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先生の秘密はワインレッド

作者: 風音

「キミはまだ子どもだよ」


 ――大学四年生の就職活動が落ちついた夏のある日、高校の同窓会のハガキが届いた。

 それを片手に思いだす。三年生の夏休み直前に、担任の久保田先生にフラれてしまったときのことを。


 卒業式に撮ったツーショット写真。いまでも机の上にかざってある。

 彼はワインレッドフレームの眼鏡でスーツ姿。隣に泣き顔の私なんてダサいけど。


 当時の彼は数学担当だった。わからないことは放課後マンツーマンで教えてくれたし、友達のことで悩んでるときは親身になって話を聞いてくれた。

 次第に感情の変化があらわれて告白したけど、眼鏡のレンズに映っていたのは教え子のひとりの私。

 身も心も一人前の大人だと思っていたけど、25歳の彼にはきっと子どもにしか見えなかったんだよね。

 もし同窓会で会えるのなら卒業式以来の再会に。


 ――あれから2ヶ月後の同窓会当日。

 会場前方に並べられているテーブルには、バイキング形式の料理に加えてビールやワインや日本酒などが並んでいる。

 ドレスコードは正装。男子は皆スーツ姿だからお目当ての先生はなかなか見つからない。

 首を左右させて会場を眺めていると、低くて穏やかな聞き覚えのある声が耳に届く。と同時に、離れ離れだった時間を埋めるかのように胸が高鳴った。


「先生! お久しぶりです」


 再会を喜んでいる人混みをかきわけて笑顔で声をかけると、ワインレッドの眼鏡のレンズが私をとらえたと同時に口角が上がった。

 それを見た途端、恋の記憶が荒波のように押し寄せてくる。


「おぉ、相原。久しぶり。元気だった?」

「はいっ!! 先生は相変わらずワインレッドの眼鏡なんですね。素敵です」


 とっくに失恋してるというのに、顔がみるみるうちに熱くなっていく。

 いまも昔も変わらないときめきに虚しさを覚えるほど。


「あ……っ、あはははっ!! 相原の記憶の中の僕ってそうなんだね」


 先生は肩の力が抜けたように笑った。その笑顔は、高校生時代に遡ったかのような気分にさせてくれる。


「だって、眼鏡は先生のトレードマークですから」

「僕のトレードマーク……か。なるほどね」


 彼は目尻を下げたまま人差し指の関節で顎をさわった。

 なにか間違ってたかな?

 私は彼の意味深な反応に首をかしげた。


「み〜のりっ!! 久しぶり」


 大きなリュックサックを背負ったような衝撃で後ろから抱きついてきた人物に振り返る。

 すると、先生はこのタイミングで他の人に呼ばれて場を離れて行った。


「あっ、さや!! 2年ぶり~っ! 見ないうちにきれいになっちゃってぇ〜」

「みのりこそ大人っぽくなったじゃん。浮いた話を持ってこないということは、相変わらず先生が忘れられないの?」

「えへへ。あの頃はドラマチックな恋だったからね」


 2年の時を感じさせられるほど、彼女はメイクレベルが上がって少し大人っぽくなっていた。

 私もそう見えているのかな。……だといいな。

 あ、そうだ!


「ねぇ、久保田先生ってどんなイメージがある?」

「いきなりなに? てか、まんまじゃん」

「いいから!」

「真面目で女子からモテモテ。紺色のスーツをビシッとキメて、眼鏡をかけてるイメージかな?」

「やっぱりそうだよね! 眼鏡……うん。私は間違ってないよね」


 やっぱりトレードマークは眼鏡だよね。先生はどうして笑ったんだろう。


「……なんの話?」

「ううん、なんでもない!」


 ――同窓会開始から2時間ほど経過。

 緊張感に包まれていた会場はお酒とともに砕けた雰囲気に。笑い声があちこちに散らばり、私の頬もほんのり熱い。

 すると、ある男子の声が私の耳を引き止めた。


「あれ? 先生、新しい眼鏡に変えたんッスか?」


 ……えっ、と思って耳を傾けた。

 彼は普段から黒縁とワインレッドの眼鏡を併用していたから。

 確認のためにスマホを開いて過去の画像を辿った。ざっと見たけど、確かに黒縁眼鏡の日が多い。体育祭とか文化祭などの行事の日もそう。

 だけど、私にはワインレッドの印象が根強い。こんなに黒縁の日が多いのに……。


 そこで見つけた一枚の画像。先生と二人きりの教室で数学のわからない所を聞いていた時にふざけて撮ったもの。

 唯一至近距離で撮れたし、毎日眺めていたからかな。


「ははっ。これは君たちが高校生の頃から使ってるよ」

「へぇ~、見た事ないけど……」

「実はこれ、”勝負眼鏡”なんだ。特別な日にかけるものと決めててね」


 ……勝負、眼鏡?

