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11.日曜午前

11.日曜午前


 M大の学園祭は、三日間ある。

 昨日の土曜はプレオープン。基本的には学生や関係者だけが来場する。

 本番は、今日と明日の祝日。特に今日は人気歌手やお笑い芸人も来るし、ミスコンなどのイベントもあって一番盛り上がるらしい。

 私は、美香とさおりと十一時に最寄駅で待ち合わせし、てくてくと十五分ほどかけて歩いてきた。その間にも大学の方向から、焼きそばや綿菓子を手にした親子連れや、大学生らしき集団が何組も通り過ぎていく。否が応でも、お祭り気分が高まる。

「あー、もう楽しみでしょうがないよっ。生ケンイチウジ!」

「っていうか、あの写真が衝撃的過ぎて……ふふっ、ふふふっ」

 さおりの慎ましい笑い声に釣られて、私と美香も笑い始める。笑い涙でせっかくのマスカラが落ちたら大変だから、さすがにあの画像を開くのは控えておいた。

 兄は準備があるからと、早朝に出かけてしまった。寝惚け眼で目撃したその姿は、昨夜見せてもらった“別人バージョン”で……私はビビッて、しっかり目が覚めてしまった。見るのは二度目だというのに。

 なんら変わっていない中身を知っているので、決して『カッコイイ』とは言いたくない。でも、初対面の相手になら『ちょっと知的な爽やかスポーツマン』といった印象を与えるだろう。美香もさおりも、あの兄を見たら相当ショックを受けるに違いない。その姿が目に浮かぶようで、私はほくそ笑んだ。

 まあだからといって、二人が兄のことを好きになるとはミジンコ程も思えないけれど。どちらかといえば兄の方が、二人のうちのどっちかを好きになるって可能性はあるかも……?

「しっかし、二人とも今日は化けたねー」

 ガードレールの内側、先頭を歩いていた私は首から上だけ振り向くと、後ろに並んでいる二人の姿をもう一回チェックした。

 美香はいつもボーイッシュだからと、今日は女の子らしいエーラインのワンピースを着ている。秋物のハンチング帽がちっちゃめヘッドに良く似合う。さおりは、どちらかというとコンサバ系。めずらしく原色の赤を使って、私くらい踵のあるサンダルを履いている。丈が長めのスキニージーンズに合わせてあるから、本当に足が長くなったみたいに見える。

 照れ笑いしながらも、美香とさおりはクールに切り返してきた。

「どー見ても、一番化けたのは優奈でしょ。なんかもう、胸元からフェロモン出過ぎ」

「うん、あたしもそう思う。なんだか心配なくらい。ナンパされても付いてっちゃダメだよ?」

「えー、付いてかないよっ」

 言外に『エロ過ぎ』と言われたみたいで、私はちょっとだけ心配になった。大人っぽさを追求するあまり、露出が高くなりすぎたのかも。

「やっぱり、ワンピースの下にタートル着てくれば良かったかなぁ……」

「ううん、そのワンピ相当似合ってるから!」

「うんっ、優奈ちゃんの魅力全開だよっ!」

「ホント? やったっ! 今度佐藤さんに会うとき、この格好で行こっ」

 今はまだ恥ずかしい胸元も、きっと気にならなくなる。歩くとグラグラしてしまうピンヒールも、半年後には上手く履きこなせているはず。

 そうなったとき、佐藤さんの隣に居られる自分だったらいいな。

 私は高く澄み切った青空を見上げながら、大きく伸びをした。


 *


「もしもしー、お兄ちゃん?」

『おおー、優奈か。もう着いたのか?』

「うん。今ね、正門ってとこのアーチのあたりに居るよ」

『おし、分かった。迎えに行くから待ってろな。あと、今俺一つ仕事頼まれててなぁ』

「何? もし忙しいなら後でもいいけど」

『いやまあ、たいした仕事じゃないんだがな、あの……とりあえず目印は“風船”ってことで』

「はぁっ?」

『じゃあ、三分くらいで行くから待ってろー』


 一方的に通話が切られて、私はぷうっと頬を膨らます。

「どーしたの?」

「なんか良く分かんないけど、お兄ちゃん仕事中みたい。一応ここで待ってろって。三分くらい」

 正門と言っても、その幅は車が何台も並んで通れるくらいある。そして、見渡す限りの人人人。入口の手前で配られたパンフレットによると、今から夕方まで野外ライブが目白押しだ。無料で見られるものと、いくらかお金を払うもの、あとホールで行われるのは事前のチケットが完売した、人気アーティストのライブだ。イベント目当ての中高生も多いし、単純にお祭り感覚でやってきた近所の家族連れもいる。

