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好きな人の“好き”を、私は尊重しない自由を選ぶ  作者: 妙原奇天


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第12話「同盟の運用」

 朝の王都は、紙を起こす匂いがする。薄い陽射しが窓の桟を撫で、机上の名札――RENA――の四文字に色を置いていく。私は水差しで筆を湿らせ、〈未読ゼロ・即読票〉の今日の日付を更新した。横に重ねて置いたのは、もうひとつの札――〈動線変更・速報票〉。どちらにも、昨日から新しい付箋が増えた。薄い藤色の、細い帯。付箋の端に、小指の爪ほどの鍵の印。


 ――共有メモ(同盟用):参照。


 付箋の指す先は、作業室の隅に置いた黒板。痕跡を残さない粉筆で書いては消す、流動の掲示板だ。私は黒板の左上に、小さな枠をとった。枠の名は〈やらないことリスト〉。同盟の心棒は、やらないことの合意から始まる。やることは、状況が増やすが、やらないことは、先に削っておくほど強い。


 朝一番に現れたのはアナスタシアだった。扇は持っていない。代わりに、細い革表紙のメモ帳が片手にある。彼女は視線だけで挨拶をし、黒板の前で立ち止まる。舞台で光を受ける人間は、立ち方から情報が漏れる。そこに「見せる」気負いがないのが、同盟の心地よさだ。


 「更新した?」と彼女。


 「うん。三行、増やしたわ」


 私は粉筆で、新たに書き足す。字は小さく、間は広く。


 ――夜会の場で、恋愛の見世物化に乗らない

 ――相手(個人・部署・恋人候補)を比較しない

 ――噂に反応しない(反応は“朝の評価時間”に保留)


 彼女は目線だけで読み終え、静かに頷いた。「よく眠れる骨組みね」


 「骨は寝ている間に伸びるもの」


 「舞台の脚もそう。夜のネジ締めをしすぎると、朝に折れる」


 粉が指に移る。私は指先で粉の線を集め、黒板の縁に小さく溜めた。アナスタシアは自分のメモ帳を開き、同じ三行を写す。彼女の字は、踊りの軌跡に似ている――直線と曲線が節でつながり、無駄な跳躍をしない。


 「もう一行、足したい」と彼女。「女同士の連帯そのものを演出しない。――“見せる連帯”は長持ちしない」


 「採用」


 私は四行目に書く。――〈女同士の連帯を、見せ場にしない〉。見せないことで、見える強度がある。私たちは二人で、四行の左に小さな鍵を描いた。鍵は、合図。合図は、人の名前ではなく、場所に貼る。


 *


 同盟の運用初週は、書類の風向きを読むところから始まった。学院広報局が「秋季夜会――学院と市民を結ぶ文化交流」と銘打った催しの予告を打って、学内の掲示板の下段が華やいだ。例年、夜会の終盤には学生たちの「即興カップル競演」なるものがあり、観客の票で「今夜の黄金の二人」が選ばれる。選ばれた二人の写真は翌日の掲示物の目をさらう。肩書と顔の美しさと噂の泡が混ざって、誰かの生活を一晩で「見せ物」に変える仕掛け。私は黒板の〈やらないこと〉の一行目を思い出す。


 ――夜会の場で、恋愛の見世物化に乗らない。


 昼休み、踊りの練習場から帰ってきたアナスタシアが、扇を洗って干したような清々しい顔で言った。「出ないわよ。あの競演」


 「もちろん。私は“受付の裏導線”と“搬入車のタイムテーブル”に貼り付くつもり」


 「わたしは『裏から前を守る』のに回る。――“出ない”の宣言、出す?」


「“宣言”は演出になる。共有メモにだけ残そう」



 黒板に、別の小枠を引いた。〈夜会運用・共有メモ〉。項目は四つ。


 ――受付導線の一次・二次(立ち止まり位置/視線の交差)

 ――搬入・搬出(ダミー袋の運用/段差の補助)

――動線変更速報(ホール内の混雑センサー)

――噂の泡の排水(沈黙の桶の設置場所)


