第19話 第一世代にあったこと
第一世代にとっての2013年、生き地獄というやつは静かに日常を浸蝕していた。
『インペリアル・フロンティア』はその年のクリスマス商戦へあわせてソフトが発売、直後嬉々としてマテリアルシード社のVRデバイスでログインしたプレイヤーたちだが、その異変に気づくことは不可能だったろう。
史上初のフルダイブVRMMORPG、ライトノベルやSFフィクションでは当時からしてすでに一大ジャンルを築き上げていたそれらが、エンジニアらの想定より遥かに早い時代で実現したことに、驚きと賞賛が充ちた。
某レトロゲームをピコピコなどと呼んでいる世代もいれば、早すぎた3Dゴーグル名機なんてものを体験してきたのだっているなら、二、三十年そこいらで人間の意識を二進法の空間へ送り込むゲームハードがマテリアルシード社によってここまで広範へ熱狂的に受け容れられた時代の勢いは、正直行き過ぎていたのかもしれない。
誰もがデジタルネイティブというわけでもなく、掲示板文化やらアイドルグループの握手券CD商法がどうとかそういうことで猥雑としていた時代、それでも高画質の3DCG映画なんてのがやたら流行りだした頃合じゃあったし、新進技術を受け容れる地盤はあっただろう。
だが結果としてプレイヤーが奪われたのは、《《人間性そのもの》》だ。
より具体的に言うと、プレイヤーは『記憶』と『認識』を改竄されていた。
すると起こったのは、パニック。
「なぁキューリ」「どうしたんだよアスカ?」
アスカは切迫した顔で、彼を引いて煉瓦の路地裏に入る。
「おかしい……なにかがおかしいんだ」
彼の両肩を掴んで揺する、アスカ自身もこの時点では言語化し難かったが、彼は耐え難いほどの違和感に襲われていた。
「俺たちはプレイヤー、なんだよな」「そうだな。早く強いモンスターと契約して、強くなりたい」
「それはいつからだ?」「は?そりゃ……そういやいつ街へ出てきたんだっけ、俺たち」
この世界でのプレイヤーとは、冒険者とほぼ同義の言葉だ。彼らの大抵は契約紋を有し、自発的に戦える意思と判断力を持つ。
「なにか大事なことを忘れてる、そんな気がしないか」「なにかってなんだよ」
「それは……」
俺は『アスカ』で、彼は『キューリ』、それはいつからの付き合いだといえば、クラスメイト――
「そうだ、俺たちクラスメイトじゃないか」
「クラスメイト、それがどうしたって……ッ!!?」「!!」
二人は直後、酷い頭痛に見舞われた。
そして全てを思い出したキューリは、おそるおそるアスカへ聞くのだ。
「なぁアスカ、俺たち、どうして。この世界はいったい、なんなんだ。
いつから俺たちは、自分が最初からゲームの住人だって錯覚していた?」
「変えられたのは記憶だけじゃない、プレイヤーの認識も――そういうことなのか」
「なにがそういうことだよ、説明してくれ!
いったいなにが起きてるって」
街道から悲鳴が聞こえ、アスカ達は急いで戻る。ふたりは息を呑んだ。
「プレイヤーが、暴れて――」
「アスカ止めるぞ、放っておけない!」
「おい待てよ!?」
アスカの静止も聞かず、キューリは前へ出る。
露店のNPCを足蹴にするプレイヤーのひとりを呼び止めた。
「何してるんだ!
