第33話:甘い麻酔と、冷徹な方程式
1. 「愛」という名の絶対命令
「あら、幻影を解くなんて……。でも、あなたの心臓はまだ私の指先一つで止まるのよ?」
アスモデウスが妖艶に微笑み、細い指を悠真に向ける。その瞬間、悠真の体温が異常上昇し、血液が煮え立つような感覚に襲われた。これは魔力による物理攻撃ではなく、脳の「報酬系」をハッキングし、強制的に過負荷をかけて肉体を自壊させる精神術式だった。
(【天使の図書館:警告】:深刻な脳内物質の過剰分泌。精神崩壊まで残り15秒。……主よ、視覚・聴覚情報を一度遮断し、純粋な論理演算に同期してください!)
「……ルシフェル、手を出させるな。これは俺と、この女の『定義』の奪い合いだ」
悠真は膝をつきながらも、黄金に輝く瞳でアスモデウスを凝視する。
2. 奪えない「個」の領域
アスモデウスは悠真の深層意識に潜り込み、彼の記憶から「最も大切にしているもの」を奪おうとした。だが、彼女は驚愕することになる。
『な……に? この子の心、広大な「書庫」しかないの!?』
悠真の精神世界には、一般的な人間が持つ「愛着」や「思い出」がほとんど存在しなかった。あるのは、膨大な知識の断片と、それを冷徹に処理する論理回路のみ。
「お前が求めている『甘い記憶』なんて、俺はとうに捨てた。……代わりに、俺が積み上げてきた『計算結果』をくれてやる」
【スキル:天使の図書館——情報過負荷】
悠真は、アスモデウスが流し込もうとする情動エネルギーを逆利用し、自分の中に蓄積された膨大な「世界法則のデータ」を彼女の精神に流し返した。
3. 未完の決着
「あ、あああぁぁ!! 脳が、割れる……! 何なのよ、この数字と記号の羅列は!!」
美しき悪魔卿が頭を抱え、床にのたうち回る。彼女の感性豊かな精神にとって、悠真の「純粋な論理」は毒以外の何物でもなかった。
しかし、アスモデウスは完全に折れることはなかった。彼女は唇を噛み切り、その血で自身の魔力を増幅させると、塔全体を揺らすほどの叫びを上げた。
「……認めないわ! あなたみたいな、心がない『機械』に愛を語られるなんて! 今日のところは、この塔ごと消えてあげる……。でも、あなたの冷たい心をいつか必ず『依存』で溶かしてあげるから!」
アスモデウスの姿が薔薇の花弁となって霧散し、塔『バベル・ネオ』が砂のように崩れ始める。
(【観測対象:アスモデウス】:撤退を確認。……ただし、主の魂に『執着の刻印』が残されました。……今後、特定の条件下で彼女の干渉を受ける可能性があります)
「逃げられたか。……だが、これでいい」
崩壊する塔から脱出しながら、悠真は空を見上げた。アスモデウスは仕留めきれなかったが、彼女の「愛」という権能が、今の自分には理解できない「未知の変数」であることを、彼は痛感していた。