 「泡の排水」


 アナスタシアが笑った。「ネーミングの癖が好き」


 「言葉遊びは運用の肝よ。スタッフの脳が覚える速度が変わる」


 「同感。――『噂の泡』は、踊りの衣の裾にもつく。泡を先に掬う桶、舞台袖に二つ」


 「桶は“沈黙”で満たす」


 「満たし方も共有しよう。“沈黙の桶”の運用は、君のが上手い」


 私は頷き、メモに追記した。――〈桶は火元から一歩離して置く/反応は三拍遅らせる/桶の水面に“説明”を投げない〉。沈黙は敗北ではなく、選択だ。桶を舞台袖に運ぶのは、合図の一つ。合図は音も出さないし、派手な所作も要らない。桶の影が二枚重なっているだけで、噂の延焼が遅れる。遅延は勇気。勇気は筋肉。


 *


 同盟は、昼の粉筆と夜の針金で回った。午前は紙と黒板。午後は人と声。夜は現場。夜会当日、私は名札を胸に、受付脇の扉の内側に立った。ホールの照明に照らされた人の顔は、普段より輪郭が鋭い。光は判断の速度を上げ、同時に「見られている自分」を加算する。私は呼吸の回数を意識して落とし、手元の〈夜会運用・共有メモ〉の写しにチェックを入れた。入り口の立ち止まり位置、○。階段手前の段差、補助板を置く、○。ダミー袋――展示用の偽袋――の紐の結び目、二重、○。噂の泡の排水、桶の位置、○。


 舞台の後方、アナスタシアは照明の「見せない角度」を指示していた。彼女の指は、舞台衣装ではなく実務の指だった。一本一本が軽く、しかし止めるところで確実に止まる。舞踏で鍛えた筋肉の「戻す力」が、現場を滑らせる。私は彼女の動線変更の合図に合わせ、受付列の蛇行を一つ分ずらした。蛇行が深いと、列の末尾に噂の泡が溜まる。浅めに、しかし停滞させない。浅い蛇は、観客の足を早めるだけで、噂の言葉を育てにくい。


 中盤、広報が「今夜の即興カップル競演」を告げる。私は共有メモの一行目を指でさわるふりをして、胸の内側に読み上げた。――〈乗らない〉。アナスタシアは舞台の袖で扇の無い手を軽く挙げ、「休憩」とタイミングを合わせる。私たちの休憩は、見えない。見えない休憩は、外側からは「そこに居続ける」に見える。居るけれど、乗らない。その立ち位置は、技術だ。


 「レーナ?」と、背後から声がした。ユリウスだ。衣装ではなく普段の服、舞台関係者用のパスを首に下げている。彼は視線で私の位置を確認し、列の途切れ目で近づいた。夜会の喧騒の中の彼の声は、昼より低い。「競演、出るの?」


 「出ない。同盟の“やらないことリスト”に入ってる」


 「同盟?」


 「アナスタシアと“静かな同盟”。――“見せない連帯”で、現場を守る」


 ユリウスは微笑み、「君らしい」とだけ言った。彼は“評価”の言葉に手を伸ばしかけ、途中で止める。止める筋肉。私は心の中で短く拍手をして、彼を見た。「散歩の話は、明日の朝。夜は封」


 「了解。……いい夜だな」


 「“実務の手触り”がある夜は、安心する」


 私たちはそれ以上長居せず、彼は舞台裏へ戻り、私は受付の段差へ戻った。現場にいる恋は、現場の重さで薄くなる。薄くなったぶん、朝に濃くなる。朝に読む。夜は封。共有メモの二行目――〈相手を比較しない〉――の文字が、視線の端でやわらかく泳ぐ。比較は簡単で、礼儀は難しい。難しいほうは、手順にする。


 競演が終わると、噂の泡が階段の下に溜まった。泡は光を好む。私は桶を持ち、ひとつ段を隔てた影の位置に置く。反応は三拍遅らせる。泡に言葉を与えない。誰かが「アナスタシアはなぜ出ない」と言う。誰かが「ユリウスは誰を選ぶ」と言う。私は振り返らない。桶の水面を乱さない。代わりに、搬入車のタイムテーブルに目を落とす。実務の数字は泡を食べない。数字は、水の底の石だ。石は沈む。沈むものは、踏みしめられる。


 終盤、舞台袖でアナスタシアと目が合う。彼女は扇の代わりに、共有メモの〈感情保留〉欄を指さし、小さく頷いた。私は同じ仕草で返す。感情の温度は三段。十字以内/二十字以内/三十字以内。今の私たちの感情は、十字以内で足りる。「今は、静か」。それで十分だった。