こんなことしてる場合じゃ、どわっ」
彼の背後から、別の誰かがぶつかって通り過ぎる。
「キューリ、大丈夫か!?」「なんだ、いまの」「なにか盗られてないか」
「急に怖いこと云うなよ……あれ、俺のスキルシード? 」「待ってろ」
今度はアスカにスイッチが入ってしまう。貧民街での日々、彼が彼でなかった頃、そのような火事場泥棒なんてのは珍しくなければ、あれからは同じ匂いがした。
(それでももっと上手く気配を隠せよ、慣れてないな)
「あ、おい」「待てッ!」「え?」
置いてかれたキューリの背後から、今度は巨漢が現れ、同じ野盗を追っているようで肩を怒らせている
。
アスカは雑踏へ紛れようとするそいつのシルエットを捉えたなら、プレイヤー持ち前の跳躍スキルで軒先を伝って、向こうの真上から飛びかかり、首を掴んで突き倒した。アバターでなければ、脳震盪の起きてもおかしくない勢いだ。
(負傷している。腹のは俺がつけた傷じゃないなら、追ってきた男か。
NPCなら、殺してしまったほうが早いかもしれない、『盗賊』だと。
一部のアイテムを奪取することに特化したジョブ、ゲームだからといえばそれまでだが)
「手癖の悪さで敵を作ってたら、命がいくつあっても足らないな。
……女?」
それがミユキとの出会いだった。
彼女はもはや抵抗せず、アスカと来た道を戻る。
巨漢はキューリと口論し、胸倉を掴んでいた。キューリは目でアスカに助けを求めて。
「アスカ!?」
(あのバカ)
ヤバいやつの前で名前をわざわざ叫んでくれるなと、アスカは内心舌打ちしている。
「うちのツレを離してくれませんかね」「あ?」
「あんたもこの火事場泥棒を探していたんでしょう?
なにを盗られたんです」
「その女は俺がシメる、早くソイツを渡せ!」
アスカはしかし、大人しく引き下がるつもりがない。
「いやダメだ、こいつには俺たちも盗られてる。
アイテムホルダーを開け」
彼女は後ろ手を縛られていたが、ホルダータブを呼び出して、アスカの前に展開する。
入っていたのはふたつ、
(キューリの強化用スキルシードと……へぇ、一応奪ったプレイヤーのログが表示されるのか)
システムは妙なところの律儀なんであった。
「《《マルチネスさん》》、あんたの名か?」
「!?」
彼は露骨に驚いた。
「『狂乱の手鏡の欠片』、あんたの盗られたレアアイテムだな。
返却するから、この場は引き下がってくれないか」
「ふざけるな、こちとらやられ損だろうが!
まさかお前らグルなんじゃないだろうな?」
疑り深いのは自然なことだが、プレイヤーの起こす街中のパニックを前に、よくもそこまで穿って考えられる。いやこいつにとってはこのような修羅場が当然というなら、
(あぁこいつ、カタギじゃないな……)
キューリのような温室育ちのあまちゃんとは、まとっている空気が異なる。
(社会の屑、他者には自らの仁義を都合よく強要し、我が物顔でいつも阿漕な真似をしている。
そんなやつがキューリに手を出そうと?)
マルチネス、そう呼ばれた男は、アスカの放つ殺意が素人のそれでないと悟ってたじろいだ。
「こいつ……クソがっ!」
「返事は?」「わかった、アイテムだけ寄越せ」
名前が割れているのは、向こうとしても手痛かったようで、大人しく引き下がる。
お互いこんなパニックのなかで、やりあっている余裕はない。
マルチネスが立ち去り、キューリは胸を撫で下ろした。
「助かったよ、正直どうなることかと……」
「向こうも俺の名前、憶えたろうな」「え、あ――ごめん、なんか」
「仕方ない、俺の名前程度なら」
(ああしたのに憶えられると、あとが面倒だってのに)
「でお前その子のこと、どうすんの」「このままってわけにいかんだろ」
ふたたび路地裏へ入る、今度は三人で。
「またアイテム窃盗を繰り返されると厄介だし、そうだなNPCならいっそ――」
