物からの逃走
三人は必死に逃げた。散り散りにならず、まとまって逃走出来たのは、不幸中の幸いだろう。逃げ続けた彼らは、気が付けば広めの公園……たまにバスケなどで遊ぶ、馴染みの公園に辿りついていた。
「やべぇ! やべぇよあれ! なんで急にラジオからあんな声が!?」
「知らねぇよ! あの神社って心霊スポットだった訳!?」
「分かんねぇよ! いちいち調べるもんか! つーかあのラジオ持ってきたの重田だろ!? あのラジオが悪かったんじゃねぇの!?」
非難の矛先を向けられた重田は、逆切れ気味に吠えた。
「んな事無いっての! 勉強中に使ってるラジオたけど、あんな女の声なんて聞こえた事無いって!」
「じゃ、じゃあたまたま『受信』しちまったってのか?」
「『受信』って……何を……」
「言わせるな馬鹿っ!!」
正体は分からない。けれど恐怖だけは心の底に焼き付いていた。やっと逃げる事が出来たのに、また思い出したくない。息を切らし、ホラー体験に激しい動揺を見せる三人。はぁはぁと吐息を漏らして、必死にお互いに感情を吐き出す。
けれど――これでもう大丈夫だ。色々と神社に置きっぱなしにしてしまったが、ひとまず怪異から逃げ出す事が出来た。
「で、でもさ! もう平気だろ! いやぁ怖かったなぁ!」
「お、おう! そうだよな! 後で! 後でネットに上げようぜ!」
「そうそう! いいストレス発散になったよな~っ!」
これで終わったのだ。終わった筈だ。必死に不安を振り払うように、この話を無理やり笑い話にしようと、公園の中で空騒ぎする若者三人衆。既に夕焼けは沈み、夜の色は空気にしみ込んでいる。しかしこの時――彼らは気が付くべきだった。
まだ夜も浅いとは言え、公園で騒いでいれば……誰かの目につくだろう。人通りも途絶えるには早いのに……誰も、誰にも遭遇しないのだ。
静寂――……またしても静寂。神社の空気が変わったあの時のように、公園の空気が『変質』している。嫌な空気を振り払おうとはしゃぐ三人は――『クケ』と、小さな女の笑い声を確かに聞いた。
「「「――えっ……?」」」
三人が呟く。黙ってしまう。そして静寂を知覚してしまう。
あり得ない。何故女の声がする? あれはラジオから流れる声だ。神社に置き去りにしたのなら、ここで聞こえてくる筈がない。
でも、だとすれば、何故――
神社と同じ静寂に、自分たちは包まれているのだろう?
『クケ……クケッ……』
声がする。三人の後ろから。あり得ない。あり得ないから、確かめるだけだ。きっと大丈夫。大丈夫だ。振り向いても何もない。三人は口に出さずとも、心の中で同じ事を言い聞かせる。じっとりと汗を流す身体。どく、どくと動揺する鼓動。振り返る三人。現れるのは――『神社に置き去りにした筈のラジオ』
馬鹿な。そこは一度視界に入っていた筈だ。見落とす訳がない。誰も気が付かないはずがない。公園にラジオカセットの組み合わせは珍しくないが……いや、しかし、何故? 恐怖に引きつる三人へ……あの女の笑い声が、あざ笑う。
『クケケケケケッッ!!! クケエェエエケケケケケケケッェツ!!!』
神社内で聞いた、女の笑い声――逃げ切った、振り切った筈の恐怖の再来に、三人全員が絶叫した。逃げれないと体験しても、それでもなお逃避を試みる。必死の形相で散り散りになりながら、心を恐怖で埋め尽くされ、彼らは逃げ惑った。
ラジオから響く女の声。機械から発する肉声に、玉のような汗が全身にびっしょり流れた。彼らは逃げる。ひたすら逃げる。それぞれの自宅に向かって、安全な場所だと信じて。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!!」
逃げる。逃げる。ひたすら逃げる。時々足がもつれて、休みたくなる。けど、その度に『クケケケケェッ!』と狂った女の声がする。止まってはダメだ、追いつかれてしまう! とにかく家まで逃げなければ! 互いの安否を確認する余裕もなく、三人は自宅へまっしぐら。これは後で気が付いた事だが……『三人はバラバラに逃げていたのに、休もうとすると女の声が聞こえて来た』のだ。あのラジオと共に……
「なんだよ! ふざけんなよぉ!」
「来るな来るな来るな来るなぁ!!」
「ひいいいいいぃぃぃっ!?」
顔面は涙でくしゃくしゃ。息は絶え絶え。心は絶望と恐怖で塗りつぶされる。この世の理を超えた何かから、若い三人は全速力で逃避を続けた。笑う女のラジオから、全速力で家へと走り抜けた。
「「「はぁっ! はぁっ! はぁっ!!」」」
乱暴に自宅の扉を開け、ドンッ! と勢いよく戸を閉めて施錠する。三人の家族が、帰って来た子供の様子にぎょっとするが、彼らは返事をする余裕が無い。錯乱中の子供へ慎重になる中、その内二人は平穏を取り戻すことが出来た。
不幸な事に――一人だけ、重田 雷古の悪夢は終わらない。家の中から弟が、彼を案じて声を掛けて来た、その時。
『クケケッ! クケケケケッ! クケクケクケェッ!!』
声が聞こえる。女の声が。
弟にも同じ声が聞こえたらしく「何今の?」と怪訝そうな顔をする。対して兄である雷古は、真っ青な顔で自分の部屋に駆け込む。布団でも被って、安住の地で今日の事は忘れたい。
駆け込んだ部屋。開く扉。空いた窓。そして――『神社に置き去りにした筈のラジオ』
ひっと小さく悲鳴を上げた、重田雷古に……ラジオは、嗤った。