 *


 夜会の翌朝、私たちは例の小部屋――白いホワイトボードと窓のある会議室――で合流した。机の上に共有メモの写しを置き、昨夜の項目にチェックを入れる。アナスタシアが髪を一つにまとめ、「噂の泡は、三分で沈んだ」と報告した。「桶、いい位置だった」


 「あなたが照明を一段落としたおかげ。――光を減らすと、泡は気まずくなる」


 「気まずさは、噂への弱い毒ね」


 私は笑って、メモに小さく追記する。――〈照明の温度:泡が立ちやすい場面は一段下げる〉。メモは生き物だ。現場の呼吸に合わせて育てる。育てたぶんだけ、人の呼吸が整う。呼吸が整うと、噂は勝手に干からびる。


 「それと、共有メモに“比較しない”の補足を入れたい」とアナスタシア。「“相手を”ではなく“自分を”でも。――昨日、わたしは舞台上の別の主役の立ち姿と、自分の背筋を比較しかけた。やめた。比較は、筋肉を萎縮させる」


 「採用。――“自分の昨日”とだけ比べる」


 私はホワイトボードに書き足す。――〈比較の対象は“自分の昨日”。他者比較は、原則禁止〉。禁止という言葉はきついが、リストの中に置くと、音が丸くなる。禁止は、礼儀の別名だ。


 「同盟の“連絡頻度”も決めよう」と彼女。「必要なときだけ、に解像度を」


 「週一の“現状共有”で十分。緊急は〈未読ゼロ〉のラインで。――“夜の連絡”は原則なし。朝に読む」


 「朝に読む」


 同じ言葉を重ねると、約束の筋膜が伸びる。私たちはその筋膜の手触りを確かめるように、共有メモに小さな鍵を描いた。鍵は、扉を選ぶ権利。扉を選ぶのは、誰にも代わってもらえない。


 *


 同盟の運用は、やがて波紋のように広がった。広報の青年が黒板の〈やらないことリスト〉を見て、「これ、貼っていい?」と聞いた。「いいよ。ただし署名は入れない」と伝える。署名を入れると、連帯が「見せ物」に変わる。見せないために、共有メモは無署名で動く。誰でも使えて、誰の手柄にもならない。手柄を剥がすと、仕事は軽くなる。


 ある午後、記録課の先輩が額の汗を拭きながら言った。「“比較しない”の項、助かった。――別部署の処理速度と比べかけて、やめた。やめる筋肉、つくと楽ね」


 「楽は、仕事をえらくする」


 「またダジャレ」


 先輩は笑い、机の上の未読束を軽く叩いた。「未読も、比較しない。積み上がりを恥にしない。ゼロにするのは、誇りのため」


 「誇りは、静かに置かれると美しい」


 「レーナ、あんたは名札に詩でも彫りたいの?」


 「詩は紙に、鍵は胸に」


 「はいはい。――同盟、長持ちさせなさい」


 「長持ちの秘訣は“見せない”」


 「見せるときは、結果だけ」


 私たちは、「見せる」の定義をそろえた。掲示板に貼るのは手順の雛形だけ。誰が作ったか、誰が撮ったか、は書かない。それでも、人は良い手順を好む。好みは、ゆっくり広がる。


 *


 ユリウスとの“お試し契約”は、二週目に入っていた。朝の散歩、霧の薄い日。石畳に葉が落ち、踏むと音が紙に近い。彼は約束どおり「五分前に着かない努力」を継続し、三割ルールも守った。現状報告の時間、「よかったこと」を先に置くのも定着した。


 「昨夜、競演に出なかった」と彼が言う。「君が“出ない”を選んだのを、俺は好きだと思った。……これは評価か?」


 「“好き”は評価じゃなくて現象。――『反省』は?」


 「出場を勧めそうになる口を、三度閉じた。閉じる筋肉、まだ弱い」


 「成長の音がした」


 「音、する?」


「するわよ。蝶番の音。――私は『噂の紐』に触らなかった。触りかけた指を、桶の縁に置いた」



 「君はいつも、道具で自分を守る」


 「道具は裏切らない。人も道具も、手順で守ると長持ちする」


 彼は頷き、「朝に読む」「夜は封」を二人で復唱して別れた。別れ際、彼が一瞬だけ言い淀み、「比較しない」を口の中で噛み、飲み込んだのを見て、私は内心で保留印を軽く叩いた。叩くのは押す練習。押す日はまた来る。今は、押さない。私の“今”を大切にする日々は、恋の背骨を折らずに済む。