殺してしまったほうが早いのではないか、アスカはそう考えて、言葉には出さない。
「NPCなら縛ったまま、ここへ捨てていくか。俺たちが街の外まで出る間もてばいい」「それは……ないんじゃないか、いくらなんでも」「なに?」
キノが異論を述べる、アスカは理由を問うた。
「動けない間に、変質者が来たらどうすんだよ」
「危機感のないお前にしては珍しく云う。連れ回す理由がないぞ、こんな危なっかしいやつ、モンスターなら調教して飼い慣らせば、まだ利用できなくもないが」
「わ、私」「?」
盗賊娘が、ここで初めて口をひらく。
「なにもしません、逃げたりしませんから、お傍に……ひとりは、怖いんです」
「な、そう言ってることだし」「キューリは本気でこんなやつのことを信じてるのか?」
「アスカ、今のお前、怖いよ」「――」
友人とはいえ、自分の身ひとつ守れないやつが、フィーリングで余計なことばかり言っている。
それでも友人であるのなら、彼の意思や決断は、損をしても尊重すべきなんだろう。
だが……いくらなんでも、
「拘束したまま連れ回して移動するのは、こちらの負担が大きい、時間の無駄だよ。
殺すんじゃないんだから別にいいだろ」
当時のアスカは、自他ともに認める典型的に行き過ぎた合理主義者だった。
クルーガーと面識のあるマリエなどが、あれの面影を見るくらいには。
目的を遂げるためなら、ほかのなにを犠牲にしようと心も痛まない。
それは彼の過酷な生い立ちがそう追い込んだのもあるが、金持ちの温室育ちなキューリなどには、到底想像もつかない環境だったのであり、この頃から『アスカ』とキューリの関係には、静かに溝が入っていたのやもしれない。
「いや置いてったらどうなるか、目に見えてるじゃないか!
この子は連れて行く!」
「お前がか?」「え……でも最初に捕まえたの、アスカだろ」
こいつ、日和やがった。その気もなければ責任を取るつもりもない、そんなやつの唱える慈善論は欺瞞にほかならない。だがほかにゲームで知り合いのいないアスカは、いまキューリと決裂するわけにいかなかった。
キューリの想像力が低いというより、もっと根本的な価値基準の相違、お互いの見ている世界が違うのだ、アスカはその点を妥協したうえで、今後の彼を立てた行動を考えなくてはならない。
「キューリ、彼女を連れて行くメリットがあるなら答えてみろ」
「そんなものなくても、放っておけるわけないだろ!?」
「お前は彼女からすでに危害を受けている、もう一度そうならないって、言い切れるのか」
「それは――」
まごつく彼を見て、アスカは両腕を胸の前で組んでいる。
(仕方ない、このまま埒が明かないで時間が過ぎるのは困るし)
アスカは彼なりに、合理的な提案を持ってきた。
「俺たちは手放しでこの子を信用できない、連れていくならペナルティが必要だ」
「ペナルティ?」
「俺たちに二度と逆らわない、危害を加えない証明が。
キノがそれを思いつくまで、俺は待ってやるよ。でも時間がないのはわかってるな?
事態が収拾されるようでないなら、街の外へ、最悪俺たち二人だけでも抜ける」
「だからそれは人としてダメだって!
あぁわかったから、三分以内に考える、考えりゃいいんだろ!」
「――」
アスカは回答を待った。
タブで表示した時刻が三つを刻もうとき、ようやく出たキノの言葉とは、
「……アスカ、お前の契約紋、まだなにも契約してないままだろう」
「そうだな」
ログイン時点ではキノを立てて後方にいたアスカは、彼がウェアウルフと契約するところまでは、プレイヤースキルのみでサポートしてきた。いずれはスライムや後方支援系のモンスターと契約して、よりキューリのやり易いようにと考えているところだ。
「調教行動、彼女に」
「NPCに?
