第17話 結界を前に
離れていると、かえってカリンのことばかり考えているキノだった。
「カレンに頼んで調度品でも作ってもらえばどうだい、金と素材を渡せば、必ずいいものを作ってくれる」
「プレゼントですか、アスカさんにしてはいいお考えですねーーいや、アマトさん、でしたっけ」
「プレイヤーのハンドルネームは固定だし、無理に変えなくてもいいけど、どっちで呼ばれてもいまさらむず痒いんだよな」
「めんどくさいですね。そいでなんでカレンさんは、あなたの本当の名前を知っていたんです?」
「――」
アスカは黙りこくった。
(それがわからないから、困ってる。
いきなりだったからな)
――おはよう、アマト。
今朝寝ぼけまなこなときにそう呼ばれて、飛び起きた。いや名前を呼ばれたのも衝撃的だったが、なぜか下着姿で添い寝されていたことのほうのインパクトで頭からしばらく吹っ飛んでいたというか……いや彼女のベッドだったのはわかってる。
ミユキたちは仕方なく別の街へ外泊していたそうだが、
(外堀埋められて悪い気がしてないの、やばいよな……いや、俺は)
カレンになら襲われても組み敷かれても、まあなるようになるかと自分は受け容れてしまうんだろう。
レイド級とかクソ環境を用意されなければ、可能な限りカレンとしけ込んでいたい気分だが――ダメだ、ヤドリギを使ったあとはいつも心身が車裂きというか、品のないこととか破壊衝動とか、理性の対極にあるようなことばかり考えていて、よろしくない。
(今は嫌われたくない、というか。
添い寝だって、工房の前で倒れた俺が悪いから同情されてるだけだし)
いや、きっとあと一歩踏み込めばそれで済む話なんだ。
(てっきり寝言でも聞かれたかと想ったが、寝言で自分の名前呼ぶとかなかなか恥ずかしくないか?
違うとは言ってたけど、じゃあそれこそどうして)
「いや、或いは。
初めて会った頃からして、なんか思わせぶりなところがあったんだよな」
「実は俺のこと好きかも?
とか本気で思ってたパターンですか、キショいですね」
「お前どうせそういう言葉があとでカリンちゃん口説くときに跳ね返ってきて悶絶するんだろ?
じゃあ俺は深淵からよろしく眺めてるから」
「どこぞの下水道ピエロよろしくですか?」「下水道にピエロっているん?」
アスカらの年代ではその映画はまだ存在していないので、キノの云うミームは欠片も伝わらない。
こればかりは文化の違いなんである、キノ無念。
「くそ、なんでこの人はいつも地味にレスバ性能高いかな……!
言われてほんとにそんな気になってきましたけど違いますからね、カリンはオウリの――」
「ほぅ、続けろよ、カリンちゃんは誰の」「……やめましょうか、この話」
キノは全面的に敗北を認める。アスカもあまり深く弄るほうにはいかない。
墓所フィールドはアスカであっても、プレイヤーである以上は気の抜けない場所である。
(若い子を無事恋人のもとへ返してやるのも、先達の役目だよな。
……とはいえカレン、俺はあと何度きみのところへ戻ってこれる?)
「聯合はアスカさんを除名しようって論調だと聞きましたが、広報誌にネガキャン載せたりはしないんですね」
「いや、以前はよくやられてたんだけどね。
プレイヤーギルドが後ろにいる以上、無責任なチラシ媒体とはいかないんだけど。
一時は攻略プレイヤーの最強ランキングとか番付打って、ボロクソやられてた」
「何でやめたんです?
普通に攻略プレイヤーの士気高揚とかに繋がるんじゃ」
「最強番付を席巻していた奴らの八割が常習プレイヤーキラー化して名前上げるだけでご法度になったと聞いたら……?」
「怖い話やめてください!?」
自分から振っといて、理不尽な言い分である。
「過去の黄道級ホルダーも二人くらいそれでいなくなって、挙句にモンスターすら行方をくらましちまった、そういうことの繰り返しなんだよ」
「番付に載ってるようなのがPKやりだしたら誰にも止められ――いや、一人だけ確実にやれる人いたわ」
「それ以上言うなよ、当人だってそれやってて嬉しかったわけじゃないから」
「あぁ、すいません……、でもそういうの、正直失礼承知で言わせてもらうと、さすがに始末屋だけじゃないんですね」
「だけであって欲しいなら、俺が世界の敵でもいいんだけど。
流石に三桁やってるやつはいないはずだが、最後は典型的なシリアルキラー気取りの馬鹿どもに成り下がるんだ、俺だって自分がそうじゃないって言い切れる自信はそんなにない。
同族殺しってのは、結局下策だからね。生存の危機っていう不信感をばら撒かれて、不安にならないやつはいないのよ、だからさ。
殺し合いにはまずその土俵へ引きずり出されない努力が一番大事になる。
正当防衛と相手への先制した行動と、俺の場合はどちらも自分の判断でやってきてしまった。
前者はとかく、危険性は見越しても未遂のやつをどう口実つけて潰すかは色々悩んだよ。
証拠の捏造みたいなことを結果としてはやらなかったけど、それでもグレーなことは結構やってきた自覚がある、そいつを潰しておかないと、別の誰かが死ぬと見こせちゃうとね。
ところでフローターキマイラとやらの所感はどう?」
「ここ入ってからも、デバフを受けてる感じしませんね。
