プロローグ : F級冒険者と、役立たずの『図書館』
ゲートが出現して五年。世界は変容した。
都市の中心、かつてオフィスビルが建ち並んでいた場所には、巨大な政府管理下のドーム型施設が立ち、その地下深くには「ゲート」へと続く巨大なエレベーターが稼働している。日常と非日常は、既に混ざり合っていた。人々はゲートに潜る異能の者たちを「冒険者」と呼び、彼らは現代のヒーローであり、同時に高給取りの危険な労働者だった。
その変容した世界で、天野悠真はF級冒険者として生きていた。
「おい、悠真。ぼーっとしてんじゃねえぞ。早くこの魔石を袋に詰めろ」
金属の混じった岩壁が剥き出しになった、ランクD相当の低難易度ゲート内部。悠真は、リーダーである木島が投げつけてきた、まだ血と粘液の付着した魔石を反射的に受け止めた。
「すみません」
悠真はただ謝罪し、黙々と作業を続けた。彼のパーティー『レイジスト』は四人組だが、実質的な戦闘員は三人。悠真は、戦闘能力がF級平均以下の、誰も欲しがらないお荷物だった。
悠真の宿した天使は、彼の体内に魔力と力を与える代わりに、ある特殊な能力を授けている。それが『天使の図書館(全知の瞳)』だ。
能力を発動させると、彼の頭の中では、この世界に存在するありとあらゆる「情報」が、文字や図像、データとなって流れ込んでくる。モンスターの弱点、ゲートの構造、スキルの取得条件、古今東西の戦闘理論、果ては数千年前に滅びた古代悪魔の生態まで――。
しかし、その膨大な知識は、F級の肉体ではただのノイズでしかなかった。
「まったく、F級のくせに知識だけはご立派だ。悠真、この前も言ったよな? お前は情報は知っていても、それを力に変えることができない。剣の振り方を知っているだけの役立たずだ」
横でC級冒険者が鼻で笑う。悠真は否定できなかった。
『天使の図書館』は、モンスターの急所である魔石の位置を正確に解析する(構造解析)。だが、F級の悠真の腕力では、それを貫く一撃を放つことはできない。スキルを最適化する(効率化された動作)こともできるが、限界が低すぎるのだ。
だから悠真は、戦闘中は常に壁際に立ち、解析能力を黙って使って仲間の援護をし、終われば荷物持ちと解体作業に徹するしかなかった。
その日の夕方。悠真は、特対庁(ゲート特務対策庁)から公表されたニュースを見て、息を呑んだ。
『新種ゲートが、都心から外れた郊外の廃墟に出現しました。現在、難易度分類不能。専門家による解析を急いでいます』
普通のゲートではない。出現直後で情報が皆無。
悠真の『天使の図書館』が、そのゲートの出現場所と、そこから放出されている極めて不安定な魔力波形を観測した。直感した。既存の知識が通用しない、悪魔が関与する危険な新設ゲートだ、と。
翌朝、パーティーのリーダー木島が、悠真を呼び出した。その顔はギラギラと欲望に光っていた。
「悠真、いいか。今朝出てきたあのゲート。あれ、初期の魔石は既存種の数倍の価格がつくんだ。政府の解析が入る前なら、俺たちが独占できる。今夜、行くぞ」
「ですが、リーダー!あれは分類不能です。僕の解析だと、既存のD級やC級のモンスターとは違う、未知の生物の魔力反応が出ています。特に、深層には――」
「うるさい!お前のその『知識』は、戦闘で俺たちを助けたことが一度でもあるか? ないだろうが!」
木島は悠真の胸倉を掴んだ。「いいか、お前はただの囮だ。俺たちが奥へ進むための時間稼ぎだ。そこで解析した情報は、後でたっぷり吸い上げさせてもらう。それがお前の唯一の存在意義だ」
その夜。
郊外の廃墟に現れた、光の歪みのような新設ゲートの入り口で、悠真は決意した。
(――僕は、知っているだけでは終わらない。この『図書館』に蓄積された知識は、命懸けの状況でこそ、最高の武器になる)
彼は、仲間の裏切りと、その先に待つ未知の危険を承知の上で、誰も情報を持たない、最初のゲートへと足を踏み入れた。