 *


 夜、寮の机に向かい、共有メモの控えを清書する。紙の縁に薄い鍵を描き、右下に小さく「無署名運用」と記す。メモの冒頭には、四つの“やらないこと”。次に、夜会運用の四項。最後に、連絡頻度〈週一・朝〉。余白に、個人的な注記を入れる。


 ――やらないこと:私の“良い顔の見世物化”。

 ――比較の対象:昨日のRENA。

 ――泡の排水:桶の位置=段差の手前。

 ――感情保留:十字/二十字/三十字。


 紙を机の端に置き、名札の台座の下に滑らせる。名札が軽く鳴る。音は金属ではなく、紙の音。共有メモは、鍵。鍵は、扉を静かに開ける。女同士の健全な連帯に、拍手はいらない。拍手の代わりに、手順が鳴ればいい。


 灯を少し落としたとき、扉が控えめに鳴った。アナスタシアだ。特に言葉はなく、封筒を差し出す。封はしていない。中には、彼女の書いた〈夜会・舞台裏オペ〉の簡素な報告。末尾に一行だけ、個人的な注記。


 ――“戻す筋肉”が、昨日より少し痛い。良い痛み。


 私は微笑み、同じく封をせずに、共有メモの写しを渡す。末尾に一行。


 ――“置く筋肉”が、昨日より少し太い。良い太さ。


 彼女は扇のない手で、空中に小さな鍵を描き、廊下へ戻った。見せない連帯は、行き来する紙の軽さで伝わる。紙の軽さは、朝に残る。朝に読む。夜は封。封をしない紙は、鍵の下で静かに呼吸する。


 *


 秋の後半、学院に小規模の展示が入った。題して〈都市の道具〉。日常の道具の歴史と、手順の発展を辿る展示。私は史料院からの連絡票に基づいて、搬入経路と展示ラベルの統一を担当した。アナスタシアは会場の導線と照明。共有メモは、「見せない連帯」の心棒として、展示の裏側にそっと貼られた。


 初日、来場者のうち、数人がラベルの文言に目を留める。「“禁止”という言葉がやわらかい」と言った女性がいた。私は説明しない。やわらかさは、手触りで伝わる。展示の最後のコーナーに、小さな黒板を置いた。〈あなたの“やらないこと”を一つ書いてください〉。粉筆は白のみ。色を増やすと、競い合いが生まれる。白だけだと、人は自分の文字の形を気にする。形を気にする人は、言葉を丁寧に置く。


 ある少女が、背伸びをして書いた。


 ――噂で、友だちを試さない。


 私は胸のうちで短く拍手をし、黒板の端に小さな鍵を描いた。鍵は記念品ではない。日々の運用の証。共有メモは、個人から外へ出ても、匿名のまま、働く。


 *


 夜更け、部屋に戻って、私は保留印の印面を布で拭いた。インクの朱は薄くなり、真鍮が冷たい。印を引き出しに戻す位置を一つ奥にずらし、手前に共有メモの控えを置く。今日は印ではなく、メモが鍵だ。鍵は、扉の方から私の手を呼ぶ。扉の名前は――「女同士の健全な連帯」。


 私は最後に、黒板の“やらないことリスト”を思い出して復唱する。〈見世物に乗らない/比較しない/噂に反応しない/連帯を演出しない〉。復唱は、祈りではない。手順だ。手順は、眠りを軽くする。軽い眠りの手前で、私は小さなカードに一行書いた。


 ――同盟の運用:静かに続ける。拍手の代わりに、合図を。合図の代わりに、手順を。


 カードを名札の下へ滑らせる。鍵の影が薄く机に落ち、扉の蝶番が、誰にも聞こえない音で一度だけ動く。開いたのは、女同士の健全な連帯の扉。扉の向こうには、実務の手触りがある。手触りは安心の原料。安心の原料は、恋よりも長持ちする。長持ちするものに寄りかかって、私は明日も立つ。共有メモが胸の骨の内側で細く光り、RENAの四文字が、紙の匂いの中で、静かに呼吸する。

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