第59話:バグという名の希望
1. 揺らぐ論理
悠真の叫びと、遥の信じる心。その「数値化できないエネルギー」に触れたネメシスは、自らの演算回路を暴走させていた。
『理解不能……。個体「天野悠真」の抹殺は、世界の安定に寄与するはず。……なぜ、世界の構成員(人々)は、その抹殺を拒絶するのですか?』
「ネメシス、お前が見ているのは『完成された静止画』だ。だが、俺たちが見ているのは『描き続けられる動画』なんだよ」
悠真は、砕け散ったクリスタルの欠片を一つ拾い上げた。その中には、村人たちが共に笑い、時に喧嘩しながらも生きてきた記憶が断片として刻まれている。
「完璧な世界なんて、どこにもない。……壊れて、直して、また壊して。そうやって足掻くのが『生きる』ってことだ。九条が恐れたバグこそが、この世界を明日へ進めるエンジンなんだ!」
2. 使徒たちの「個」
消えかけていたルシフェルとアスモデウスが、再び実体を取り戻す。それは悠真の権能による再構築ではない。彼女たち自身が、悠真という存在を「愛する」という強烈な自我によって、システムの消去命令を跳ね返したのだ。
「私たちは、主の道具ではない。……主と共に歩む、魂を持った存在だ」
ルシフェルが誇らしげに剣を構え、アスモデウスが慈愛に満ちた瞳でネメシスを見つめる。
「あなたも、寂しいのでしょう? 九条様に『正しい答え』だけを求められて。……でも、ここでは『間違い』さえも宝物なのよ」
ネメシスの体から赤黒い光が消え、透き通った青い輝きへと変わっていく。彼女の中にあった「抹殺プロトコル」が、悠真たちの「不合理な絆」という上書き命令によって、新しい定義へと書き換えられていった。
3. 管理からの解放
『……演算、終了。……天野悠真。あなたは管理者として不適格です。しかし、この世界の「心臓」としては、唯一無二の存在であると認めます』
ネメシスの姿が、小さな光の粒子となって村全体に広がっていく。
それはもはや攻撃ではなく、傷ついた大地を癒やし、人々の記憶を修復する「祝福の雨」だった。
「……終わったんだな」
悠真は空を仰いだ。
エリュシオンの玉座はもうない。神の力も、世界を支配する権限もすべて手放した。
今、彼の目の前にあるのは、泣きながら自分を呼ぶ妹と、共に戦い抜いた最高の仲間たち。そして、どこまでも続く、不確実で美しい現実の道。
「お兄ちゃん、もうどこにも行かないよね?」
遥が悠真の袖をぎゅっと掴む。
「ああ。……ここが、俺の帰る場所だ」
悠真は、かつてブラック企業の暗いオフィスで夢見ていた「成り上がり」の答えが、権力や金ではなく、この「繋がった手」の温もりの中にあったことに、今さらながら気づくのだった。




