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その背中に追いつきたくて 3


 抱き上げられていた腕の力が緩められて、そっと私は降ろされたけれど、明らかにジェラルド様の様子はおかしい。


 いつも余裕の表情しか見たことがなかったのに、あの婚約破棄の日から、私はジェラルド様のことを何も知らなかったのだと、思い知らされるばかりだ。


 それでも、すぐに気持ちを立て直したのだろう、ジェラルド様は、私を安心させるように笑いかけてきた。


「……ステラ、驚かせたな。……すまなかった」

「謝るようなことでは……」


 むしろ、何らかの理由でジェラルド様を不安にしてしまったことが申し訳ないくらいだ。

 そのとき、淡く青い光りが部屋の中を照らした。


「ルルード?」


 ジェラルド様の隣に現れたルルードが、鼻先を私に押し付ける。

 そして、赤く燃えるように輝くもう一つの光。

 それは、フェンディル殿下の精霊、リーリルだ。


 炎のようにゆらゆらと、透けるような赤い光を多揺らせるリーリルは、けれど近寄ってみても温度は感じられない。

 リーリルは、そのまま私の方に歩み寄って、足にすり寄ってきた。


「すごいな……。リーリルは、フェンディルの前にもほとんど姿を現わさず、警戒心が強かったと記憶しているが……」

「そうですね……」


 フェンディル殿下の婚約者として過ごしていたけれど、私はその期間、炎の精霊リーリルの姿を見たことがなかった。


「まあ、でも君についてくるのは当然か。フェンディル自身には、それほど魔力がない。精霊を愛する加護を受けた君の婚約者だから、契約してもらえたのだろう」

「……そうなのでしょうか」


 精霊に愛される加護、それは生まれたときからもつ私の加護だ。

 私本人には、特に恩恵はないけれど、強い精霊と契約している人ほど、その恩恵を強く受ける。


 精霊に好まれるということは、それだけたくさんの力を貸してもらえるということなのだから。

 そのまま、ジェラルド様とリーリルが見つめ合う。なぜか、張り詰めた空気に満たされる。

 そのとき、部屋が炎の幻影に赤く塗り替えられる。


 リーリルと見つめ合うジェラルド様の美しい横顔が炎に赤く照らされて、それはどこまでも幻想的だ。

 

「……今度は、私に加護を与えるというのか」


 私から離れたリーリルは、そのままジェラルド様の足元にすりよった。

 浮かんだのは、精霊のいる世界とこの世界を繋ぐ不可思議な魔法陣だ。

 見たことがない文字と紋様で埋め尽くされたその魔法陣は、ジェラルド様の足元で赤く輝いている。


「……ステラ、どうしたら良いと思う?」

「精霊2体から加護を受けた人なんて、聞いたことがありません……」

「そうだな。私も聞いたことがないが」


 けれど、精霊は人の都合なんて聞いてくれないことも知っている。

 人間よりずっと多くの力を持ちながらも、その行動は予測が難しい。


「……もっと、力が欲しい」

「もう、十分すぎるほどお持ちです」

「君を守りたい……。しかし、私が傷つくと、君はすぐに泣いてしまうだろう?」


 いたずら好きの少年みたいに笑ったジェラルド様を止めようと思ったけれど、差し出したその指先にリーリルが鼻先を押し付け、契約はなされてしまった。


「……まあ、どちらにしても、気まぐれな精霊は、私たちの都合など考慮してくれないが」

「ジェラルド様」

「子ども時代、ルルードに加護を受けたときには、しばらく魔力が不安定になった。今回はどうだろうな? 年だから寝込むかもしれないな」

「……寝込んだら、お世話しますよ」

「はは。それは良い」

「子どもの頃だって、寝込んだならお世話して差し上げたかったです」


 ジェラルド様の幼少期については、あまり記録に残されていない。

 そもそも、大好きすぎたから、逆に調べ始めたらとことん調べてしまいそうで、自粛していたというのもあるけれど……。何にせよ、ジェラルド様のことが、好きすぎるのがいけない。


「……君がまだ、生まれる前の話だ」

「……同い年が、良かったです」

「君と私の年は大きく離れていて、これから先もその差が埋まることはない。それは事実だ」

「……ジェラルド様」


 そう、私とジェラルド様は、二十歳以上も年が離れている。

 その年齢差を埋めることは、どんなに努力したってできない。


 そんなことを思っているうちに、煌々と輝いていた魔方陣の赤い光が消えていく。

 ジェラルド様には、全く変化があるようには見えない。

 長い指先を開閉して、しばらくの間、黙っていたジェラルド様が顔を上げる。


「……部屋に戻りなさい。早めに休ませてあげたかったのだがな。いつの間にかこんな時間だ」

「はい……」


 廊下で不思議な出来事が起こって時間が過ぎてしまったけれど、確かに窓の外はもう真っ暗だ。

 ジェラルド様は、私に背を向けてしまった。

 慌ててその上衣の裾を掴む。


「…………」

「どうしたんだ、ステラ?」


 少し困惑したような表情で、ジェラルド様は振り返った。私は、恥ずかしさをこらえて口を開く。


「……部屋に向かう階段は、どこでしたっけ?」


 沈黙が辛い。しばらく私を見つめていたジェラルド様が、小さくため息をついて口元を緩める。


「……はあ。屋敷に慣れるまでは、私のそばを離れないように」

「は、はい」


 精霊の加護を受けたせいなのか、不思議なほど熱いジェラルド様に手を引かれれば、思ったよりも先ほどの部屋へ続く階段は、すぐ近くにあった。


「……おやすみ、ステラ」

「ジェラルド様」

「……離してくれないか、ステラ」


 もう一度、上衣の裾を掴む。今度は、場所がわからないからではない。

 明らかに、ジェラルド様の様子がおかしい。

 ポタリ、うつむいたその頬から、汗がしたたり落ちた。


「しかし、格好がつかないな」


 ジェラルド様は、片膝をついた。

 慌てて肩を貸そうとしたけれど、身長差もあってとても助け出せそうにない。

 階段の横に置いてあったベルを鳴らすと、心得たように執事長ドルアス様が現れたのだった。


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