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15.日曜夜(最終話)

15.日曜夜(最終話)


 だいぶ日が落ちてきた。磨きあげられたテラスのガラスは鏡のようになり、室内を淡く映し出す。そこには、物憂げな祐希さんの横顔と、少し不安そうに眉尻を下げて見守る私がいる。

 祐希さんは何かに思いを馳せているような、遠い目をしている。私は何も言わず、ガラスに映る祐希さんを見ていた。ぼやけていても、二次元でも、祐希さんはキレイだ。

 何分にも感じる数秒の静寂。半透明になった祐希さんの赤い唇が、ゆっくりと開いた。

「今から言う話は、ある女の懺悔。優奈ちゃんは教会のマリア様になったつもりで、ただ聞いてくれればいいから」

「はぁ……」

「あるところに、一人のおバカさんな女が居ました。その女は自分の外見が多少良いことを鼻にかけて、世の中の男は皆自分を好きになると思っていたのです」

 私は、すぐに察した。この話は、祐希さんのことだ。

 でも祐希さんは誰がどう見たって美人だし、実際激モテだろうし……。

「しかし、そんなたかーく伸びた鼻が、ポッキリ折れるような出来事が起こりました。それは、あるサークルの飲み会に、たまたま顔を出したときのこと。私……じゃなくてその女の近くには、いつも通り男の人も女の人もたくさん集まってきました。皆がその女にお酒を注いだり話しかけたりちやほやします。でも、一人だけ女を無視するように、ずっと隅っこにいる男の人がいたのです」

 私の乙女な勘が、ぴくんと反応する。

 まさか……。

「女は『アイツは誰だろう?』と興味を持ちました。さりげなく近づくと、彼は酔っぱらったサークルの先輩に絡まれて、こんな会話をしていました――」


『ケンイチウジよぉ、お前まさか、ホモじゃねーよな?』

『いやいや、俺は至ってノーマルな人間でありますが』

『だったら何で“女に興味無い”とか言うわけ? 今日は佐藤ユーさんも来てるっつーのに』

『えーと、興味が無いというわけではなく、なかなかピンとくる女性が現れないといいますか……』

『何ぃ? あの佐藤さんでもかぁ?』

『はい、いえ、実は俺、かなり特殊な環境で育ったせいか、目が肥え過ぎているというか』

『はあ?』

『まあ端的に言いますと――』


「“うちの妹が可愛過ぎて、それ以上の女が見つからない”……って」

「――キモいっ!」

 私は、マリア様にはなれなかった。

 ブワッと全身に鳥肌が立つ。『羞恥心度』が針をぶっちぎってぐるんぐるん回る。

「ヤダー! もう本気で嫌なんですけどっ!」

 鳥肌に覆われた私の背中が、ぽわんと温かくなった。いつの間にか立ち上がった祐希さんが、私の身体を背後から包むように抱きしめている。私を落ちつかせるように、羽が触れるくらいに、そっと。

 祐希さんの腕は、柔らかくて……一回のデートでお別れした男たちとは全然違った。嫌悪感は一切無くて、むしろ安心感に満たされる。襟元に触れる祐希さんの長い髪がサラサラして心地良い。

 祐希さんは、私の耳元でくすっと笑ってから言った。

「ねえ、もう少し聞いて? それからずっと私は、彼のことが気になってしょうがなかった。彼って本当に、信じられないくらいイイヒトなの。皆が嫌がるようなことも率先して引き受けて……今日の“アリス”だってそうよ。普通の顔で飄々とこなしちゃうの」

 そう言われて、私は思い出した。

 中学一年の夏。私がどんなに冷たくしても、兄は私が困っているときは必ず助けてくれた。私が突っぱねても、お礼を言わなくても。自分の悪口が聞こえても平気な顔して。本当は平気じゃなくても、そういう顔をしてやり過ごしてしまうんだ……。

「そんな人だからね、見返したくなったの。私こう見えて負けず嫌いなんだ。私の存在を、彼の視界に入れてやりたいなって……でも本物の優奈ちゃん見たら、くじけそうになっちゃった。今も、優奈ちゃんに嫉妬してる。こんなに可愛いなんて思わなかったから」

 私はあまりにも驚いて、腰が抜けそうになった。背中から祐希さんが抱きしめてくれていなければ、ずるずると椅子から床に滑り落ちてしまいそうなくらい。

 祐希さんは、本気でお兄ちゃんが好きなんだ!