 そして、私たちみたいな『女子大生グループ』も……。

「――ねぇ、彼女たち暇?」

 大学生の男の人に声をかけられて、私は「待ち合わせなので」と返事をする。このやりとりは、ここに来てもう三回目だ。

「なら後でうちの店遊びに来てよ。たこ焼き屋やってるから、ねっ?」

 男は私に小さなビラを渡すと、次のターゲットに向かって走って行った。私はその後姿をチラリと見やり、美香にビラを回しながら呟いた。

「大学のサークル活動って、営業マンみたいなことさせられるんだね……大変そう」

「いいことじゃない? いずれ皆社会人になって、そういう仕事することになるんだから、練習だと思えば」

 そう言って美香は、ビラをさおりへ。

「しかも、アイツ女の子グループしか狙って無いみたいだよ? ナンパ半分、売り上げ半分ってとこじゃないかなぁ」

 最後に受け取ったさおりは、それを丁寧に折ってハンドバッグにしまった。この正門を出るまでに、取り出される可能性はとても低い気がする。学園祭のビラ配り一つでも、社会や経済の勉強になるものだ。

 鞄の留め金をパチンと押したさおりは、いつも通り感情の読めない笑顔で問いかけてきた。

「そういえば、ケンイチウジさんのサークルは何屋さんやってるの?」

「クレープ屋らしいよ。たぶん何か食べさせてくれると思うけど、味は期待しないで」

「クレープかぁ。先にもうちょっとお腹に溜まるもの食べたいね。焼きそばとか」

 そういえば小腹が減ってきた。ワンピースのベルト部分を抑えながら、私が美香の提案に大きくうなずいたとき、何やら周囲がざわつき始めた。ワーとかキャーというより、ウォーとかギャーという感じで。

 連鎖するその悲鳴の先を辿っていくと……。

「おおーい、優奈やー!」

 ――兄!

 いやっ、今度こそ兄に似た別人だ。そうに違いない。逃げようっ。

「ちょっと、あれまさか……」

「ケンイチウジさんっ?」

「――ヤダっ、違う、これじゃないっ!」

 後退ろうとする私の腕を左右から掴む、美香とさおり。二人とも、笑いを堪えるのに必死といった感じで、頬や口元をヒクヒクさせている。

 私はといえば、本気で泣きたいくらい恥ずかしかった。

 人ごみをかきわけて……いや、モーゼのように人波がザザッと引いていくその海の道を、一人の大柄な少女が駆けてくる。スカイブルーのワンピースに白いフリルのエプロン、良く見るとズレている金髪に真っ赤なリボンの大男……な少女。

 片手には幾つかの風船を、もう片手には大きな紙製のプラカードを持って。

 そこに書かれていた、極太マジックの文字は……。

『クレープ喫茶・不思議の国のアリス』

 ああ、兄よ。

 いくら仕事とはいえ、まさかその図体でアリスの女装は無いだろう……。

「すまん、風船配りながら来たら遅れたナリ」

「……い」

「うん?」

「――キモいっ!」

 私の叫び声が、引き金となった。

 何事かと見守っていた周囲が、爆笑の嵐。その中心には、美香とさおりも居る。もうマスカラとアイラインが流れるのを気にするどころではないらしい。

 笑えていないのは、私だけだ。

 普段の兄がこんな格好をするならまだしも……今朝見た凛々しい姿とのギャップが大き過ぎて、なんだか軽くめまいがする。

「……そうかぁ? 案外似合うってサークルの皆は言ってくれたんだがなぁ」

 兄はそう言いながら、プラカードを一度地面に置くと、自分の胸にも詰まった二つの風船を、ボインボインと揺さぶった。不満げに尖らせたタコ唇は真っ赤で、同じ色のマニキュアが不細工な形の爪に塗られている。口紅だけならまだしも、真っ青なアイシャドーと、オレンジのチークも。

 佐藤お兄さんがせっかく切ってくれたナチュラルヘアは、安っぽくテカった金髪ウィッグの下に隠れてしまった。佐藤弟さんセレクトの眼鏡もかけていない。たぶん使い捨てコンタクトでもつけているのだろう。

 もう、キツ過ぎて見て居られない。妖怪にしか見えない。

「なあ、お二人サンはもしや優奈のお友達の……」

「美香です」

「さおりです」

 二人とも、見事なパンダ目になるほど笑い涙を流しつつも、立派に挨拶した。

 兄は……妖怪のくせに、立派な挨拶もなにも無いと言いたい。

「どうも、健一です。優奈がいつもお世話になってます」

「こちらこそ、優奈にはお世話になってます。あと、ケンイチウジさんのこともかねがね」

「もう、ことごとく予想を外されましたぁ。いやー、愉快な方ですねぇ、お兄さんっ」

 心底楽しそうな二人の笑顔を見て、私は目を疑った。

 まさか、兄を気に入ってるっ?

 それ以前に、コレが平気なのっ?

 すっかりくつろぎモードに入りかけている二人を制するように、私は大声を上げた。

「ねえ、その仕事終わったらもう一回連絡してよっ、今のお兄ちゃん目立ち過ぎ!」

「んあ? そうか……すまんなぁ。じゃあ、また午後になったら手が空くと思うんで、それまでぶらぶらしててくれ。こっちも、そろそろミスコンの予選が始まるしな。あ、ちなみに俺も“アリス”でエントリーしてるんだわ。もし暇だったら見に来てくれてもいいぞ」

 もう無理ーっ!

 収まりかけた笑いが再噴火する美香とさおりを連れて、私はその場から逃げ出した。


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