【競演】煩いくらいに囁いて
あらすじにも書きましたが第四回SMD競演参加作品の短編です。お題は雨。
3000字のむあの物語に、しばしお付き合いくださいませ……
雨粒がものすごく強く、痛いくらいに肩に降り注ぐ。
ビルとビルの間に挟まれているのにも関わらず降り込んでくる雨は、ものすごい轟音を響かせるせいで、私の声は誰にも伝わらない。――彼には、伝わっていて欲しい。
「叫んでくれたって良いのに」
ヒタリ、ヒタリ。私は彼に近づいた。
座り込んでいる彼は、無気力気味にこちらを見上げ、諦めたとばかりに、首をすくめた。
「なんで、叫ばないのよ」
雨音はますます大きくなり、自分の耳にすら、自分の言葉が届かない。
轟音の中の静寂を切り裂くように、私は湿って使い物にならなくなった拳銃を投げ捨てた。
湿ってしまっていては暴発すらもない。
地面に転がり、彼の手のそばに落ちた。
拾って私の側頭部でも殴ってしまえば、彼の力だ、私は気を失うだろう。
そんなことすらも考えていないのか、拳銃に手を添えても掴もうとしない彼が。
うっすらと笑みさえも浮かべる彼が、大嫌いだと心の底から、声をねじりだすように私は叫ぶ。
「叫ぶのは私じゃないのよ!何で……なんであんたは叫ばないのよ!」
まるで全てを悟ったように、そんな瞳で見ないで!
私の中で荒れ狂う怒りの心を、私は抑えるすべを知らない。
「叫びなさいよ!!!!!」
彼にも、私にも。平等にこの豪雨が身体をこれでもかと打って来る。滝のような雨とはこのことだ。
もう何も、本当に何も聞こえない世界で。
私は叫びながら、懐に隠していた包丁で彼の横腹を切り裂いた。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
日常生活の中では聞く機会のないはずの、人肉を切り裂く音が、響いた。
響いたのは正確には私の耳元だけ。傘をさし、無心で向かう人々は、この激しく地面に打ち付ける雨音で聞こえるはずもない。
一度行動に移してしまった怒りは、もう収まらなかった。
ごぉぉっと響く雨音に負けないくらい、私は声をからして叫び続け。
何度も何度も。
彼の腹に、心臓に、腕に、足に、その鈍く光る刃物を突き刺した。
抜き差しするその刃物が、光を失い。
噴き出す血液が顔に何度かかろうと。
私の手は動きをとめない。
確実に彼を――仕留めるまで。
声すら上げない――いや、声すら上げられないほどの苦痛なのか。
彼は物言わぬ人形のように、その場で座ったままだった。
鋭いその刃先がその身を貫く最初の一瞬だけ。
電気信号を受けるように、びくりと身体を震わせるだけだ。
「はぁ、はぁ……はぁ……っ……はぁ……」
「……気が……済んだか」
「!?」
彼はそれでも、ふらりと立ち上がった。
この男は不死身なのかと、私が疑ってしまうくらいに、しっかりとした足取りで。
「――愛羅」
雨が降り注いでいても関係がないくらい近くまで、私が目の前に包丁を構えていて、彼の腹部にそれが再び突き刺さっているのにも関わらず、彼は近づいて。
相変わらずの雨音が弱まり、不意に風向きのせいだろうか、一瞬だけ静寂をもたらした。
その静寂の中で。
彼が私の耳元で囁いた。
「愛してた」
「え」
「俺は一番お前を、愛していた」
「……え……」
私の中で猛っていた熱い衝動が、慟哭に代わるまでに、そう時間は要さなかった。
膝を折り、崩れ落ちた彼の身体を抱きよせて、私はその穴から流れ落ちる命の欠片を必死にかき集めた。自分の服が真っ赤に染まろうと関係はない。
もう彼の瞳は光を映さない。
再び威力を取り戻した雨が、雨水が、彼の傷口から流れ落ちる赤い血液を洗い流し、道の脇へと流していく。
「なんで」
「なんでなんでなんで」
――好きな人がいると、言ったではないか。
――愛している人がいると私に微笑みながら告げたではないか。
――彼女へのプレゼントなのだと、私に照れながら見せたではないか。
男の背広の左ポケットから、零れおちた銀色の指輪。