 だからお兄ちゃんの頼みを聞いて、計画を立てて洋服を用意して、一生懸命あれだけのことをしてくれたんだ……。

「あのぉ……祐希さん? 私が言うのもナンですが、あの人かなりシツコイですよ? 私、中学高校って六年近く半無視状態でしたけど、全然めげないで話しかけてくるんですよ? もし祐希さんが嫌になったらストーカーになるかもしれませんよ?」

 引き返すなら、今のうち。

 だけどもし、そんなアイツの懐に飛び込む人が居るなら、それがきっと“本当の自分を見てくれる”、運命の……。

「うん、彼って生涯でたった一人の女性を愛するタイプよね。それって私の理想!」

 私は悟った。祐希さんの説得はもう不可能だと。

 アイツはもう、『私だけのお兄ちゃん』じゃなくなる……そのときが来たんだ。

 あとは、意外と鋭いくせに鈍いフリをするアイツを、どうにか動かすだけ。

「彼の大事なたった一人……今までそのポジションには、優奈ちゃんが居たと思うの。でも私もあれからけっこう頑張ったつもり。だからそろそろ――ねえ、どうかな、ケンイチウジ君っ! 私と優奈ちゃん、どっちが大事?」

 いつの間にか祐希さんの目は、私を通り越してその向こうを見ていた。そこに居たのは、まさに我が兄。

 ぎゅうっと抱きしめる祐希さんの細い腕が、小刻みに震えている。

 私の中の『切なさ度』が、マックスを振り切った。

 私は、目の前で立ちすくむ大男を睨みつける。佐藤兄妹パワーで、そこそこレベルに生まれ変わった兄。その厚ぼったい口がゆっくり開いて……。

「そりゃまあ、どっちもそれなりにというか」

「バカアニキ! ちゃんと選べ!」

 バカだっ、バカ過ぎる! なんでこの素敵な祐希さんが、こんなバカに!

 気付いてるくせに! 祐希さんが大事な人だって、分かってるくせに!

 家族じゃないのに一生懸命世話焼いて、汚ったない顔のガム取って、なにより本当の自分を見てくれる人だって――

「えっと、じゃあ、佐藤?」

「もうっ、語尾を上げるな!」

「じゃあ、佐藤」

「名字じゃなくて、下の名前で呼ぶ!」

「祐希サン?」

 その瞬間、するり、と腕がほどけた。

 真っ赤になった祐希さんが、私を捕まえていたはずの細い手を、今度は自分の両頬に当てている。

 なんて可愛いらしいんだろう……感動してしまう。

「祐希さん、こんな兄でよければ、いくらでもコキ使ってやってください。私も頑張りますんでっ!」

 私は立ち上がると、ヒールのせいかちょっとだけ背の低い祐希さんをギュッとハグした。祐希さんの身体から、ほんのりと芳香が漂う。これはお母さんが大好きな匂い袋の、白檀の香り。

 着物から移ったその上品な香りが、祐希さんという人物を象徴するようで……ああ、バカアニキにはもったいないったら!