いや無理だろ、人間に調教契約を結ぶなんて」
「ダメで元々でいいからさ、一度だけやってみてよ。
それで本当にダメなら、俺はアスカの言う通りにする、お前が俺のためを想ってやってくれてることは、ちゃんとわかってるからさ、……頼む、チャンスをくれ」
「――」
アスカは先程石畳へ彼女を引き倒したときのように、彼女の顎を掴んで締め上げた。
「アスカ!?」「ぐっ」
「気に入らないんだよね、こいつ。すべて諦めたような目をしてるのが、特に」
……後から考えればそれは、いつだってほかにやり場のないアスカ自身の自己嫌悪が投影されていたのかもしらないが、キューリの提案をアスカなりに尊重した結果だ。
「女の子にそんなことしちゃダメだろ!」
「調教契約ではどのみち一度、ユニットの首に触れなきゃならない」
契約行動は開始される。
(NPCはNPCだ、契約なんてできるわけが――なぜ今になって?)
彼の腕を押さえる彼女の右手に、なぜか契約紋が浮き上がった。
そして彼女の、本当のステータスが表示されるのだ。
「サイドジョブ『盗賊』のプレイヤー?
NPCじゃなかったのか、こいつ!?」
アスカはぞっとなり首を放すが、すでに
“調教行動成功 上位調教が開放されました!”
“スロット1にプレイヤー『ミユキ』が登録されました!”
「うそ、だろ……」
呆然となるアスカ、二人の目の前で膝をついて、盗賊の少女は愕然となる。
「私が、プレイヤー?
どうして――……うっ!!!??」
このとき、彼女も遅れて記憶認識改竄の呪縛から解放されたのだがーー頭を抱えてその場に蹲り、嘔吐するその姿の、どこに開放感のあったろう?
「おい、大丈夫かいきみ!?」
キノは急いで彼女を介抱する。アスカはというと、あまりの出来事に言葉を喪い、引き下がっていた。
キューリのウェアウルフに先行させ、郊外のひらけた道へ出る。
余談だが、二足歩行できるモンスターにはウェアウルフやゴブリン、あるいはリザードマンとそれの下位種であるレプトリンなどがいる。それらは十二支族の亜人とは異なりただ二足で歩けるだけ、契約紋を発現することはない。
「俺たちがNPCだと想ってた盗賊の子は、実は隠れプレイヤーでしたって。
おまけ彼女自身には、その自覚すらなかったなんて、そんなことありえるのかよ?」
「こうなった時点で彼女が嘘をつく理由もメリットもない。
俺たちと行動したい以上、わざわざあの場で不信感のタネを増やすようなこと、できないだろう。
問題は……なぜ隠れプレイヤーなんてものがいて、彼女は俺と契約するまで、自分の右手の契約紋を喪っていたか、だけど」
「なにかわかるのか、アスカ?」「こっからは憶測だ」
アスカは慎重に言葉を選ぶ。
「俺たちが記憶を取り戻すとき、変なタブが現れてた」
「というと?」
「『“認識制限の解放”』って書かれてた。
加えて制限にはアルファベットで査定があるみたいで、全部は確かめようがないけど、俺とお前のには『認識等級D』から『B』、彼女と契約したときは『認識等級E』から『C』へと繰り上がった。
たぶんこの『認識等級』で下位だと、プレイヤーであることを思い出せない制限がかかってる。
それと契約紋のシステムを最低限使用するためには、たぶん『D』以上の評価がいるんじゃないのか」
「その認識等級ってのが、ある種のIQや偏差値に類するものだと考えればいいのか?
それが低いほど、運営からは馬鹿だと見られてると」
「あくまで憶測だぞ、下手に勘ぐってもしょうがない、ヘルプ欄を見てもなにも出てこなかった」
「そりゃご丁寧にログアウトボタンまで消されてるしな。
でもどうするよ、これが悪い夢じゃないとしたら、俺たち、この世界に閉じ込められちまったことになるだろう」
「心配するな、キューリ。
お前は絶対に元の世界に戻す、俺がいるんだから」
「アスカ……そういう優しい言葉は、その子にかけてあげたらどうなんだ?」
「え?」
そろそろ夕刻、アスカは話しているうち、ミユキがそばにいることを忘れていた。




