STORIES 007:地下鉄と黒い窓とスーツ
STORIES 007
仕事帰り、20:30頃の南青山。
地下鉄の階段を降りて、表参道駅のホームへ向かう人混みに混ざる。
その頃の僕は、表参道にある某アパレルの直営店に配属されていた。
通りに面した1階はレディースの売場で、メンズフロアは地下にあった。
窓の外はとって付けられたような中庭。
10分で飽きてしまう景色。
それでも1人でよく見上げていた。
厚いガラスの向こうの四角い空。
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制服のように着ていた真新しいスーツは、黒っぽいスリーピースの三つボタン。
ショップスタッフだけれど、新社会人らしく。
通勤は地下鉄に揺られ、乗り換えの混雑に加わり、長いエスカレーターの列に並ぶ。
階段を急ぎ足で上がり、吐き出されるように地上に出る。
地下鉄の駅は…
駅であって駅ではないようにも感じる。
外からは階段しか見えないし、幾つも出入口があって、ただの地下通路みたいな気がした。
駅舎がないなんて、ね。
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僕が育った地域には地下鉄がない。
電車の時間に合わせて駅員が出てきて、切符に入れるハサミをカチカチカチカチと鳴らしながら、それほど多くもない乗降客を見送っていた。
大昔の光景みたい?
そうでもないんだけどね。
まぁ30年以上も前なんて、もう大昔か。
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地下鉄の風の匂い。
嫌いじゃない。なんとなく懐かしい。
表参道、青山一丁目、永田町、半蔵門、九段下、神保町...
地下鉄の窓からの風景は、いつだって黒い世界。
薄暗く窓に映る車内の乗客だけ。
この景色も10分もせずに飽きてしまう。
車窓からの眺めなんて、ここじゃ誰も気にしないのだろう。
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そういえば、いつも見かけるコがいた。
ドア付近の手すりにもたれるように立ち、手には文庫本。
時おり視線を上げる。
短めで明るい髪色、少し切れ長の眼。
淡い色のスーツは、まだ馴染んでいない感じ。
少し年下かな。
終業時間が同じくらいなのかな。
つまり、気になってつい目で追ってしまう。
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ある晩。
考え事をしながらいつもの電車に乗り、ふと顔を上げると、目の前の女性と目が合った。
彼女だ。
笑いかけようとして、思い直して窓のほうに視線を移した。
何も見えないのにね。
それに僕は、彼女の知り合いでも何でもない。
距離が近過ぎて落ち着かない。
乗り換えまでの10分間。
嬉しいような、気まずいような、そんな時間。
窓の外は、ただ黒いだけで…
もうすぐ神保町。
明日も会えるかな。
黒い風景だけじゃ味気ないから、ね。