 でもこの人が、もしも私のお姉ちゃんになってくれるなら……。

「おいおい、優奈さんや。どういうことか説明してくれないと、お兄ちゃんにはワカランぞ? あ、そーだ。今日も母さん遅くなるって電話来たから、なんならこれから飯でも食べて帰るか? どうせサークルの打ち上げは明日だし。それともまた家でタラモピザでも食うか?」

 私は抱きしめた祐希さんを離しながら、大きな大きな溜息をついた。

「ったく……このバカアニキ! 空気読め!」

「なんだよぉ、ワケワカラン」

「とにかく、ご飯なら祐希さんのこと連れてって。任せたからねっ!」

「ちょっ、おい優奈ぁ?」

 私は、ピンヒールがグラグラすることも気にせず、テラスからダッシュした。

 負け犬の遠吠えのように響く「“お兄ちゃん”って呼んでくれよぉっ……」という兄のキモい台詞も、祐希さんの可愛らしい笑い声も、あっという間に遠ざかった。


 *


 大学の正門を飛び出して、駅へ向かって走る。

 走る距離が長くなる程、バランスの取り方が掴めていく。もう足はぐらつかない。

 息が切れ始めた頃、ショルダーバッグのサイドポケットでチカチカと光を放つケータイに気付いた。足を止めないまま手に取ると、メールが三件。

 一件目は、美香から。

『佐藤さんと会えた? こっちはなかなか楽しく過ごしてまーす。優奈&ケンイチウジのおかげ。ありがと!』

 二件目は、さおり。

『速報。美香と山田さんはイイ感じだよ! これ本人には内緒ね? 私と鈴木さんは、たぶんお友達止まりかな』

 三件目は、知らないメアドから。

 開いた瞬間、呼吸が止まりかけた。


『佐藤和哉です』


 駆け足から、急ブレーキ。私はドキドキする胸を抑えて歩道に立ち止まる。

 何度も何度も、記された文字を読む。


『祐希が勝手にメアド教えてきました。文句は祐希へ、でももし嫌だったら消すので遠慮なく言ってください。ところで優奈ちゃん、うちの妹とはもう会ったんだよね。弟じゃなくてびっくりしただろ。黙っててゴメン。あともしかしたら祐希は優奈ちゃんにライバル宣言したかもしれないけど、できれば仲良くしてやってくれると嬉しい。あ、もちろん俺ともね』


「もうっ! びっくりした……どころじゃないよぉ」

 この文面からすると、和哉さんは祐希さんの恋心を知っているみたいだ。相談されたのか、態度で察したのか。女心に敏感っぽいから、後者のような気がする。

 バカアニキと祐希さんが今後どうなるかは分からない。でもあれだけ魅力的で、計画実行力が高い祐希さんが、バカアニキごときに負けるわけがない。

 私の勝負は最低でも半年かかる長期戦。敵は私よりずっとずっとオトナだ。でも、こっちだって負けるつもりは無い。

「とりあえず、メールの返事しなきゃね。えっと……」


『優奈です。メールありがとうございます。祐希さんのこと、すごーくびっくりしましたよ! でも、もっとびっくりすることがあって……その話はぜひ祐希さんから聞いてください。あと今日は日曜ですが、もうそろそろお店終わりますよね? もし良かったら、ご飯でも食べに行きませんか? いろいろお話したいことがあります』


 送信ボタンを押そうとする指が、震えた。

 本当にいいのかな? 急ぎ過ぎてないかな?

 そんな臆病な気持ちより、ついさっき祐希さんに分けてもらった恋のパワーが勝った。

 気合いを入れて親指をプッシュ!

 そしてほんの一秒後、メールが届いた。ちょうど入れ違いの、ほぼ同じタイミングで。


『和哉です。たびたびゴメン。今祐希から緊急メールが来た。祐希は、優奈ちゃんからケンイチウジ君を奪ったらしいね? 申し訳ない。こんな代役で良かったらだけど、今から俺と一緒に晩飯でもどうかな? 店の片付けはあと一時間くらいかかるので、もし待っててくれるなら店に来てください。無理ならまた今度』


 頬が、最高に熱くなる。

 肌を刺す冷たい秋風の中、私は発熱する身体で彼の元へと駆け出した。

読んでいただいてありがとうございます! 完結と言っても「オレたちの戦いはこれからだ」的なラストなのですが……こういう、続きは読者様の想像にお任せなラストが好きです。今月中に番外編を少しアップしたいと思いますので、どうぞ今後ともお付き合いよろしくお願いいたします。

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