させなければ。
決して離れられないよう、もう何処にも行けないよう、目を逸らしたくなる程
光り輝く眩しい環で、固い約束を。
すると重厚なそのドアにノックをする拳が触れるその瞬間、急にそれが開いた。
そして中から父であり副院長のコウジロウが出て来た。
凄いタイミングで開いたそれに驚いて少し仰け反ったコウ。 瞬時にコウに向け
不機嫌そうに顔を歪めた父をまっすぐ見つめる。
すると、コウジロウは低く呟いた。
『ユズルの脚がなんとかならないか・・・ それしか考えてないぞ、今は。』
そう言って後ろ手でドアをパタンと閉めると、院長室内のソウイチロウに向けて
呆れ果てた顔で雑に顎を向ける。
そして、続けた。
それはゾっとするほど冷たい声色で。
『お前がさっさとシオリぐらい手に入れておかないばかりに、
院長の椅子が遠ざかったじゃないか・・・
まったく、お前はいつもいつも、間が悪い・・・。』
シオリとの婚約が保留になり、息子コウが将来院長になる計画が頓挫している
事に誰よりイライラと気を揉んでいたのは、誰でもない野心家の父コウジロウだった。
兄にその件を匂わせようと院長室にやって来たものの、当のソウイチロウは
不随になった脚の過去の症例を調べるのに必死で、それ以外の事など考える
余裕は全くないその様子。
軽く舌打ちするように息子コウに冷ややかな目を向け廊下を去ってゆく父
コウジロウの神経質な背中を黙って見つめていたコウ。
目を細め次第にそれは眇め、睨み付けて。
行き場のない思いが、コウの中でメラメラと燃え上がっていた。
行き場のない色んな思いが、各々の胸にくすぶっていた。




