風の色、世界の音
波は一定の間隔で崩れ、同じ音を繰り返していた。その単純さが、彼には心地よかった。
少女は膝を抱えて座っている。海を見ているのか、海の向こうを見ているのかはわからない。
「外出なの」
彼女が言った。
「外出?」
「家の人がね、風が変わった日だけ外に出ていいって」
彼は空を見上げる。曇り空に、特別な変化は見えない。
「天気のことじゃないのか」
「違うよ。世界に色が足される日」
抽象的な言葉だった。だが彼は、笑わなかった。
「家にいると、音が大きいの」
少女は砂を掬い、また落とす。
「音?」
「海の音も、風の音も、人の声も。全部近い」
彼は想像する。狭い部屋。閉じた空気。反響する声。
「ここだと違う?」
「遠い。遠いと、ちょうどいい」
彼は自分の胸に意識を向ける。最近、心の中の音がうるさいと感じていた。怒鳴り声。数字。締め切り。それらが混ざり合って、眠りを浅くする。
「あなたは?」
少女が訊く。
「世界、うるさい?」
彼は少し考える。
「自分の中が、うるさい」
少女は頷く。
「机、ひっくり返してる感じ?」
彼は苦笑する。
「そんなところだ」
風が、二人の間を通る。塩の匂いが強くなる。
「掃除すればいい」
少女が言う。
「簡単に言うな」
「今日だけでいい」
彼は顔を上げる。
「今日だけ?」
「明日のことは、明日の風が決める」
彼は返事をしなかった。だがその言葉は、胸の奥に残った。
しばらく沈黙が続く。
少女が、ふと彼を見た。
「ねぇ」
「何」
「外出の日以外、何してると思う?」
彼は肩をすくめる。
「学校とか?」
少女は首を振る。
「行ってない」
それ以上は語らない。
彼は踏み込まない。踏み込むと、壊れる気がした。
「誰かといるとね」
少女が続ける。
「その人の音が響きすぎるの」
彼は自分の鼓動を感じる。
「でも、あなたは平気」
「どうして」
少女は少し考える。
「今、少し壊れてるから」
彼は笑う。
「壊れてるのか」
「空っぽに近い。音が出てない」
それは悪いことなのか、彼にはわからない。だが不思議と、不快ではなかった。
空を見ると、雲の隙間がわずかに明るい。時間が経っている。
「もう少しで帰る」
少女が言う。
「門限?」
「風の色が変わるから」
彼にはまだわからない。だが、空の端がわずかに赤みを帯び始めていた。
「ねぇ」
少女が立ち上がる。
「シャツ、乾いた?」
彼は袖を触る。
「ほぼ」
「じゃあ、お詫び」
少女は少し笑う。
「休んでいい日は、自分で決めていい」
彼は何も言えない。ずっと誰かの許可を待っていたのかもしれない。サボることも、逃げることも、やめることも。
「今日だけでいい」
少女は繰り返す。
夕暮れが、少しずつ近づいていた。