私は拾い上げて、雨水が目に入って来るがゆえにぼやける視界の中で。
自分の名前を"そこ"に見つけた。
「A……I……RA……?」
雨はゴウゴウと、大風と共に私たちを襲う。
ずっしりと湿って重たくなった服から、その強い雨は彼の痕跡を洗い流していく。
「あ、あ……」
銀色の輪を私は左手に握りしめ、赤黒く染まったナイフを投げ捨て、右腕で彼の骸を掻き抱いた。
私の叫びは、もうこの雨の中、誰にも聞こえることはないだろう。
この醜き私の嫉妬を。
彼はそれすらも受け入れ、私の手の中で。
息絶えた。
「なんでなんで……もっと早く言ってくれなかったのよ」
「私はずっと、その言葉だけを待っていたのに」
視界の端にある、既に銀色の光を取り戻したそれを、私は震える手で握り締めた。
「……ぅぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!!!」
彼の躯をそっと横たえ。左の薬指にその光るリングをはめた私は。
自らの首筋に刃先を向けて、最後の……
………………
…………
……
「ったく、余計な仕事をまた増やさせやがって」
「すんません」
雨は、弱まり、男女2人の躯のある細い脇道で、黒い傘をさした初老の男が一人、ため息をひとつ。
スーツは上等なもののようで、撥水加工が施してあるのか、傘の先から垂れる水は跳ね返り、丸い雨粒となってその表面を転がっていく。一方で、そんな彼のため息に反応するように起き上った躯の"1つ"は、あちこち穴の開いてしまった背広を見て、やってしまったと悪びれもない笑みで報告した。
「交際相手が別れを告げるたびに殺していた殺人狂……これで成敗できましたよね」
「お前が手を下したわけでもないから自殺で処理は出来るが――その一張羅、高かったんだろう。指輪なんて小細工まで、よく準備したな」
「あぁまぁ……そうですねぇ」
世の中には科学で説明できないような特殊な体質というものが存在している。
その一つが――この青年の不死身の能力。
死んでしまえば傷は癒え、肉体年齢は数年若返って蘇る。
老いる度に生き返り続けてきた彼が「先輩」とは呼びつつも、長年相棒として共に生き続けてきた初老の男。彼は毎度先輩と呼ばれる度に、苦虫をつぶしたような顔でこう答えるのだ。
「先輩はやめてくれ、俺はまだそこまで老いてない」
「もう初老の経験豊富な仕事人でしょう」
「お前も同じ年だろう」
「そうは、見えませんでしょう?」
「……とりあえずその表情はやめてくれ」
同い年で長年共に仕事をしてきた青年の、笑っているのか泣いているのか、何を考えているのかもわからないその無表情は、いつまでたっても慣れることはできない。
「とりあえず部下に死体を他の場所に運んで処理をしてもらう。お前は早く帰って着替えろ」
「承知。ギャラでこれよりも高いスーツ買えるように取り計らってよね、あーいぼう」
「このお調子者が」
「うぃー」
「後で飲みに付き合えよ」
「そっちの奢りでよろしくねー」
眉間に幾度となく寄せ続けた皺に手をやり、視界の端に消えていく青年の後姿を見やりながら。
「つくづく神というのは不公平なものだな」
いつ死ねるかもわからない永遠の男と、これから死に向かう男の姿を見比べ、ただ男は首をすくめるのだった。
はい、はい、はい。
そうです、6月7月にかけて開催されていましたSMD競演……
6月の梅雨、むあの梅雨はようやくここで終わるのです……
お読みいただきありがとうございました。
6月に企画参加を表明後、予期せぬ台風被害、むあの心境の様々な変化。その他もろもろありましてこうしてようやく、作品を書き終えるということになりました。本来は別な作品をと思っていましたが、そちらの作品はまたの機会に取っておくことにいたします。ここまで待たせておきながらこの作品かい!というツッコミはですね……でもむあさんこの作品好きだし、頑張ったんです……心の中にだけで、おさめておいていただければと思います。
それではまた、別の作品でお会いしましょう。
霧明(MUA)