第32話:甘美なる牢獄と、剥き出しの深層
1. 精神汚染の階層
塔『バベル・ネオ』の内部は、外観の近代的な印象とは裏腹に、夢幻的な極彩色に彩られていた。壁面は脈動するように波打ち、大気にはピンク色の魔力粒子が濃密に漂っている。
「……っ、これは強力ね。精神防壁を張っているのに、思考が甘い方向に流される……」
氷室咲が顔を紅潮させ、自身の腕を強く掴む。彼女が見ているのは「誰にも頼らず、完璧な英雄として賞賛される自分」という、彼女が抑圧してきた自己承認欲求の幻影だった。
(【天使の図書館:緊急警告】:環境干渉:『色欲の揺り籠』。効果:対象の脳内麻薬を強制分泌させ、最も都合の良い幻想(夢)を現実と誤認させる。……使徒たちにも影響を確認)
「ふふ……主様、私……もうハッキングなんてしなくていいかな……」
「金なんて、もういい……。全部ばら撒いて、酒を飲もう……」
ベルやバルクァンですら、アスモデウスの術中に嵌り、その場に座り込み始めていた。
2. 悠真の「欲望」
悠真の視界もまた、歪み始めていた。
目の前に、懐かしい風景が広がる。それは悪魔卿が現れる前の、平穏だった頃の自室。そこには、病気で失ったはずの両親が笑いながら食事を並べていた。
『悠真、もう頑張らなくていいのよ。あんな恐ろしい戦いなんて忘れて、一緒に暮らしなさい』
母の温かな手が頬に触れる感覚。五感を完全に掌握したアスモデウスの最高傑作だ。
「……ああ、そうだな。俺が欲しかったのは、こんな静かな毎日だったのかもしれない」
悠真がそう呟いた瞬間、塔の最上階からアスモデウスの艶やかな笑い声が響いた。
『そうよ。知識も、支配も、全部捨てて私の胸に飛び込んできなさい。そうすれば、永遠にその幸せを……』
3. 無色の覇気
「……でも、残念だ」
悠真の瞳から、一瞬にして感情が消えた。
【スキル:天使の図書館(全知の瞳)——論理的拒絶】
悠真の周囲に、冷徹なまでの「無色」の魔力が吹き荒れる。両親の幻影はガラスのように砕け散り、元の不気味な塔の内部が露わになった。
「幸せな夢なんて、図書館のアーカイブにいくらでもある。俺が求めているのは、『確定した未来』だ。過去の残像じゃない」
悠真の欲望。それは家族との再会でも、愛でもなかった。
それは、「この世界の理のすべてを、自分の指先一つで掌握し、二度と不条理に奪われない秩序を築くこと」――すなわち、神にも等しい絶対的な統治だった。
「主……!? 申し訳ありません、一瞬、惑わされました」
ルシフェルが真っ先に正気に戻り、悠真の背後に膝をつく。悠真の圧倒的な「支配欲」が、アスモデウスの「色欲」を上書きし、使徒たちの洗脳を力技で弾き飛ばしたのだ。
「アスモデウス、遊びは終わりだ。お前の『愛』がどれほど薄っぺらいものか、証明してやる」