 どういう意味かな。


「なんッスか、それ。今日かけてるってことは、もしかして、これから特別ななにかが?」

「あはは、それは内緒!」

「えぇーっ!! 勿体ぶらないでなにに勝負するか教えてくださいよ〜。……あ、わかった〜!! 女ッスよね?」

「こらこら、人をからかうんじゃないよ」


 嫌な予感がよぎった。あの眼鏡に特別な意味が含まれていたなんて。

 もしかして、これから恋人にプロポーズでもするのかな。先生ほど素敵な人なら彼女くらいいるよね。それに、もう結婚適齢期だし。

 私は当時から自分のことばかり考えてたから全然気づかなかった。だからあの時フラれたんだね。

 そう考えていたら、ワクワクしながら同窓会へ来た自分が恨めしくなった。


 ――帰り道、暗闇に包まれて肩を落としながら駅へ向かう集団に遅れてついていく。

 せっかくの同窓会だったのに、最後は誰とも話す気になれなかった。ただ、しおれた風船のような気分のまま千鳥足を前に進ませている。

 すると、後ろから誰かが肩を叩く。赤い顔のまま振り向くと、そこには久保田先生の姿が。


「暗い顔してどうしたの? なにか嫌なことでもあった?」


 まるで当時に遡ったかのようなまっすぐな瞳。

 先生はズルい。恋心を刺激してくるから目が離せなくなるし、心配なんてされたらよけい諦められなくなっちゃうよ。


「先生は〜、今日なにか勝負するつもりだったんですかぁ〜〜?」


 卑屈になった心情が隠しきれず、仏頂面のままろれつが回らない声を届ける。

 お酒の力がなければ多分ここまで言わなかった。

 でも、答えなんて聞きたくない。

 どんなに酔いが回っていても、幸せな報告なんて耐えきれる自信がないから。


「え?」

「さっき聞こえてきたんですぅ〜。ワインレッドの眼鏡は特別な日にかけてるんですよねぇ。だから今日は特別ななにかをする日なんでしょ〜」


 先生は落ち込んだり不安そうな素振りを見せない。もう勝負後なのかな……なんて思わせてくるほど。

 自分でもバカバカしくなるくらい心の中は暴風域。『特別な日』という概念が脳裏を駆け巡っているし。特別ななにかを聞いたところで自分にメリットなんて一つもないのにね。

 私が半開きの目のままふらふらとした足取りで突っかかっていると、彼はプッと笑う。


「……想像以上に鈍感なんだね」

「どういうことですか〜?」

「さっき、『先生は相変わらずワインレッドの眼鏡なんですね』って言ってたけど、これはキミと二人きりのときしかかけてないよ」

「え! それって……」


 予想外の展開に見舞われた瞬間、自分でも驚くほど酔いが引いた。

 なぜなら、記憶の中で色濃く残されていたワインレッドの眼鏡に特別が感じられたから。


「今日、もしキミがこの眼鏡の話題に触れたくれたら、”勝負”しようって決めてたんだ」

「勝負……って、なんのことですか?」

「気づいて欲しかったんだ。キミが好意を寄せてくれたように、僕もこの眼鏡からキミを特別な目で見ていたことを」

「先……生…………」


 バックンバックン……。

 心臓の鼓動がバカみたいに早くなっていると、彼は眼鏡を外して私の目にかけた。度が合わないから視界はボヤけているけど、レンズ越しに見えないわけじゃない。

 一生懸命見ようとしてるし、返事が聞きたくてはやる気持ちが抑えきれない。


「この眼鏡のレンズはキミだけを見ていた。いい時も、悪い時も、キミだけを映していたんだ」

「なら、どうして気持ちに応えてくれなかったんですか? 私はてっきり先生に気がないかと……」

「当時は教師という立場上、生徒との恋愛が禁じられていた。だから、どういう返事が最適なのかと考えた結果、キミの成長につなげた。そしたら、いつか僕から迎えに行けると思ったから」

「えっ……」

「あれから約3年半……。いまなら堂々と言える。恋をしに来たよ。大人になったキミと……ね」


 フィルターが外された瞳は、空白の時間を忘れさせてしまうくらい穏やかに満ちあふれていた。

 気づかなかった。ワインレッドの眼鏡に込められていた想いを。それに、「キミはまだ子どもだよ」と言った意味さえ。


 眼鏡のフレーム下から滴る雫が月夜でキラキラと光る。一粒流したら、まるで追いかけっこでもしているかのように次々と追いかけてくる。

 夢じゃない……よね……。もしこれが夢だとしたら、このまま覚めないでほしい。

 顔を真っ赤にしたまま感情的になってると、先生は穏やかな表情で私の頬をすくうように両親指で雫を拭った。


「忘れられなかった。あの頃もこうやって捕まえたかった。でも、努力一つだけじゃ難しいと思い知らされたよ」

「先生……」

「キミはもう立派な大人だよ。それに、二人の間に阻むものなんてない。辛い想いをさせてしまったぶん、これからは毎日好きと言い続けるよ」

「……っ」


 恋の香りがふわりと漂ってくると、まるでトランポリンで遊んでいるかのように胸が弾んだ。

 先生……。私、もう我慢しなくていいんだね。

 隣にいてもいいんだよね。

 これからもずっと好きでいていいんだよね……。



 ――後日、友達から聞いた。同窓会の提案は先生からだと。

 私に会いに来てくれたんだね。

 そう思ったら、いじけてた自分が子どもに見えた。


 長い歳月を超えて気持ちが繋がった私たち。

 先生……、ううん。大好きな彼の眼鏡は今日もワインレッド。レンズはあの頃から私だけを見ている。

 そして、これから先も。

 ずっと、ずっと……。


 【完】


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