ウロボロスが頭についてるからかも」
「ウロボロス属種はたしかに大抵の状態異常に耐性があるよな、青いキマイラか……興味深い」
「そういえばアスカさん、災鴉以外のユニットってなにがいるんですか、ほかのやつ見たことないですけど」
「もったいぶってるわけじゃないんだぞ。
『エレキビッツ』、こいつなんかは俺の使役するもうひとつの無生物ユニットだ」
「ほぅ、二体で対ですか。生物なら黄道級の双子座なんかがそういう機能を持っているそうですけど」
アスカは棒芯状のオブジェクトを顕現させる。核部には電磁を帯びた意思のあるなにかが宿っていた。
(本体はこの中核ってことか)
キノは灰色の棒芯を舐めるように見回す。
「契約紋のスロットは四つ、拌契約紋のスロットを加えれば最大で八つのユニットを運用できる」
「災鴉のいるなら、拌契約紋をとっとと攻略最前線のプレイヤーらに開放させて攻略を進めることだって、できたんじゃないですか」
「結果、未だビギナーである第二世代の放逐に、聯合から増えた倍のユニットが追いかけてこないだけ、マシなものじゃないの?」
「それは」
「聯合のプレイヤーは、第二世代が現れる以前、オルタナに対しても排他的な方針を示してきた……そうでなくとも俺は彼らを信用できない、もちろん拌契約紋はプレイヤーの利益になるだろう、ただ技術をいたずらにばら撒くと、上位調教のときの二の舞になる。
上位調教本来の使い道は、あくまで交渉による霊長との高位契約だ、その辺にいるプレイヤーやオルタナを侍らせるのは、それが主流の運用ではあっちゃならないと、俺はそう想ってる。
けど人を騙して言うこと聞かせるのに、これほど便利な力もない――目先の支配欲を満たす為ばっかりに、こんなものを使うやつらばかりだ。
最初にそれを見つけたお前はどうなんだ、なんて言われたら、反論しようもないけど」
「ミユキさんから、聞きましたよ。
どうしてこれまで主従をやってきたか、とか。あなたが眠っている間に」
「俺は結局、あいつとの約束を果たせないままだ。
あいつの兄が今を生きているのかどうかすら……まともに掴めない」
行方知れずになったプレイヤー、その記録がきちんと残ることはあまりない。アバターが完全に消失してしまうこともあれば、プレイヤーキルや人に言うには憚られる理由で忘却されるプレイヤーたちもいる。
アスカはこれまで、自分も行き倒れればきっと後者だろうと想っていた。
(そして遺ったのは、他人の名前に『始末屋』とかいうクソみたいな称号か)
ミユキやカレンは、どうしてそんな俺なんかに今でも優しいのか、本気でわからない。
「いや、表の契約紋のモンスターもですよ。
まさか、ミユキさんやそのピシカって子以外契約してなかったなんてことはないんでしょう?」
「――」
「……え?」
「我ながら幼稚な話だけど、契約紋についての実験は殆どミユキ頼りだった。
人間やオルタナを同列にしておいて、そうじゃないモンスターと契約するのは、あいつらに対して冒涜的なんじゃないかって気分になった、単なる道具と割り切ってれば面倒くさくないのに、甘ちゃんなんだよ、俺みたいのは――だからガチ勢には一歩引けをとる羽目になる」
二人はやがて、濃霧と密林を抜けた先の遺跡を前にする。
「ここから先の記録はない、プレイヤーは誰も戻ってこなかった」
アステカ風の石段ピラミッドと見せて、周囲には三点を正三角形に結ぶ石の柱が見受ける。
「この先は結界みたいなんだよな」「わざわざ踏み込むんです!?」
「うん、中身がずっと気になっている。
ピラミッド墳墓の奥では、シカ型のモンスターたちが徘徊していて、あのように通り抜けている」
「モンスターには無害ってことですか?」
「無害というより、俺たちの推測が正しければ――」
アスカは懐から、スライムを一匹引っ張り出す。
「ミユキから貰ってきた」「言い方が完全にヒモニートのそれじゃないですか、さっきから」
「そうかな?
それより、ちょっとこれを見ていてくれ」
契約紋のスロット1、ミユキが外れた代わりにこれと一時的な契約を交わしている。
そのスライムを、アスカは結界の境界内部へと放り込んだ。
“結界フィールドの制約により、契約紋とそれに関連するシステムは制限を受けています”
“結界フィールドの制約により、纒召喚が使用不能です”
“結界フィールド内では契約紋による契約付帯効果、スキル・アビリティの効果は半減されます”
“眷属とのつながりが弱まります”
「そうか、これは契約紋のシステムへ作用する――理由がなければ、誰も踏み込みたくないでしょうね」
「きみのことは俺が責任持って守ってやる。
どんと構えて、契約や眷属を抜きの戦術を学んでくれ。
基本的にこういうのは、サイドジョブ頼りになる」
「アスカさんは『回復術師』でしたか」
「一応、プレイヤーが習得できるサイドジョブに上限はない。
ただしサイドジョブの解放には、スキルツリーの移植が必要だ。
それができるのは『調律士』とその上位職『調教師』」
(だからカレンさんはあんなに重宝されて、工房まで構えてるのか)
アスカの横顔は完全に自分の女を思い出しているそれだったが、キノはもう野暮なことを言わない。